誰もが認められる社会へ
れいわ新選組は、まず第一に経済政策ということを主張されています。
尊厳ある生のために最低限の経済(お金・衣食住に関わる物資)
(さらには文化的な生活と言えるだけのものも)が必要なのは確か。
消費税廃止、保険料減免、悪い物価高が収まるまでの一律給付
という政策には、反対すべき要素はなさそうだと思っています。
真の意味での「国防」=国民の生活を守ることについて。
自公政権で国民が窮乏し、米すら安定供給できないという
事実が明るみになった今年。
食料安全保障の政策についても、れいわの政策が優れていると思います。
諸外国との関係の観点でも、伊勢崎候補のこれまでの平和の実践、
櫛渕共同代表の国際的な活動等、
れいわ初期には考えられなかったような質の高い言論・活動が
繰り広げられています。
もう一つ、どうしても触れておかなければならないのは、
国民各人が生きていくにあたっての「自信」について。
人から認められること、人といかにつながっていくか、
という話でもあります。
2012年以降の自公政権がまずかったのは、
「善人を認めない政治」であったこと。
嘘つき、裏金、パワハラ議員がこれだけのさばる現状を作ってしまった。
政権中枢等の強い立場にいる人間が、
それらの人間を「認めて」きたからです。
そして、大企業等に属する強い立場の人間の多くがそれを支持してきた。
普通に一市民として生きることに対して「承認」が与えられず、
(善人とまでは言わなくとも)普通に生きている人間が隅に追いやられてしまった。
「普通の人」の自信が奪われた。
れいわの結党当時の熱狂はどこから来たものなのか。
「自分たちが認められる番が来た」という感覚が一因ではなかったか。
私感ですが、誰もが認められる社会という理念は
今でもれいわ新選組の政策の中に生きていると感じます。
政党の集まりに行くと、重鎮が喋って/目立って、
自分たちは脇役/ただのギャラリーというパターンがお決まりですが、
れいわの場合はそれがない。
その気さえあればそれなりに喋るチャンスもある。
山本太郎は一人一人に名刺を配る努力もする。
自分が知らないことを吸収しようという努力もする。
れいわは代表一強と考えられがちだが、実際行ってみると、
そんなにマンスプレイニング的な感じも受けない。※
(彼が芸能人であるという感覚は受けるが。)
実は、れいわの代表一強批判をしようと、
自分でれいわの収支報告書を調べたことがありましたが、
実はそれほど代表周辺に出費が偏っているわけでも
ないことが分かりました。意外ですよね。
次の選挙。
どの候補/政党が本当の意味であらゆる人たちの
人生・生き様を深い所で認めてくれるのか、
考えてみると良いのではないかと思います。
健常者も障害者も、資本主義推進者もそうでない人も、
どんな職種でも、どんな性のあり方でも、
みんな受け入れる寛容さがれいわの政策にはあると思っています。
もちろん、れいわも100点満点とはいかないですけど。
れいわは、きちんと反論すれば聞き入れてくれる、
今のところ、それなりに修正が効く政党でもあります。
個々の候補者に関して見ると、政策理念の実践の難しさを
感じることも多々あります。そのあたりは普通の人間関係と同じで、
距離感をうまく取っていく必要があるでしょう。
それでも、現時点では、総論としては上記の結論には
影響はないと考えています。
私は、れいわ新選組は今回の選挙で20議席以上の
中規模政党になるべき党だと思います。
※少し補足。
「認められる」とは、一方的に偉い人や国家等から
目をかけてもらえる・かわいがってもらえるのではなく、
自分が一個人として認められ、話を聞いてもらえて…、
要はきちんと話ができる関係を築けることを言うのだろうと思います。
尊厳ある生のために最低限の経済(お金・衣食住に関わる物資)
(さらには文化的な生活と言えるだけのものも)が必要なのは確か。
消費税廃止、保険料減免、悪い物価高が収まるまでの一律給付
という政策には、反対すべき要素はなさそうだと思っています。
真の意味での「国防」=国民の生活を守ることについて。
自公政権で国民が窮乏し、米すら安定供給できないという
事実が明るみになった今年。
食料安全保障の政策についても、れいわの政策が優れていると思います。
諸外国との関係の観点でも、伊勢崎候補のこれまでの平和の実践、
櫛渕共同代表の国際的な活動等、
れいわ初期には考えられなかったような質の高い言論・活動が
繰り広げられています。
もう一つ、どうしても触れておかなければならないのは、
国民各人が生きていくにあたっての「自信」について。
人から認められること、人といかにつながっていくか、
という話でもあります。
2012年以降の自公政権がまずかったのは、
「善人を認めない政治」であったこと。
嘘つき、裏金、パワハラ議員がこれだけのさばる現状を作ってしまった。
政権中枢等の強い立場にいる人間が、
それらの人間を「認めて」きたからです。
そして、大企業等に属する強い立場の人間の多くがそれを支持してきた。
普通に一市民として生きることに対して「承認」が与えられず、
(善人とまでは言わなくとも)普通に生きている人間が隅に追いやられてしまった。
「普通の人」の自信が奪われた。
れいわの結党当時の熱狂はどこから来たものなのか。
「自分たちが認められる番が来た」という感覚が一因ではなかったか。
私感ですが、誰もが認められる社会という理念は
今でもれいわ新選組の政策の中に生きていると感じます。
政党の集まりに行くと、重鎮が喋って/目立って、
自分たちは脇役/ただのギャラリーというパターンがお決まりですが、
れいわの場合はそれがない。
その気さえあればそれなりに喋るチャンスもある。
山本太郎は一人一人に名刺を配る努力もする。
自分が知らないことを吸収しようという努力もする。
れいわは代表一強と考えられがちだが、実際行ってみると、
そんなにマンスプレイニング的な感じも受けない。※
(彼が芸能人であるという感覚は受けるが。)
実は、れいわの代表一強批判をしようと、
自分でれいわの収支報告書を調べたことがありましたが、
実はそれほど代表周辺に出費が偏っているわけでも
ないことが分かりました。意外ですよね。
次の選挙。
どの候補/政党が本当の意味であらゆる人たちの
人生・生き様を深い所で認めてくれるのか、
考えてみると良いのではないかと思います。
健常者も障害者も、資本主義推進者もそうでない人も、
どんな職種でも、どんな性のあり方でも、
みんな受け入れる寛容さがれいわの政策にはあると思っています。
もちろん、れいわも100点満点とはいかないですけど。
れいわは、きちんと反論すれば聞き入れてくれる、
今のところ、それなりに修正が効く政党でもあります。
個々の候補者に関して見ると、政策理念の実践の難しさを
感じることも多々あります。そのあたりは普通の人間関係と同じで、
距離感をうまく取っていく必要があるでしょう。
それでも、現時点では、総論としては上記の結論には
影響はないと考えています。
私は、れいわ新選組は今回の選挙で20議席以上の
中規模政党になるべき党だと思います。
※少し補足。
「認められる」とは、一方的に偉い人や国家等から
目をかけてもらえる・かわいがってもらえるのではなく、
自分が一個人として認められ、話を聞いてもらえて…、
要はきちんと話ができる関係を築けることを言うのだろうと思います。