建長寺船(けんちょうじぶね)

建長寺船(けんちょうじぶね)
鎌倉時代に中国の元に派遣された貿易船。
1325年、鎌倉幕府の許可を得て渡航した。
1315年に建長寺が火災にあっており、貿易の利益の一部をその再建費用に充てた。
寺社造営のために幕府公認で派遣された貿易船の初期のものとされる。

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天龍寺船(てんりゅうじぶね)

天龍寺船(てんりゅうじぶね)
南北朝時代に中国の元に派遣された貿易船。
1342年、室町幕府の許可を得て渡航した。
1339年に後醍醐天皇が死去すると、その冥福を祈るために足利尊氏が天龍寺を建てようとしていた。
派遣の前年、足利直義は開山の夢窓疎石の勧めで博多商人の至本(しほん)を船長とした。
海賊などから船を守る代わりに、天龍寺造営のため銭5000貫を納めることとした。

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新安沈船(しんあんちんせん)

新安沈船(しんあんちんせん)
韓国の全羅南道新安郡の沖で発見された沈没船。
1976年、中国の元や高麗、日本の交易品などが引き揚げられた。
東福寺関連の木簡が出たことで、東福寺再建のための東福寺造営料唐船とされる。
日本から元に派遣され、1323年に寧波から日本へ向かおうとしていた。

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倭寇(わこう)

倭寇(わこう)
13世紀から16世紀に東アジアで密貿易や海賊行為をした集団。
中国大陸や朝鮮半島の沿岸で主に活動していた。
日本人や中国人、朝鮮人の他にポルトガル人やスペイン人もいた。
15世紀までを前期倭寇、16世紀のものを後期倭寇といい、その性格を異にする。
15世紀初めまでに朝鮮による取り締まりや日本と明の間の勘合貿易によって、一時鎮静化した。

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前期倭寇(ぜんきわこう)

前期倭寇(ぜんきわこう)
13世紀から15世紀までの倭寇。
14世紀後半から15世紀初めに特に活発となった。
朝鮮半島や中国大陸の沿岸あたりで活動した。
対馬、壱岐や瀬戸内海の海民や商人を中心に朝鮮半島の高麗人なども加わった。
中国の明は日本に対応を求め、海禁政策とともに足利義満と勘合貿易を始めるなどして倭寇を抑えた。
高麗は日本に倭寇の鎮圧を求め、朝鮮になると懐柔策とともに1419年に対馬を攻めて応永の外寇を起こすなどした。
これらによって前期倭寇は鎮静化した。
三島倭寇ともいう。

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後期倭寇(こうきわこう)

後期倭寇(こうきわこう)
16世紀の倭寇。
明による海禁政策による効果が落ち、日本との勘合貿易が絶えた16世紀中頃に活発となった。
主に中国大陸の南側の沿岸で活動した。
中国人が多く、日本人などの他にポルトガル人やスペイン人も加わった。
明は海禁政策を緩和し、日本では1588年に豊臣秀吉が海賊取締令を出したことで鎮静化した。
北虜南倭といわれ、明が衰える要因の一つとなった。
『倭寇図巻』に後期倭寇の様子が描かれた。

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倭寇図巻(わこうずかん)

倭寇図巻(わこうずかん)
後期倭寇を描いた絵画。
17世紀に中国の明で作成されたとされる。
倭寇の活動や明軍との戦いが描かれている。

外部リンク
倭寇図巻デジタルアーカイブ
https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/collection/digitalgallery/wakozukan/

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明(みん)

明(みん)
1368年から1644年までの中国の王朝。
朱元璋(太祖洪武帝)が元を滅ぼし皇帝となった。
都は南京、次いで北京。
15世紀初めの成祖永楽帝のときに最盛期となった。
初めは海禁政策を採り、朝貢国との朝貢貿易という形式だった。
日本とは足利義満のときから勘合貿易を行なった。
16世紀には北虜南倭の対応で衰え、豊臣秀吉の朝鮮出兵では朝鮮半島に軍を派遣して財政を圧迫した。
末期には農民反乱が起き、李自成の乱で北京を落とされて滅びた。
続いて清が中国大陸を統一したが、遺臣の鄭成功らが台湾に渡って抵抗した。

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朱元璋(しゅげんしょう)、太祖(たいそ)、洪武帝(こうぶてい)

朱元璋(しゅげんしょう)、太祖(たいそ)、洪武帝(こうぶてい)
1328年-1398年
在位:1368年-1398年
明の初代皇帝。
元末の農民反乱である紅巾の乱に加わった。
1368年に南京を都として明を建国して皇帝となった。
元号を洪武とし、一世一元の制を始めた。
1372年には中国を統一した。
皇帝の権限を強め、独裁体制を確立した。

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永楽帝(えいらくてい)

永楽帝(えいらくてい)
1360年-1424年
在位:1402年-1424年
明の3代皇帝で成祖。
太祖洪武帝(朱元璋)の子。
靖難の変で甥の建文帝を倒して、皇帝となった。
永楽と改元し、永楽通宝(永楽銭)を鋳造した。
都を南京から北京に遷した。
明の最盛期となり、周辺国に遠征して朝貢国を増やした。
日本とも勘合貿易を行なった。

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海禁政策(かいきんせいさく)

海禁政策(かいきんせいさく)
外国との交通や貿易を統制する政策。
中国の明や清のときなどに採用された。
明の太祖洪武帝(朱元璋)は倭寇への対策として、明との冊封関係にある国だけに朝貢貿易という形式で交易を許した。
それ以外には海外渡航や交易に制限をかけた。
16世紀には緩和されたが、清になって再び海禁政策となった時期もあった。

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朝貢貿易(ちょうこうぼうえき)

朝貢貿易(ちょうこうぼうえき)
中華思想(華夷思想)に基づく貿易の形式。
中国と周辺諸国で行われ、明代から盛んとなった。
朝貢は中国の天子(皇帝)の徳を慕った周辺国が貢物を送るという建前で行なわれた。
中国側からは、返礼として莫大な回賜(頒賜)が与えられた。
経済的な面が重視されるようになると、これを利用して貿易をした。
明では冊封関係にある国とのみ朝貢貿易を行なうようになった。
清でも行なわれ、ヨーロッパ諸国も対象となった。
1842年にアヘン戦争の南京条約が結ばれるまで続いた。

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回賜(かいし)、頒賜(はんし)

回賜(かいし)、頒賜(はんし)
朝貢に対する返礼品。
中国皇帝が朝貢した周辺国に対して与えた。
莫大な量で、貢物よりも多いものだった。
朝貢貿易では中国側からの輸出品が回賜(頒賜)という形式になっていた。

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北虜南倭(ほくりょなんわ)

北虜南倭(ほくりょなんわ)
中国の明を悩ませた外敵のこと。
北方のモンゴル族と南方の倭寇のことをいった。
1449年には土木の変でモンゴル族のオイラートに大敗して明の皇帝が捕らえられた。
明は万里の長城を整備したが、その後もタタールなどが北方から侵入した。
16世紀には中国大陸の南岸で後期倭寇が活発となった。

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日明貿易(にちみんぼうえき)

日明貿易(にちみんぼうえき)
日本と中国の明との貿易。
14世紀から17世紀まで行なわれた。
勘合貿易が主だったが、倭寇などによる密貿易もあった。
1401年から1547年までは室町幕府や細川氏、大内氏による遣明船が派遣された。
1404年からは勘合貿易となった。
銅、金、水銀、硫黄、刀剣、漆器、扇、屏風、硯などを輸出し、銅銭、生糸、絹織物、陶磁器、漢籍、書画などを輸入した。
戦国時代には日本で銀が多く取れるようになり、後期倭寇などが明に輸出した。

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祖阿(そあ)

祖阿(そあ)
室町時代の僧。
室町幕府で将軍の側に仕える同朋衆となっていたとされる。
1401年、最初の遣明船の正使として足利義満によって明に派遣された。
翌年に帰国した。

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肥富(こいつみ)

肥富(こいつみ)
室町時代の博多の商人。
明に渡り、日本に帰国後に足利義満に明との通交の利益を説いた。
その後、1401年に最初の遣明船の副使として足利義満によって明に派遣された。
翌年に帰国した。

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遣明船(けんみんせん)

遣明船(けんみんせん)
室町幕府が中国の明に派遣した船。
1401年、日明貿易を始めるにあたって、足利義満によって正使の祖阿、副使の肥富が明に派遣された。
その後は勘合貿易を行なう勘合船が続いた。
守護大名や寺院に任せられるようになり、多くの商人も同乗した。
『真如堂縁起』に遣明船の様子が描かれている。

外部リンク
日本財団図書館(電子図書館) 船の科学館ものしりシート
https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2000/00200/contents/060.htm

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日本国王源道義(にほんこくおうげんどうぎ)

日本国王源道義(にほんこくおうげんどうぎ)
中国の明による足利義満の呼称。
足利氏は清和源氏で、1395年に出家した足利義満は道義と号していた。
1401年に明に使節を送った足利義満に対し、翌年に「日本国王源道義」と記した詔書が出された。
その後、足利義満は日本国王に冊封され、「日本国王臣源」と称した。

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勘合(かんごう)

勘合(かんごう)
正式なものだと証明するための割符。
中国の明代には勘合貿易で使用された。
冊封した国に対して明の皇帝が発行し、朝貢する勘合船が持参した。
日本の場合は「本字壱号」「本字弐号」などと書かれた、半分に分かれたものを日本側の勘合(本字勘合)としていた。
残りの半分は明側の寧波や北京で台帳の底簿(ていぼ、本字底簿)として保管され、勘合と照合した。
明から日本に派遣される船は日字勘合を持参し、日本にある底簿(日字底簿)と照合した。
勘合符(かんごうふ)ともいう。

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