告知が遅くなりましたが、ひょんなことから
私のブログの中の「帷子耀」氏に関する文章が
詩人の金石稔氏の目に留まり
「帷子耀風信控」という本の中に掲載された。
以下は、掲載された、2年ほど前のブログの文章。
帷子耀の詩集は、付き枝の上にどかんと置いてある。
-------------------------------------------------
私が高校2年ぐらい、詩を書き始めた頃、
「現代詩手帖」に彗星のようにあらわれた詩人がいた。
何度その詩を読んでもわからない。
驚いたのは、初めて投稿欄に登場したのが中学生だったことだ。
おそらく私より1、2歳下だろう。
家霊ら泯ぶ血の栄ら
塩のみ餮饕した蜘蛛ら
羶き受罰ら大黒柱ら鼠ら
花序の無限の無の花の果て
…………
各行、1文字ずつ増えていき、途中から1行の文字数が同じになる。
とにかくさっぱりわからない。というより読めない。いま、漢和辞典を引っぱり出して調べてみると、
「泯ぶ」は「滅ぶ」の意味らしいし、「餮饕」は「てつとう」と読み、両方とも「むさぼる」という意味の漢字らしいし、「羶き」は「なまぐさい」と読ませるらしい。
中学三年から高校1年の夏、彼はどんな思いでこの、誰も読めない字を原稿用紙に書き付けたのだろう。おそらく深い意図などなかったに違いない。
誰も読めない字を詩に紛れ込ませることの快感のようなものだけだったろう。
帷子耀は1968年の4月号の新人投稿欄で初めて登場した。
選者である詩人たちから「言葉遊び」だとか「言葉の意味を否定している」とか言われながら、
翌69年は毎号のように投稿欄に掲載され、70年1月号で、現代詩手帖新人賞を受賞する。
だがランボーがすぐに詩を捨てたように、彼も数年で書かなくなった。
帷子耀の絶筆ともいえる 草子 別 「スタジアムのために」。
奇妙な冊子で、「草子」というのが雑誌の名前なんだけど、「別」というのは
別冊のことなのか、それとも「別れ」を意味しているのか……。
いずれにしても、久しぶりに震えた。詩を読んで涙が出そうになったのは何年ぶりだろう。
帷子耀の詩は、言葉というものの意味性を否定して、
記号のように物質のようにコラージュしていく、
だから読んでも呪文を聞かされているようでさっぱりわからなかった。
だけど、ほとんど絶筆ともなったこの「スタジアムのために」の中の詩は、わかる。ちゃんと言葉に意味が持たされているし、
おぼろげながらも情景が浮かんでくる。
夢中の冬
夢中できみの両の手の鳩に火をつけると
鳩は
常緑の枝の折れ口へ
まっすぐに飛ぼうとしてまっすぐに
増水した
雪たまりの苦みに落ちる
出血することで
流された
樹液と
流れている
樹液の
へだたりをためそうとして
鳩の
炎
鳩に
火
火
まるで歌うように、ゆったりと言葉が流れてゆく。少女へのオマージュのように……。
そこには投稿時代にあった攻撃性も、詩壇へのアイロニーもない。
おそらく彼は、「到達」したんだと思う。
1968年4月号、中学3年の初めに現代詩手帖に登場して
1973年の4月--19歳か20歳のときまで5年間、
この早熟な詩人の心のうねりは、どのようなものだったんだろう。そしてその後、
地方で社会的に成功している彼にとって、十代の詩はなんだったんだろう。
たぶん私のように、「あの頃は感性があった、今はない」などということは考えもしないだろう。
だって捨てているんだから。書くことに別れを告げたんだから。
「ここには別れがある。詩との別れがある。それは詩へ向かう別れである。……」
彼は、こういう文章を冊子の帯に書いる。なんか痛切だよね。
おまえ、そこまで考えるなよ、と言いたくなる。
私が「帷子耀まがい」の詩を書いていたのが73年の初夏の頃。
あれは何かの発作のように、それまで書けなかった詩が、わーっと湧き出てきた。わずか2カ月ぐらいだったけど。
今月(10月号)の「現代詩手帖」で、四方田犬彦、藤原安紀子、帷子耀の対談が掲載されている。
若い頃、思潮社で持論を展開し、現代詩手帖賞そのものを無くさせてしまった「棘」は、
どこにもない。甲府を中心に手広くパチンコ業を営み、
たしか業界の幹部でもある。
座談会の言葉も謙虚だ。
彼の詩は、バラバラに散逸していたのだが、
今回「全詩集」が出ることになった。
これまでめったに表舞台に出ることもなく、いわば幻の詩人だった。
その彼(本名は「大久保」さんだったと思う)にどういう心境の変化があったのだろう。
------------------------------------------------------------
最近のコメント