はてなキーワード: 涼宮ハルヒとは
2000年代中盤ぐらいのアニメ、有名どころで言えば涼宮ハルヒあたりの時代の作品を見直すと思うことがある。
その時代のアニメを見ると、面白いと思い始めるまでに時間がかかる気がする。導入というか、本題に入って面白くなるまでに数話要するみたいなことが多いし、1話の中でも話の進みが悪い。
当時はそれで楽しく見ていたわけだが、この20年で娯楽に対するスピード感というものが変わってしまったのだろうかと思う。
まぁとはいえ10年ぐらいはまともにアニメ見てないんだが、たとえばyoutubeの動画しかり、ゲーム類しかり、漫画しかり、いずれもテンポが良いことが重視されているんだなというのを古いアニメと比較すると感じる。
ただじゃあ時代をさかのぼるほどテンポが悪いのかといえばそんなわけでもなく、特に2000年代半ばごろが遅い気がする。
ちょうど日常系アニメが流行っていた時代だ。もしかしたらオタクたちは「面白さ」ではなく「ぼーっと眺めていられる癒し」の対象としてのアニメを欲していたのかもしれない。
あと一つは?
初音ミク、巡音ルカ、GUMI、MEIKO、鏡音リン、鏡音レン、KAITO、がくぽ、
・VOICEROID
結月ゆかり、紲星あかり、東北ずん子、琴葉葵、琴葉茜、四国めたん、
・漫画
孫悟空(DBの孫悟空が出る)、孫悟飯、ベジータ、人造人間18号、ビーデル、
マキマ、
羽衣狐、
木之本桜、
黒木智子、
蛇喰夢子、
神谷薫、
宮永咲、竹井久、
宝鐘マリン、白銀ノエル、兎田ぺこら、天音かなた、桐生ココ、大空スバル、紫咲シオン、さくらみこ、夏色まつり、
月ノ美兎・樋口楓・アンジュ・カトリーナ・戌亥とこ、笹木咲、フレン・E・ルスタリオ、葉加瀬冬雪、周央サンゴ、(リゼ・ヘルエスタは安定しない)
・アニメ
・ゲーム
パイモン、バーバラ、ロサリア、雷電将軍、八重神子、甘雨、宵宮、刻晴、凝光、香菱、煙緋、申鶴、夜蘭、雲菫、辛炎、神里綾華、神里綾人、九条裟羅、珊瑚宮心海、久岐忍、ナヒーダ、ニィロウ、ファルザン、ナヴィア、クロリンデ、
リタ・ロスヴァイセ 、無量塔姫子、ゼーレ・フェレライ 、李素裳、
銀狼、カフカ、
ピーチ姫、
最近、街でやたらと見かけるのよ。
「次世代」「革新」「新しい冒険」――なんて大きく書かれてるけど、
正直に言って、私には**“また同じことを繰り返してるだけ”**にしか見えないのよ!
ねえ、どうして誰も気づかないの?
あんたたち、もう何十年も“ポケモン捕まえて戦わせる”っていう行為をループしてるじゃない。
でも、結局やってることは**「図鑑を埋める作業」**でしょ?
そんなの、情報処理クラブの生徒が作るプログラムでも再現できるわよ!
ゲーム業界って、なんでこうも「新作」を出せば拍手されると思ってるのかしら。
“続編を作ること”と“進化すること”は、まったく別物なのよ。
「新しいポケモンが300匹追加!」なんて言われても、
はいはい、名前とタイプをランダム生成しただけでしょ?って感じ。
私が本当に見たいのは、
プレイヤー自身が“神”や“観測者”としてポケモンの世界を動かす――
「行け!」「捕まえろ!」「戦え!」
――全部、誰かに決められた行動。
本当に冒険したいなら、
プレイヤー自身が“ポケモン世界を疑う”ことから始めなきゃダメ。
なぜポケモンは戦わされているの?
開発者の人たち、
次のポケモンを作るなら、
“ポケモンの存在そのもの”を問うようなゲームにしてみなさい。
「ポケモンとは何か」
――その謎に真正面から挑むなら、私、SOS団として調査に協力してあげてもいいわ。
任天堂さん、
そろそろ持ちなさいよ。
――少なくとも、私ならそうするわ。
それに照らせばラノベと非ラノベの分類が万人が納得いく形で行われるような定義は不可能であるにせよ、これはラノベではないといった消極的定義(いわゆる無理数は有理数でないものというような形)やラノベと言われるものがほぼ確実に持っている特徴を抽出することはできる。
・ラノベはジュブナイル性を持っている。これはハリーポッターのような(娯楽性が高い)児童文学と住み分けされるために意識的に盛り込まれた特徴だろう
・これは条件というよりも上の条件の系というべきものだが、ラノベは中二的な要素を持っている。ラノベがどちらかというと現役中高生よりも成人オタクに読まれるのも成人オタクが中二的な感性を保持していることが多いと考えればむしろ自然だし、この特徴によってロードス島だろうが涼宮ハルヒだろうがなろうだろうがカバーできる。
dorawiiより
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ドラえもんと野比のび太と野原しんのすけと猪名寺乱太郎にはついていけて、涼宮ハルヒと「キョン」と泉こなたに、私はついていけなかった理由。
わたしが「自分がなかに入るドラマ」というものにうとかったのをさしひいても、「どこかに自分よりおどろくような”大人”がいるんじゃないか」という感覚がその登場人物にあるかどうか、というちがいがあったと今年になってわかった。思春期というのがそういう”大人”を認めない言い訳に使われているのは極めて大きなっ問題だ。
わかりやすい具体例としての中村哲氏(1946-2019)と平野敏子氏兼岡本敏子氏(1926-2005)の存在が大きかった。
斜にかまえているということが視野を広くするわけではないということ。青春とか思春期の価値というのは人生で一番すばらしいわけではないということ。
もしかして、「フリーレンが中年オタク向け作品」という説は、弟子を取りたい中年オタク向け作品があまりに少ないことへのいらだちが会ったのだと思う。だったら最初から言えばいいのに。
京極夏彦とか佐藤大輔みたいに、まず好きな分野があってそれを小説にしてるなら、もちろん現実にはあり得ない事を描いているけど情熱を感じたり説得力があるんよね。
なろうに限らず、知識が薄弱だったり明らかに間違えてる様な事があると、単純に、この作者は自分が書いている分野に興味がないんか?と思ってしまう。
すげえ極論、恋愛はこんな素敵な事だよって自分の恋愛経験や取材したカップルの話を都合よくおもしろおかしく書くならともかく、目が合った瞬間に惚れて「抱いて」とか言ってくる女キャラの作品との違いみたいな。両思いになるの前提とはいえ、そりゃねえべさって。
ラノベでも、涼宮ハルヒとか狼と香辛料なんかは、作者が好きだったり得意な分野を題材に、作者としてはむしろ萌え美少女との恋愛は添え物ですらあるけれど、逆に、だからこそ受けた側面もあるだろうし。