2025年1月11日 (土)

透水さんの句集を読む

透水三との付き合いは20年近くになる。

私が「銀漢亭」に行くようになってからだ。

当時は、跳んでる句も多かったが、最近は堅実な客観写生が多い。

それでも、ただの写生句でなはい、味わいがある。



春光を縦糸として杼の走る

紫陽花に夢といふ色加へけり

少年の痒がってゐる芽吹きかな

サイレンの真赤な音や春の雪

和太鼓に集まつてくる鰯雲    高橋透水『水の音』



師・伊藤伊那男先生曰く、「独特の視点と、表現の飛躍、転換の妙」である。

飄々とした味わいとも言えるだろう。

あの味わいを学びたいものだ。

 

 

 

2025年1月 8日 (水)

本当に9連休の正月だった

体調イマイチで、12/28からの連休、ずっと家にいた。

寒かったこと、転ぶのがこわいこと、

などで引きこもりだ。

明日から少しは動こう。

「疲れたら動け」とも言われる。

 

生と死を七草粥に混ぜてゐる 「凍蝶の石」より

2025年1月 3日 (金)

2018年10月 帷子耀再び

再び帷子耀

帷子耀が登場したのが1968年。現代詩手帖賞受賞が1970年1月。
私が彼の詩を目にしたのは、高校三年生ぐらいだった。当時はまだ宇和島に何軒か書店があり、そこで現代詩手帖を手にした。
 
あまりにわからないのでそのままにしていたのだが、1971年の春に上京し、早稲田の古書店街で1970年当時の現代詩手帖を買って帷子耀の作品に触れてからは、
古書店でバックナンバーを漁った。
 
作品が掲載されている「号」はほとんど持っているのだが、1970年7月号だけがない。だがそこに掲載された作品は(手帖賞受賞後である)、1970年12月に「アンソロジー」として掲載された。
 
以下はその「瞳冒瀆」の冒頭。
「ふる卵のへりで~」にも言えるのだが、一見言葉を無意味に並べているようで、裏に七五調が隠されていたりする。

この「瞳冒瀆」も、韻が踏まれている箇所が多い。

------

瞳冒瀆

眼のようにすべては明るい
眼のようにすべては見えない(瀧口修造)
 
 
 
   *
 
しんかんと鳩胸しぼる火酒もて
あやめあぐねよ
膿めるあなたは
むずがゆく火の手に孕む不倫
 
そのまどろみゆめみずくちびる追われた
草笛に荒れてほつれる帝国のバッハ編みなし
はばたこうとする
 
ぬるい性!
はばたくなら指腹婚領((ラビ・イバ)
ふたなり割らぬ兎口ばかりで受肉する
 
花鋏みたもう主を遊び
拝火となって昂ぶれる節狂れた悲鳴
あくまで淡く
まみれてよハーモニカから噴き出る黙秘に
 
   *
 
膝をつき
新約にさす岩清水 されば
華やぐ膝をつきだし
 
ひとりでの私服失明さらば薔薇
さらばさなかに背にかしたる辺境で
朝を集める
失楽のあなたの四肢をバベルは欲した
 
非行する!
牌と貧しい混血を売り生き急ぐ伏字よつづれ
火喰鳥 ひくくさいなむ
ひとだまのつま 封臓に招かれはせぬ
 
草々としたためたくて
バーベルに
種子を与えたしみいる修辞

 
------
「意味」を求めようとすると、帷子耀の詩は「わからない」で終わる。
たとえば最後の、
 
バーベルに
種子を与えたしみいる修辞
 
とは、どういうことなのか。

ただ18歳の私は、この言葉の羅列に、完全に参ってしまったのだけは事実だ。


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10年ほど前につくった。
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謹賀新年

謹賀新年

今年もどうぞよろしくお願いいたします。


万両やいつかここまで来た記憶  一行 『凍蝶の石』より

 

 

2024年12月21日 (土)

帷子耀のこと








告知が遅くなりましたが、ひょんなことから
私のブログの中の「帷子耀」氏に関する文章が
詩人の金石稔氏の目に留まり
「帷子耀風信控」という本の中に掲載された。
以下は、掲載された、2年ほど前のブログの文章。
帷子耀の詩集は、付き枝の上にどかんと置いてある。

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私が高校2年ぐらい、詩を書き始めた頃、
「現代詩手帖」に彗星のようにあらわれた詩人がいた。

帷子耀(かたびらあき)

何度その詩を読んでもわからない。
驚いたのは、初めて投稿欄に登場したのが中学生だったことだ。
おそらく私より1、2歳下だろう。

その詩を見ながら、私は絶望的にさえなった。

 家霊ら泯ぶ血の栄ら
 塩のみ餮饕した蜘蛛ら
 羶き受罰ら大黒柱ら鼠ら
 花序の無限の無の花の果て
 …………

 各行、1文字ずつ増えていき、途中から1行の文字数が同じになる。

 とにかくさっぱりわからない。というより読めない。いま、漢和辞典を引っぱり出して調べてみると、
「泯ぶ」は「滅ぶ」の意味らしいし、「餮饕」は「てつとう」と読み、両方とも「むさぼる」という意味の漢字らしいし、「羶き」は「なまぐさい」と読ませるらしい。

 中学三年から高校1年の夏、彼はどんな思いでこの、誰も読めない字を原稿用紙に書き付けたのだろう。おそらく深い意図などなかったに違いない。

誰も読めない字を詩に紛れ込ませることの快感のようなものだけだったろう。

 帷子耀は1968年の4月号の新人投稿欄で初めて登場した。
選者である詩人たちから「言葉遊び」だとか「言葉の意味を否定している」とか言われながら、
翌69年は毎号のように投稿欄に掲載され、70年1月号で、現代詩手帖新人賞を受賞する。

このとき高校1年生。

だがランボーがすぐに詩を捨てたように、彼も数年で書かなくなった。

帷子耀の絶筆ともいえる 草子 別 「スタジアムのために」。

 奇妙な冊子で、「草子」というのが雑誌の名前なんだけど、「別」というのは
 別冊のことなのか、それとも「別れ」を意味しているのか……。

 いずれにしても、久しぶりに震えた。詩を読んで涙が出そうになったのは何年ぶりだろう。

 帷子耀の詩は、言葉というものの意味性を否定して、
記号のように物質のようにコラージュしていく、

 ある種の攻撃性に特徴があった。

 だから読んでも呪文を聞かされているようでさっぱりわからなかった。

だけど、ほとんど絶筆ともなったこの「スタジアムのために」の中の詩は、わかる。ちゃんと言葉に意味が持たされているし、
おぼろげながらも情景が浮かんでくる。

夢中の冬
夢中できみの両の手の鳩に火をつけると
鳩は
常緑の枝の折れ口へ
まっすぐに飛ぼうとしてまっすぐに
増水した
雪たまりの苦みに落ちる
出血することで
流された
樹液と
流れている
樹液の
へだたりをためそうとして
鳩の
鳩に

少女がいる
少女がいない

 まるで歌うように、ゆったりと言葉が流れてゆく。少女へのオマージュのように……。
そこには投稿時代にあった攻撃性も、詩壇へのアイロニーもない。
 おそらく彼は、「到達」したんだと思う。

   *

1968年4月号、中学3年の初めに現代詩手帖に登場して
1973年の4月--19歳か20歳のときまで5年間、
この早熟な詩人の心のうねりは、どのようなものだったんだろう。そしてその後、
地方で社会的に成功している彼にとって、十代の詩はなんだったんだろう。

たぶん私のように、「あの頃は感性があった、今はない」などということは考えもしないだろう。

だって捨てているんだから。書くことに別れを告げたんだから。

「ここには別れがある。詩との別れがある。それは詩へ向かう別れである。……」

彼は、こういう文章を冊子の帯に書いる。なんか痛切だよね。
おまえ、そこまで考えるなよ、と言いたくなる。

私が「帷子耀まがい」の詩を書いていたのが73年の初夏の頃。
あれは何かの発作のように、それまで書けなかった詩が、わーっと湧き出てきた。わずか2カ月ぐらいだったけど。

今月(10月号)の「現代詩手帖」で、四方田犬彦、藤原安紀子、帷子耀の対談が掲載されている。

若い頃、思潮社で持論を展開し、現代詩手帖賞そのものを無くさせてしまった「棘」は、
どこにもない。甲府を中心に手広くパチンコ業を営み、
たしか業界の幹部でもある。
座談会の言葉も謙虚だ。

月並みのことばだが、「丸く」なったのだろう。

彼の詩は、バラバラに散逸していたのだが、
今回「全詩集」が出ることになった。

帷子耀 習作集成

これまでめったに表舞台に出ることもなく、いわば幻の詩人だった。
その彼(本名は「大久保」さんだったと思う)にどういう心境の変化があったのだろう。

さっそく注文した。

届くのが待ち遠しい。

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テキストのイラストのようです





2024年12月18日 (水)

ここ一カ月ぐらいの愛媛新聞

数え日 である。

四国でも雪が降り、秋なしで、急に冬になった。

ここ一カ月ぐらいの愛媛新聞。


里山を抱きかかへたる虫時雨  一行    櫛部天思先生佳作

ジャズ喫茶消えて闇夜に火の恋し  一行   大串章先生佳作



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寒卵割りぼんのくぼ深くなる  一行

2024年12月 9日 (月)

秋のない年だった

11月下旬まで半袖でもよかったのに、今日は厚手のシャツにコートである。

体がついて行かない。

 

けふからは柊の花すきとほる  一行

木枯らしや深爪の血のふくらめり  一行

火事の夜にまぼろしの馬啼いてゐる  一行

 

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   ↑
開店休業状態のHP。旅日記と詩をアップしたくて
10年ほど前につくった。
稚拙な「つくり」だが、気が向いたらぜひ。
ただし開店休業です。

2024年12月 8日 (日)

一気に寒くなった

脳幹梗塞の後遺症はないが、どうもだるい。

俳句もなかなかできない。

久しぶりに、「今日の三句」。

 

真ん中の悲しいところ鳰消える   一行

人の死のあつまってくる師走かな   一行

凍滝の途中から水あらはるる   一行

2024年11月15日 (金)

ここ一カ月の愛媛新聞

救急搬送されたり入院したりしている間、愛媛新聞はまず好調。

表紙なく背に星印しるされた半世紀前の薄き文庫本 玉井清弘先生第一席

秋蝶に裏と表のありにけり 櫛部天思先生 三席

秋の夜や鞄の本のめくれをり 大串章先生佳作

カステラの箱を柩に秋の蛇 櫛部天思先生佳作

地図燃えるときの焔や敗戦忌 櫛部天思先生佳作

磧には丸石積まれ広島忌 櫛部天思先生佳作


2024年11月 8日 (金)

脳梗塞になってしまった!

10/19 急にろれつが回らなくなり救急搬送。

脳幹部の割と太めの脳梗塞との診断、ICUで絶対安静3日間。

その後一般病棟で「血液サラサラ」の点滴などをいくつも注入し

1週間前に自宅退院した。

処置が早かったので重篤な後遺症はないが、とにかくだるい。

集中力などの「脳機能障害」はあるだろう。72歳だし……

いずれにせよ半年ぐらいはリハビリである。無理はできない。

血液サラサラの薬は血栓をできにくくするが、ケガをすると出血が止まらない。

転んで頭を打ったりすると命取りになる。

ポリオで足が不自由なため、もともと転びやすかったが、これからはそんなこともいえない。

大げさに考えすぎてもいけないが、

血管が砂時計のようになったままである。

大きな爆弾を抱え込んでしまった。

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