魯迅「藤野先生」

 リモート読書会で魯迅の「藤野先生」を読む。

 めちゃくちゃ短い小説である。

 魯迅の自伝的な短編小説で、彼が日本に留学した時に出会った藤野厳九郎という解剖学の教師の思い出をもとに描いている。

 ネットでは竹内好訳でPDFがアップされている。

fic.xsrv.jp

 

中国人が殺されるのを見物している中国人

 日露戦争の様子が幻燈で映し出されるのを「私」を含めた学生たちが見るシーンが出てくる。

私は、つづいて中国人の銃殺を参観する運命にめぐりあった。第二学年では、細菌学の授業が加わり、細菌の形態は、すべて幻燈で見せることになっていた。一段落すんで、まだ放課の時間にならぬときは、時事の画片を映してみせた。むろん、日本がロシアと戦って勝っている場面ばかりであった。ところが、ひょっこり、中国人がそのなかにまじって現われた。ロシア軍のスパイを働いたかどで、日本軍に捕えられて銃殺される場面であった。取囲んで見物している群集も中国人であり、教室のなかには、まだひとり、私もいた。「萬歳!」彼らは、みな手を拍って歓声をあげた。 この歓声は、いつも一枚映すたびにあがったものだったが、私にとっては、このときの歓声は、特別に耳を刺した。その後、中国へ帰ってからも、犯人の銃殺をのんきに見物している人々を見たが、彼らはきまって、酒に酔ったように喝采する――ああ、もはや言うべき言葉はない。だが、このとき、この場所において、私の考えは変ったのだ。 

 銃殺される中国人同胞を見物的に眺めている、という中国の民衆の姿に、「私」が自分が何をしなくてはいけないのかを痛烈に悟った、というシーンである。医学ではなく、文学で民衆を変えなくてはならないと感じたのである。

 

馬々虎々を克服するという民族的課題

 片山智行『魯迅』(中公新書)では、「はじめに」のところで、魯迅の思想の核、問題意識、テーマのようなものについて論じているが、魯迅が日本の親交者(内山完造)に送った手紙の一節が紹介されている。

 

 

支那四億の民衆は大きな病気に罹って居る。ソシテ其病源は例の馬々虎々と云うことだネー、アノどうでもよいと云う不真面目な生活態度であると思う

 馬々虎々は「マアマアフウフウ」、「いい加減」という意味である。(ちなみにうちの父は中国に何度も旅行に行っているが、唯一覚えて帰ってきたのがこの「馬々虎々」であった。)

 

 片山はその問題意識を『阿Q正伝』の主人公を引きながら次のようにまとめている。

帝国主義列強に侵略された半封建社会の当時の中国には、阿Q(あキュー)のようなルンペンに近い貧しい農民がたくさんおり、港に行けば、ボロを着た痩せた苦力が群れをなして仕事を求めていた。半植民地に生きるかれらは多くの場合、どんなにひどい目にあわされても、ただ「没法子(メイファーズ、仕方がない)としかいえなかった。蹴られても没法子、殴られても没法子、と無抵抗にあきらめきった状態で毎日を過ごしていたのである。

 

理不尽きわまる暴虐な行為にたいして、なんらの正当な抵抗もせず、ただ見せ物を見るように見物するだけでは、人間としての価値はない。ここに見られる民衆は、どんなひどい目にあわされても「没法子」と諦めている苦力たちと同じく、「馬々虎々」に生きていたといわねばならないのである。「同情すべき又憤慨すべき道程」があったにしても。(片山)

 奴隷根性、その中でも「馬々虎々」を憎んでいたのだという。理不尽に叫びも発せず、抵抗もしない生き方=「馬々虎々」を批判したのである。

中国社会のいたるところに存在する「馬々虎々」が無限に「欺瞞」的政治社会を生み出している。これを絶つことなくして、悪霊支配の打倒はありえない。魯迅が中国(民族)再生のためにもっとも力をそそいだのはこの問題であった。(片山)

たとえ主張することが「革命」「解放」「正義」であろうとも、もしもその人間が実質をいい加減にして看板(名)に安住するならば、たちまち堕落が始まる。旧支配者が儒教(名)を支配の道具として利用したように、革命者が威圧的に「名」を振りかざすのみであるならば、知らぬ間に悪霊支配に陥っていくであろう。魯迅がつねにきびしく警告していることは、まさにこの問題なのである(片山、強調は引用者)

 

講談社文芸文庫には「馬々虎々」を批判した作品がたくさん

 ぼくが買った講談社文芸文庫にはこうした問題意識が充満した短編がたくさん載っている。

 『阿Q正伝』では、理不尽にたいして正当な抵抗もしない阿Q、それを笑って見ている民衆、辛亥革命が起きても何の生活や思想の内実の変化もなく、阿Qはただ流行に乗るように革命を叫び、革命を唾棄し、やがて処刑される。

 民衆そのものが変わらなければ、革命はできない。 革命ごっこになってしまう。

 阿Qもそうであるが、笑って見ている民衆、阿Qをうちすえる民衆に魯迅は厳しい目を向けている。

 『狂人日記』では食人という角度から中国の農村社会の骨がらみの因習を暴き、それを告発する側が狂人として扱われることを批判する、

 『孔乙己(コンイーチー)』では試験に受からず乞食同前になった孔乙己(盗みをしたとして足を折られてしまう)と、それを笑い者にする民衆が登場する。

 『薬』では生き血をかけた饅頭を食べると病気が治るという迷信にすがって息子を失う親子の話。中国の遅れた医療で命を落とした魯迅の父親の経験が反映している。

 『故郷』でも、子供の頃は眩しかった使用人の子供が、大人になってすっかり卑屈になってしまった姿が描かれる。

 『離婚』では地元ボスの言うことに、小ボスたちでさえ、誰も逆らえない様子が描かれる。

 民衆の中にある後進性そのものに目を向けて、それを文学によって批判し、文学の力で革命を起こそうとした。

 

 『阿Q正伝』では、辛亥革命という清朝を打倒して共和制が始まるという近代の序曲になった大変革が行われたはずであったが、魯迅が見つめたのは、そんな革命をになっているはずの民衆自身が何も変わっていないではないかという批判であった。

 革命や進歩の看板を掲げながら、結局内実が変わっていなければ理不尽に全く声をあげることも行動することもできない民衆の姿を描こうとした。

 これは魯迅はその後も上海クーデター、マルクス主義派との論争なので嫌というほど見ることになる。やがて中国は共産党による政権獲得を経るけども、文革というもっとも愚かな形でこの問題は徹底して顕在化することになる。

 

革命を掲げる集団の「馬々虎々」

 特にぼくの問題意識の中心に今あるのは、革命を掲げる集団がなぜ指導部・幹部の誤りに唯々諾々と付き従ってしまうのか、集団の中で少数者への抑圧や暴力が行われてもなぜそれを見物客のように眺めてしまい、むしろ幹部とともに攻撃する側に回るのか、ということである。それは魯迅が問題意識に感じたことや、その後実際に苦闘したことと非常によく似ているのではないか、と思いながら、この短編を読んだ。

 

 いくら看板に「革命」を掲げていても、その根底に批判的精神、自由で自発的な精神、独立不覊の精神がなければ、教条とそれを体現したとされる幹部という「大きなもの」に事(つか)えるだけであり、「革命」という儒教に付き従うのと何ら変わらない。

 

 短編『離婚』に出てくるのは、自分は離婚しないという地域の小ボスの娘(愛姑)。それが地域の大ボス(七大人)の前で仲裁を受ける。初めは愛姑は自分の主張を何としても通そうとし、抗弁する。七大人も寛容な顔をしつつ離婚を勧めるのだが、やがて一喝する。

 そうなるともはや愛姑やその父親は縮み上がってしまい、一も二もなく七大人の提案を受け入れるのである。

 ボスが一喝するや、何も逆らえない。愛姑の哀れな姿は、ふだんは勇ましく「革命」とか「自由」とか言いながら、たちまちのうちに奴隷根性を発揮してしまうような人間にまことによく似ている。

 

 『阿Q正伝』には「精神的勝利法」というのが登場する。阿Qはヒマ人にからかい半分に殴られる。しかし。

 阿Qはしばらくつっ立っていて、心の中でこう思うのである。「おれはまあ息子(子供)に殴られたようなものだ。いまの世の中はまったくなっとらん……」こうして彼もまた満足し、意気揚々と引きあげて行くのである。

 阿Qは心の中で思っていることを、後にはいつも口に出すようになった。そのため阿Qを笑いものにする人々は、ほとんどみな彼にこういう精神的な勝利法があることを知った。

 負けているのに勝ったと思い込むことで、心の平穏を保つ働きだ。個人の心理としては大事な避難のための方便となりうるとは思うが、組織や社会がこれをやる・やり続けると自分たちの惨めさを糊塗し、ごまかすことになっていく。だから魯迅はここで阿Qを借りて痛烈に批判しているのだろう。

 負けているのに勝ったと自分に言い聞かせる。あるいは負けたことを直視しない。

 そういうことばかりしている組織はやがて衰退していくに違いない。

 

「藤野先生」という理想

 「藤野先生」は「馬々虎々」=「不真面目な生活態度」とは対照的な、理想の形象として登場する。

 一言で言えば、それは「真面目」ということである。「真面目」は近代化のエトスだ。

だが、なぜか知らないが、わたしはいまでもときどき彼のことを思い出す。わたしがわたしの師であると思いきめている人の中で、彼はもっともわたしを感激させ、わたしを励ましてくれた人なのである。おりにふれてわたしはいつもこう考える。彼のわたしにたいする熱心な希望、倦むことのない教えは、小にしていえば、中国のためであり、中国に新しい医学のおこることを希望してである。大にしていえば、学術のためであり、新しい医学が中国へ伝わることを希望してである。彼の人格は、わたしの眼の中と心の中において偉大である。

 「支那四億の民衆は大きな病気に罹っている。そしてその病源は例の馬馬虎虎という不真面目な生活態度であると思う」という「馬馬虎虎」の姿勢と対比的に藤野先生のノートにびっしりと書いた添削の文字がある。中国の医学をよくするという近代化の正しい課題において真面目で実直である藤野先生は、中国人が克服すべき近代化の形象として見えたのではないか。 

 

 

 藤野厳九郎の生涯を知るには、『藤野先生と魯迅: 海を超えた師弟の交流 日本と中国の絆』が面白くわかりやすかった。

 

 

 

赤旗連載の小説「つぶての祈り」のこと

 この小説(『藤野先生』)を読もうと思ったのは、「しんぶん赤旗」に連載されていた高校教師の物語倉園沙樹子「つぶての祈り」の中に、この小説が紹介されていたからである。

 

 「つぶての祈り」の中では「藤野先生」の中に「なしのつぶて」という言葉が登場するのだ、と書いてあって、自分の持っている講談社版で見たが、それはなかった。光文社版にもなかった。ネットにあった竹内訳にもなかった。

 教科書には載っているのかなと思っていたら、リモート読書会の参加者が「角川文庫にはありましたよ」と報告してくれた。

 小説の最後に藤野先生から添削してもらったノートが失われてしまい、運送屋に問い合わせたが「なしのつぶて」だったと書いてあるらしい。(竹内訳では「返事もよこさなかった」、講談社版の駒田信二訳でも「何の返事もよこさなかった」)

 ※なおこのノートはその後発見された。中国では国宝扱いされている。

 

 魯迅はその後藤野先生とは連絡を全くとらなかったのだが、藤野先生の生き様や教えは魯迅に深く影響を与えた。藤野先生から見れば、魯迅は「なしのつぶて」の教え子だったのだが、しかし、それは藤野先生が知らないところでその教えが花開いていたということである。

 「つぶての祈り」に出てくる高校教師の話は、彼・彼女たちが生徒のために、悩んで働きかけたことが一体実っているのか無駄になっているのか、全くわからない。手応えがないという苦悩を抱えている。これで正しかったのだろうかという日々迷っている姿が描かれるのだ。しかし、藤野先生の教えが、藤野先生には届かなくても、魯迅の中で生きて育っていたように、どこかで花開いているのかもしれない。そういう祈るような気持ちをタイトルに込めたのであろう。

 この「つぶての祈り」も読み応えのある小説であった。

 

 

 

 

 

瀧波ユカリ『わたしたちは無痛恋愛がしたい』5・6

 組織にとって自分はどういう人間だと思われていたのか、本当のところはよくわからない。

 だけれども、「都合のよい人間」だと思われていたんじゃないかと思う。

 別のところですでに書いたことだからここでも書くけど、額面で月20万円台の給料で50代まで甘んじ、他方で徹底した調査や文書の迅速な執筆、特にビラや広報物などは取材・執筆・DTP作業から入稿までを短時日で終えて仕上げてきた。

 それは別にぼくに限らない。

 組織の方針に忠実であることは、すなわち組織に忠実であることであり、さらにその組織を体現したと思われていた組織幹部に忠実であることは、組織の掲げる方針や理念に忠実=誠実なことであると考えてきた。

 そこには理不尽もあったし、それは違うのではないかと思ってきたこともある。

 その理不尽はいつか正されるであろうと思って、実際に正されてきたものもあったし、放置され累積されてきたこともあった。

 理不尽とたたかうのには、特に徹底してたたかうには、膨大なエネルギーが必要になる。精神と肉体と金銭その他のコストをたくさん支払わねばならない。そこまでやって乗り越えるべき理不尽ではないだろうと自分に言い聞かせながら、その理不尽にも耐えてきた。

 しかし、これはどうしても許されない理不尽、絶対に見逃せない理不尽、人生をかけてでも是正しなければならない理不尽というものが、自分に襲いかかってくる瞬間がある。

 理不尽との徹底したたたかいになった時に、理不尽を仕掛けてくる張本人たちはもちろんのこと、その周辺でその理不尽を許し、甘やかしてきた人々(ぼくもそうだったわけだが)も一緒に、その理不尽を擁護し、理不尽とたたかおうとする側を抑圧したり異常視したりする。

 

 『わたしたちは無痛恋愛がしたい』は、フェミニズム的な視点、つまり日常の生活がいかに女性が普通に生きようとするだけで生きづらい仕組みや振る舞いにあふれているかを暴いて、そこからの解放を重ねていくエピソードが重ねられている。

 その理不尽を暴いて、公正な生き方や解放を描くこと自体が、一つの正義であるから、それを「説教くさい」と思うことがあるのは、当の抑圧に苦しんでいない——というかそれを問題意識化していない側の視線だろう。女性の生き方に対する男性の視線として、ぼくも実はそちらの側に入るし、実際そう感じることがあるのだから、あまり人のことは言えないのである。

 すでにその視点については本作4巻の書評で基本点を書いた。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 だが、自分が組織から追放され、裁判を起こして、いろんな人に励まされて、女性の生き方という点においてではないが、自分も似たような気持ちを持ったという点でいっそうこうした「理不尽に怒る」「公正な解放を望む」という作品の良さを理解できたような気がする。というか連帯したい気持ちになった。

 だからドラマ「虎に翼」や本作を感動して読む一方で、それらのフェミニズムに影響された作品はどうして公正さの強調が先に立ってしまうのだろうという思いも拭えないのだが、まさしくそれは自分の当事者性が低く想像力が足りないせいなのだろうとも思う。

 

 本作5巻の終わりで、主人公のみなみは、長年の腐れ縁で付き合って都合よく扱われてきた男に「怒り」、ついに絶縁するシーンがある。そして6巻の冒頭で主人公は友人の一人と一緒にその怒りを解釈し直す。

 

 

 

 

 男から送られてきたメッセージは「いつも」の雑な扱いでしかないような気もする。しかしみなみにとっては、自分の尊厳が生じ始めてきた「仕事」に関することであって、それだけは許せないというものであった。

 尊厳の基盤がきちんと生まれ、それを脅かすものであるからこそ、怒りは正当なものであり、怒ることができたということ自身が読む人にもきちんと解放としてとらえられる。

 ああ、尊厳を脅かされた時、きちんと怒っていいんだ、怒るべきなんだ、怒ることは素晴らしいんだ、という強いメッセージがそこにある。

 「怒りは感情的なもので、負の結果しかもたらさない」というのは、まさに理不尽を押しつけている側の発言だなと思ったのは、ぼくも全く同じように言われた経験をつい最近したからである。

 数百人を前にして、ぼくがぼくに加えられたパワハラについて激しい言葉で告発した。それに対して議員や役員を名乗る男たちや女たちが、かわるがわる「紙屋は落ち着け」「なぜそんな一方的に怒りを表明するんだ」とぼくを逆に糾弾し続けたことがあったからである。

 理不尽を加えた側はすでに行為を加え、ぼくから奪い続けるだけでいい。

 抑圧され、奪いつづけられたぼくはそれを言葉で告発するしかない。告発は抑圧を客観的に叙述するだけでも激烈な調子を帯びざるを得ない。なぜなら抑圧の行為自身が激烈なものだからだ。ところが、理不尽をかばう側は一方的にぼくの言葉や態度の方を「感情的だ」と言って詰ろうとするのである。

 「あ、これって、『女は感情的にすぐ怒る』って言われているのと同じ構図だなあ」と思いながら、その非難を聞いた。

 こうした理不尽を描くことは、闘争や公正を描くことになる。

 それを説教くさいと思うのは、まさにその理不尽を生きていないからだろう、と思ったのである。逆にその理不尽を生きている人間には作品が届くことになる。

 だから、主人公が自分はちゃんと怒ることができた!と涙を流すカタルシスを描いたシーンはまるで自分のことのように読んだ。

瀧波ユカリ前掲書5巻、講談社、p.208

 

佐原実波『ガクサン』9

 高校2年になる娘の勉強量は相対的に増えているなあと思う。居間で問題を解いている姿*1や、ぼくと一緒に英語の文法書や長文を読んだりする姿*2をよく見るようになったのだが、いかんせん絶対量が少ないなとも思う。ネットやスマホやってる時間が長いのである。

 学校で課題として与えられている化学の問題集は一応解けるようになって定期考査に臨んだのが、いざテストでは頭が真っ白になってほとんど解けなかったという。泣いてた。

あることを「ちょっと知っている」「表面的に知っている」ということは、その知識が、必要なときにはいつも一貫して使える「生きた知識」になっているとは限らない。…〔単位に関する〕算数の文章題をきちんと解くことができるようになるための必要条件(十分条件ではない)は、単位の変換が身体化され、意識を向けなくても自動的に必要な形で使えることなのである。(今井むつみ『学力喪失』p.12-13)

 ああ、これだなあと思ってみていたが、量的には努力をしていただけに、パニックで点を取れなかったという事態はなんとも気の毒だと思った。今でもぼくは数学のテストの夢を見るが、「時間がなくて解けない」という焦りを再現させられるので、気持ちはよくわかる。

 

 本人は数学や化学が本当に苦手なようなのだ。「わからない」という言い方でそれを言い表す。だから、本当にわからないんだろう。その二つの科目はぼくにはまったくお手上げの領域で、つれあいが一緒に付き合っているのだが、説明されると理解し、合点はいくようなのだが「そんな解き方をどうして見つけられるのかわからない」というのが娘の感想である。あっ、それ、数学が苦手だったぼくの高校時代の気持ちに似ている。

 そんなときに『ガクサン』を読んで、しかも実際に本屋にある参考書のコーナーで本をあれこれ手にとって、自分でも買って読んでみると「ああ〜今はこんなにいろんなシチュエーションに分けて、こんなにていねいに伴走して教えてくれる参考書がいっぱいあるのに、なんで娘はそういうものを活用しないのかね〜」という思いがめちゃくちゃ湧いてくる。

 そういうふうに勧めたこともあるし、実際に買って渡してみたこともある。小論文などは参考書を買って読んで内容まで伝えた。

 が、本人は本屋で参考書を使って、参考書で自分の問題点をどうにかする、という発想にはならない。

 学習参考書の出版社に勤務する人の物語を描いた『ガクサン』の9巻では、「勉強が嫌になったら読む学習参考書」づくりの話である。

 

 面白い内容を集めた「読み物」というかわったコンセプトの参考書だ。子どもを引きつけるとっておきの面白い話、切り口というものがある。

 そもそもある教科に意欲が持てないというところから出発しなければならない子どもがたくさんいる。その教科の面白さを伝えたいが、授業ではそれを十分に展開する時間がなく、基礎的な内容で終わってしまう。基礎的な内容が「面白くなさ」で満ちていると、よりいっそう面白くなくなっていくという悪循環にハマってしまう。

 そういう読み物自体は存在しそうな気がするが、そこに「解けなくていい演習」やつまづいた時にどこに戻ればいいのかなどを記した「学びのマップ」など、必要であればそこに食いつける教科学習的な要素を置いておく、というものだ。

 まあ、これ「今でもあるのでは?」と思ってしまうが、そこまで詳しくないので、よくわからないところはある。

 でも、最初に述べたように、こんな具合に、今の参考書って、本当に自分から探してみれば自分の困難のシチュエーションに合ったものが存在する、という場所なんだなあと本作を読んで強く思うのである。

 しかし、自分の置かれた状況を的確にみて、それに合った参考書を抽出してくれる、そのコンシェルジュのような人が必要になる。そんな理想的な人を、本作では主人公にしているし、主人公たちが配置されている「ご相談係」というのはまさにそれなのだと感じる。

 そういう社会的な存在ってどこかにいないですかね? 学校の教師?

 

 9巻で面白かったのは、後半に出ている英検とTOEICなどと違い。そして、推薦入試のいろいろな違いである。

 前者については英検が学校教育と発達段階に伴走した資格試験であるという認識を持った。

 後者については、古い世代の「学校推薦」観そのものだったので、娘の高校の受験への説明会などで話を聞いたはずだったのがよくわかっていなかったことがわかった。

 どちらも実用的な知識として、とても役に立った。

*1:自分の部屋の勉強机は小1で買ってからおそらく一度も使っていない。

*2:「お父さん、トリガーになって」と言われるように、ぼくが教えることはほとんど何もなく(むしろ娘の方が詳しい)、横で答えを隠して教えたり、どうしてもわからない意味などを一緒に考えたりするだけで、単に勉強を始める「きっかけ」として利用されている。

自己批判が攻め道具になるとき——トロツキー三部作を読む3

 自己批判は「自分の言動の誤りを、自分で批判すること」(大辞泉)であり、本来健全な精神の作用である。

 内省と同じで、自分を絶対視せず、客観的に見つめ直すからである。

 こういう作業が、自分の中でできればすばらしいと思う。

 他方で、とてもデリケートな営為である。

 静かに自分の内面に向き合わないと、たえず「誰かからやらされた」という言い訳が入ってきて、本当に深く自分に向き合うことにはならない。

 だから、他人に「反省しなさい」と無理やりやらされたのでは、本当の意味での自己批判にはならない。「どこが悪かったと思う?」などという、自主性の体裁を取りながらの、実際には「お前はすでに悪い。そのどこが悪いかが問題だ」という相手側の勝手な土俵の上で相撲を取らされる訊問でさえ、内省をともなう自己批判など出て来ようがないだろう。

 ましてや、罰に脅されたり、吊るし上げられたりして行う「自己批判」とは、言葉の醜悪な反転であって、そこに「自己」などはなく、あるのは、ただただ他人の批判を強制されて自分の口から言わされている姿だけだ。

 そこでは、「自己批判」は屈服の儀式として行われ、「自己批判」として書いた文書は、提出先の権威がくり返し、その「自己批判」を提出した人間を叩頭させ、拝跪させ、マウンティングする証拠として活用される。「お前、あの時、『私が悪うございました』って言ったよな?」という証文として。つまり、「永遠の譲歩」を迫るための攻め道具になるのである。

 だから、その場の責め苦を逃れようとして「私が悪かった」ということを一瞬でも認めようものなら、それは地獄につながる隘路になってしまう。

 

屈服を強いる道具としての「自己批判」、無限の譲歩

 スターリン体制下での自己批判はこのように使われた。

 トロツキーがソ連から追放されていない、まだ「牧歌的」な時代、トロツキーと合同して、スターリン&ブハーリンに対する反対派を組んでいたジノヴィエフとカーメネフは、トロツキーが頑強に反対を崩さない中で、先に支配的分派(スターリン&ブハーリン派)に屈服してしまう。

 トロツキーの伝記であるドイッチャーの三部作の一つ『武力なき予言者』には、こう書いてある。

ジノヴィエフとカーメネフが屈服を声明するやいなや、支配的分派はすかさず、その屈服をうけいれることはできない、屈服者たちは彼らの思想を全面的に否定し、悔い改めなくてはならない、と言明した。最初、ジノヴィエフとカーメネフは、ただ彼らの見解を発表することを遠慮しさえしたら、復権されるものと思いこまされた。ところが、彼らがいったんそれ〔屈服〕に同意すると、こんどは彼らの〔自己批判しないという〕沈黙は党にたいする侮辱であり、挑戦である、といわれた。(ドイッチャー『武力なき予言者』p.404)

 

つぎの一週間は、〔屈服して復権する〕条件の押し合いで終始した。その間、ジノヴィエフ派たちは罠のなかであがき、もがきつづけた。彼らは彼らの最初の降服を取消すわけにはいかなかった。その意義をすくい、しかもそれによって達成しようとねがったことを達成するために、彼らはさらに新しい降服に転落していった。十二月十八日、ジノヴィエフとカーメネフはふたたび〔党〕大会のドアをノックして、自分たちの見解を「誤った、非レーニン的な」見解として否定するとつげた。(同前p.404-405)

 

いちど降服すると、つぎつぎに降服しなければならない〔…中略…〕トロツキーはジノヴィエフの降服の無益なことを見て、自分は正しい道をえらんだという確信をいよいよ強めた。(同前p.405)

 

カーメネフとジノヴィエフが銃殺される前にした「自己批判」

 しかし、これで終わりではなかった。

 合同反対派が解体されたのは1927年。それからトロツキーは国外に追放され、1934年にキーロフの暗殺をきっかけに「大粛清」=大量弾圧が始まり、ジノヴィエフとカーメネフは、“国外のトロツキーと組んでテロを企て、ソ連体制を転覆させようとした”というでっち上げの理由によって死刑となる。

 しかし、死刑をされる誇りさえなかった。

だが、いちばん悪いことは、被告たちが言語に絶するほど胸のむかつく非難と自己非難のさ中に、泥のなかをひきずりまわされ、死ぬまで這いつくばらせる、そのやり口だった。(ドイッチャー『追放された予言者』p.369)

 ドイッチャーは、フランス革命ではまだ粛清された革命家、例えばダントンが「ぼくのあとは、きみの番だぞ、ロベスピエール!」と断頭台で叫ぶ自由や尊厳があったことを記す。

かれ〔スターリン〕はボルシェヴィズムの指導者たちや思想家たちを、宗教裁判にむかって、自分の魔法の行為をひとつのこらず、悪魔との放蕩を、微にいり細にわたって、かたらなくてはならなかった、みじめな中世の女たちのようにふるまわせた。(同前)

 スターリニストの検事であるヴィシンスキーとカーメネフ、ジノヴィエフのやり取りはこうである。

ヴィシンスキー。きみが党にたいする忠誠を表明した論文や声明を、いったいどう評価したらいいのか? これはごまかしだったのか?

カーメネフ。いや、それはごまかしよりも更に悪かった。

ヴィシンスキー。裏切りか?

カーメネフ。それよりもっと悪かった。

ヴィシンスキー。ごまかしよりも悪く、裏切りよりも悪かった? では、どういったらいいのか、いってみたまえ。反逆か?

カーメネフ。そのとおりです。

ヴィシンスキー。被告ジノヴィエフ、きみはこれを確認するか?

ジノヴィエフ。します。

ヴィシンスキー。反逆か? 裏切りか? 二心か?

ジノヴィエフ。そうです。(同前p.369-370)

 

 そして、カーメネフとジノヴィエフの「ミア・カルパ」(自己批判)。ぼくはこれを読んだ時、本当に胸がつぶれる思いがした。かつての革命の英雄であり、誇り高いボルシェヴィキだった活動家が、こんな自分を卑下することを、いったいどうしたら言えるのだろうかと信じられない思いで読んだ。*1

 まず、カーメネフである。

わたしは二ど助命されました。しかし、何事にも限度があります。プロレタリアートの寛容には限度があります。われわれはその限度にたっしたのであります……われわれは外国の秘密警察の手先とならんでここに座しています。われわれの武器はおなじでありました。われわれの運命がこの被告席でたがいにからみあうまえに、われわれの腕はいっしょにからみあったのであります。われわれはファシズムのために働き、社会主義にたいして反革命を組織しました。これこそわれわれがたどった道であり、これこそわれわれがおちいった軽蔑すべき裏切りの陥し穴であります。(同前p.370)

 次にジノヴィエフ。

わたくしはスターリン、ヴォロシーロフ、その他の指導者たちの暗殺を目的としたトロツキスト=ジノヴェヴィスト・ブロックの、トロツキーにつぐ主要な組織者たる罪を犯しました……わたくしはキーロフ暗殺の主要な組織者たる罪を犯しました。われわれはトロツキーと同盟をむすびました。わたくしの欠陥であるボルシェヴィズムは反ボルシェヴィズムに変り、わたくしはトロツキズムを経てファシズムに到達しました。トロツキズムはファシズムの一変形であり、ジノヴィエフ主義はファシズムの一つであります。(同前)

1920年のジノヴィエフ(ウィキペディア)

1936年の死刑執行直前のジノヴィエフ(ウィキペディア)

 このような「這いつくばり」もむなしく、カーメネフもジノヴィエフも結局銃殺された。

 脅しや強制による「自己批判」は、屈服の儀式でしかなく、無限の譲歩と後退を意味し、その行き着く果ては、カーメネフやジノヴィエフのような「自己非難」である。

 「自己批判すれば救ってやる」「自己批判すれば復権できる」という甘言、うらはらでの「しなければ追放する」「しなければどんな目にあうかあわからない」という脅迫が、人間の精神をどういうところに導くのかが、ここに示されている。

 

 そして、「トロツキー=ジノヴィエフ・ブロック」というでっち上げである。

 何某◯◯という憎悪の対象をつくりあげ、「◯◯は党破壊者だ」「◯◯は撹乱者だ」という看板で、気に入らない存在を「あいつは◯◯との同調者だ」「こいつは◯◯とつるんでいる」として、「◯◯一派」「◯◯・△△派」などと、全て◯◯との分派・ブロックのように語るこの思考様式。

 

 そんな愚かしい思考様式は20世紀の全体主義に時代にもう終わったのだと思っていた。スターリン体制の話は、「識字率が低い、遅れた国での革命の話」だとどこかで思っていたのではないだろうか。

*1:もちろん、それは拷問の末に、何度も演習をされ、身体化された挙句に言わされ、読まされるものであるが。

生産的労働と教育の結合?

 前回のエントリの続きというか、補足。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 

 「生産的労働と教育の結合」は戦後の民主的(わかりやすくいうと左派的な)教育学・教育運動の一つの命題であった。そのもともとの命題は、前回見たとおり、マルクスにあるのだ。

 

マルクスはもともとどう考えていたのか

 マルクスは『資本論』の第一部の「機械と大工業」(13章)だけでなく、マルクスが中心となって活動したインタナショナルでも教育の中心課題として取り上げている。

男女の児童と年少者を社会的生産の大事業に協力させる近代工業の傾向は、資本のもとでは歪められていまわしいかたちをとっているとはいえ、進歩的で、健全で、正当な傾向であるとわれわれは考える。合理的な社会状態のもとでは、九歳以上のすべての児童は、生産的労働者とならなければならない。…

われわれは、労働が教育と結合されないかぎり、両親や企業家に年少者の労働の使用を許してはならないと主張する。…

知育、体育および技術教育の課程は、年少労働者の年齢階級におうじて、しだいに程度を高めていかなければならない。…有給の生産的労働、知育、肉体の鍛錬および総合技術教育の結合は、労働者階級を上流階級や中流階級の水準をはるかにこえた水準に高めるであろう。(マルクス「個々の問題についての暫定中央評議会代議員への指示——ジュネーヴでの第一回大会——」/マルクス『インタナショナル』所収、新日本出版社p.52-54、下線は原文の強調、赤字は引用者の強調)

 ブルジョアが怠けて、労働者階級が死ぬまでこき使われるんじゃなくて、子どももふくめて、社会のみんなが生産労働に参加する姿は、未来の社会の姿だ!*1

 …とマルクスや当時の労働運動は、拍手喝采したのである。

 そして、そこに教育を適切に組み合わせることで、「ひょっとして、こういう労働とセットになった教育は、役に立ちもしないつめこみ座学で頭がいっぱいの金持ちの子弟たちよりすぐれた人間を育てるんじゃね?」と期待したのである。

 マルクスは、『資本論』の第一部13章で、“学校しか行ってないブルジョアのボンボン”と“工場で働きながら学校で勉強している労働者の子ども”を比較する、当時の工場監督官のレポートを嬉々として紹介する。

ことは簡単である。ただ半日しか学校にいない生徒たちは、つねに溌剌としており、ほとんどいつでも授業を受け入れる力があるし、またその気もある。半労半学の制度、二つの仕事のそれぞれ一方を他方の休養と気晴らしにするものであり、したがって児童にとっては、二つのうちの一つを絶え間なく続けるよりはるかに適切なのである。朝早くから学校に出ている少年は、とくに暑い天候のときには、自分の仕事を終えて溌剌として来る少年とは、とうてい競争できない。(マルクス『資本論 3』新日本出版社、p.844)

 マルクスはこの後ごていねいにも、ブルジョア経済学者のシーニアの講演まで紹介して、この観察を別の事例で裏付けている。

 ここにあるのは、単純に、「1日の半分は労働、1日の半分は勉強(学校)」という、一日中労働にしばりつけられた過酷な現実から解放された、子どもたちの喜びであろう。その喜びのうちに、勉強する楽しさもあったかもしれない。ただ、それ以上に、深い現実のレポートやそこからの考察はない。

 

 

 『資本論』では、子どもたちのレポートはここで終わり、すぐ機械中心の大工業によって、労働者が一つの仕事にしばりつけられず、次々に仕事や職を変わるために、「靴屋は一生靴を作っている」というような一面性をまぬかれて、全面的に能力を発達させる可能性を見出す。

 「いろんな職をやるうちに、いろんなことができる人間が生まれるんじゃね?」と思ったのである。「非正規で短期でクビを切られるために何も身につかない」と嘆く現代の労働者の姿からすればいささか楽観がすぎると思うかもしれない。*2

 いずれにせよマルクスは、この様子から「一つの社会的な細部機能の単なる担い手にすぎない部分個人」(一つの狭いことしかできない人間)から、「さまざまな社会的機能をかわるがわる行うような活動様式をもった、全体的に発達した個人」が生まれてくるとみた。

 世の中がかわるきっかけになるかも! とワクワクドキドキしたのである。

大工業を基礎として自然発生的に発展したこの変革過程の一契機は、総合技術および農学の学校であり、もう一つの契機は、労働者の子供たちが技術学とさまざまな生産用具の実際的な取り扱いとについてある程度の授業を受ける「“職業学校”」である。工場立法が、資本からやっともぎ取った最初の譲歩として、初等教育を工場労働と結びつけるにすぎないとすれば、労働者階級による政治権力の不可避的な獲得は、理論的および実践的な技術学的教育の占めるべき席を、労働者学校のなかに獲得することになることは疑う余地がない。(マルクス『資本論』前掲、p.850-851)

 最終的には、社会主義になったさいに、生産の技術を体系的に学ぶことでこの「全体的に発達した個人」になることを完成させていこうじゃないと理想を描いたのだ。

 

——目の前で、労働と教育が結びつけられ、子どもたちがイキイキしている!

——一つの職にしばりつけられず、転々と職をかわる中で、いろんなことができるようになるかもしれない!

——社会主義になって、みんなが働くし、働きながら体系的に科学技術を学ぶことができるようになれば、ジェネラリストが生まれるんじゃないか!?

 

 マルクスや当時の労働運動の興奮が伝わってくるではないか。

 そして、それはある程度正しかったのである。

 マルクスは晩年に書いた『ゴータ綱領批判』でも

児童労働の全般的な禁止を実行するということは——もし可能であるとしても——反動的であろう。というのは、いろいろの年齢段階に応じて労働時間を厳格に規制し、また児童の保護のためにその他の予防措置をするなら、生産的労働と教育を結合することは、こんにちの社会を変革するもっとも強力な手段の一つだからである。(マルクス「ゴータ綱領批判」/マルクス・エンゲルス『ゴータ綱領批判 エルフルト綱領批判』新日本出版社、p.49)

と、天まで持ち上げている。

 もちろん、「ヲイヲイ児童労働を推奨してるやーん」と現代の目線でバカにするのではなく、当時としてはまさにこういう感覚だったのだろう。そこに社会進歩の積極面を見たことはむしろ慧眼だったと言える。

 これがマルクスが描いた人間の全面発達へとつながる「生産労働と教育の結合」命題である。

 これだけ読んでも、「人間の全面発達はいいけど、『生産労働と教育の結合』っていう命題は今考えるとちょっと使えないかなあ」とシロートでも予感できるはずだ。

 

ソ連や戦後教育はどう扱ったか

 ソ連や、日本の戦後の民主的な教育学・教育運動は、この命題をテコにしようとした。

 ソ連ではレーニンやそのパートナーであったクルプスカヤがマルクスの命題の中にあった「総合技術教育」をめざそうとした。しかしなかなかうまくいかず、結局根付かなかった。

 「子ども時代は学校に行く」ということ、つまり学校文化が当たり前になりつつあり、子どもを生産労働に参加させながら、教育と結びつける、ということをそのままやろうとすることが時代に合わなくなってくるのである。

 

 そこで、日本の戦後の民主的な教育学・教育運動は、この「生産的労働」を「生活」に読み替えるようになった。「座学と生活実感」の差。「詰め込み教育と、納得してわかることの差」である。

 簡単にいうと、ひたすらなんの実感もないことを暗記してつめこむようなやり方と、勉強していることが自分の生活している世界につながっていて一つ一つのことが実感があるようなそういうやり方との違いである。

 算数のかけ算が自分の生活と結びついていないというアレ。

 「人権」の勉強はするけど、それは抽象的な自分とはカンケーない話であるとか、どこか遠くの発展途上国の「ヒサン」な子どもたちの話であるとかいうふうにとらえて、今自分の目の前で校則で自分がしばられていること、お金がないために大学にいけないこと、わからない授業を詰め込まれていること、そういう問題を解決する道具として「人権」をとらえないというアレである。

 いやー、この前、高校生の娘と一緒に地理の勉強やったけどさ、もう南北アメリカの山脈名とか河川名とか都市名を丸暗記なんだよね! 例えばニューオーリンズがどのあたりにあって、ジャズで有名とか、『BLUE GIANT EXPLORER』でも出てきたよねとか、そんなの一切ない! ひたすら暗記。

 

 

 学校で勉強する「概念」には自分の経験が伴わない。

 これは「経験と概念の分離」という近代一般の課題である。

 戦後教育学はその克服をめざすとともに、独占資本主義下での上から植えつけられる「偏差値や受験のためのつめこみ教育」に対して、生活の実態から一人一人がわかる・理解できる教育を目指し、そこから現実を批判する目を育て、社会変革へとつながる教育を対置しようとした。

 戦前の「生活綴り方運動」などもこの流れに位置づけて、そこから全面的な発達へとつなげようとしたのである。

 

 これはこれで大いに意味のあることではあった。

 でも。

 それって、マルクスの元の命題(生産的労働と教育の結合)の意味を遠く離れているいるんじゃね?

 …っていうのがぼくの素朴な感想である。

 戦後教育学はそれをマルクスの元の概念と整合的に捉えようとして無駄に複雑化し難しくなっていった。目の前の子どもの現実ではなくマルクスの命題を基礎にしようとしたことが生んだ悲劇であるように思う。

 例えばその一人である川合章などを読むと、彼は社会主義になれば「総合技術教育」をやるんだと張り切っているのであるが、そこへどう接合するか四苦八苦している。 

 全面的に発達した個人を生み出すということは、今日でも通用する、そして教育の目的にすべきすばらしい命題とは思うが、それを「生産的労働と教育の結合」という命題を媒介にしてしまうと、いろんな無理が入ってくるのである。

 だから、志位和夫は教育を語る際に、今さらこの命題を引き合いに出す必要はないのである。

 

誰かなんとか言ってやれよ

 関係ないが、志位和夫は、自分が学んだであろう1970-80年代あたりの学問命題を無批判に持ち込みすぎるきらいがあるように思う。この「生産的労働と教育の結合」もその一つだ。

 2022年に志位が民青同盟に入った学生たちを相手にやった『科学的社会主義Q&A 学生オンラインゼミで語る』のなかで「物質の階層性」を持ち出したときには、ちょっと呆れてしまった。

www.jcp.or.jp

 これは新入生として入ってきた学生たちを相手に科学的社会主義とはどういうものかを語るゼミだったのだが、そこでいきなり志位は「物質の階層性」を語り出したのである。

 ミクロの方にいっても、マクロの方にいっても、果てがない。無限に続く。これが「物質の階層性」という自然観なのです。

 そしてそれぞれの段階では、物質の運動は、それぞれ固有の運動法則によって支配されている。…この階層は互いに独立したバラバラなものではありません。ここでいう「物体」というのは「分子」で説明できますよね。「分子」というのは「原子」で説明できます。「原子」は「素粒子」で説明できる。このようにお互いに依存しあい、関連しあっています。相互に移行もします。そういう豊かな関係をもっているわけです。これが「物質の階層性」という弁証法的な自然観なのです。(志位前掲書p.58-59)

 そして物理学における坂田昌一とハイゼンベルク論争について紹介しだすのだ。

 これを長々としゃべるのである。

 気候変動だの貧困・格差だのを関心を持って民青に入ってきた学生はびっくりした。びっくりといってもいい意味でかどうかは甚だ不明である。素粒子がとかクォークがとか言われて、なんのことやらわからない。今日なんの話を聞きにきたんだっけ。

 ぼくは福岡県の民青の幹部だった人に話を聞いてみたのだが「もう本当にびっくりしました。こっちは新入生を必死で呼んできて、さあ科学的社会主義っていうのがわかるよってみんなで視聴し始めたら全然わからない。ポカーンとしてみんな聞いてる。次第に眠っていく人もいる。そりゃ、勉強のできる大学の人とかは面白いかもしれませんけど、こっちではホントに苦痛でした」と言っていた。

 当時ぼくの身近にいた地方議員も「寝た」といっていた。

 本当に学生たちに向けてどういう話が必要なのか、リサーチしたり補正したりすることができないんだろうか。

 

 志位は何か、難しいことをしゃべろうと気負いすぎていないだろうか。わかりやすいことは根本的なことであり、ラジカルなことである、という基本に立ち返ってほしい。科学的社会主義を語るというのはそういうことのはずだ。

 「草稿」を使ったり、聞き慣れないテーゼを口にしたりすることではない。

 

 誰かなんとか言ってやるべきだろう。

*1:もちろん、19世紀の資本主義下での過酷な児童労働があまりにひどい歪みであり即刻是正されるべきものであることは、マルクスは正しく告発している。

*2:今日、この視点が生きるとすれば、生涯学習やリスキリングの経験だろう。「終身雇用」が大きく動揺して、一定期間で転職するのが次第に当たり前になりつつある中で、たえずアップデートされた労働力であることが求められる。「学び」は高校や大学までの「若い頃の学校」の中だけでは終わらず、成人してからも絶え間なく求められる。しかしそれが資本主義の歪みはあっても、「新しい自分」、全面発達に向けた一歩を踏み出していることもまた事実である。ぼくの知っている民青の専従職員は、活動で心身を壊し、薄給にも耐えかねて専従をやめた。その人は職業訓練校に通い、プログラミングを学んで今は「全く新しい自分」を獲得している。思いもよらない自分の一面を開発したのだ。だが、そういうことは社会主義の中でも生産的労働と結びついて行われるのかどうかはわからない。

「私学を含めた高校までの完全無償化はできるの?」

 日本共産党議長の志位和夫が教育について語っている。

www.jcp.or.jp

 この志位のスピーチでは、共産党の大学入試論・高校入試論も触れてある。前からの政策ではあるが、知らない人は驚くかもしれない。

志位氏は、世界に例のない、基本的に全員に受験を課す、日本の高校入試制度は廃止すべきだと主張。また、大学入試は1点を争う相対評価でなく、ヨーロッパなどの資格試験制度を参考にして競争的性格を改善し、絶対評価の制度に変えようと提案しました。

 それはそれとして、他の点で、ちょっとツッコミをいくつか。

 

高校の無償化

 「高校授業料の完全無償は本当に実現できる?」について志位が答えているが、大事なのは質問者が「私学も含めた高校までの完全無償化は本当に実現できるのですか?」という「私学」のところだろう。

 この↓産経の記事では私学を無償化した場合に副作用がないか、という疑問を呈している。要するに私学も公立もどっちも無償化したら私学に流れちゃうんじゃないのか、みたいな話だ。

www.sankei.com

 質問者はそういうことをどう考えたらいいのか、という意図だったのではないだろうか。

 しかし、志位の答えは“たたかいによって実現できる”というもので、どうもピントがずれているんじゃないかと思った。

 そして、高校生の子を持つ親として、上記の産経記事で福嶋尚子・千葉工業大准教授がコメントしているように、教科書代・制服代・修学旅行代などの授業料以外の費用の高さこそ心配なのだ。

「公立高に通う生徒の場合、1年間の教育費総額のうち授業料は平均で6分の1程度。制服や定期代、修学旅行費など授業料以外の負担が大きく、無償化はほんの一部にしかならない。授業料以外の費用負担に目を向けるべきだ」

 そのあたりにも志位の答えはない。

 

教員の長時間労働

 教員の長時間労働の是正について、共産党は先の2024年衆院選政策でも2018年に出した政策を詳細政策として紹介している。2018年政策が基本なのだ。2018年では4つ提案があったのが「定数増」と「残業代改革」にしぼっている。まあ、それは自公政権が過半数割れした新しい政治プロセス下でのより前向きな対応という焦点化なのだろう。

 

 気になったのは、この項目の最後、「7時間労働制をめざす」という話の流れだろう、「教員は自由な時間ができたら、良い授業をするために使ってしまうのでは」という疑問に志位が次のように答えたことが紹介されている。

 自由時間を授業準備にずっと充ててしまうのではないか、という心配だ。

これは素晴らしいことだと思います。教育という営みを豊かにするためには、人類の生み出した文化的遺産、科学の到達点を深くとらえるための活動が大切になるでしょう。それは自発的な意思にもとづく自由な活動として喜びにもなるでしょう。7時間労働となれば、教育の専門家として自己を豊かにする活動を行ってもなお、自分と家族のための自由な時間も保障されることになるでしょう

 「素晴らしいことだと思います」? 目を疑ってしまった。

 あまりにナイーブな回答ではないか。

 共産党は先の2024年衆院選政策で1日5〜6コマでは授業準備が非労働時間に食い込んでしまうという問題を取り上げて、

これでは授業準備などは退勤時間以降行わざるを得ず、長時間の残業が必至です。

と告発している。

 志位にしてみれば、授業準備の時間は労働時間内に保障すべきで、そのために必要な人員配置をすれば勤務中に十分な時間が確保できるはずだ。勤務時間中に十分に時間を保障した上で、それでもなお授業準備をしたいというのは自発的な意思にもとづくものだから、好きにやったらいいんじゃないか、むしろ素晴らしいことだ、と言いたいのかもしれない。

 だけどそうだろうか、というのが現場の実感だ。

 授業準備はどこまでやっても「これで完璧だ」というケリがつけられない、子どもたちに本当に理解してもらう、興味を持ってもらうために、これでいいのかと悩んだりするので晴れない気分のまま、休日に家で七転八倒する……というのがリアルなところだろう。こんなにきっぱりと分けられないはずなのだ。

 また、仮に本当に楽しくてたまらない時に、それは休日や家でやっていいものかどうかという問題でもある。これは例えば他にも大学の研究者が、熱心に自分の研究を寝食を忘れて取り組んでしまうという問題と同じであろう。

 やりがい搾取の一形態という問題もある。

やりがい搾取の具体例

②長時間労働の強要

労働者が自身の仕事に情熱を持ち、やりがいを感じていると、その熱意を利用して長時間働かせる場合。

(社会保険労務士法人クラシコのサイト)

 質問者が期待したのはそうした点を原理的にどう考えればいいかという視点だったはずである。志位の回答は、こうした原理的な問題に答えきれていない。*1



未来社会(共産主義)での教育

 共産主義社会では教育はどういう姿をとるのか、という質問だ。

 これはなかなかいい質問である。

 ここで答えられるべきことは、教育とは本来どのような目的を持った営為で、それに対して資本主義下ではどのように歪められているか、を簡潔に示すことだった。それがちゃんとできてるかな? という角度からチェックしてみようね!

 志位が、教育の目的を、旧教育基本法、そして新教育基本法にも引き継がれた「人格の完成」においたのは全く正しい。戦後教育がめざした進歩的なポイントを心得たものだ。

 戦前の日本の教育は国家の役に立つ人間を育てることが目的とされたが、そうした国家主義的に教育を歪めた結果が子どもを侵略戦争に送り出すような教育となったわけで、教育の目的は「人格の完成」へと変わった。

 文部省は戦後それを次のように解説している。

「人格の完成」: 個人の価値と尊厳との認識に基づき、人間の具えるあらゆる能力を、できる限り、しかも調和的に発展せしめること(「教育基本法制定の要旨」昭和22年文部省訓令)

 こうした人間の能力の発展観が、マルクス主義が共産主義における人間の解放としてめざす「人間の全面発達」とよく似ていることを、志位は解説している。この点はとても重要な点だと思った。

「人間は、資本主義のもとでは、与えられた条件に左右されて、本来持っている能力の一部しか発達させられないでいますが、資本主義をのりこえた未来社会のあるべき姿としては、持っているすべての能力を全面的に発達させることをめざすのが、当然の方向になります。そして、『未来の教育』は、そうした『全面的に発達した人間をつくる』――まさに未来社会のあるべき姿にふさわしい役割をもつことになるだろうというのが、マルクスの展望でした」と力説しました。

…志位氏は教育基本法第1条が「教育の目的」として、一人ひとりの子どもたちの「人格の完成をめざす」――発達の可能性を最大限にのばすことにあるとしていると強調。

…さらに、子どもの権利条約は「教育の目的」として、「子どもの人格、才能ならびに精神的および身体的な能力をその可能な最大限度まで発達させること」と規定していると指摘。「人間の全面的な発展こそ教育の目的だというのは、人類共通の国際的原理として発展してきています。いま一人ひとりの子どもたちの『人格の完成』という教育の本来の目的の実現のために力をつくしているみなさんの頑張りは、未来社会における『全面的に発達した人間をつくる』という教育の役割と地つづきでつながってきます」と語りました。

 「人間の全面発達」と「人格の完成」、さらに世界的な教育目的観の流れとの関係、結びつきを語ろうとしている点は、この講演の白眉と言える。

 こうした教育の本来的な目的は、しかし、戦後の高度成長、独占資本主義下で、「経済発展にどう役に立つか」という人間観、教育観によって歪められていく。戦前は国家、戦後は経済のための人間。何かの道具としての人間のいびつな発達。戦後教育運動や民主主義的な教育学はそういうものとたたかっていくわけである。*2

 

 惜しむらくは、科学的社会主義(マルクス主義)における教育の問題を語ろうとして、『資本論』の第一部第13章「機械と大工業」の話をしてしまっていることである。

志位氏は、マルクスは『資本論』(第一部、第13章、「機械と大工業」)で、「未来の教育」の役割として「全面的に発達した人間をつくる」ということを強調し、教育と生産的労働を結びつけることを重視したことを紹介。

 「未来の教育」が「全面的に発達した人間をつくる」という点まではいいんだが、どうして「教育と生産的労働を結びつけることを重視したことを紹介」までやっちゃうのか。

 これは、マルクスが生きていた19世紀には大工業のもとで児童労働が当たり前だった時代のものである。子どもが小さいうちから工場で働かされ、なんの教育も受けられなかった、そういう時代である。

 そうした中で、工場法ができ、教育条項が入って、子どもたちは工場に通いながら学校に通うようになる(あるいは工場の中で簡単な教育を受けられるようになる)。

 「教育と生産的労働を結びつける」というのは児童労働を前提として教育を語っているようなもので、このような時代の、きわめて時代制約の大きい教育観である。むしろ相当慎重な扱いをすべき命題だ。

 マルクスは「未来の教育」として人間の全面発達をめざしたということだけ述べればいいのであって、「教育と生産的労働を結びつけること」まで紹介する必要はない。そういうことをマルクス主義が目指しているのかと思って誤解をうむだろ。『資本論』勉強会あたりでは大いに話題にすればいいけど、教育懇談会で持ち出すテーゼではない。

 『資本論』のこの部分を解説した不破哲三でさえ、マルクスが草案を執筆した第一インタナショナル(国際労働者協会)のジュネーブ大会の決議も紹介しながら、

私たちは、一九世紀の条件のもとでマルクスが立てたこれらの教育論を、そのまま教条にして、現代の教育論にあてはめて語る必要はありません。(不破『「資本論」全三部を読む 第三冊』p.61)

と述べているほどである。*3



藤森毅の講演と比較して

 この志位講演の2週間ほど前(11月9日)、全国教職員日本共産党後援会が主催して「第2回JCPエデュケーションミーティング」というのが行われた(オンライン)。共産党文教委員会責任者の藤森毅が話をして、なぜかぼくも聴く機会があった(笑)。

 現場の政策責任者である藤森の話には、こうした志位の講演のような奇妙な「隙」がない。

 科学的社会主義と教育を語っているところも、「人格の完成」については語っているが、『資本論』の大工業の話などはせず、人格の提起がカントからあって、ヘーゲルがそれを没却しようとしたけど、カントをむしろ引き継いだのがマルクスであるという角度から語っている。そしてフォイエルバッハ・テーゼで見せたマルクスの人間観から教育の方向を述べているのである。

 この角度で問題を立てたのはユニークだとは思うが、他方で、志位の「人間の全面発達」の問題が入っていないのは、いかがなものかと思った。

 そのあたりは、まあ聞いた人が比較してみてくれ。

*1:共産主義社会では労働は生きるためにやむをえず行われる賃労働から、社会の必要や自分の意欲からを自覚した生き生きした自発的労働に変わる、というマルクスの命題を、志位は無意識に感じている可能性がある。「賃労働は、奴隷労働と同じように、また農奴の労働とも同じように、一時的な、下級の〈社会的〉形態にすぎず、やがては、自発的な手、いそいそとした精神、喜びにみちた心で勤労にしたがう結合的労働に席をゆずって消滅すべき運命にあるということ、これである」(マルクス「国際労働者協会創立宣言」/『マルクス インタナショナル』新日本出版社p.19)。だがここは志位自身が7時間労働制の話をしているのだから当然資本主義下での緊急の改革の話をしていることは明らかである。

*2:こうした道具的・一面的な目的に教育を従属させる教育観を批判し、人間の全面発達を中心に据えるということは、角度を変えると、子どもそのものを中心・真ん中においた教育ということだとも言える。「将来就職して会社でがんばれる人間になるか」という尺度で子どもを改造するのではなく、目の前の子どもが何に直面し、どう成長しようとしているかを考えるという教育観である。

*3:ちなみに不破もこの叙述の後に「教育と生産的労働の結合」について触れて「マルクスのこの精神は、大いに積極的に受け継ぐ必要がある」と述べているが、それはあくまで社会のすべてのメンバーがどうしたら物質的生産に参加するかという角度からの話であって、「未来の教育」の命題として「教育と生産的労働の結合」を受けつげ、という話ではない。また、前の記事でも書いたが、そもそも「社会のすべてのメンバーが物質的生産に参加する」という社会像自体に無理がある。

ブレイディみかこ『両手にトカレフ』

 小学校の頃、学芸会で野口英世をやったことがある。

 なんの役だったかはもう忘れたが…。

 貧困から勉学によって脱出し成功するというのは近代草創期の人生のモデルである。それを教育の現場でもこのようにガッツリと教え込まれる。

 「人生の成功譚」とか「人的投資の成果」という変換をしなくても、それを学習権としてとらえ直し、人が生きていく上で不可欠のものとしての学びを強調するという進歩的・左翼的文化もある。

 学生時代に学費値上げ反対運動などをやった頃、ちょうど山田洋次の映画「学校」がスタートし、学びを奪われるとはどういうことなのか、みんなで観ようぜという文化運動をやったこともある。

 なんども観ても感動があった。

 一緒にやっていた学生の活動家たちの多くはそうだった。

 だからなんども観た。

 友人で、今共産党の候補者をやっている男などは、もう映画冒頭に「学校」というタイトルが出てきただけですでに涙滂沱としていて、いや、それはいくらなんでも気持ちをのせすぎだろう、と大笑いしたことがある。

 

 だから、「学ぶ」ということは自分の中で特別な意味がある。

 お金がないために学ぶ権利を奪われてしまう・もしくは厳しく制約されてしまう現在の高すぎる教育費の状況は、自分にとって政治にとりくむ上で優先順位が高いテーマだ。

 

 学ぶことによって、人生が変わる。

 本を読むことで、ここでない新しい世界が開ける。

 

…というようなことは、信念のようなものとして、あるいは一種の憧れ的な神話として自分の中に流れているし、それは左翼の間もそうだけど、それだけでなく、資本主義を推進する側にもあって、共通する理想として存在する。

 歩きスマホの祖などと揶揄される二宮金次郎の像が日本中の学校にあるのは、いついかなるときも勉学に勤しみやがて成功した(出世し、社会も変えた)というモデルとして置かれているのだろう。

 

 

 本作は、イギリスの下層階級の女の子・ミアが主人公である。

 そして、そのミアが読む本が日本のアナキスト・金子文子の伝記であり、金子のおかれた状況に深く感情移入しながら(時には反発しながら)、両者の物語が交錯して進んでいく。

 

 ミアが生きている社会の下層ぶり、貧困ぶりが随所に描写される。母子家庭で、母親はドラッグに依存している。ミアは家事だけでなく、母親のさまざまな始末とともに、幼い弟・チャーリーの面倒をみる必要がある。いわゆるヤング・ケアラーである。

 

 この小説を読み始めて、最初に強く印象づけられたことは、本を読むような人間になれば「この世界」から脱出できる、というメッセージをミアがまわりの人たちから何度も受け取ることである。

 ミアが信頼している、共同食堂のスタッフであるゾーイからは、本を読む人間になれば自分のように生活に苦労することはない、と言われる。

 

「たくさん本を読んで大学に行けばこのような仕事をせずにすむし、こんな団地に住まなくてもすむ。一生懸命勉強して、こことは違う世界に住む人になりなさい」

 

ゾーイは、本をたくさん読んだら違う世界に住む人になれると言う。「本」と「違う世界」は、繋がっている。ミアはそう直感した。そしてそう思うと、頭の中にあった固い栓がぱっと開いたような晴れやかな気持ちになった。

 

 ミアがそうだったように、ぼくもそのメッセージをそのまんま受け取る。いやまったくその通りではないか、と。本を読むんだ、勉強するんだ、と。それによって「ここではない世界」に出ていくことができる。

 

 だけど、そうじゃないんじゃないか、ということが本作では最後に問われる。

 

ここじゃない世界に行きたいと思っていたのに、世界はまだここで続いている。でも、それは前とは違っている。たぶん世界はここから、私たちがいるこの場所から変わって、こことは違う世界になるのかもしれない。(p.210)

 この世界を置き去りにして脱出しろ、と勧めるのではなく、この世界を変えろ、というのがメッセージである。

 

 本作では、ミアのまわりには、ミアを支えてくれるかもしれない人たちが登場する。だけど本作の大事なところは、それでは全然ダメだというわけではなくそういう人たちがいてくれることでミアや家族はなんとかしのいでいけるし、他方で、かといって、その人たちがいてくれればハッピーというわけでもない、このままでは支えきれない、という感触が漂っていることだ。

 やっぱり社会を変えるしかないだろ、と左翼のぼくは思うのだが、そんな社会が変わる前に個人は潰れてしまう、それを必死で支えてくれる人がどうしても必要なのだ。

 「子ども食堂」を全否定したり、反対に、それさえあれば大丈夫(そんな人はいないとは思うけど)という二つの立場があるけども、この作品はその間にある、結論が出ない、イライラするような中間を諦めていない。そこがいいと思う。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 

 貧困において教育が果たす役割については、過去に記事を書いたことがある。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

問題が矮小化されるので、とられる〔政府の〕対策も「学習支援」が中心になります。個々の子どもの勉強が支えられることで、教育的不利が緩和されるようなとりくみがあることの重要性を、私はまったく否定するつもりはありませんし、むしろ大事だと思っています。しかし、それは同時に、個人の頑張りに期待することになり、「勉強ができないのは子どもが悪い」という子どもの責任論に転化する危険性があることもおさえておく必要があります。/そして、求められているのは、学習支援だけではないといい続ける必要があると思います。貧困は、経済的不利・経済的資源のなさが大きな問題であり、所得保障の観点がない貧困対策は貧困対策なのかという問題なのです。そうした対策は国際的にみれば通用しません。子どもの貧困対策法ができて、勉強を教えますといっても、それだけでは子どもの学習促進法になるわけです。(松本伊智朗2015p.216)

 自治体や行政は、「貧困の連鎖を断つ」という言い方で、教育によって貧困から脱出することを前面に掲げすぎて、一番大事な根本策をおろそかにしてしまうために、「抜け出せないのは勉強しないからだ」という自己責任につながっていく施策にさえなっている。

 そういうことを、理屈ではなく、小説として本作は提示している。

 

 この本はリモートの読書会で取り上げられたテキストだが、参加者の一人が「Tracy ChapmanのFast Carという曲を思い出した」と言い出してびっくりした。いや…ぼくにとって本当に久しぶりに思い出したというだけで、ここでその曲が持ち出されることは、意外なことではないのかもしれない。

 Tracy ChapmanのFast Carは、『両手にトカレフ』の世界そのものだと思う。

www.youtube.com

 和訳

https://after-tonight.hatenablog.com/entry/2021/07/21/232421

 

 他方で、Tracy ChapmanのTalkin’ Bout a Revolutionはこの小説の結論的なものを代表していると思う。

www.youtube.com

和訳

Tracy Chapman 「Talkin’ bout a revolution」 - 日々是好日