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「筆談ホステス」に学ぶ

筆談ホステス 銀座のクラブのNo.1は、「筆談するホステス」という話。

 幼い頃の病気で、耳が聞こえない。そのため、声によるコミュニケーションができない。当然のことながら疑問が出てくる。耳の聞こえないコに、ホステスなんてつとまるの?

 そんな問いかけに、彼女は明るく、"Yes!"と応える。メモとペンを使った筆談だけで、銀座No.1ホステスになったと帯にある。表紙のタイトルは、彼女の自筆で、本文中にもちょくちょく出てくる。ていねいで、美しい字だ。

 字ばかりでなく、ご本人も然り。いわゆる美人顔だ。営業中(?)の写真を見るかぎり、一流の雰囲気がただよう――とはいっても、会話ができないというのは、接待職ではかなりのハンディキャップなのでは?と、いらぬ心配がページを進める動力となる。

 しかしながら、余計なおせっかいのようだ。愛用のロデアのメモパッドにとモンブランの万年筆を使って筆談をする。普通の会話に比べると、どうしてもやりとりのテンポはゆっくりになる。が、そもそもクラブに来るような客は落ち着いて飲みたいという人が多いので、筆談会話が成り立っているのだそうな。さらに、メモ片がラブレターになったり、みんなで回し書きをして楽しむ交換日記になったり、便利に活躍をするという。

 「文字による会話」において、彼女がいかに心配りをしているかが、エピソードの一つ一つから垣間見ることができる。「辛」の話はじんときた。それはこうだ。いつもは元気なお客様なのに、今日は意気消沈している。彼はメモに一言、「辛」と書いたそうだ。それを見た彼女は、「辛」に一文字を足して、こう返す。

    辛いのは、幸せになる途中ですよ

「辛」に横棒を足すと「幸」になる。いまが「辛」いのなら、それは「幸」になるまであと少しなのだ。もしわたしが、こんな言葉の贈り物を受け取っら、思わず泣いてしまうだろうなぁ… 他にも、出世レースに負けたと落ち込んでいる人に、「少し止まると書いて『歩』く。着実に前に進んでいます」と贈る。会話だとわざとらしさが入るセリフも、書いたものだと心に届きやすいのかも。

 爆笑モノもある。サブプライムローン禍で資産を失ってしまった50代の部長が、「今まで築いてきたものを、一瞬で失くした」、「もう一度頑張ろうという気になれない」、「自殺したい」…と泣き言をいってきたとき、彼女は、こう書く。

    立って半畳
    寝て一畳
    アソコは勃っても数インチ

ハハ、読んでるこっちが笑ってしまう。そもそも「資産を失った」のがホントなら、銀座の一流店で飲みゃしないだろうに。だからこれは、ヤケドしたお客となぐさめるホステスとの高度な掛け合いなのかも。

 さらに、下種の勘ぐりとして抱いていた疑問にも、ちゃんと答えているくだりがある。つまりこうだ。すごい美人なんだけど聴覚障害者なのだから、そこに付け込めるのではないかと男が期待する。だから、こんなに出世したのでは?という卑しい疑問だ。これには、彼女が勤めるクラブのママがこう答えている。

耳が不自由だから、その弱い部分につけこめば自分でもなんとか口説けるのではないかと勘違いをして、露骨に近づいてくる男の人も多くいました。そうした誘いをかわすのが下手でしたね。露骨で強引な誘いが続くと、そのうちお客様に直接怒りをぶつけてしまうんです。里恵にだってもろい部分や弱い部分もあるんですが、そうした部分を「怒り」という形でしか表現する方法がなかったんでしょうね。
卑しい疑問を持った自分が恥ずかしくなる。さらに、彼女の真面目な性格が、文章から現れている。本当に接客が好きなことが分かる。いわゆる水揚げを伸ばすため、枕は間違ってもできないだろうなぁ、と思えてくる。そういう、彼女の人柄を垣間見る。

 彼女から「気づき」もいただけた。褒め上手と呼ばれるホステスならでは技術だ。お客様を褒めるとき、表面的な評価だけではNGだという。お客様が身につけているモノや話題・知識などをそのまま褒めるのではなく、「それを身に着けているお客様自身」を褒めるのだ。モノを褒めることを通じてお客様自身を褒めるのが、一流の褒め方だという。

 たとえば、「素敵な時計をしているのね」だと、時計を褒めているにすぎないが、時計を指摘した後に「あなたって、ファッションのセンスが抜群ね」だと、「そんな時計をするあなたってステキ」になる。おいしいワインをご馳走になっても、「このワイン、おいしいわ」ではなく、「こんなおいしいワインを知っているあなたって、本当に博識ね」と褒めるのだ。

 これは意識せずとも使っていることに気づいた。「褒める」というより「感心する」のだ。美味しい料理を作ってもらったとき、「おいしい」だけでなく「こんなうまいもの作れるなんて、料理のセンスある」と言う。褒めようと思って言うのではなく、そのように考えるのが"自然"になるよう自分を変えていったんだと思う(昔は「俺だって作れる」と反発したり、アラを探そうとしてた)。自分にないもの、足りないものを受け取ったとき、そのまま感心する素直さを大事にしたい。

 そういう素直な気持ちになれるのも、本書からにじみでる彼女の人となりの影響なのだろうか。銀座のクラブには縁がないし、ましてや音のない世界は想像すら難しい。しかし、コミュニケーションの根っこは同じなんだと感じ取れる一冊。


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