継体天皇(けいたいてんのう)

継体天皇(けいたいてんのう)
第26代に数えられている天皇。
諱は男大迹(おおど)。
武烈天皇の死後、6世紀の初めに越前(福井県)または近江(滋賀県)から招かれたという。
応神天皇の5世の孫というが、系譜は不明なところがあり、新しい王朝が始まったとする説もある。
加羅諸国救援のため新羅を討とうとしたが、磐井の乱がおこった。

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磐井の乱(いわいのらん)

磐井の乱(いわいのらん)
6世紀前半に筑紫君磐井が起こした戦い。
継体天皇により近江毛野が新羅と戦うために朝鮮半島に派遣されることとなったが、527年、新羅は筑紫君磐井に謀り北部九州でこれを遮ろうとした。
大和側は物部麁鹿火を筑紫に送って磐井を討たせ、磐井の子の葛子は糟屋屯倉を献上した。

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筑紫君磐井(つくしのきみいわい)

筑紫君磐井(つくしのきみいわい)
6世紀前半の筑紫(九州北部)の豪族。
国造ともされる。
継体天皇のときに磐井の乱を起こし、物部麁鹿火に討たれたという。
岩戸山古墳は磐井の墓とされる。

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物部麁鹿火(もののべのあらかひ)

物部麁鹿火(もののべのあらかひ)
6世紀前半の大連。
磐井の乱を平定した。

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近江毛野(おうみのけぬ、おうみのけの)

近江毛野(おうみのけぬ、おうみのけの)
6世紀前半の武将。
527年に加羅諸国救援のため朝鮮半島に渡ろうとするが、磐井の乱で遮られる。
磐井の乱の後は、朝鮮半島に渡るが目的を果たせず、帰路の途中で没した。

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安閑天皇(あんかんてんのう)

安閑天皇(あんかんてんのう)
第27代に数えられている天皇。
諱は勾大兄(まがりのおおえ)。
継体天皇の長男。
即位の年が史料によって異なるため、異母弟の欽明天皇に対抗して即位したとの説がある。

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宣化天皇(せんかてんのう)

宣化天皇(せんかてんのう)
第28代に数えられている天皇。
継体天皇の子で、安閑天皇の同母弟。
安閑天皇の死後に即位したが、引き続き異母弟の欽明天皇と二朝並立の状態であったとの説がある。

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欽明天皇(きんめいてんのう)

欽明天皇(きんめいてんのう)
第29代に数えられている天皇。
継体天皇の子。
欽明天皇の即位に対して、異母兄の安閑天皇、宣化天皇が対抗して二朝並立であったとする説もある。
いわゆる仏教公伝や五経博士などが来るなど、百済との関係が強化された。
一方で、562年に任那(加耶諸国)が滅び、朝鮮半島での権益を失った。
蘇我稲目の二人の娘を妃とした。
見瀬丸山古墳の被葬者は欽明天皇との説がある。

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大伴金村(おおとものかなむら)

大伴金村(おおとものかなむら)
6世紀前半の大連。
武烈天皇の死後に、継体天皇を招き即位させた。
継体天皇のときに、百済に任那四県を割譲。
欽明天皇のときに、この任那四県割譲問題を物部尾輿に糾弾され失脚した。
以後、しばらくの間、大伴氏は衰退することとなる。

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任那四県割譲問題(みまなよんけんかつじょうもんだい)

任那四県割譲問題(みまなよんけんかつじょうもんだい)
百済に任那の四県を割譲したことによって起こった問題。
512年、大連の大伴金村が百済からの要望に答えて上哆唎・下哆唎・娑陀・牟婁の四県を割譲した。
その後、朝鮮半島経営はうまくいかず、540年に物部尾輿に責任を問われた。
賄賂を受け取っていたという噂も流れ、大伴金村は失脚する。

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物部尾輿(もののべのおこし)

物部尾輿(もののべのおこし)
6世紀中ごろの大連。
欽明天皇のときに大連となり、同じ大連の大伴金村を追い落し、大臣であった蘇我稲目に対抗した。
百済から仏像や経典が送られてきたときには、仏教に反対したという。

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蘇我稲目(そがのいなめ)

蘇我稲目(そがのいなめ)
6世紀中ごろの大臣。
娘の堅塩媛(きたしひめ)・小姉君(おあねのきみ)を欽明天皇の妃にするなど大王家と姻戚関係になった。
仏教を受け入れ、崇仏派として物部氏と争った。

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三蔵(みつくら、さんぞう)

三蔵(みつくら、さんぞう)
ヤマト政権のときにあったとされた三つの蔵。
斎蔵、内蔵、大蔵のこと。
『古語拾遺』に記述があり、蘇我氏が管理したという。

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斎蔵(いみくら)

斎蔵(いみくら)
三蔵の一つ。
神物を納めるようになったとされる蔵。

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内蔵(うちくら)

内蔵(うちくら)
三蔵の一つ。
大王家の官物を納めるようになったとされる蔵。
律令制の内蔵寮のもとになったという。

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大蔵(おおくら)

大蔵(おおくら)
三蔵の一つ。
政府の官物を納めたとされる蔵。
律令制の大蔵省のもとになったという。

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敏達天皇(びだつてんのう)

敏達天皇(びだつてんのう)
?-585年
在位:572年-585年
第30代に数えられている天皇。
欽明天皇の子。
大后には、はじめは広姫を、その後は蘇我氏を母に持つ推古天皇がなった。
大臣は蘇我馬子、大連は物部守屋で、両者が対立した。
疫病が起こったため仏教を排斥したという。

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用明天皇(ようめいてんのう)

用明天皇(ようめいてんのう)
?-587年
在位:585年-587年
第31代に数えられている天皇。
欽明天皇の子。
母は蘇我稲目の娘である堅塩媛。
仏教を信仰したが、死後に蘇我馬子と物部守屋の間に戦いが起こった。
厩戸王(聖徳太子)の父。

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物部守屋(もののべのもりや)

物部守屋(もののべのもりや)
?-587年
敏達天皇、用明天皇のころの大連で、最後の大連。
物部尾輿の子。
用明天皇の死後にその異母弟である穴穂部皇子を即位させようとしたが、穴穂部皇子が暗殺され阻まれる。
蘇我馬子と戦いに至るが、戦死した。

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蘇我馬子(そがのうまこ)

蘇我馬子(そがのうまこ)
?-626年
敏達天皇から推古天皇までの大臣。
蘇我稲目の子。
甥の用明天皇の死後に物部守屋を滅ぼし、飛鳥寺(法興寺)を建てた。
同じく甥の崇峻天皇を即位させたが後には暗殺させ、姪の推古天皇を擁立した。
石舞台古墳は蘇我馬子の墓だという。

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