『ウイルスの意味論』はスゴ本
見えてるはずなのに見ていないことに気づくと、より世界が見えるようになる。目にウロコなどなく、先入観に邪魔されていただけなのだ。そして、先入観に気づくだけで、世界が一変する。なぜなら、そこに「ある」という確信をもって、見ようとするからだ。
「惑星系=太陽系」という先入観
たとえば、系外惑星。太陽系以外の惑星のこと。観測技術が向上したにも関わらず、近年までほとんど見つけることができなかった。しかし、1995年に「ホット・ジュピター」と呼ばれる系外惑星が見つかってから、ほとんど爆発的といってもいいほど大量に発見されている。
ここで重要なのは、ひとたび見つかると、ラッシュのように見つけられる点にある。なぜか? それは、それまで探す対象としていたモデルが、太陽系だったから。われわれのよく知るサンプル(=1)を基に望遠鏡を向け、似たようなサイズや軌道や周期を探しても、なかなか見つからない。
しかし、超巨大なのに恒星に近距離でしかも超高速で巡る「非常識な」惑星をたまたま見つけると、今度はそれに近いモデルで探すようになる。すると、そこらじゅうが「非常識な」惑星に満ちていることが分かってくる。太陽系というモデルは、実は例外だったのである。
つまり、「太陽系という先入観」が、そこに「ある」確信を曇らせていたのである。かつて、地球のことを「ロンリープラネット」とか「奇跡の惑星」と呼んでいたが、『系外惑星と太陽系』を読むと、この常識も書き換える時代がやってきていることが分かる。
「ウイルス=病原体」という先入観
これと同じことが、ウイルス研究にも起きている。病原体としてのウイルス研究が、「ウイルスという先入観」を生みだし、その先入観が「見る」ことの邪魔をしていたのだ。本書は、ウイルスの驚くべき生態と共に、生命そのものの定義を書き換えていることを明らかにする。わたしたちは、ウイルスに囲まれ、ウイルスを内に保ち、ウイルスと共に生きている。これ、教科書が変わるレベル(パラダイムシフト)だぜ。
たとえば、ミミウイルス。1992年に発見され、「ウイルスは細菌より小さい」という常識を覆した巨大ウイルスだ。
そして、ひとたび「非常識な」巨大ウイルスが見つかると、ここ十年でラッシュのように巨大ウイルスが発見されるようになる。シベリアの永久凍土に眠っていた3万年前のウイルスから、セーヌ川、ビルの冷却水、ハエの複眼、コンタクトレンズの保存液など、そこらじゅうで「非常識な」巨大ウイルスが見えるようになる。
奴らは別に隠れていたわけでなく、われわれが「見て」いなかっただけなのだ。それは、病原体として研究してきたウイルスのサイズが、「ウイルスは小さいという先入観」を作り出していたにすぎない。
あるいは、コミュニケーションをするウイルス。ウイルスは細胞に取りつき、増殖するだけの単純な存在だと見られてきたが、ファージ(細菌に感染するウイルス)同士でペプチドをやり取りすることで、細菌の生息密度を伝える集団感知システム[クオラムセンシングシステム]が紹介されている。枯草菌に感染したファージの数が一定の数になると、細菌を溶かすようになる。この溶かす・溶かさないを決定するペプチドを、ファージがメッセージとして放出しているというのだ。
実をいうと、「クオラムセンシングシステム」は発光バクテリアや緑膿菌といった細菌の振る舞いについての説明である。もちろん細菌とウイルスは別物なのだが、ローテム・ソーレクが2017年にネイチャーにした報告[*]によると、ファージの間にもこのシステムがあるというのである。
*Callaway,E.:Do you speak virus? Phages caught sending chemical messages. Nature ,18 Jan 2017
他にも、ウイルスに寄生するウイルスや、致命傷を負っても、DNA部品をかき集めて損傷した自分自身を再構成するウイルスが紹介される。これまで、ウイルスを無生物のような単純なものと見たり、「生物と無生物のあいだ」的な存在として扱ってきたことが、「ウイルスという先入観」を生みだしていたことに気づかされる。そして、ウイルスという先入観が、生物の定義を限定的にしていたことが分かってくる。
生命の定義を書き換える
著者は、ウイルスの死は、生物の死の概念を超えているというが、本書を読めば読むほど、逆なのではないか? と思えてくる。ヒトが今まで陸上や水中で見てきて「生物」だと考えてきたものこそが限定的で、その定義では捉えきれない現象があることに、ようやく気付けるようになったのではないか、と思えてくる。
生命とは何か? 英語だと、生命とはライフ(life)で、ライフとは生物のことを指す。岩波書店の『生物学事典』によるとこうなる。
・生物とは、生命現象を営む者
・生命とは、生物の本質的属性
あれだ、辞書でAを引くとBと書いてあり、Bを見るとAと書いてあるやつwww 本書では、この循環から大きく踏み出し、生命を3つの単語で定義することを試みる。すなわち、生命は、変化を伴う自力増殖が可能で代謝活性のある情報システムで、エネルギーと適切な環境を必要とする存在だとし、最終的に、
self-reproduction with variations(変異を伴う自力増殖)
までまとめている。19世紀前半までは、生物とは動物と植物だった。後半になると、ワインやビールを発酵させる酵母(真菌)が発見され、さらに病気の原因となる炭疽菌が見つかった。さらに、20世紀末のDNA研究により、リボソームの構造から分類が見直され、3つのドメインが定説となっている。
生命とは、
・真核生物(動物、植物、真菌)
・原核生物(細菌)
・アーキア
である。
しかし、巨大ウイルスやコミュニケーションするファージなど、上記では括れない「変異を伴う自己増殖」する存在が次々と見つかることで、新たな定義を提案する。
生命とは、
●リボソームをコードする生命体
・真核生物(動物、植物、真菌)
・原核生物(細菌)
・アーキア
●カプシドをコードする生命体
・真核生物ウイルス
・ファージ
・アーキウイルス
である。
何のことはない、ウイルスを単純な存在だと見なしていたヒトこそが、見えてるものが全てだと思い込むくらい単純な存在だったのである。そして、それに気づくくらい「見える」ようになったのである。
ウイルスから地球を見る
たいへん興味深いのは、系外惑星を見つけるのに望遠技術が必要だったのではなく、「先入観を捨てること」だったことと同じことが、生命の研究においても起きていること。そして、先入観を捨てて生命を再定義すると、世界はもっと「見える」ようになる。
たとえば、水圏(海水、淡水)。水圏にいる藻類や微生物を宿主とするウイルスは、地球規模で影響を与えていることが分かってきている。すなわち、ウイルスが雲の形成に関わっているというのである。つまりこうだ、藻類が大気に放出する硫黄化合物ジメチルスルフィルド(DMS)が、エアロゾル(雲のもと)になるのだが、これは、ウイルスの感染によるというのだ。
あるいは、生命の起源として、深海中の熱水噴出孔近辺だという説があるが、この領域でもアーキウイルスが発見されている。
高温高圧の極限下、無酸素で増殖している微生物がいるが、微生物と共におびただしい数のウイルスが活動している。「高温高圧の極限下」という表現そのものがヒト中心の偏見であり、1ml中に1000万個検出されているウイルスにすれば故郷みたいなものだろう。そして、生命誕生そのものにもウイルスが関わっている可能性が指摘されている。
ウイルスから世界史を見る
ウイルスは世界史にも影響を与えている。マクニール『疫病と世界史』が世界史からの「ヒト中心」のアプローチなら、本書はウイルスから世界史を見る。わかりやすいのはインフルエンザの流行だが、そうした「疫病」という形を取らない災厄もある。
たとえば、モンゴル軍がもたらした牛疫だ。多くの品種の牛に感染し、致死率70%の毒性がる疫病である。
モンゴル帝国が急速に拡大していった理由として、騎兵と弓兵を活かした機動力の高い戦術や、軍事国家であること、投石器や火薬といった中国やイスラムの技術を活用したことが挙げられるが、本書によると、牛疫ウイルスが一役買っていたという。
ただし、モンゴルの高原地帯で飼育される灰色牛(グレイ・ステップ牛)は抵抗性があった。そのため、感染しても症状をほとんど出すことなく、数ヶ月にわたってウイルスを糞便で排出し続けることになる。
そして、モンゴル軍は、物資の輸送役+食糧として、灰色牛を連れていた。灰色牛は行く先々で糞便と共に牛疫ウイルスをまき散らし、農耕での重要な労働力である牛を全滅させていった結果、国力を低下させる。つまり、灰色牛は事実上、モンゴル軍の生物兵器になっていたというのだ。
ウイルスからSFを見る
著者はウイルス研究の第一人者である、山内一也東大名誉教授だ。そして本書はもちろんノンフィクションの分類に入るのだが、ウイルスの振る舞いと未来予想を見ていると、どうしてもフィクション、しかもSFを想起させる。あまりに生々しく、現実味のある脅威が、実は身近にある(あった)ことが、よく分かる。
たとえば、天然痘ウイルスの人工合成だ。
1980年に根絶が宣言された天然痘だが、「基礎研究のため」米国とロシアの研究所で保管されている。厳重に保管されていたウイルスが盗み出され、紛失するというシナリオは、小松左京『復活の日』を思い出すが、今ではDIY可能である。
まず、天然痘ウイルスのゲノムの塩基配列はすべて解読され、公開されている。もちろん、天然痘ウイルスのDNA合成は禁じられており、WHOはゲノムの20%以上を作成することを制限している。そのため、DNA合成を受託する会社は、天然痘ウイルスのDNA合成できない制約が課せられている。
しかし、これには抜け穴がある。カナダの大学がこの抜け穴から馬痘を合成してみせたのである。
まず、馬痘ウイルスのゲノムを10個の断片に分けて、複数のDNA合成会社に発注する。できたDNA断片をつなぎ合わせ、馬痘のゲノムを構築した。それだけだと感染性がないため、ヘルパーウイルスを感染させた細胞に導入し、再活性化できるようにした。発注は全てメールで済ませ、合成の代金は全部で10万ドル(1100万円)だったという。
理論上では、天然痘も可能である。この手順はあまりにも危険性が高いと判断され、「サイエンス」「ネイチャー」誌からは掲載が却下されたが、「プロスワン」誌は慎重に検討した上で掲載している。むかし、ネットで水素爆弾の製造の仕方が公開されて物議をかもしたが、今では天然痘の作り方が公開される時代となっている。
バイオテロリストにとっては嬉しい話だろう。インフルエンザの2倍の感染力を持ち、感染から発症まで10日間の潜伏期間がある(医師が天然痘に気づくまでにさらに数日はかかる)。テロリストは自分に種痘しておけば、自分が感染することなく、合成、培養、散布することができる。都市部ではパンデミック級の威力を持つのであれば、1100万円は安いものだ。
他にも、冷蔵設備が無い状況でワクチンを運ぶため「孤児」を使う話から『ザ・ラスト・オブ・アス』を、芋虫に卵を産み付け、孵った幼虫が芋虫を食べるヒメバチの習性は、7000万年前に始まったウイルスとの共生からという話から『エイリアン』を、さらに致死的ダメージを喰らっても、他の生きた部品から自分を再構成する件なんて、『ジョジョの奇妙な冒険』のゴールドエクスペリエンスを思い出す。
[基本読書の冬木さんと対談]したとき、冬木さんが「世界の様相をガラリと変えるのがSFだ」と喝破したが、これはまさにSFとしても読めるし、そう読むことで次のSFのヒントが詰まっているともいえる。
ウイルスの興味深い振る舞いから始まり、「生命とは何か」の根幹に衝撃を与え、さらには世界の「見え方」が変わってしまう一冊。

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コメント
>●リボソームをコードとする生命体
>●カプシドをコードとする生命体
とありますが、正しくは
●リボソームをコードする生命体
●カプシドをコードする生命体
では?
目的物と手段を混同なされているのでは?
投稿: みやじゅん | 2019.02.25 15:27
>>みやじゅんさん
ご指摘ありがとうございます! 間違えていました。コードしてタンパク質を生成するのがリボソームだから、「リボソームをコードする生命体」にするべきです(本文p.78)。
投稿: Dain | 2019.02.25 22:19
はじめまして。
いつも楽しく読ませていただいていますが
最近この手のノンフィクションばかりで
小説というかフィクションが無くて悲しいです( ;∀;)
投稿: きよたか | 2019.03.13 14:08
>>きよたかさん
コメントありがとうございます!
フィクションだと、いまネイサン・ヒル『ニックス』にどっぷりハマっています。いずれレビューするので、お楽しみに~
投稿: Dain | 2019.03.13 20:25