『グラン・トリノ』クリント・イーストウッド
丸の内のピカデリーで、3分の2程が空席だった。前の回が終わって出てくる人達をロビーで眺めていると、さっさと一人で出てくる無表情のおっさんが目立った。何だろう評判いいはずなのに、クリント・イーストウッドは日本のおやじ向けには外してしまったんだろうか?
妻を亡くしたが、家のメンテでも庭の手入れでも何でも自分ひとりでやっている。ただ食い物だけはビールとビーフジャーキーに落ちていたところだった。
おばさんたちの歓声が一番あったのは、である。米食い虫めと軽蔑している隣家のアジア人のパーティに誘われた主人公が、一度は断りながら食い物とビールに釣られてそれを受け入れていくところだ。
人一倍頑固で年も年のじじいの価値観がそう簡単に変わるもんかと、日本のおやじにとっては「リアリティが足りない。フフン」ってな感じだろう。しかしそう思っているところで主人公が最高のヒーローに達していってしまう。しかもクリント・イーストウッドは脚本は一切変更しないといって撮っている。ちょっと否定されてしまった感じの後味の悪さが、エンドロールが始まったらさっさと一人で出てくるおやじ達の涼しげな顔になっていたのだろうかと思った。
じじいではないつもりの僕には、今回は「ミスティック・リバー」「ミリオンダラー・ベイビー」のような突き落とされる感じはなかったが、クライマックスを予測するのに逆の意味ではめられて面白かった。これは西部劇ではないしコッポラの映画でもないのだから、たとえ銃社会とはいえ現代のアメリカでマフィアが住宅を蜂の巣にしていくのは異常な出来事であり重大犯罪だということを忘れてはならない。銃を構えることになれば決して発砲を厭わない頑固な男というクリント・イーストウッドの演技がどれだけ徹底していてもである。