名無しの兵士さん:1945/08/15(水) 00:00:00
誰のものか特定できない戦没者の遺骨は靖国神社に奉ることができないんだ。
だけど、いい奴は先に前に出て死んだ奴だし、誰のものか分からなくなるくらい前線で死んだ兵士の遺骨にも、そんな人の魂がいっぱいあると思うんだ。そんな戦没者の骨は、千鳥ケ淵戦没者墓苑という場所に埋葬されている。だから僕は終戦記念日に行ってきてみた。下で引用するけど、NHKスペシャルの海軍反省会のものを観たからでもあるけれど。
皇居の東側はものものしくて、人が一杯の九段下の交差点ではこんなデモも行われていた。大音量だった。隣では重装備の警察官がまるで体育祭で入場を待っているみたいに2列で整列して立ったまま待機していた。右翼の街宣車の列もやっぱりいて、「え、何?何で規制してんの?は?」とか大音量のスピーカーで警察と話したり。
着いた。入り口はなんか美術館のようだ。
ここは民主党の岡田幹事長も管理法人の理事であり、靖国神社に代わる施設として「千鳥ケ淵を生かしたい気持ちはある」といわれたそうだけど、墓苑の施設としてはこれで全てで、靖国神社みたいに巨大な鳥居もなければ、菊の御紋の大きな門もない。あとは後ろに休憩所があるだけなんだ。
中はとても平穏な雰囲気で、年配の方々があちらこちらんで談話しているという感じ。
100円で献花を買うことができる。
棺に向かって尺八を吹き始めたおじさん。1時間位いたけど、帰るまでずっと吹いていた。プロみたいに上手だった。
昭和天皇の口癖は「あっそう」だったそうだね。
数々の戦地の小石を集めて焼いて作られた棺。
奥には天皇皇后両陛下の献花も。
もちろん僕も祈ったけど、自分一人のそれには先の大戦という出来事のスケールが大きすぎて、ちゃんと祈れたか正直自信がない。また来ないといけない。
六角堂を後ろからみた様子
棺の大きさが足りなくなって、遺骨はそのさらに後ろにも埋葬されている。うーん。
休憩所の中には、遺骨収集の様子の写真の展示。戦地に行って小山を見つけてはそれを掘り起こして、という作業だったようだ。
靖国神社の遊就館のそれとは違い、サビサビのこの38式歩兵銃も名無しであれば、
お経で埋め尽くしたこの石も、無名氏奉納となっている。名無しの遺品たちに鎮魂あらんことを。
気分を整理しようと千鳥ケ淵対岸の北の丸公園に。ここはいつも時間が止まっていていい。
海軍反省会のNHKスペシャル、第2回のこのシーンが印象的だった。
このおばあさんの表情に、出席者の発言のテロップが重ねられて、何ともいえない。
会話はこのように続く。
最後の笑いには、人によって色々受け止め方もあるだろう。当事者には当事者の文脈があるものだ。
だが死者の数を考えると、僕はちゃんと祈ることもできなかったくらいだ。
そしてこれは、ちゃんと記録をとった、名無しの発言ですらないものなのだ。
記録を非公開にしたのは、名の有る人たちを守るという意味では正解だっただろう。
そのあと、取材デスクの小貫武さんのまとめで息が止まった。話した後のこの表情もまた何ともいえなかった。
以下その内容。
いい奴は先に死んでいってしまうのがこの社会なんだ。
だけど、いい奴は先に前に出て死んだ奴だし、誰のものか分からなくなるくらい前線で死んだ兵士の遺骨にも、そんな人の魂がいっぱいあると思うんだ。そんな戦没者の骨は、千鳥ケ淵戦没者墓苑という場所に埋葬されている。だから僕は終戦記念日に行ってきてみた。下で引用するけど、NHKスペシャルの海軍反省会のものを観たからでもあるけれど。
皇居の東側はものものしくて、人が一杯の九段下の交差点ではこんなデモも行われていた。大音量だった。隣では重装備の警察官がまるで体育祭で入場を待っているみたいに2列で整列して立ったまま待機していた。右翼の街宣車の列もやっぱりいて、「え、何?何で規制してんの?は?」とか大音量のスピーカーで警察と話したり。
着いた。入り口はなんか美術館のようだ。
ここは民主党の岡田幹事長も管理法人の理事であり、靖国神社に代わる施設として「千鳥ケ淵を生かしたい気持ちはある」といわれたそうだけど、墓苑の施設としてはこれで全てで、靖国神社みたいに巨大な鳥居もなければ、菊の御紋の大きな門もない。あとは後ろに休憩所があるだけなんだ。
中はとても平穏な雰囲気で、年配の方々があちらこちらんで談話しているという感じ。
100円で献花を買うことができる。
棺に向かって尺八を吹き始めたおじさん。1時間位いたけど、帰るまでずっと吹いていた。プロみたいに上手だった。
昭和天皇の口癖は「あっそう」だったそうだね。
数々の戦地の小石を集めて焼いて作られた棺。
奥には天皇皇后両陛下の献花も。
もちろん僕も祈ったけど、自分一人のそれには先の大戦という出来事のスケールが大きすぎて、ちゃんと祈れたか正直自信がない。また来ないといけない。
六角堂を後ろからみた様子
棺の大きさが足りなくなって、遺骨はそのさらに後ろにも埋葬されている。うーん。
休憩所の中には、遺骨収集の様子の写真の展示。戦地に行って小山を見つけてはそれを掘り起こして、という作業だったようだ。
靖国神社の遊就館のそれとは違い、サビサビのこの38式歩兵銃も名無しであれば、
お経で埋め尽くしたこの石も、無名氏奉納となっている。名無しの遺品たちに鎮魂あらんことを。
気分を整理しようと千鳥ケ淵対岸の北の丸公園に。ここはいつも時間が止まっていていい。
海軍反省会のNHKスペシャル、第2回のこのシーンが印象的だった。
このおばあさんの表情に、出席者の発言のテロップが重ねられて、何ともいえない。
会話はこのように続く。
あなたは戦争になると必ず負けると
永野総長を動かすだけの働きをどの程度やったのか
そこまでやる必要を感じなかった(軍令部三代元大佐)
実際、課長は部長に話をされたと思う
だから我々としてはそれ以上に総長まで話をしとけというまでは・・・
そうでしょうね ずいぶんあなたいい考えだったでしょうけど
恐らくそうだったんでしょう、残念でしたね(一同笑)
最後の笑いには、人によって色々受け止め方もあるだろう。当事者には当事者の文脈があるものだ。
だが死者の数を考えると、僕はちゃんと祈ることもできなかったくらいだ。
そしてこれは、ちゃんと記録をとった、名無しの発言ですらないものなのだ。
記録を非公開にしたのは、名の有る人たちを守るという意味では正解だっただろう。
そのあと、取材デスクの小貫武さんのまとめで息が止まった。話した後のこの表情もまた何ともいえなかった。
以下その内容。
それぞれの仕事に埋没し、国民ひとりひとりの命が見えなくなっていった将校達。
その姿勢は、海軍あって国家なしといわざるをえません。
そうした内向きの姿勢は戦後になっても続き、
反省会の元将校達は、その記録を公開しませんでした。
しかし私は、彼らを一方的に非難することにためらいを感じてしまいます。
タテ割りのセクショナリズム、問題を隠蔽する体質、
ムードに流され、意見を言えない空気、責任のあいまいさ。
元将校達が告白した戦争に至るプロセスは、今の社会が抱える問題そのものであり、
私自身もそうした社会の一員であるからです。
元将校達は、二度と過ちを犯さないために、反省会を始めたと語っていました。
彼らの言葉を、真の教訓としていける社会でなくてはならないと、強く感じました。
それが、あまりにも多くの犠牲者を出した、この国に生きる私達の責任だと思うのです。
いい奴は先に死んでいってしまうのがこの社会なんだ。
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