名古屋市の岩下幸花さん(53)は40歳を過ぎてひきこもり、その間、母の介護も経験した。一時は社会復帰を諦めたが、ひきこもり当事者を支援する団体の存在を知り、社会とのつながりを失わずに済んだ。【町田結子】
ひきこもりを経験した当事者やその家族の声に耳を傾け、必要な支援を考える連載「実録ひきこもり」(全6回)は以下のラインアップです。
第1回 今も延長線上、それでも
番外 コロナ禍、深まる孤立感
第2回 家にいる意味はあるよ
第3回 親亡き後を考え始めた
第4回 失った自信を取り戻す
第5回 外が死ぬほどつらいとは
第6回 サポートに必要な視点
<昔から何をするにも時間がかかった。職場での人間関係がうまくいかず、うつ病を発症したのもそれが原因だった>
人より遅いんですよね、手が。小さい時から母にも言われてきましたが、どこへ行ってもそのことが原因でうまくいかず……。
中学卒業後に就職してから5~6社で働いてきました。婦人下着のしつけ糸を抜いたり、靴に値札を付けたりといった軽作業なんですけど、仕事をするのが遅くてうまくいかなくなって、結局その繰り返しで。働き続けたかったけど「年内で切るから」って言われたこともあったし、自分で合わないなと思って辞めた所もあります。
最後に勤めた所は軍足を5~6足に束ねたりする仕事だったのですが、他のパートさんたちから仲間外れにされちゃって……。会社に行こうと地下鉄の駅まで行ったんですけど、震えて行けなくなって、そのまま病院に。反応性うつ病(何かはっきりとした原因をきっかけに引き起こされるうつ病)と診断されました。診断書をもらって1カ月休んで、辞めました。42歳の時です。
<同居していた80歳手前の母親が認知症を発症したのもこの頃だ>
言ってることとか行動がおかしいなと思って。最初は一人で介護していたんですけど、だんだん大変になってきて……。集団で過ごした方が本人にも良いって聞いたので、デイサービスを利用するようになりました。本人は最初、「そんなの必要ない」とか言ったりしてたんですけど、何とか行ってもらって。少しは気持ちが楽になりました。
<生活は苦しかった。父は既に他界し、母と2人暮らし。貯金は底を突き、生活保護を申請した>
しばらくは貯金を取り崩して生活していたんですが、無くなったらそれしかないなと。生活保護のことは知人に聞いて知っていたので。最初、役所の担当者に「お母さんの生命保険を解約して生活費に充てて、それが無くなってから」と言われ……。解約してそのお金も使い切り、申請したのは貯金が10万を切ったくらいの時かな。
母が日中、デイ(サービス)に出てくれるようになったので働けるかなとも思ったけど、介護を理由に家に居ました。徘徊(はいかい)もするようになってしまって、一時期は毎日のように。行方不明になっちゃったり、道で転んでいる…
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