江森百花・川崎莉音『なぜ地方女子は東大を目指さないのか』

 ぼくは高校のとき模試で第一志望の国立大学についてE判定をもらったことがある。自分でも「うわー」と思ったが、なぜかそのままあきらめずに受験し、合格した。まあ、その大学のその文科系学部にはなぜかその年だけ受験科目に数学がたまたまなかったというめちゃくちゃ特殊な事情が幸いしたことは否定できないが。

 

 娘もそろそろ大学受験だが、第一志望にE判定を食らっている。

 食らっているが、あまり気にする様子もない。

 そのままうまくいくのか、失敗するのか、果てまたは志望校を変えるのか、それはよくわからないのだが。

 

 本書『なぜ地方女子は東大を目指さないのか』にはこの種の話が出てくる。

 本書ではタイトルの『なぜ地方女子は東大を目指さないのか』を探求しているのだが、その一つとして「安全志向」を考えている。地方女子と地方男子についてデータを取り、それを比較して、次のような考察をする。

つまりどちらも自分の「実力」の範疇の大学を選ぼうとは思っているものの、模試でD判定が出た時に、地方の女子学生には「自分の実力では受からないので、この大学は諦めよう」と考える人が多く、男子学生は「まだ狙える圏内だろう」と考える人が多いということです。(p.119/216)

 

ここから見えてきたのは、地方女子学生の著しい安全志向です。例えば、先述のように模試でD判定が出た時、地方の女子学生は「今から努力しても合格できる可能性は低い」=「自分には無理だ」と判断してしまうのも早く、さらに「無理かもしれないけれど、偏差値の高さにもう少しこだわりたい」とはならず、それが直接的な理由で志望校を下げる決断を下しやすい、ということです。(121/216)

 

 著者の一人である江森は、この問題について本書の中で「『合格可能性30%』とは何か」というコラムを書いている。江森は東大に入った女性なわけだが、DやEを取って「絶望」することがあったというのである。

 その時に江森はどう感じたか、精神的にどう対処したかを書いているのである。

加えてそこに、「D判定は合格可能性30%を表します」などと書かれていた日には、自分がその大学を受験するのは10回受けて3回受かるくらいの博打なのだなと思っても無理はありません。しかし、誤解の多いこの30%という数字ですが、そういう「個人が受かる確率」を表しているわけではありません。判定を見て一喜一憂する前に、指標の意味を理解しましょう。(114/216)

 

例えば、高2の夏に受けた模試の結果が、偏差値60で東京大学の判定がDだったとします。それは大まかにいえば、過去、高2の夏にその模試を受験し、偏差値が60であった学生のうち、30%が最終的に東京大学に合格した、ということなのです。つまり、今の学力で周りと比較してどうこうという話ではなく、その後の取り組み方次第で最終的に30人に入るか、残りの70人に入るかが決まるのです。「可能性」という言葉に惑わされると、今の自分が受かるかどうかという話に帰着してしまいがちですが、Aを取ったところで努力を怠れば落ちるし、Eを取っても地道に努力し続ければ受かります。こんな数字は指標に過ぎません。こんな指標のせいで、志望校を下げるか上げるか悩む方が無駄なのです。(114/216)

 なんというか、勇気が出てくるではないか。

 ぼくなどはただのアホだったので、まあなんとかなるだろ、とよく考えず、ただ無謀に受けていただけだったのに。

 娘にもこの箇所を読ませたいと思ったものだが、別に娘は自分の志望校のひどい判定について何も気にしていないようなので、そんな必要はまるでないなと思い直した。

 

 

 とまあ、本書は、決して表題についての無味乾燥なデータとその解析の本ではない。地方から女性として東大に進学し、わずか2割しかいないという現実の理不尽さを体験として味わい、その中で様々にもがき、苦しんだ痕跡をたどる記録でもある。

 「地方女子が東大を目指さない」という前提自体が「ドグマチック」ではないか、そんな課題自身そもそもあんのかよ、と男子学生から投げつけられる、その理不尽さに憤ったりもする。東大に女子が少ないというのは(しかも地方出身の)、男女平等な今の世の中において、結果としてあらわれた、なんの障害も障壁もない現実に過ぎないのではないかというわけである。

 

 その分析自体は本書を読んでもらうほかないのだが、冒頭の話に加えてもう一つ、ぼくが著者たちの生きた現実を感じたのは、“地方女子には進路選択上のロールモデルがいない・圧倒的に少ないせいではないか”という仮説の検証である。

 数字的な検証とは別に、著者の友人の言葉が、「手前味噌のような話で恐縮ですが」と断りながら次のように紹介されている。

 

一番身近にいた同級生が、真剣に東京大学を目指して勉強していたから、勉強をがんばるのがあたりまえになったし、自分も東京大学を目指してみようと思えた。最終的には、東京工業大学に進路変更したけど、一年生の頃から東京大学を見据えて共にコツコツ勉強してきたからこそ、合格できたと思う。東京に出たいという気持ちは元々あったけれど、近くにそういう存在がいなかったら、志望大学が東京大学や東京工業大学などの難関大学であったという自信はない。(105/216)

 著者たちは、こうした経験を通して、「実際に東京大学を志望し合格した女子学生」を身近に知ってもらうために高校の定期的な訪問のプロジェクトを手がけている。1回きりでなく、継続的に「知っている人(先輩)」になってもらい「ああ、こういう人が東大に行くんだ、こういう感じなら東大に行けるんだ」と体感してもらうためであるという。

 ぼくの知っている高校には近くの九州大学の学生が定期的にやってくる授業メニューがあって、たぶん似たような効果を目指しているんだろうなと思う。

 東大を目指す地方女子を増やすという点では、クォータ制などの導入などがしばしば言われるけども、著者たちが提案しているこうした方向は、自分の体験や現実のヒダに入り込んだ丁寧なものだという印象を受けた。

 

 著者たちは東大を冠した本が溢れていることや、テレビのクイズ番組などの影響もあって、「東大に行くのはものすごい人orめちゃくちゃ変な人」というイメージができてしまっていると考えている。そこで実際にそうではないことを身近な東大生(しかも女子)を見てもらうことで、わかってもらおうとしている。

私たち自身、東大に入ったらそういう大天才や、一見風変わりな人が多いのかな、と思っていたものです。しかし、実際に東大に来てみるとそんなことはなく、ごく一般的な学生ばかりです。/メディアは「東大には変人ばかりだ」ということを誇大に伝えがちです。…クイズ番組で連戦連勝の東大生たちを見て、「これほど博識でないと東大生にはなれないのではないか」と誤解しはしないでしょうか。(101/216)

 

 ちなみにぼくは逆であった。自分の行く大学は「変な大学」であってほしかった。

 ぼくの大学生活のイメージは五木寛之『青春の門』である。

 『青春の門』に出てくる大学には行かなかったが、「似たような大学」だと思ったところに行った。高校の担任がその大学を訪れてかわされていた会話とか雰囲気が、『青春の門』のように思えたのである。

 主人公はほとんど講義にも出ず、学生運動、労働(アルバイト)、恋愛に明け暮れ、ついに劇団を手伝ってドサ回りなどしてしまう。やがて中退…というもので、先輩の家に行くとメイエルホリドの本などが無造作においてあって「スタニスラフスキー・システムはだな…」と熱く夜通しで語るようなそんな生活を想像していた。今から考えれば一種の無頼気取りであるが、だいたいそのような生活を送った。最後はキャンパスにもおらず、大学を6年かかって卒業した。『青春の門』の主人公は、学生運動で凄惨な「査問」まで受けるのだが、そちらの方の体験は幸い学生時代には出遭わずに済んだ(ただ、卒業して30年経ってから見舞われるハメになろうとは思いもよらなかったが)。

 要するに「変な大学」なのである。「変」=ユニークであることが「個性」であるのだと思っていたし、そういう時代であった。

 江森・川崎は逆に「変な大学」であることを必死で否定していて、まるで逆だと読みながら思ったものである。

 

 なお、「そもそも東大や難関校に行くことが是なのか」という問題については、本書の冒頭で説明をしており、ある種の留保をつけてこの問題に取り組んでいることはあらかじめ知っておいてほしい。

 

 なお類書に、東大教授である谷口祐人の『なぜ東大は男だらけなのか』もあり、こちらも読んだ。

 

 こちらは、東大をはじめとする日本の大学が男だらけであった歴史を振り返っているのと、アメリカの男女共学化が東大よりもはるかに遅れて始まりながらなぜすでに男女同数を達成しているかについて、プリンストン大学の改革を例に考察している。

 社会の指導的な地位につく女性の割合の低さは、指導的な地位に人材を輩出する大学における女性の割合の低さに一つは起因しているとは言える。

 「大学だけでは解決しないよ」という意見がありうるが、それはそう言って何もしないことになってしまうので、社会のいろんな方面から女性の進出を後押しすることが必要だろうと思う。

 そう考えた時、『なぜ東大は男だらけなのか』の提起する入学の際のクォータ制も検討されるべき課題だろうし、『なぜ地方女子は東大を目指さないのか』で出されている地道な提案もまた取り入れられるべきプロジェクトだろうと思う。

 要は、いろいろやってみてようやく変わるということだ。

『黄昏流星群』における学芸員の描写及び『ミュージアムの女』

 「学芸員」と聞くと「え? 美術館の端っこで座っている人?」という聞き返しは定番だと聞く。

note.com

学芸員あるある過ぎて、今さら言うのもなんなのですが、「仕事は学芸員です」と言った時に十中八九聞かれるのが

「え、あの美術館の端っこに座ってる人?」

なんたって、私、自分の母親にも言われましたからね。

私:「母さん、学芸員になろうと思う」

母:「え、あの美術館の(以下略)?」

いや、息子そのために毎日大学院いって、勉強してるわけじゃないから…。

と、美術に興味ある人間がいる家庭でもそんな会話が繰り広げられるぐらいなので、日本人の半数がそう思っていても不思議ではありませんね。

 

 日本の学芸員は

www.bunka.go.jp

学芸員は、博物館資料の収集、保管、展示及び調査研究その他これと関連する事業を行う「博物館法」に定められた、博物館におかれる専門的職員です。学芸員補は学芸員の職務を補助する役割を担います。

とされている。

arthistory.r.chuo-u.ac.jp

 博物館の中でも美術館の学芸員の具体的な仕事としては、

作品の収集、展示、保存、調査研究から、企画展の開催、カタログ執筆、教育普及活動(教材開発、イベント開催)に至るまで多岐にわたります。作品ばかりでなく、常に人や社会と関わる活動的な仕事と言えます。特に近年では、美術の楽しさを伝える教育普及企画(ラーニング)に注目が集まっています。単なる解説を超えた、もっと積極的で面白いプログラムが生まれています。
大規模な美術館では、数十万人の来館者を相手にするビッグ・プロジェクトに関わることができます。一方、地域に根ざした中小規模館では、美術を仲立ちにした温かく息の長いコミュニティ作りに参画することもできます。

とされている。かなり専門的な仕事なのだということがわかる。

 ぼくも、リアルのつながりで知っている人がいるけども、詳しい仕事の中身を聞いたことはない。10年ほど前に呉市立美術館で『この世界の片隅に』について講演をした際にお世話になったこともある。

 

 他方で、「美術館などで壁の前に座っている人」には別の職務名がある。

 「監視員」である。

 

oshihaku.jp

監視員は、来館者が心地よく鑑賞できるように、作品接触、写真撮影、危険物持ち込みなどの防止のために展示室を監視しています。来館者の動きを観察するため、立つ、座る、移動することを繰り返し、美術品に近づきすぎる人には、「少し離れてご覧ください」と控えめに声をかけます。

その他、受付の補助や、来館者からの問い合わせに対応することもあります。

美術館では、作品の損傷を防ぐために、展示室内の飲食は禁止ですが、「せきが出るのでのどアメをなめたい」といった事情がある場合もあります。

「ルールを優先するため、すべて禁止」ではなく、気持ちよく鑑賞してもらいながら、かつ美術品を守るために臨機応変に対応することが大切です。

監視しているのは、実は人だけではありません。最も目を光らせているのは、虫! 来館者と一緒に展示室に入ってきたクモや甲虫など、どんなに小さな虫でも必ず捕まえて封筒に入れ、報告書を添えて保存担当学芸員に提出します。

 

 赤字で示したところでもわかるように、学芸員との役割やポジションが違う。

 実際上記の美術館サイトでは学芸員とは全く違うことも明示されている。

展示会の企画や運営などを行う学芸員と間違われることが多いけれど、実はまったく違う仕事をしているんだって。

 監視員のマンガもある。

 岐阜県美術館の監視員である宇佐江みつこ『ミュージアムの女』だ。

nlab.itmedia.co.jp

www.buzzfeed.com

 

 

 

 さて、そんな学芸員と監視員であるが、今号(2025年3月5日号)の「ビッグコミックオリジナル」に掲載された弘兼憲史の「黄昏流星群」は、新シリーズが始まり、主人公・守田かすみは50歳になった美術館の学芸員の女性である。

 1時間先の未来が見えてしまうことがある、という特殊な能力の持ち主という設定。学生時代に相談した教師から“好奇の目にさらされ、権力からも抑圧される恐れがあるから絶対にその秘密は漏らすな”と口止めされる。実際に、母親が親戚とセックスする現場をこの能力によって見てしまったこともあり、自分の能力に一種の恐怖や嫌悪を感じるのだ。したがって主人公・守田はその能力を内々で使いながらも、能力者であることを悟られないように生きてきた。

 弘兼は「ひっそりと生きてきた女」という形象を作り出そうとしたのである。「ひっそりと生きてきた女」の職業として学芸員を選んだというわけだ。

 かろうじて生きていける収入。定まった目立たない仕事。

 

 そして今号で描かれた守田の仕事の描写が下図である。

オリジナル3月5日号、小学館、p.48

 どう見ても監視員です。

 本当にありがとうございました。

 

 

 弘兼の『黄昏流星群』は前にも南信長が「ウーバーイーツ的な配達員」の仕事描写に疑問を呈していた。

 

 先の美術館のサイトでも

美術品が主役なら、監視員は黒子。見た目も、制服やスーツなどめだたないように装うのが基本です。

とあり、弘兼が描こうとしたものからすれば、学芸員ではなく、監視員の方が良かったのではないかと思う。

 上記の監視員の日常を綴ったエッセイ4コママンガ「ミュージアムの女」の第1話では、まさに合コンにおいて、監視員の役割を「端っこの方で座っている人」という(ある意味で正しい)職務認識をしている男性にうんざりしている様子が描かれる。

 そして4コマ目で

決してまちがいではない。

けどもっと他の言葉を返してくれる

オダギリジョーに似た人を

わたしは探しつづけています。

と落とすのは、まさに、今回の『黄昏流星群』テーマじゃね? と思わせる。

 

 もっとも、「ミュージアムの女」第40話を読むと、監視員が足りない場合は、職員(総務)が臨時で座ったりすることもあるようだが…。学芸員についても、「絶対に座らない」ということはないのかもしれない。

www.artlogue.org

 それにしたって今回の弘兼の『黄昏流星群』のシリーズはど真正面に学芸員の仕事をこういう感じで描いちゃっているので、大丈夫かなとは思う。

 シリーズは始まったばかりだから、次回以降に何らかのエクスキューズ(例えば目立たないことを信条としていたので、本来の学芸員業務ではなく、手の足りない監視員の業務をやってひっそりと生きてきたとか…。知らんけど)を入れたら成立するんじゃないかな。

 

いがらしみきお『人間一生図巻』

 実家に帰ると父母の昔話をつとめて聞くようにしている…ということは前にも書いた。知っている人の意外な面が現れたり、今とは違った価値観や社会のありようが描かれて、面白いからである。

 商売の成功話のようなものは定番の講談を聞くようなものだ。

 夕食や昼食を食べた後に数時間たっぷり聞く。もちろん現代の話もたくさん挟まれる。

 なんどもなんども同じ話を再話する。

 しかし、水の向け方によっては、知らないエピソードが入れられる。新しい鉱脈である。

 祖父の弟(叔祖父・おうおじ)は、足に障害があり、百姓仕事などできなかった。

 それで若い頃は刺繍を習っていたのだという。

 え、し、刺繍…?

 父の姉(故人)が習っていた刺繍が実家の玄関に飾ってあるが、巨大な虎や孔雀が絵のように刺繍されていて見事なものである。今でも刺繍作家というのはいるけども、昔は芸術の域でなくても、そういうもので生計を立てるということがよくあったのだ。

 しかし、刺繍のつながりからだろう、やがて叔祖父は古布(ふるぎれ)を行商するようになる。これが当たった。

 祖父の兄弟が手伝いに駆り出される繁盛ぶりとなり、ついに店を構えられるほどになった。学校のそばだったので、制服を売り出して、固定的な儲けを出せるようになった。

 そのころ、叔祖父の店の近くで行われる地域の大掛かりな夏祭りなどで、一族が集まる宴会が開かれ、小さかったぼくもそこに行くようになったので覚えている。

 しかし、やがて叔祖父の子どもの代になったが、あまり商才がなかった上に小さな洋品店などよほど工夫しなければ生き残れない時代になっていたので、そのうちに潰れてしまった。

 とまあそんな話を聞くのである。

 他にも、墓の横にある自分の家の墓誌。それを見ていると、全く知らない戒名がたくさん並んでいる。●●●童女とか、●●●孩子など書かれている。

 明治の初年かひょっとして江戸時代だろうか。

 あ〜、小さい時に死んだんだなあ、そういう人が結構いるんだなあとわかる。

 あるいは、家の古い戸籍(除籍簿)を調べていると、途中で養子に出されたりしている人がいる。父母も全く知らない。十代で養子に出されるってどんな気持ちだろう…。

 

 そういうことについ思いを馳せてしまう。

 短い記録には、短いだけに、いっそう人の想像を掻き立てるものがある。

 

 そういう記録は、普通どこにもまとめられていない。

 郷土の偉人ならともかく。

 反対に、犯罪のルポや死刑囚の記録などを読んだりすると、生い立ち、それもあまり幸せそうではないものがまとめられている。

 いっぷう変わった人なら自分の伝記くらいはまとめて自費出版をするだろうが、そんな人はあまりいない。

 つまり、「普通の人」の一生はなかなかまとめられないのである。

 

 だけど、例えば、長年職場で闘争してきたコミュニストの半生記などは、きっと面白いだろうと思うのだが、どこにもまとめられもせず、聞き取りも行われず、次々と鬼籍に入っている。

 いや、別にコミュニストでなくても、普通の人の人生はどこにも記録されずに次々と失われていっているのである。

 

 本作は、そのような人生の記録があたかもすべて書き留められており、それを任意に抽出して提示してきたかのようである。なんだ、こんなすばらしい簡潔な記録があったんだ! と思わず喜んでしまいたくなる。

 

 

 しかし違う。

 これは、作者いがらしみきおが創作したものだ。フィクションである。原始人から中世人、そして近代人から現代人、日本だけでなくアメリカからアジア、アフリカ、ヨーロッパに至るまでのさまざまなパターンの人の人生を8ページで次々に描いている。

 

 8ページといいうのがいい。

 起きている事件の一つ一つは、引き伸ばせばそれだけで一つの物語になる。

 しかし、いがらしは立ち止まらない。

 まるで履歴書のように、あるいは新聞記事のように、さらりと通り過ぎていく。

 殺人などは言うに及ばず、小さかったときに好きだった犬がゴミ箱で死んでいた、ということだって、それ自体ショッキングな出来事のはずだが、1コマで終わる。

 現在3話分だけが無料公開されている。

 

comic-action.com

 第1話は、生まれてすぐ亡くなってしまう子どもの話である。戦後直後くらいが舞台だ。先ほど述べたように、嬰児や幼児の戒名などを見つけてしまったり、あるいはぼくの家の除籍簿に次のような記述を見つけたりすると、いろいろ想像してしまう。

 また、この時代の出産は平安時代と比べても大して進歩しているわけではなかろうという気持ちにもなる。ぼくの娘は出産まで29時間かかって生まれてきたが、昔の医療なら母子ともに死んでいただろうなと感じたりする。そう考えるとセックスして終わりという男の「気軽さ」になんともやりきれないものを感じたりもする。

 そういうことがこの8ページでいろいろ想像してしまうのだ。

 いがらしのこの作品群は生まれてすぐの子どもの死で始まっているが、ことほどさように戦後の一定の時期までというものは、社会一般は乳幼児死亡の多さ——大量の子どもの死に特徴付けられていたのだと言える。

https://nenji-toukei.com/n/kiji/10061

 第2話は300万年前に生まれた人間の一生である。

 産み捨てられて、3歳までなんの理由でかわからないが育ててくれた女性がいたようである。突然その女性はいなくなる。なんでいなくなったのだろうと想像してしまう。飽きた…ということはないだろう。たぶん何か事故にあって死んだんじゃないかと考える。

 この人は3歳で湖に到達し一人で生きていった。

 3歳…で生きていけるだろうか。

 水辺に到達すれば魚とか蟹とか貝とかいてそういうものが豊富に手に入るなら生きていけるかもしれないな…などと想像する。フィクションなのに。

 この世界で初めて言語が誕生し、やがてほとんど使われずに個人の中で消えていく様子が描かれる。1400もの言葉からなる豊富な世界を構築しながら、それが個人の中で消えていくのは、今現実に個人の中に蓄積されている思考や世界観が、個人の死とともに消滅するのに似ている、と思ったりした。

 

 第3話は大正に生まれ、1980年代に亡くなった男の話である。

 セックスというものにうまく馴染めなかったが、やがて結婚して、相性が良かったのか「セックスはいいものだ」という感覚を得る。

 死んだ時に膨大なセックス日記をつけていたというオチ。

 一部が描写されているが、それ読んでみてえ…などと思う。フィクションなのに。

 どうしたら気持ちのいいセックスが得られるか、なんていうネット情報とか書籍があるわけでもなく、せいぜいホモソーシャルな男社会での猥談、それも相手にマウントしようするための不正確で歪んだ粗末な情報しかなかった時代には、(男権主義的でない形で)セックスがいいものだという境地に達することが奇跡だと言える。

 そして59歳で死んでいる。

 早いな、とは思うけど、1980年代初頭はまだまだ60で還暦を祝うような時代だから、「老人」は60歳からという観念のままである。60ギリギリで無くなるというのは早いと言えば早いけど、早すぎる、ということはなかったであろう、とか想像する。

 乳幼児の死亡率はすでに大きく改善されていただろうが、この人はがんが見つかって亡くなっているので、健診などを定期的に行うことは今よりも遅れていただろうから、中高年になってから病気の進行をうまく発見できずに手遅れになるケースは多かっただろうなと想像する。フィクションだけど。

 

 こんな感じだ。

 

 

 いがらしは「あとがき」で記録ではなく記憶だと強調している。しかしそこの違いにこだわる理由は今ひとつぼくにはわからなかった。ぼくからすれば、まさにこれは「記録」なのである。

 

 20人の人生が描かれているが、多くはなんとなくもの悲しさが残る。あいまいな記憶のようなタッチも効果を上げている。

 だけど、今自分が昔の人に話を聞いたりして回っているように、もう少しこういう「8ページで通り過ぎる人生」を読んでみたいと思った。

 ついでに言えば、いがらしがこの作品のヒントにした山田風太郎『人間臨終図巻』もいがらしの作品に触発されて買ってしまった。

 

(『人間一生図巻』は双葉社からご恵投いただきました)

『小泉悠が護憲派と語り合う安全保障』

 この本を作るにあたって、少しだけお手伝いをした。

 サブタイトルが「『日本国憲法体制』を守りたい」。

 日本国憲法第9条そのものについては改憲すべきではないかという意見を持ちながら、戦後憲法が育んできた価値観全体には必要性を感じ、「日本国憲法体制」を守ろうとする筆者が、9条を守ることを一致点にする「兵庫県九条の会」に招かれて講演・対話をしたその記録である。

 その対話については140ページほどしかない本書を読んでもらえばいいだろうから、ここではその中の一つの要素についてだけ思ったことをメモのようにして書いておく。

 もっと言えば、日本人が戦後に培ってきた思想や価値観みたいなものはないでしょうか。私はあると思うのです。日本が今持っているもののことを考えると、確かに日本に足りないところもあるのだけれど、持っているものもある。

 この問題を論じ合うと、右の議論も、左の議論も、どうしても全否定になりがちなわけです。日本はダメだと、右も左もそれぞれに言う。実際にダメな所はたくさんありますが、僕は、日本は六〇点か六五点は取っていると思うのです。いろんな国に行ってみると、日本は全然できていないと思う所もありつつ、日本の方が圧倒的に勝っている部分もあります。

 と言うと「どこが?」と言われたりしますが、まず日本は…(p.65)

 「今日本に点数をつけるとしたら何点ですか?」という発想は面白い。

 そのときに60〜65点をつける小泉の感覚は、おそらくぼくとそうズレてはいない。昔の大学の成績(優・良・可・不可)で言えば「可」、ギリギリ及第点*1。

 前に、ピケティとサンデルの対談本(『平等について、いま話したいこと』)でピケティが「わたしは平等と不平等について楽観的にとらえています」「世界じゅうに…長期的に見れば常に平等へ向かう動きがあったことを強調しています」と述べたことを紹介したけども、ピケティの近著『平等についての小さな歴史』でもその立場をまず冒頭で確認している。

人類は確実に進歩しており、平等への歩みは勝ち取ることのできるひとつの闘いだ(p.15)

 「今の世界は格差と貧困で真っ暗闇だ」と全否定するのではなく、まずは人類がどのような達成をしてきたかという到達点を確認している。ここまでやってきた、この流れに確信を持とうぜ、というわけである。まさに近代人としての楽観である。

 戦後は長く保守支配、自民党政治のもとにあった。

 しかしだからと言って、自民党とその支持者しかいなかったわけでもなく、社会はその人たちだけで構成されていたわけでもない。そこには左翼も大きな地位を占め、保守とのたたかいや均衡の中で、革新自治体をはじめ、国・地方での日本社会を形作ってきた。

 いわば戦後日本は、左派も含めた合作の結果なのである。*2

 そうした左派と右派の合作である戦後社会が、全否定されるべきものであるはずがあるまい。

 なにしろ左派の革命スローガン、例えば共産党のそれが「日本国憲法理念の実現」であり、右派、端的に言えば自民党はその革命スローガン(日本国憲法)のタテマエに沿った政治をしなければならなかったという、まことに珍妙な状況が戦後日本なのである。この革命スローガンは、日本社会の金看板として、保守政権のもとでも一文字たりとも書き換えられることはなかったのだ。

 

 これは安全保障についても同断である。 

 特にぼくは左翼に考えてもらいたいことではあるが、戦後日本が達成してきたことを、自分たちの運動が作り出してきたという点においてとらえなおし、その「体制的価値」をきちんと再評価すべきではないか。そのことをぼくは本書から学ぶことができた。

 

 あなたは、今の日本に点数をつけるなら何点にするだろうか。

 

※なお、本書のスタンス自体のユニークさは下記の小泉のインタビューを見てくれれば十分伝わるだろう。

www.youtube.com

*1:日本の「政治」でなく「日本」な。

*2:もちろん結果への責任・功績が平等にあるというわけではなく、右派・保守派である自民党が政権を担当して運営してきたわけで、その人たちの功績も責任もより重いと言える。

ジェフリー・ロバーツ『スターリンの図書室 独裁者または読書家の横顔』

 いやあ、面白い本だった。

 

スターリンの印象が覆る

 率直に言ってスターリンの印象が覆った。

 オビに「血まみれの暴君は『本の虫』でもあった」とあるんだけど、すっごい読んでいるんだわ。本を。もちろんぼくなど足元にも及ばない。どうもトロツキーやドイッチャーのスターリン観がぼくに忍び込んでいるので、“西欧的マルクス主義の伝統があったボルシェヴィキ第一世代、官僚実務になってしまいアジア的野蛮の代表格としてのスターリン以後の世代”的な印象が強かったんだな。

 でも「レーニンは西欧知識人的、スターリンはただの実務官僚」というようなイメージは、訳者のあとがきの次の指摘を読むだけでも変わる。

スターリンの伝記を書いたサイモン・セバーグ・モンティフォーリによれば、レーニンでさえ「読書量に関して言えば、おそらくスターリンにはおよばなかっただろう」と言うのです。(p.391)

 本書にはスターリンについて

権力のみならず真理を追究した優れた知識人(p.12)

二〇世紀で最も意識的に知識を蓄えた独裁者(p.13)

スターリン死後のソヴィエト指導者で、スターリンほどの知性を備えた人物はいない(p.383)

的な表現が頻出する。

 ベリヤの息子・セルゴーの証言。

彼〔スターリン〕は側近を訪問すると、その書斎に入って書籍を開き、実際に読んでいるかどうかを確かめた。(本書p.137)

 うわー…いやなやつ。(ぼくがやらかしそう)

 それくらいの本好きである。

 スターリンの蔵書研究は別にロバーツが最初ではなく1988年のユーリー・シャラーポフ以来たくさんあるようなのだが、多くの人がスターリンの蔵書研究の面白さや奥深さに魅了されている。

 スターリン研究者であり、ソ連共産党を除名され、また復党したロイ・メドヴェージェフは、スターリン批判直後はその影響を受け「スターリンは知性も貧しかった」と自著(『共産主義とは何か』)で書いている。

 しかし、ソ連崩壊後、

彼のスターリン観は大きく変わった。著作にはスターリンの恐怖支配に対する批判が残るが、スターリンの政治指導力、知的探求という肯定的な側面と均衡をとるようになった。(p.177)

として新たな自著(『知られざるスターリン』)で「高度の知性を備えていた」と書くようになった。こちらはソ連崩壊後のスターリン再評価が反映しているとロバーツは述べる。トロツキー的なスターリン評価からの転換である。

 やはりスターリン研究者であるウォルコゴーノフについてはこう書いている。

ドミートリー・ウォルコゴーノフは一九八九年に評伝『スターリンの心』を出版した。その一章でスターリンについて「並外れた知性」と述べ、トロツキーのスターリン観を一蹴している。(p.169)

 

なぜ「知的な読書家」があんな暴政を?

 しかし次のような疑問が当然起きる。

なぜ「知的な読書家」が無用な血を流したのか?

 これは本書のオビに大書された問題設定である。

 そして訳者(松島芳彦)はあとがきで率直にこう述べている。

実は本書を読了しても、まだ最も重大な疑問が氷解したとは言えません。これほどの知性を意識的に身に付けた人物が、国内において、なぜあれほど無用の血を流したのでしょうか? 著者〔ロバーツ〕は「人間の性を深く感得していたからこそ、人間がとる最悪の行動に思いを馳せ、裏切りや背反を数多くでっちあげたのだ」と書いています。(p.393)

 しかしこの答えは十分ではないと思っているようで、だからこそ今後もスターリンの知的生活の部分への探求は尽きないのだという結論で終わっている。

 ただ、知性というものについて、松島は、その少し前のところで、ロバーツの上記の見解もおそらく意識しながら、こう述べているのは一つのヒントだろう。

知性は「善」という立場をとれば、スターリンを最高の知性とみなすことに強い抵抗を感じるのは当然でしょう。しかし本書が論証しているように、スターリンにとって知性とは「善」ではなく「力」であったのです。あの胸が悪くなるような「見せもの裁判」の詳細なシナリオさえものが知の産物でした。(p.391)

 それはマルクスの「理論もそれが大衆をつかむやいなや物質的な力となる」に根ざすものであり、共産党の事務所によく宮本顕治の書いた色紙が今でも貼ってあったりしてそこには「知は力」と大書されているのだが、それを彷彿とさせる。

 ヤスパースの有名なトリレンマ、「三つの性質がある。知的・誠実・ナチス的だ。これらのうち、合わさるのは常に二つであって、決して三つ全部が合わさることはない。人は、知的で誠実であってナチス的でないか、あるいは、知的でナチス的であって誠実でないか、あるいは、誠実でナチス的であって知的でないなのかのいずれかなのだ」*1をも思い出させる。「知的でナチス的」であることはありうるのだ。

 もちろん、知は必ず力に結びつくというわけではない。

 読書の中で「いろんな立場があるんだな」と思ったり、「人生は多面的に物事を見るべきなんだろう」という気づきや諦観を得たりしていくことも多いはずだ。それは多様な人との共存という善性に結びついたりする。むしろ力とは逆のものだ。

 文学はそうしたものに結びつきやすいとは思うのだが、一般的に文学をよく読んでいる人が必ずしもそうならないという事実と同様に、スターリンは熱心な文学の読み手であったが、それは善性へとは結びつかなかった。

 スターリンの文学読書量についてのグロムイコ(ソ連の外相)の証言。

文学に関する彼の好みについてだが、読書量は大変なものだった。それは彼の演説にも見て取れる。ロシアの古典について博識だった。特にゴーゴリ、サルトゥイコフに詳しかった。また私が知る限り、シェイクスピア、ハイネ、バルザック、ユーゴーも読んでいたとりわけ、ギ・ド・モーパッサンが好きだった。ほかにも数多く、西ヨーロッパの作家を読んでいた。(本書p.310)

 それはなぜか。

結局は社会の枠組みの中の一個人であったということではないか

 反対者・競争者の存在は、一般的にはその人の思考の枠を広げ、度量を大きくし、その人の思想を豊かにしてくれる場合もあるが、逆にいよいよ狭量になって粗探しだけをするようになっていく場合もある。昨今のネットやSNSなどを見ればそれはよくわかる。

 スターリンは、政敵であるトロツキーをよく読んだ。スターリンの蔵書には、マルクス主義者の著作が分類されているが、マルクス、エンゲルス、レーニン、カウツキー、プレハーノフの次の6番目で、それを「深く読み込」(p.193)んだ。

スターリンは疑いなく教条主義的なマルクス主義者だった。だが、自らのイデオロギーを盲信してはいなかった。マルクス主義の枠にとらわれずに、多様な著作や思想に接する度量があった。政敵を猛烈に憎悪しても、彼らの著作は注意深く読んだ。(p.39)

 しかし、こうした競争はスターリンの知性を善や多様性への寛容へとは導かずに、抑圧・専制を強化する方向に作用した。

 それはなぜか? という答えは、「スターリン体制だったから」という他ない。

 スターリン個人の中だけにそれを探してもあまり意味はなく、まさにボルシェヴィキの一党独裁からスターリン体制の成立の中で、スターリンの知性はそれをどう維持し、支えるかということにしか使われなかったからである。スターリンを取り巻いていた社会環境が大きく作用したというべきで、そこを個人の中だけで原因探求することにあまり合理性はないだろう。

 結局は社会の枠組みの中の一個人であったということではないだろうか。

 だからこそ「読書してもスターリンみたいになるので無駄だ」という一般的結論を引き出すのも明白な誤りなのである。

 

余談

 以下は余談的な感想。

 本書の細部は無数に面白いことがあるが、それを全部紹介するわけにはいかないので、2つだけ。

 一つは、大テロルをスターリンの頭の中での整理。

 スターリンによる血塗られ大量弾圧が知的読書生活に反せずむしろその結果であったとしても、スターリンの頭の中で大量弾圧そのものはどう合理化されていたかという問題だ。

 なんでもかんでも「トロツキストの陰謀」だの「トロツキー・ジノーヴィエフ合同センター」だのそことの「外国との結託」だの、そんなことを本当に真面目にスターリンが信じていたのだろうか。

かつてソヴィエトの政治を主導した人物たちが実際に罪を犯していた、とスターリンが信じていたとは思えない。強いられた自白の途方もない内容も信じてはいなかっただろう。…議論の余地は残るものの、スターリンは反ソヴィエトの陰謀が存在すると固く思い込んでいたのだろう。だが自白の細部を信じるかどうかは全く別の問題である。(p.212)

 国内における一九三〇年代の残忍で大規模な弾圧は、ソヴィエト国家に対して切迫した脅威が存在するというスターリンの思い込みに由来した。(p.381)

 ロバーツによれば、つまり「国内での反抗と外国の呼応によるソ連体制の転覆の危機」くらいの大ざっぱなストーリーはまじめに信じていた(思い込んでいた)が、そのストーリーを強化する細部はどうでもよかった、ということなのだろう。

 体制への不満と、外国がそれを利用しようとしているということ自体は根拠のあることだろう。つまり一定の現実なのである。そこに過剰なアレルギーを発したということだ。

 逆に言えば、スターリンは別の意図を隠して大量弾圧をしたとか、病気的な妄想だったとか、スターリンは操られていただけだとか、そういう議論ではないということである。

 そのことの当否は即断できないけど、ありそうな話だなとは思った。

 

 もう一つ。「善かれあしかれ党は党である」。

 トロツキーの1924年の第13回党大会、つまりトロツキーがまだボルシェヴィキの正式な一員であった時の、次の言葉が本書では紹介されている。

同志諸君、党に反対する者は誰一人として、正義を願い正義を唱える資格はない。最後には党がいつも正しい。なぜなら党は労働者階級が手にした歴史的な手段であるからだ。……イギリスには、“善かれあしかれ祖国は祖国”ということわざがある。はるかに確かな正当性を以て我々は、こう言おう。“善かれあしかれ党は党である”。(p.205)

 ロバーツは、この言葉を、ボルシェヴィキが真理を独占しようとする独善性の現れとして書いた。スターリンと彼が率いる多数派が政敵を悪魔化して描くのは、こうしたメンタリティの表出なのだと。

 しかし、これは「いつも党は正しいことを言っている」、いわゆる無謬であり誤りを認めないという話とは違う。

 党は時々に間違うけども、最終的にはそれを是正して正しい道に戻ってくる、そういうメカニズムを備えた機構なのである、という確信だ。「党に反対する者は…」というのは、党の多数派の意見に反対するという意味ではないだろう。

 これは、党という是正機能をもつ機構(機械)を離れて、党そのものに反対するようになればその人は真理には到達できないよ、という意味だと思う。

 トロツキーが追放された後の1930年代にソ連国内での大量弾圧とともに、ファシズムへの対応でスターリンや共産党が間違いまくり、トロツキーの「予言」はこわいくらいにピタリピタリと当たり、トロツキーの名声自体は上がっていった。しかしそれでも共産党・コミンテルンの隊列を離れる人はほとんどおらず、トロツキー派の組織は実体のない「影法師」(ドイッチャー)のような組織でしかなかった。

 これは日本の共産党員の中にも少なからずある信念だ。特に古参ほどこの観念は強い。

 50年問題のようなめちゃくちゃな誤りをしても最終的には是正される。ほら、同性愛について間違った発言も数十年の歳月を経て是正されたじゃん? のような。だから、今幹部がかなりひどい誤りを仮にしているなあと感じていたとしても、党そのものから離れることはなかなかない。そこから離れては、「正義を願い正義を唱える資格はない」と感じるからだろう。「最後には党がいつも正しい」からだ。

 だが、本当にそうなるだろうか。

 是正する装置が壊れていたらどうなるだろうか。

 そのまま壊れて終わるのである。

 ソ連は、トロツキーの「予言」の後、トロツキーが暗殺され、ナチス・ドイツに対するソ連の勝利という、もっとも劇的なスターリンの人生のクライマックスがその後にやってきて、トロツキーは間違っていたことが証明され、忘れ去られたかに見えたが、その後数十年かけてソ連共産党の破産(解散)とソ連崩壊によって「予言」は実現してしまった。

 是正する装置が壊れていったのである。

 ソ連はそれが数十年かけて続いた過程だったが、果たして日本の共産党ではそこまで時間の余裕があるのだろうか。

 

 なお、p.292の「そうではなない」は「そうではない」、p.353「物資的」は「物質的」の、それぞれ誤りと思うがどうか。

*1:Spiegelの1965年11月号に掲載。加藤和哉によった。

ハン・ガン『少年が来る』

 光州事件を自分が小説にするとしたらどうする?

 …という不遜きわまることを考えてみた。

 たぶん事件の全体像を先に書いてしまう気がする。または、無意識にそのことを考えて時系列で書いてしまうんじゃないだろうか。

 つまりどうしても鳥瞰——巨視的なものから入ろうとする。

 だけど、本作『少年が来る』は徹底してミクロ——虫瞰である。

 ぼくが一読して最初に印象に残ったのは第二章「黒い吐息」と第五章「夜の瞳」だ。

 第二章は、光州事件で殺された人々が死体を軍に持ち去られ、積み上げられたのだが、その殺された人の魂の視点で書かれている。

 僕たちの体は十文字状に幾重にも折り重なっていた。

 僕のおなかの上に知らないおじさんの体が直角に置かれ、おじさんのおなかの上に知らない兄さんの体がまた直角に置かれたんだよ。僕の顔にその兄さんの髪が触れたんだ。その兄さんの膝裏が僕の素足に掛かったんだよ。なぜそれを全部見ることができたかというと、僕の魂が僕の死んだ体にぴったりくっついてゆらゆらしていたからなんだ。(p.59)

 草虫が羽を震わせて鳴いていた。目には見えない鳥たちが高いトーンでさえずり始めた。黒い木々が風に揺れながら、葉がまぶしげにさやさやとこすれる音を立てていた。青白い太陽が昇ってきたと思ったら、猛烈な勢いで空のど真ん中に向かって突き進んでいった。茂みの後ろに積まれた僕たちの体は今、日差しを浴びて腐りだした。血がどす黒く固まった部分にウシバエとコバエの群れが飛んできて止まった。そいつらが前足をこすり、這い回り、また降りてきて止まるのを見つめながら僕は自分の体の周りでゆらゆらしていた。体の塔に君の体が挟まれていないか捜してみたかったけど、夜中にちらちらと僕をなでさすっていた魂の中に君が居たのかどうか確かめてみたかったけど、磁石でくっついたみたいに自分の体から離れることができなかった。青白い自分の顔から目が離せなかった。

 そうこうして正午近くになったとき、ふと気付いたんだ。(p.63)

 殺された人の人生を振り返るのではなく(いや振り返ってはいるが)、死体そのものに思いをはせる。死体がどのように奇妙に積み上げられ、どう腐っていったか、どんな種類のハエがそこをどう動いたか、それを瞬間でなく、時間を追いながら想像する。 

 しかも魂に何か独特の法則があるかのようにして。

 魂が体からどう離れられなかったかを微細に描き、やがて体をガソリンで焼かれた後に魂がその場を離れるようになった。そこまでを描いて、魂を鎮めることができるのだと作者は思ったのだろう。

 魂は存在しないし、ゆえに魂にそんな運動法則があるわけではない。

 魂が死んだ後どうなるかを描いた虚構はあるけども、そこから離れた体が目の前で腐り、資材のように扱われたその現実と結びつけたものはあまり知らない。

 「魂を鎮める」とはあたかも客観的な魂というものを操作しようとするかのようだけれども、実際には、殺されてしまった人のことを、その事実を知った人の心の中でどうやって想像して位置付かせるかということだ。

 本書の表紙は大きなろうそくが描かれていて、本書の随所に出てくるが、それは鎮魂の象徴でもある。本書の大きなテーマの一つが鎮魂であり、殺害され死体となってしまった人を、その人の人生と結びつけながら、しかし殺されて物質となったその事実からは逃れないようにして描いた一つの結果がこの描写なのだ。

 こんな描き方もあるのか、と思いながら読んだ。

 

 一読して、石牟礼道子『苦海浄土』を思い出す。

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 あたかも憑依したかのような視点を駆使して、現実とも虚構とも、散文とも詩ともつかぬその調子がよく似ている。

 もう一つ、こうの史代『この世界の片隅に』『夕凪の街 桜の国』を思い出す。

 『少年が来る』はリモート読書会で扱ったのだが、こうの史代に似ていると言った人が複数いた。ぼくは逆で、こうの史代を思い出したものの、それはこうのとは違うという意味で思い出したのである。

 こうのは、「我が子の死」や「パートナーの死」を描かなかった。『この世界の片隅に』では、義理の姪の死と自分の右手の喪失を描いたのは、「我が子の死」や「パートナーの死」に特権的なものがあり、体験をしていない自分がそこに踏み込むことへの意識的な謙虚さがあったからだとぼくは思っている。

 ところが、ハン・ガンは、そうしたラインを踏み越えて書いている。それが悪いというのではなく、ハン・ガンの一つの決意であろうし、また石牟礼のようなある種の野蛮な熱情でもあろうと思った。あるいは、大田洋子や井伏鱒二のような原爆や戦争を直接体験をした世代の文学を思い出した。

 読書会では、その違いについて、ハン・ガンと光州事件の近さ、こうの史代と原爆の遠さの違いではないかという指摘もあった。ハン・ガンはぼくと同じ年代で、光州事件のときは10歳前後だった。こうのもぼくと同じくらいの世代だが、原爆投下や空襲は自分の生まれる四半世紀前の出来事である。

 

 こうのと同じようなものを感じた、といった人は、全体の抑制とともに、最後に希望と言えるのかどうかわからないけど、かすかな明るさをにじませる、あるいはにじませたいという点を挙げていた。

 そうかな、と思った。

 こうのが描くラストの明るさは、本当に明るいものだ。『この世界の片隅に』で原爆孤児が拾われるというラストは実際にあった精神養子運動を背景にしたもので、そこで社会的な善意と自主的な運動の展望がじんわりと、実に自然な感じでにじみ出ていた。

 

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 しかし、ハン・ガンが示すものはそれほどまでに明るいものではない。

 作者がまずこの事件で死んだ人や、残された人をどう描くかで精神をはち切れんばかりにさせている、その余裕のなさは、とても「明るい」ラストを描けるようなものではなかったと思う。

 終わりの方で、作者と事件の距離感、そしてまずあらゆる資料を全て読み込んだ後で、体験者の思いをどう引き取るかについて書かれていて、そのことがわかる。

 こんな描き方があるんだな、と今は思うしかない。

 

辻井タカヒロ『持ってたところで何になる?』

 なんでそんなものを捨てずに持っておくねん、というものを持ってしまっていることがある。

 ぼくの場合、棚を組み立てるネジとかがそうだ。

 いやもう明らかにその棚ないでしょ、というやつのネジも捨てずにとっておいてしまっている。どの棚のネジかわからないので、「あっ、これ、やっぱりこの棚のネジやん!」っていう日が来るかもしれないと思うからである。しかしそんな日は永遠にこない。絶対に来ないのである。

 だが…1回くらいそういうことがある。ネジではないが、保管しておいてよかった! みたいな場合。あるいは逆に、「ううっ、最近捨てちゃったよ。あ〜あれとっておけばよかった…!」。マーフィーの法則。

 そんなこんなで捨てられない馬鹿なものが多い。

 

 つれあいの場合は福袋を買った時に入っているしょうもない帽子とか服である。

 その色、どこで着るの? みたいなのとか、そのスカート、完全に樹脂の筒やろwwみたいなのがある。

 捨てるほかないのだが、「我慢して5回身につけたら捨てる」みたいな誓いを立ててしまっているので、そんな危険なものを身につけて外に出るわけにもいかず、いつまでも捨てられないのである。

 

 そんな「ワケあり」で捨てられないものが家にはあるはずだ。

 本作品は、京都の革新系地方メディアの「京都民報」に連載されたエッセイコミックである。

 本作でも「捨てられないネジ(と釘)」の話は第8話に出てくる。

 

 

 

 家族構成が夫・妻・娘で我が家によく似ている。

 こんなしょうもないものをずっと持ち続けています、というエッセイなんだけど、「こんなしょうもないもの」に驚くというほどの「しょうもなさ」の極限というわけでもない。むしろ「なんで俺、これ読んで笑ってんだろ」と不思議に思うのだが、オチで娘や妻が夫にやるしつこいツッコミについつい笑ってしまっていることに気づく。

 クリアファイルをためてしまって捨てられないという回では、夫がこんなにたくさんもらいもんのクリアファイルを持っているというのに、娘がクリアファイルを買うからお金をくれなどと不届き千万なことを言い出すあたりから話が始まっている。

 そら、俺がこの夫でも自分の持っているクリアファイル——キャンペーンのために絵や写真やスローガンが大書してある——でええやんって勧めるわとしみじみ思うのだが、使う方は迷惑な話でそんな絵やら文字やらがごちゃごちゃ書いてあるものは困るのである。困るから拒否するのだが、夫氏はしつこい。しつこいのにしつこく断る様につられて笑ってしまう。

 そして恐ろしいことに、ぼくもクリアファイルが捨てられない。

 めちゃくちゃたまっている。

 どうかすると同じファイルを5年くらい使っている。テープで補修したりして。

 そんな感じだから、消費されずにたまる一方だ。

 そしてやはり娘に押しつけるのだが、娘は「無地がいいんだけど」と言って受け取らないのである! デジャヴ。

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