子どもに戦争を教えるためのファンタジー「弟の戦争」
世の中のこと、自分のこと、未来のこと… 子どもには、できるだけありのままに教えている。死とセックス、ゲームと勉強については、特に念入りに説明してきている。たいていのことは上手くいったが、見かねた嫁さんがフォローしてくれるときもあった。
ところが問題がある。「戦争」をどうやって教えるかだ。
それこそ、『いわゆる』世界史とは欧米の戦史でもあるので、中高で学べばよい、という見方もできる。あるいは、レマルクや大岡昇平でも読めば想像もつくだろう。
だが、今の戦争の現場はずいぶんと違ってしまっている。その本質は「欲望」から発していることに今も昔も変わりない一方で、戦争を構成する要素―― 戦場、兵士、民間人の定義ががらりと変わってしまっている。「西部戦線異常なし」の「戦線」は、最早意味をなさない。
さらに、戦争の現場とその原因との間に、あまりにも沢山の要素が複雑に絡み合っているため、想像力が追いつかなくなってしまっている。たとえば、湾岸戦争と石油利権を結びつけることはシタリ顔でできるかもしれない。しかし、テレビゲームのようなロケット砲の軌跡と、パパ・ブッシュのビジネスと、イラクの子ども兵の首を結びつけることは、かなり難しい。
もっと具合の悪いことに、とーちゃん自身が自分に説明できていない。「美しい国へ」というスローガンのもと、「美国」=アメリカ合衆国の51番目の州の一員として自己洗脳すればどんなに楽なことやら。「価値観の相違」あるいは「相対性」の名のもと、あとはゲームやアニメのように論じることができる。むしろ「第08MS小隊」のほうが戦争らしいと半ば本気で思えてくる。
じゃぁリアルなやつをズバリ、[DAYS JAPAN]で教えるというテもある。あるいは、googleエロフィルタを外して[その方法]、ナマの被弾・被爆・被災映像を紹介することもできる(空爆はゲーム、空襲は悲劇) …んが、間違いなくトラウマになるだろう。
かくして、とーちゃんはファンタジーに逃げ込む。アニメやゲームで戦争を語るには、現実に近すぎる(いや、現実のほうがアニメ・ゲームに近づこうとしているというべきか)。それこそ考えずに済んでしまう。とーちゃんが読んできた「戦争文学」は歴史の中で位置付けられるほど現実から遠ざかってしまっている。テレビは大本営だし、ネットや報道誌は生々しすぎる。
いったん現実から離れよう。ちょうどいいことに、先日、ロバート・ウェストールを知った([なぜ「ブラッカムの爆撃機」は児童書なのか?])。さらにいいことに、このエントリのコメントより、「弟の戦争」を知った(柊ちほさん、ありがとうございます)。本書のストーリーをなぞるだけなら、戦争の悲惨さや無意味さを語るものであり、危機を通じた家族愛を描いたものに過ぎない。
しかし、本書の「ファンタジー」という仕掛けのおかげで、戦争という「悪」と正面から向き合うことができる。フィクションのチカラがはっきりと感じ取れる。「戦争」を子どもに伝えようとするとき、とーちゃんは必ずここで詰まる。
「どうしたら子どもたちに、希望を裏切ることなく真実を伝えられるだろう? 」
前出「ブラッカムの爆撃機」のエントリのコメント欄で、power_of_mathさんが完璧な回答を書いている。
ダッハウのガス室に代表される現実を、赤裸々に見せることは倫理にもとるが、解決可能だと安易に教えるのはうそつきだし、だからといって“解決方法がない”という大人の絶望を子どもに押し付けることもまた狂気の沙汰である…という“悪をどう扱うかの問題”に対し、ル=グウィンはファンタジーを回答として挙げています。
善玉悪玉を仕立てて、「ストーリー」に流し込もうとしているのは、むしろマスゴミ。訴求性があり、視聴者も自分で考えずに済むからね。戦争をまともに見据えようとしたら、きっとわたしは発狂する。そう、「弟の戦争」に出てくる彼のように。さもなくば、マスゴミの「ストーリー」をしゃべりだすだろう(まだ舌が残っていれば、ね)。
ファンタジーとは虚構なのではなく、発狂せずに戦争を語るための舞台装置なんだ。荒唐無稽と笑うのは、狂わずにいられる大人だけでいい。わたしの子どもには、そんな奴らになる前に、これを読んでほしい(まだ漢字読めないけど)。
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コメント
ファンタジー、というか「お伽噺」は子供が現実社会を抽象化して理解する為のツールとして、昔から使われていたのかも知れませんね。
投稿: Q | 2007.05.14 00:05
>> Q さん
なるほど、「お伽噺」のほうがしっくりきますね。昨今ではないがしろにされてそうですが、世界を理解するための、かなり重要な方法かもしれません…
投稿: Dain | 2007.05.14 23:17
>>Dain様
お褒めにあずかり恐縮です。ただ、私が完璧な答えを出したのではなく、完璧な答えを出したル=グウィンを紹介しただけなので、いささか面映いです。
また、Q様も御指摘のとおり、世界を理解するための重要な方法として「お伽噺」が挙げられると思います。
この視点での分析は、ユング派を中心に深層心理学者が取り組んでいたと思います。
たとえば、グリム童話の分析については河合隼雄の『昔話の深層』
http://www.amazon.co.jp/dp/4062560313/
で述べられていたと思います。また、ル=グウィンも『夜の言葉』の中で触れていたように記憶します。
ただ、2冊とも、手元に現物がないので、戦争について扱っていたかどうかまではさだかではありません。
既に御存知かとも思いますが念のため
投稿: power_of_math | 2007.05.17 00:08
>> power_of_math さん
ル=グウィンの言葉は知りませんでしたが、ファンタジーは世界を理解するための方便であることは、どこかで聞きかじっていました。それが、誰かのセリフではなく、危機意識に近いところで理解が得られたのは、わたしの子どものおかげです。
ファンタジーを通じて、わたしは、自覚することなしに訓練を積んできたんだなぁ、と。
投稿: Dain | 2007.05.17 22:47