荒川河口に向かう。パレサイは10時ちょうどではまだ半分車が走っていた。コーンで仕切られた左側一車線以外はもう自転車道路になっているようだ。スパッと横切って右側に出る。広い道路の主役が自転車になったみたいな、なんかいい気分だ。
日比谷交差点を東に曲がり、銀座を抜けて晴海通りをまっすぐ走り、勝どき橋で隅田川を渡る。あれ、これお台場に行く道だったとここで気づいた。荒川は河口どころかもう海になってる。まあいいや、この前走った道をまた行こう。
さっきから信号待ちのタイミングが合っている、頭をグリーンとレッドに染め分けた黒いスペシャのクロスバイクのお兄さんがいる。こちらはゆっくり走っているので後ろにいたが、晴海大橋でアメトークに出てた自転車芸人のあのセリフを思い出した。
「フジテレビ行くときの晴海大橋のあの地上高く空を飛ぶような感じと、下り坂を飛ばすスピード感がたまらない」
スイッチオン。
記憶の彼方からよみがえってきた奥田民生のこの曲
「股旅(ジョンと)」踏め踏め踏めー細道~
橋のてっぺんで緑赤頭兄ちゃんをすっとばし、下ハン握って59km!
ほんまか。YPKのchoronometerのサイコンはよく電波混線するし。
お台場手前のレインボーブリッジ入口のところで信号待ちしていると、後ろから「すいません」と声が。
「それなんていう自転車なんすか?」
「これ?これはBSモールトン」
「へー、後ろ走っててもう全然追いつかなくて、それタイヤ小さいのに、はやいっすねー、これ友達に借りて二日目なんすけど、全然走らないんすよ」
どうやら、お台場の花火かの祭りのバイトで来るのに借りているらしい。スペシャの黒クロス、よく見ると全然メンテされてないようだ。
「タイヤは大きい方がやっぱり楽でよく走りますよ」「そうなんすかー」
なんか納得してないようだ。
「ウーン、シューズをペダルに固定してるのと、空気圧の高いタイヤが大きいかなあ」
黒クロスの前輪をつまんでみる。全然空気が入っていない。
「これもっと空気入れたほうがいいですよ。それだけでも全然違うと思うから」
「はー、いやー股間もすっげえ痛くて」(話聞いてるのか?)
「ははは、僕のは穴あきなんで、これいいですよ」
「え!、それ店でこうしてくれっていえばやってくれます?」
「いや、こういう種類のもういっぱい売ってますよ」
へー、とさっきから自転車をしげしげと見つめて、「ありがとうございました!」といって走って行った。
うーん、アメトークの自転車芸人が晴海大橋の話をして奥田民生の歌を思い出してそれでガシガシ踏んでたからだと、見ず知らずの人にいきなりそんなことは言えないしなあ。
キコキコ漕いでいると件の小説の一節を思い出す。
今から70年前、先進国から半歩遅れで近代化の道を歩んでいたロシア、人々はまだロシア正教、つまりキリスト教の枠組みの中で暮らしていたが、これから科学の進歩で神は死ぬのだというくだり。
p394
「だれもが、人はいずれ死ぬ身であって、復活はないことを知るので、死を、神のように誇り高く、平然と受け入れることになる。人間はその誇り高さゆえに、人生が瞬間であることになんら不満をこぼすことはないし、自分の兄弟を、もはやいっさいの報いなしで愛するようになる。愛が満たすことができるのは人生の刹那でしかないが、愛が刹那にすぎないという自覚ひとつで、その炎は、かつて死後の永遠の愛に対する期待の中で広がっていったのとおなじくらい、つよく燃え盛るのだ・・・」
復活というのはイエスキリストのそれで、死後の永遠の愛というのもそれにまつわるそれだ。永遠の愛はともかく、復活の事実については今はもうごくごく一部の信派でしか信じられていないと思う。
とはいえ、愛の刹那と永遠とのこの2重真理が現代人にとってすでに現実かといえば、とんでもない。
緑赤頭の若者よ、ぼくが言いたいのはこうだ。
「だれもがいずれ自転車を降りるのであって、自分の自転車が遅いことになんら不満をこぼすことはないのだ。君に必要なのは、もはやいっさいの報いなしで自転車を愛する(整備する)ことである。その愛(自転車整備)が刹那にすぎないという自覚ひとつで、その炎は、永遠につよく燃え盛るのだ!!」
別に燃え盛っていらんだろう。あの若者には。
でも速さときれいさを保つために乗るたびやっている整備は、刹那的な行為ではある。
女が一生に一度かのような真剣な目で毎朝毎朝尽きることなくメイクをくり返すように。
妄想もたくましく、前回写真を撮ったコンテナ埠頭。
ものの10分ほどでバカデカいタンカーが接岸されてしまうのが経済効率スゴす。神の御技でも愛の刹那でもなんでもない。
お台場を後にして、若洲のヘリポート横の一直線道。きれいに剪定された植木と、すぐ横に見下ろす海がずっと続く。これは気持ちいい。突端のベンチで一服して、若洲公園へ。
たち○ょんをして戻ったらBSMがかわいく見えたので親バカな一枚。
ヘリポートのベンチにもどる。今日は汗が出るほど暑くないし、海辺で蚊も襲ってこないので快適だ。本腰いれて読むこと4時間。ドストエフスキーの饒舌で感情的な登場人物たちも場が法廷となると、不思議と生き生きして見える。まるで誰もが有能な弁護士かのようだ。とくにイワン。この場では逆に言葉少なで、ギャップがちょっとかっこいいと思ってしまった。相変わらず読み進めるのは苦痛を伴う。海と波の音がまったく似合わん。
帰りに夢の島公園の前を通ると、なにやらよさげなズンドコ節が、疲れた脳と腹にひびいてくる。WORLD HAPPINESSという看板が。お、これが職場の人が行くと言っていたやつか。入ってみよう。当日券4500円。無理。というか、その人にもいくといってないからやめておこう。でも出演者をみると、興味ある人ばっかだなあ。BONNIE PINKは好きだったな。会場内の撮影はだめだろうけど、これは外だし、誰も見えてやしないので。