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「悪くない自分」というのは、なかなか扱いがむずかしい存在ですよね。 たとえば、誰かに誤解されたときや、トラブルの原因を押しつけられそうになったとき、 心のどこかでは「いや、それは自分のせいじゃない」と分かっているのに、 それをそのまま口に出すと、妙に空気が悪くなる。 言えば言うほど弁解っぽくなり、黙っていれば「やっぱり認めたんだ」と思われる。 この“沈黙と説明の狭間”で、人はなんとも居心地の悪いバランスを取ろうとします。 しかも厄介なのは、そこに「正しさ」と「感じの良さ」が同時に要求されること。 つまり、理屈の上では自分は悪くないのに、態度や言い方ひとつで「感じ悪い人」になってしまう。 そう考えると、“悪くない自分”とは、ただの心理状態ではなく、 社会的な演技でもあり、言葉選びの試練でもあるのかもしれません。 人間関係の中では、たとえ完全に無実でも、 「ごめんね」と軽く謝ることで場が落ち着くこともあれば、 逆に一言「僕は悪くない」と言っただけで空気が凍ることもある。 だからこそ、“悪くない自分”をどう扱うかには、その人の生き方や美学がにじむのだと思います。 ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。 それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、次の文です。何かやらかしたときに j①「わたしは悪くない」 と英語で言う場合、諭吉は諭吉はまず、オランダ語に訳してみたでしょう。 n② "Het is niet mijn schuld." n③ "Ik ben niet te verwijten." n④ "Ik heb niets verkeerds gedaan." n⑤ "Ik ben niet verantwoordelijk." これを英語に直訳します。 e② "It's not my fault." e③ "I'm not to blame." e④ "I didn't do anything wrong." e⑤ "I'm not responsible." そのまま 正しい英語になります。ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、直接英訳するしかありませんが、次のように 直訳する人もいたでしょう。 e⑥ "I'm not bad. " でも。これだと、 j⑦「私は悪い人ではない」 とか j⑧「調子が悪くない」 という意味になってしまいます。 そこで質問ですが―― j①のように言いたい場面って、実はけっこう難しいものですよね。 怒っている相手の前で言えば言い訳に聞こえるし、落ち込んでいる相手に言えば冷たく響く。 英語でも同じで、e②のように言えばちょっと他人行儀、e③はやや硬くて距離がある。 かといって e④だと、どこか子どもっぽく聞こえることもあります。 言葉としてはどれも正しいのに、どれも「その瞬間の空気」までは完全には救いきれない―― そんなもどかしさを感じたことはありませんか? あなたなら、どんなふうに “悪くない自分” を言葉にしますか? ๑๐/๘

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