「誰と一緒に働くか?」の方が「どこの配属になるか?」よりも圧倒的に大切な理由。
「誰と一緒に働くか?」の方が「どこの配属になるか?」よりも圧倒的に大切な理由。
「花形部署の幻想」
企業の規模がある程度大きくなると、必ずと言っていい程、部署ごとの序列のようなものができます。
対外的にも目立つ活動をしていて「この会社と言えばコレ!」といった事業を行っている部署は、序列の上位に位置し、そこから遠い程、序列は下位に位置します。
特に新入社員にとっては、そもそも主要の事業しか知らない状態で入社してくる場合がほとんどなので、当然、花形と言われる部署に配属希望が集中します。
そして、その希望が通る通らないが、そのまま能力に反映されているような錯覚さえ覚えてしまいます。
僕自身の経験から言うと、それはまさに錯覚以外の何物でもないと明確に言いきれます。
なぜなら、10年前の僕は社内でも出世街道と言われる花形部署に配属されながらも、そこから自分の思い描いていたようなキャリア形成ができず、他の同期と比べても非常に出遅れてしまう結果となってしまったからです。
配属よりも大切なこと
それは「誰と一緒に働くか?」だと思います。
自分に対して成長機会を与えてくれる環境か、そうでないか。ということは、かなりの確率で一緒に働く「人」に左右されます、
そして、会社の人事によって決められるキャリアを歩む上で、配属される場所以上に大切なものだと思っています。
僕の場合は、花形部署に配属になったものの、その環境を自分にプラスに転化できず、むしろ環境に搾取される形の日々を過ごしていました。
どういう状況だったかと言うと、とにかく日々目まぐるしい程のお金とモノが動く状況の中で、それを処理する為の作業に追われてしまっていたのです。
当時は、それを何のためにやっているのか?なぜ、それが必要なのか?を教えられることも、考えることもなく、ひたすらマシンのように働き、そのスピードだけが重視されるような環境でした。
人間関係は殺伐としていて、「決まりごと」の中だけで生きているような人が多く、その考え方にもなじめなかったことも覚えています。
そんな日々を2年程過ごしたあと、他の部署に異動を命じられたのですが、その部署は少人数で取扱い規模も小さくて、初めはまるで島流しにあったかのような感覚になりました。
しかし、人間関係においては以前よりも非常に充実していて、自分の仕事における大切な価値観を身に付けることができたもの、この異動があったからだと今は思えます。
「一緒に働く人」から得られる3つのコト。
前者の部署にはなく、後者の部署で感じることができた3つのことについて触れたいと思います。
良質な刺激
刺激には2種類があります。
それは、ネガティブな刺激とポジティブな刺激です。
「〇〇ができなかったら大変なことになる…」と何かに追われるような感覚に陥るものは、ネガティブなプレッシャーだと言えます。
逆に、「〇〇ができたらこんなことが実現する」と未来に対して前向きになれるのが、ポジティブな刺激です。
お互いにポジティブな刺激を感じられること。
これは、相互に成長し合える環境において必須の条件だと思います。
精神的安定
日々の刺激の「質」とも関係することですが、精神的安定がもたらされているか?
というのは、非常に大切なことです。
自分も勘違いしていたことなのですが、社内でも花形の部署にいれば、それだけで評価され自分の精神状態を担保してくれているような気がしていました。
しかし、実際にほぼ毎日顔を合わせるのは、同じ部署の人間です。
大切なことは、その部署の中で、いかに良い人間関係を築くことができるかにかかっていると思います。
リーダー経験
リーダー経験とは、役職上の話ではありません。
どんな小さな範囲や少人数で行う仕事であっても、その中で自分が責任者となる経験のことを指します。
この経験は、自己成長の上で最も大切だと思っていて、大きなプロジェクトの一参加者であるよりも、小さなプロジェクトでも自分が決定権限持つことの方が、圧倒的に意味があることだと感じます。
この経験の差は、後からじわじわと効いてくるように感じます、
まとめ
「やりたいこと」(配属)と「一緒にやる人」(同僚)が一致することは、最も理想的なことだと思います。しかし、サラリーマンとしてそれを一致させることは、非常に難しいと思います。
また、「やりたい」と思っていたことが、やってみたら自分の理想と違っていたということも多々あります。
それと同じで、「興味を感じられない」と思っていたことでも、やってみたら「興味が出てくる」ということもあります。
結果、それは「一緒に働く人」との関係性やそこから得られる感情や経験によって変わるものだと思います。
それを積み重ねることで、「本当にやりたいこと」が見えてくるのだと思います。
自分で配属も人間関係も選ぶことのできないサラリーマンにとっては、元も子もない話かもしれません。
しかし、マネージャーである自分がやるべきこととして、「環境をつくる」ということは、改めて大切なことだと思っています。