倭(わ)

倭(わ)
日本の古い呼称。
中国から日本列島の辺りを呼んだもの。
日本では、倭の字に「ヤマト」の音を当てたとされる。
7世紀には日本側で使用されなくなった。

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倭人(わじん)

倭人(わじん)
日本人の古い呼称。
中国から日本列島の辺りの人を呼んだもの。

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殷(いん)

殷(いん)
中国の実在が確認されている最古の王朝。
自ら称していた国号は商(しょう)。
湯王のときに夏を滅ぼして成立し、紂王のときに周によって滅ぼされたと伝わる。

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周(しゅう)

周(しゅう)
前11世紀から前256年までの中国の王朝。
周の武王が殷を滅ぼして成立。
前770年までを西周という。
前770年以後は東周といい、春秋戦国時代に当たる。
最後は秦に滅ぼされた。

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春秋時代(しゅんじゅうじだい)

春秋時代(しゅんじゅうじだい)
前770年から前403年(または453年)までの中国の時代。
東周の前半に当たり、周王朝の権威が落ち、諸侯が覇を競った。

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戦国時代(せんごくじだい)(中国)

戦国時代(せんごくじだい)(中国)
前403年(または453年)から前221年までの中国の時代。
諸侯の一つであった晋が韓・魏・趙に三分されてから、秦による統一までをいう。
東周の後半に当たり、斉・韓・魏・趙・楚・燕・秦の戦国の七雄が争った。

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秦(しん)

秦(しん)
前221年から前207年までの中国はじめての統一王朝。
戦国の七雄の一国として勢力を伸ばし、始皇帝が他の諸国を滅ぼして中国の統一を果たした。
これ以後、各王朝の君主は皇帝を称するようになる。
秦の統一は3代続いたが、楚の項羽に敗れる中、劉邦に降伏して滅んだ。

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漢(かん)

漢(かん)
前202年から後220年までの中国の統一王朝。
秦の滅亡後、楚の項羽と漢の劉邦が争い、勝利した劉邦(高祖)が皇帝となった。
王莽の新(後9年-23年)を挟んで、前202年から後8年までを前漢、25年から220年までを後漢という。

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武帝(ぶてい)(前漢)

武帝(ぶてい)(前漢)
前156年-前87年
在位 前140年-前87年
前漢の第7代皇帝。
姓名は劉徹。
中央集権化を進めるとともに周辺地域に侵攻した。
北は匈奴と戦い、西は西域に進出、南は南越を滅ぼすなどベトナムに至る。
東は朝鮮半島の衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪郡など四郡を置いた。
また、はじめて元号を制定し、儒教の国教化と五経博士の設置なども行なった。

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衛氏朝鮮(えいしちょうせん)

衛氏朝鮮(えいしちょうせん)
前2世紀初めから前108年までの朝鮮半島の王朝。
衛満が箕子朝鮮を滅ぼして建国。
前漢の武帝に滅ぼされ、楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡の四郡が置かれた。

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楽浪郡(らくろうぐん)

楽浪郡(らくろうぐん)
前108年から後313年までの朝鮮半島に置かれていた郡。
前漢の武帝が衛氏朝鮮を滅ぼして設けた四郡の一つ。
平壌の辺りとされる。
朝鮮半島や日本列島の国とやりとりしていた。
3世紀の初めに南部を帯方郡として分離。
高句麗によって滅ぼされた。

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真番郡(しんばんぐん)

真番郡(しんばんぐん)
前108年から前82年までの朝鮮半島に置かれていた郡。
前漢の武帝が衛氏朝鮮を滅ぼして設けた四郡の一つ。
武帝の次の代に廃止された。

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臨屯郡(りんとんぐん)

臨屯郡(りんとんぐん)
前108年から前82年までの朝鮮半島に置かれていた郡。
前漢の武帝が衛氏朝鮮を滅ぼして設けた四郡の一つ。
武帝の次の代に楽浪郡に統合された。

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玄菟郡(げんとぐん)

玄菟郡(げんとぐん)
前108年から後4世紀初までの朝鮮半島に置かれていた郡。
前漢の武帝が衛氏朝鮮を滅ぼして設けた四郡の一つ。
朝鮮半島の西北部から、2度にわたり西方へ移動した。
最後は高句麗に滅ぼされたとされる。

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漢書地理志(かんじょちりし)

漢書地理志(かんじょちりし)
前漢についての歴史書である『漢書』の地理に関する部分。
後漢の班固らによって書かれた。
燕地条に、倭人の国が百余りあったことが書かれている。

史料

夫れ楽浪海中に倭人有り。
分れて百余国と為る。
歳時を以て来り献見すと云ふ。


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後漢(ごかん)

後漢(ごかん)
後25年から220年までの中国の王朝。
王莽の新によって中断した漢(前漢)を劉秀(光武帝)が再興し、後36年に再統一した。
都は洛陽。
やがて幼帝が続き外戚と宦官の対立が起こり、末期には分裂状態となった。
魏に滅ぼされ、魏・呉・蜀の三国時代となる。

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洛陽(らくよう)

洛陽(らくよう)
中国河南省の都市。
周代では洛邑と称され、東周の都となった。
後漢・三国時代の魏・西晋・北魏・隋などでも都が置かれた。
後漢以降に倭国の使者が訪れた地でもある。
日本では京都を洛陽になぞらえて、京都の市中を洛中、その外を洛外、京に上ることを上洛といった。

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光武帝(こうぶてい)

光武帝(こうぶてい)
前6年-57年
在位 後25年-57年
後漢の初代皇帝。
姓名は劉秀。
王莽の新を打倒するために挙兵し、帝位について漢を復興。
57年に朝貢してきた奴国に印綬を与えた。

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安帝(あんてい)(後漢)

安帝(あんてい)(後漢)
94年-125年
在位 106年-125年
後漢の第6代皇帝。
姓名は劉祐。
107年には倭国王の帥升が遣使をした。

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後漢書東夷伝(ごかんじょとういでん)

後漢書東夷伝(ごかんじょとういでん)
後漢についての歴史書である『後漢書』の東夷(中国から見た東の異民族)に関する列伝。
宋(中国南北朝)の范曄によって書かれた。
対象とする時代は『三国志』の魏志倭人伝よりも前であるが、編纂された時代は後になる。
光武帝の代の建武中元2年(57年)に奴国の遣使があったこと、安帝の代の永初元年(107年)に倭国王帥升等の遣使があったこと、桓帝・霊帝のころ(2世紀後半)の倭国大乱のことが書かれている。

史料

建武中元二年、倭の奴国、貢を奉じて朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武、賜ふに印綬を以ってす。
安帝の永初元年、倭国王帥升等、生口百六十人を献じ、請見を願ふ。
桓霊の間、倭国大いに乱れ、更相攻伐し歴年主なし。



参考文献
石原道博『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝』(岩波文庫)

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魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝新訂 中国正史日本伝 1 (岩波文庫) [ 石原道博 ]


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