摂関政治(せっかんせいじ)
平安時代中期に藤原氏が摂政や関白として行なった政治。
藤原氏の中でも摂関家が天皇の外戚となり、摂政として幼少の天皇の代理をするか、関白または内覧として成人した天皇を補佐して政治の実権を握った。
9世紀後半に藤原良房が摂政、次いで養子の藤原基経が関白となった。
延喜・天暦の治では、摂政関白は置かれなかったが、10世紀後半に藤原実頼が関白となってからは江戸時代までほぼ常置された。
11世紀前半の藤原道長、藤原頼通父子のときが最盛期で、11世紀後半には後三条天皇の即位、その後の白河上皇の院政により衰退した。