「虚航船団」はスゴ本
批判する人の気は"知れる"が、楽しんで読めた。ただし、これを最高傑作と持ち上げるほど筒井作品を知らないので、なんともいえん。むしろ「文学部唯野教授」の方が面白いんちゃう?と、つぶやきたくなる。500超ページをひとことでまとめると、「巨大な寓話」。自意識過剰な文房具キャラの非日常的日常、イタチに置き換えた人類史の早回し、黙示録的戦争から神話の三部構成となっている。
まずコンパスが登場する。彼は気がくるっていた。文房具はどこかしら精神に異常をきたしており、現代社会の――というか自分自身をそこに見出しては、黒い笑いに襲われる。
著者・筒井康隆は、寓意を隠さない。イタチたちの歴史は「人間」の歴史であり、文房具たちは「人間」のメタファーであることは、折々の自己言及で「人間」という表現を持ち出しているから。さらに、イタチの歴史を嘲笑(わら)うことはニンゲンを虚仮にすることだから、笑うの禁止ね(!)と自分で禁則事項を作って読むといい。満員電車でクスクスをこらえるというプレイで、腹筋が鍛えられるデ。
さらに著者は、フィクションであることも隠さない。地の文に書き手の日常や妄想や欲望や怒りや情けなさが滲み出し、ストーリーを犯すところなんて圧巻。「わたし(読者)が追いかけているのは何なんだろう」と悩むこと必至。キャラとストーリーと(筒井の)脳内をごった煮にするために、周到に句読点「、」を外し、執拗に段落分けを回避する。
著者がしゃしゃり出てくるなんて、昔の「語り」みたいだなー、筒井脳内のときだけ句読点「、」があるなー、などと油断していると、あっという間に侵食される。筒井脳内と文房具たちの運命が直接つながっているのだから。わたしは、これを筒井思考ダダもれ小説なのか、あるいは物語が著者を内包してしまっているか、どちらでも好きに読めてしまう。
いっぽうで、解釈と物語がいっしょくたに並んでいるため、読み手である「わたし」がいなくてもいいのかな?かな?という気になる。もちろんダメで、「いまここ」でわたしが読んでいるのは事実なのだから、それは否定しちゃさすがにまずいだろ…と思いきや、後半のここらあたりで打ちのめされる。
荒唐無稽な「できごと」自体がおかしいのではない奇想天外なできごとが日常の時間を空間を局所的に変革していく不連続の転位その変化していく「できごと」の力学的な現象がおかしいのだ衣装のように着込んだ物語性や思いつきの意外性といった一切のものが役立たず無意味なのになお作品の形成に向かわなければならないといった現代が強いてくる不可避性への感受性というべきものがここには欠けている立脚すべき現実そのものを胡散くさいものとして描くことができるのは当時はサイエンス・フィクション以外にはなかったのでありその事情は現在もたいして変わってはいないSFハチャメチャ派などいまや「型破り」というもののひとつの「型」に安住しているだけなのだから――引用の誤りじゃないんだ、句点(。)すら省略して一気に畳み掛ける密度で軽く窒息する。つまりこれは、わたしが感じたこと。実際は筒井が「虚航」内で自分を評しているのだが、わたしが読みながら(上述の箇所に到る『前に』)思ったことが『そのまま』の形で先回りされている!
わたしが「虚航」について語ろうとすると、思考ダダもれの著者について話すか、著者を巻き込んでしまっている物語について語るかしかない。あるいは、そいつを読んでる「わたし」をもメタ化して、「虚航」の一読者か、「虚航」の批判者となればいいか。ああそうか、だから「虚航船団の逆襲」なんて続編(?)があるのか。これをどういう風に面白く読んだ/腐した人がいるか、楽しみだー
とまあ、メタ、メタメタ、メタメタメタ風に読んでもいいが、キャラのスラップスティックを追いかけても楽しめる。とっつきにくい方は、「萌え絵で読む虚航船団」を入り口にするといい。これは「文具というデフォルメをさらに萌えキャラでデフォルメ」する試みで、登場人物は全員女子。異常性欲の糊だとか、同性愛の消しゴムだとか、小説のナナメ上を行く出来ですぜ、ダンナ。
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コメント
こんばんは。いつも楽しみに拝読しております。懐かしいタイトルに思わずコメントしてしまいました。
高校生のころ、筒井康隆作品は片っぱしから読んでました。『虚構船団』も夢中になって読んだ記憶があります。世界がどんどん重層的に重なり、ねじれ、ゆがんでいく、その異様なトリップ感は強烈で、今でも忘れ難いものがあります。
小説としての面白さは、ご指摘のとおり『唯野教授』が一枚上手だと思います。というか、『虚構船団』は、小説というツールを使った一種の文学実験のような気がします。他にも筒井氏にはそういう作品が多く、普通の小説として読んでしまった人は、文句のひとつもつけたくなるかもしれませんね。
なお、既読のものもあるかもしれませんが、当時読んだ筒井作品の中でいまだに強烈な印象が残っている小説を、短編からかなり絞り込んでピックアップしてみます。
『乗越駅の刑罰』
『走る取的』
『熊ノ木本線』
(以上3作は現在、新潮文庫『懲戒の部屋』所収)
『宇宙衛星博覧会』(同名短編集所収 食事中厳禁)
『バブリング創世記』(所収短編集不明)
……ほかにもたくさんありますが、きりがないのでこのへんで。
今後も更新楽しみにしています!
投稿: hachiro86 | 2009.10.21 21:17
>>hachiro86さん
「小説というツールを使った一種の文学実験」――上手いこと言いますね、そのとおりだと思います。どの実験も先達がいるので、探しながら読むと愉しいです。それから、オススメありがとうございます。「劇薬小説を探せ」という企画で、いくつか読んでいます。
劇薬小説ベスト10と、これから読む劇薬候補
https://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2007/11/10_9d87.html
投稿: Dain | 2009.10.23 00:09