
山梨県都留市の戦後72年企画「市民の記憶を語り伝える会」(同市教委主催)が30日、同市中央3の「市まちづくり交流センター」であり、都留文科大初代学長の漢学者、諸橋轍次博士(1883~1982年)の「大漢和辞典」(大修館書店)のゲラ刷りが戦火を逃れ、旧宝村(現都留市)にあった宝鉱山(戦後、三菱金属鉱業宝鉱山に改称)に疎開していた経過が報告された。戦中戦後の三十数年の歳月と延べ25万8000人の人員を費やして完成されたといわれる世界的大著に、三菱の鉱山を通して都留市が深く関わっていた事実が分かった。
都留市立図書館によると、「大漢和辞典」は大修館書店(東京・神田錦町)と1928年に編さん約定が成立。太平洋戦争開戦前の41年10月までに1万4000余ページ、全12巻の組み置き原版が完成し、そのゲラ刷り3組が作られた。43年9月に第1巻が発行されたが、45年2月25日の東京への米軍機の空襲で、組み版は焼失した。
この記事は有料記事です。
残り380文字(全文788文字)
あわせて読みたい
' +
'
' +
'' + csvData[i][2] + '
' + '' +
'' + listDate + '' +
'
' +
'