毒と薬の差は、その量にすぎない「お金の味」
あるいは、1億2千万円の借金を負ってしまったフリーターの転落~起死回生の記録。雇う側と雇われる側の論理、カネを活かす人とカネに殺される人の「差」が生々しく描かれている。
ただし、本書は生還したからこそ書けたのであって、アウトになった人のほうがはるかに多いはず。バブル崩壊後から今日、こうした話はそこかしこで聞くのだが、先物や不動産でババを引き、借金地獄に陥ったほとんどの人は還って来ない。だから、この姿勢を鵜呑みにするのは危うい。本書で紹介される、「毒をもって毒を制する」やり方は、エマージェンシーボタン、緊急回避措置として、アタマの隅においておくのが吉かと。
本書の"勘所"は三つある。ひとつは、ふつうの青年が、いったいどうしてこんな莫大な借金を背負うことになったのかという転落の記録。二つ目は、どん底からどうやって足掻いて藻掻いて浮き上がって行ったかという脱出の記録。そして、そのあいだで著者が得た「気づき」がスゴい。
まず、転落の記録はヒトゴトじゃない。蹉跌のきっかけはわずかなものだし、泥沼ルートも今となってはよく知られたものだ。膨らんでゆく借金に追い立てられ、正常な思考ができなくなっていくのは、誰だってそうだろう。「そんな時代だから」と笑うなかれ、誰でもじゅうぶんにありうる話だ。
「自分の運命のハンドルから手を離して他人に委ねた人間は、自分の人生を滅茶苦茶にされても文句は言えない」著者は淡々とふりかえるが、あとがきによると涙で前が見えなかったらしい。「ナニワ金融道」や「カバチタレ」に出てくる人のように、(悪い意味でマンガのように)カタにハめられてゆく。
ふつうの人は、ここで自死を選ぶかもしれない。しかし、この人は違っていた。「ヤバい状況になっても、寝てしまえばなんとかなる」と構えるのだ。そして、この状況で、地獄に陥った他の人を訪ねては、訊いてまわるのだ。なぜそうなったのか、どうやって抜け出すのか、公表できる限り詳しく紹介している。これはネット時代の賜物だろう。以前なら、弁護士や取立人といった債務整理を生業としている人が経験を独り占めしていたのが、今はメールやWebを用いて、「ヨコの」連携ができるようになったのだから。
さらに、ある気づきを経て、浮上してゆくのだが、"ふつうのオッサン"であるわたしにとっては、リスクがあまりにも大きい。あの時代、その状況、かつこの人だったからこそできた大逆転だと思う。自分が成功したからといって、その方法が一般にも通用すると考えるのは危うい。著者が気づきを手に入れ、「覚醒」する場面は、正直胸がアツくなった。だが、彼が紹介しているフルローンによる不動産購入・資産形成については冷静になるべきかと。著者は肥え太らせたカモとして狩られたことがあるが、読み手がそうなってはいけないのだから。
転落から再生への振幅があまりに大きいため、著者はもはや、"ふつうの青年"ではない。雇われる立場であるサラリーマンから、雇用を創出する事業主の思考にシフトしている。
たとえば、「世の中には、"はたらくおじさん"の背後に、"はたらかせるおじさん"が存在する」といった指摘や、「学校教育は、"はたらくおじさん"=労働者の育成所と化している」という分析は鋭い。あるいは、「金持ちが高級車に乗っているのと、ローンで高級車を買っている人では、裏で動いているロジックが全く違う」という、その違いを数字で示されると、"金持ちのロジック"がよく分かる。
しかし、だからといって、「学校の勉強 = 役に立たない」と断言するのは極端かと。社会に出るまでにマネーリテラシーの教育が必要なことは承知しているが、そのリテラシー(著者は"実学"と呼んでいる)を支えるのも、「学校の勉強」がもとにあってこそだろうに――まぁ、こう考えている時点で、わたしは"はたらくおじさん"の軛から一生逃れることがないのだろうね。
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