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【動画紹介】何者かにならないといけないという病理


ほうぼくチャンネルより

・利他とは(同シリーズの以前の動画も参照)
・増える自○
・何者かにならないといけないという病理

この時代を生きるヒントとして―

テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも
ジャンル : 政治・経済

「私こそが善である」

割と好き放題書いているように見えると思われるこのブログですが、
社会に蔓延る悪を何とかしたいと思いつつ、
自分が善であるという前提に立っていないことは
改めて強調しておきたいと思います。

私自身、過去にはリアルでも、ブログ管理人TKRとしても、
人を傷つけてしまった経験はいくらでもありますし、
反省すべき点は大いにあると思います。

「罪のない者だけが石を投げよ」という言葉を持ち出すまでもなく、
人間、生きていれば、犯罪(crime)とまではいかなくとも
様々な罪(sin)を背負っているもので、それは私も例外ではない。

自分が善であるという前提に立つことで、
相対的に悪になる相手を徹底的に叩きのめすことができるようになる。
ブログで舌鋒鋭く批判を展開できるのは、
そうしたスタンス故という面もあるでしょう。

文章では伝わらないとは思いますが、
私の場合は、ブログ上ではいつも「演技」をしているつもりです。
これが世の中を良くするための最善の方法かどうかは分かりませんが、
強い批判をもって怒りを表明することで、
人々に問題に興味を持ってもらったり、
リアルでの活動など良い方向に変える何かしらに
つなげることを期待しているわけです。

(余談)
岸田首相 「増税メガネ」呼称にご立腹…国民は「収支報告書ミス」に怒りぶちまけ - FLASH (2023/9/29)
一方で、権力のある側の人間の怒りの表明が何を意味するのか…。


私の場合、何が善で何が悪か、誰が善で誰が悪か、
という議論にはそもそもあまり興味はなく、
とにかく人々が救われればそれで良い。

ただ、大事なのは、特に社会活動、政治活動をする中で、
「私こそが善である」とは絶対に思わないでいただきたいということです。
そう思った時点で、人格の陶冶がストップしてしまうと思って良いでしょう。

政治の劣化が激しいのは論を俟たないと思いますが、
政治家の在り方は国民の在り方を映し出したものでもあります。
国民一人一人の人格的成長が国を良くするのに必要であることは言うまでもありません。

―――偉そうなことを言って申し訳ありません。

テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも
ジャンル : 政治・経済

岸田にみる小善

普段動いている岸田を見ることはないため、
筆者の思い込みかもしれないですが、
少し思ったことを書かせていただきます。


いろいろ酷いことを言われている
“首相とされている者”岸田であるが、
当人の発言を聞くと、この先できもしないような、
国民に期待を持たせる政策を語らない様子を見ると、
前の前の首相とされていた者のような
露骨な嘘をつくことは避けようという意図があるのではないだろうか。

確かに嘘をつくことははっきりした悪であり、
“人間”として守るべき矜持として、
嘘を避けたいという心理は理解できる。

一方で、明白に国民を苦しめるような
政策を推し進めていること、
あるいはそのような状況を放置していることは事実であり、
その点で「大悪」なのは論を俟たない。

ニュース記事等で見かける岸田の表情からは、
自分が日本国をリードするという気概も、
自分にそれができるという自信すらも感じない。

ただ、圧倒的な力に圧されて流されていく中で
自分がスケープゴートにされていることを理解しつつ、
嘘は避けたいとか、身内を守りたいといった、
自分なりの小さな善を守ることに拘泥しているように見える。

宗主国だか経済界だかに圧されているのか知らないが、
善なる心があるのであれば、
どうか速やかに政権を真に心あるリーダーに譲っていただきたい。

テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも
ジャンル : 政治・経済

故郷と自然

私は自然と街がほどよくミックスされた地域で育った
(と自分では思っている)が、
「これが故郷だ」と感じるのは、
実際に家があった住宅地周辺よりも、
もっと自然が豊かな小学校周辺
―特に、山、川、田んぼ―だったりする。

自転車で数十キロを平気で走るようになって、
いつも自分がスーパーで買っていた米や野菜が
どういう場所で育っているのかを知ることになった。

あの山から流れてきたあの川の水、そしてこの大地―
そうした恵みを一身に感じられるサイクリングは至高の時間である。

自分が生かされている環境を“感じる”ことで、
自ずと感謝のような気持ちも湧き上がってくる。

田舎(要素の多分にある地区)で育った私にとっての「故郷」というのは、
こうした、自分の「生命」に強く結びついたものなのだと思う。

果たして、自分が都会に育っていたとしたら、
こうした感覚を覚えることはあったのだろうか…?
あるいは、近所の川が公害で汚染されていたとしたら…?

※狭い地域で何度か引っ越しているのでこのような表現になっています。
違う水系に移ったことがきっかけで、PFASに関心を持つことに…。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

フリーゲーム作家の本棚2 「チーズはどこへ消えた?」

(この記事は、2016年2月27日にTKR雑記帳に投稿した記事を加筆修正したものです。)

「チーズはどこへ消えた?」
スペンサー・ジョンソン 著、門田美鈴 訳、扶桑社、2000年

とても薄くて読みやすい本。

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テーマ : 読んだ本。
ジャンル : 本・雑誌

フリーゲーム作家の本棚1 「たのしい不便」

(この記事は、2015年12月15日に「TKR雑記帳」に投稿した記事を一部修正したものです。)

書評というものは書いたことがないのですが、今回、
とてもいい本に出会ったので、ここで共有したいと思います。

「たのしい不便 -大量消費社会を超える-」
福岡賢正 著、南方新社、2000年

便利さを追求してきた近現代の文明。
我々もその恩恵に与っているわけですが、
一方で、地球環境の破壊が進み、このまま進むと、
文明が立ち行かなくなると言われています。
では、どうすれば良いのか?

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テーマ : 読んだ本。
ジャンル : 本・雑誌

「責任を取る」の意味

「困難な成熟」予告編 - 内田樹の研究室
http://blog.tatsuru.com/2015/08/18_1336.html

ニュースでもよく聞く、「責任を取る」という言葉。
「責任を取る」とはどういうことでしょうか―――

どうすれば責任を取ったことになるのか考えること。
いや、そもそも責任を取らなくても良いような施策を考えること。
そんな態度が求められているのでは、と思う今日この頃。

テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも
ジャンル : 政治・経済

日本という地獄 - 道徳と善悪の逆転

平気で嘘をつく。
ルールを平気で破る。
あったことをなかったことにする。
みんなが反対していることでも、強引に力で押し通す。

私は、子供の頃、このようなことをしてはいけないと学んできた。
仮に、上記のような行為を「悪事」と呼ぶことにする。

時の政権がこのような「悪事」を毎日のように働き、
その支持率は信じられないほどに高い。

多くの人にとっては、政権がその力を維持するために
“多少”ルールを破ったとしても、
戦略的に妥当だ、しっかりやっている、という印象なのだろう。
こうして、「悪事」を許容された政権の力はますます強くなる。

のみならず、政権支持層(数千万の普通の国民)には、
「価値観の学習」、つまり、政権と同じ価値観を自らの行動の
背景として獲得することが起きているのではないだろうか。

自らの(それなりに妥当だと思われる目的の)ためであれば、
多少の「悪事」は見逃されるべき、という考えになり、
そのうちに、“多少”の程度や「悪事」の内容がエスカレートしていき…。

結果として行き着くのは、善と悪が逆転した世界である。

道徳は、時代によって異なる様相を見せる。
乱世に至っては、人殺しさえ善とみなされうる。
「悪事」を働くことが普通である世の中で生まれた人間は、
当然のように「悪事」を働く大人に育つだろう。
もはや、「悪事」は悪事ではなくなる。

あなたは、現政権に反対派、少数派の人間には興味が無い、
あるいは、いなくてもいい、いなくなってほしいとは思っていないだろうか。
そのような無関心や少数者の圧殺が、社会広範における道徳の退廃を引き起こしている。
あなたの中の善悪の基準はすでに逆転していないだろうか?

(2019/6/17に「TKR雑記帳」に掲載した記事を一部修正して転載したものです)

テーマ : このままで、いいのか日本
ジャンル : 政治・経済

【動画紹介】幸福について考える



波頭亮×佐々木紀彦×山口周 幸福をRethinkせよ。



(以下は自分用メモです)

幸福とは?
 人によって違う部分と普遍的な部分、最低限必要な部分というものがあるはず。
 「自己決定権の大きさ」
 
 利他
  自分の自由だけでなく、コミュニティとしての幸福も重要
   自立と依存のバランス
   理想とする人生が近年(より利他を重視する方向に)変わりつつあるのでは
 
 自由と平等
  自由の極大化 vs 他人との折り合い
 
  歪められた投票行動
   教育とジャーナリズムの重要性
    社会的事項について議論する土壌がないまま社会に出る
  金持ちが寄付しない
   欧米のキリスト教の影響(喜捨の軽視?)
   社会と個人のつながりの途絶
    社会とは考える力がある人、能動的に関与する人の集まり
    日本には社会がない
    自分もコミュニティの作り手であるという意識付け
     寄付・ボラもその一つ
     
  自己決定→社会と向き合う必要
   呪いの解除
    呪い:言葉で人の自由を縛ること
     教育を受けてきたはずのエリートが“大人の事情”で発信できない状況
    「短期的幸福と長期的幸福は違う」

関連記事
https://tkrsocial.blog.fc2.com/blog-entry-384.html
今回、「幸福とは、自分が望むやり方で幸福追求が可能であること」
についての思考を深めることができました。

テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも
ジャンル : 政治・経済

心理的安全性の大切さ ―人間間インタフェースについての考察―

GUIという言葉がある。
少しコンピュータに詳しい方ならご存知、Graphical User Interfaceである。
昔、GUIで遊ぶゲームを見かけたことがある。
OKボタンをクリックするとウインドウが逃げるとか、
閉じる(×)ボタンを押すと新しいウインドウが開くとか、
本来のGUIの役割と違う動きをするのがとても面白かった。

ゲームならそれで良いのだが、普通のソフトウェアではそれでは困る。
理想的なGUIの要件として、「人を驚かせないこと」が挙げられる。
何が起きるか予想ができるからこそ、
我々は普段クリック、タップをするはずである。

インタフェースという考え方は、コンピュータと人の間だけでなく、
人と人の間にも適用できる。
人間同士の間でも、あまりに驚かせることが多いと、
人間関係における心理的安全性が下がってしまい、
自然と人が離れていく原因になる。

突然の発言で人を振り回す人などがその典型。
立場が上になればなるほど、その影響が大きくなるので、
気をつけないといけない。

人との違いを一切表に出さないわけにはいかないし、
社会を変えるためには違いを主張していかないといけない。
そもそも、人間は互いに違うからこそ価値がある。
(「みんなが同じ社会」では、あまりに不気味だろう。)

だからといって、急にこちらが思うことをぶつけても、
“悪い驚き”を与えてしまって、
単に人間関係を壊してしまうことになりかねない。

政治的思想がまったく違う人に、それおかしいよと言っても、
効果がないばかりか、単に人間関係が壊れてしまう。
不快感や驚き、ショックを抑えつつ、人に影響を与えられるような
バランスが重要になる。

人対人の信頼関係を作っておくこと、
オブラートにつつんだ表現を選択すること、
時間的制約の厳しい要求をせずに小出しにしていくなど、
具体的な技法はいくつも考えられる。

おそらく、人によって、ほどよい驚きの割合も違うだろう。
日本人の場合、人との違いを不安に感じる方が多いように思われる。
自身が比較的驚きを許容できるという場合、
人との違いについて注意が必要だろう。

日本の現状に焦りや絶望を感じていたとしても、
それをストレートに出しても、
相手に受け入れる土壌ができていないということはよくある。

不要な驚きを与えない人間間インタフェース設計を心がけたいものである。

テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも
ジャンル : 政治・経済

プロフィール

TKR

Author:TKR
社会問題について興味を持ってしまった元フリーゲーム作家。
いわゆる無党派層。
亡国から救国へ。自国維公による暴政をやめて、ちゃんとした社会を創造る(ツクる)べく、いろいろ考えています。


記事は基本的に予約投稿ですので、数日〜数週間のタイムラグがあります。ご了承ください。

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