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『日本語が亡びるとき』水村美苗


 本書のキーワード、<叡智を求める人>は次のように定義されている。

<叡智を求める人>というのは、必ずしも精神的に優れた人たち、つまり、勇気があったり、公平であったり、心が優しかったりする人たちを指すものではない。ただ、さまざまな苦労をものともせず、自分が知っている以上のことを知りたいと思う人たち──のみならず、しばしば、まわりの人たちの迷惑をも顧みず、自分が知っている以上のことを知りたいと思う人たちである。自分が知っている以上のことだけでなく、人類が知っていることすべてを知りたいと思う人たちである。(p127)










その<叡智を求める人>たちが奮闘して外国語の書物を翻訳し、現在の日本語がある。
日本語は中国からは漢字、平安期に生まれたひらがな、漢文にレ点をつけるために生まれ、欧米外来語にあてるカタカナと、世界に類例をみないちゃんぽんっぷりである。

それが、インターネットの時代になると、<叡智を求める人>は日本語化をやめて、<普遍語>たる英語で書くようになるという。
その理由について述べているところでは、指をバキバキ鳴らしながらキーボードを叩いたのではないかというくらい、<叡智を求める人>という単語は253ページから254ページにかけて実に8回登場する。
すると、<叡智を求める人>は、自分が読んでほしい読者に読んでもらえないので、ますます<国語>で書こうとは思わなくなる。
個々の理由は、著者の血のしたたる文章をここに持ってくることはしない。
本書冒頭の引用が全てを説明している。
「然し是からは日本も段々発展するでせう」と弁護した。
すると、かの男は、すましたもので、
「亡びるね」といった。    (夏目漱石『三四郎』)




漱石は晩年、絶筆となった『明暗』の執筆は午前中で終え、午後は漢詩を作っていたそうだ。

明治以降の近代期、世界に冠たる高みに達した文学が誰にも読まれなくなってしまうことを著者は憂いている。その最も大きな理由はインターネットだという。

それはそうかもしれない。
しかしどんな文明もいつかは沈滞し、滅んできた。その最も大きな理由は周囲の自然を食いつぶした後のあらゆる質の低下であり、精神の質も例外ではない。生活の質が悪くなり、人々も愚かでバカになって滅んできた。現代もこのまま物質文明が飽和していくだけなら同じように滅ぶしかないだろう。
でも僕は、インターネットがもう一度人類を高みにもっていくかもしれないと思っている。<叡智を求める人>がただ英語の図書館に吸い込まれていくのではなくて、その大図書館はもっと別のものだ。言葉でプログラミングし、プログラムが言葉を操るようになると、ある自然言語とある自然言語との関係というのは、<叡智を求める人>にとっては副次的な問題になる。文化もまたそこから新しい形で生まれてくる。



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笹部 政宏
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