花木五倍子(はなきぶし)
2024/03/22 Fri
五つ玉そろばんの日々花木五倍子
(いつつだまそろばんのひび はなきぶし)
Muku
Stachyurus praecox flowers (キブシの花)
Season Word of the Day (今日の季語)
木五倍子(きぶし)の花:春 子季語:花木五倍子
「キブシ(木倍子・木五倍子)、学名: Stachyurus praecox または Stachyurus praecox f. rotundifolius)はキブシ科キブシ属に属する落葉低木。キフジ、コメブシの別名がある。和名は果実をヌルデの虫えい(虫こぶ)でつくる五倍子(ふし)の代用品として、黒色の染料(お歯黒)に用いたことから名付けられている。また、花穂がフジの花に似ていることから「藤」となり、転訛したという説もある。」(参照:Wikipedia)
「木五倍子は雌雄異株で、三~四月、葉に先駆けて穂のような花をたくさん垂らす。一つ一つの花は鐘形で淡黄色。谷間でよく見かける花である。」(参照:角川書店編『合本俳句歳時記』第五版)
角川書店編『合本俳句歳時記』第五版には収載されている季語ですが、念のため参照してみると、第三版には収載されていませんでした。古い『季寄せ』にも収載されていなかったのではないでしょうか。不思議な気がします。
ここからは話が脱線します。小学校五、六年の頃から中学一年の頃までだったと思いますが、クラスに「キブシ」という珍しい苗字の女の子がいました。名前には「房」の字がついていました。父親の仕事の都合か何かで余所から転校してきた子でした。大人しい子で口を利いた記憶もありませんが、とても垢抜けた感じがする子でした。中学生になったある日、二階から勢い良く階段を駆け下りたところ、階段を上ろうとした子が一階の廊下の陰からいきなり現れ、その子の上に覆いかぶさるように正面衝突してしまいました。幸いその子に怪我はありませんでしたが、キブシの花を見ると今でも、苦しそうな表情を浮かべてしばらく廊下に倒れていたその時のその子の顔を思い出してしまうのです。ほどなくして、その子はまた余所へ転校して行きました。その子が転校していったのは私が原因だったのではないか、と今でも罪悪感に駆られるのです。
きぶし咲き山に水音還り来る /西山睦
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テーマ : 渡邊むく俳句ブログ~まあおたいらに~
ジャンル : 学問・文化・芸術
コメント
むくさん
昨日のお話とても勉強になりました。
ありがとうございます。
17文字に「日本の心」が映る素晴らしい文学ですね。
木五倍子は染色に使用しますが、
「五玉そろばん」とは、どこから発想が飛ぶのでしょう!
楽しくて、とても勉強になるお話をこれからも楽しみにしております。
日本の心
> 昨日のお話とても勉強になりました。
> ありがとうございます。
こちらこそ、励みになるコメントありがとうございます。
> 17文字に「日本の心」が映る素晴らしい文学ですね。
> 木五倍子は染色に使用しますが、
> 「五玉そろばん」とは、どこから発想が飛ぶのでしょう!
> 楽しくて、とても勉強になるお話をこれからも楽しみにしております。
私が俳句を始めたのは50歳を少し過ぎてからで、インターネット上でのことでした。
そんな経緯もあるからでしょうか、今でもインターネット上でないとなかなか俳句を作る気になれないようなところがあります。
まあそれでいいか、と思っていますが。
振り返ると、私にとっての俳句は、tanbattukoさんが仰る「日本の心」を見つめ直す旅だったように思います。
今を中心にして考えると、長年外国を放浪したり英語屋として世を渡ってきたことは、「日本の心」を見つめるための土台作りをしていたことなのかも知れません。
浅学非才ではありますが、俳句を続ければ続けるほど日本語や日本の文化の美しさ、奥深さにますます魅了されるばかりです。
俳句や文学に限らず、多様な文化百般について、知る楽しみが尽きません。
僭越ながら、tanbattukoさんもきっと同じように、日々の創作の中でさまざまな日本文化のことを想っていらっしゃるのだろうな、という思いがよぎります。
ともあれ歓喜の春が巡ってきました。
日々を思いきり楽しくお過ごしくださいませ。
コメントありがとうございました。