クローズアップ2008:諫早干拓訴訟判決 4度目の開門催促、国側に立証責任
長崎県の国営諫早湾干拓事業を巡る27日の佐賀地裁判決が厳しく指弾したのは、中・長期の開門調査を拒む農林水産省のかたくなな姿勢だった。有明海の環境変化が何に由来するかの立証責任は、漁業被害を訴える漁民ではなく、国の側にあるという論理だ。国が開門調査を催促されたのは、これで4度目。判決は一度動き始めたら止まらない巨大公共事業に一石を投じたが、開門が実現するにはなおハードルがある。
諫早湾干拓事業の開門調査の実施を司法などが促したことは、これまでも3例ある。
最初は01年12月。農水省が設置したノリ第三者委員会が実施を提言した。その後、農水省OBらが委員を務める検討会議が否定的な見解を示し、04年5月に亀井善之農相(当時)が調査を見送った。
次は佐賀地裁が04年8月、工事差し止めの仮処分決定の際、第三者委が提言した調査をしていないと指摘。このために生じた「より高度の証明が困難になる不利益」が、原告だけの負担になるのは不公平という指摘だ。
仮処分決定を取り消した05年5月の福岡高裁も、国側に「中・長期開門調査を含めた調査、研究を今後とも実施すべき責務を負っている」と付言した。
今回の判決は、中・長期開門調査を直接命じるものでないとしつつも、「速やかな調査実施、適切な施策」を求める異例の言及をした。さらに、調査をしない農水省の姿勢を「立証妨害に等しい」と批判した。排水門の開閉権が国にある以上、現状では漁民側が一方的に立証の不利益を被るというわけだ。
原告弁護団は、「漁民らにこれ以上の立証を求めることは不可能を強いる」として「人員や費用を負担しうる」農水省に因果関係がないことの証明を求めた点で、画期的な判決と評価する。馬奈木昭雄弁護団長は「佐賀地裁の仮処分決定も同じ理論。最高裁で否定されたことをまた原点に戻した」と話す。
五十嵐敬喜・法政大教授(公共事業論)は「完成後の公共事業については、これまで損害賠償を求めるしかなかったが、今回は裁判所が開門という措置を求めた点が画期的だ」とし、全国の公共事業を巡る問題への影響力を強調する。【姜弘修、関谷俊介】
◇県「高潮の阻止難しい」/専門家「海よみがえる」--分かれる評価
開門を求めた判決に対し、県側は「現実無視だ」と猛反発するが、専門家からは「今ならまだ海はよみがえる」という声も。中・長期開門による防災、水質、農業などに対する影響について、専門家らの評価も分かれる。
干拓地周辺は大雨や高潮の被害が絶えない地域だ。長崎県は「常時開門となれば、高潮被害を食い止めることが難しくなる」と訴える。
調整池は水質調査で一度も目標値を達成していない。開門されれば「汚い水」が有明海に流出するため、漁業関係者からは逆に影響を心配する声もある。
干拓地では41の個人・法人が今春から営農を始めた。戸原義男・九州大名誉教授(干拓工学)は「地下水の塩分濃度が上がり、麦や大豆の栽培が難しくなる。営農へのマイナス面は大きい」と話す。
一方、東幹夫・長崎大名誉教授(水域生態学)は「02年に実施した27日間の短期開門調査ですら、明確に水質改善が見られた。5年あれば生物による浄化作用などが観測できるはず」と期待する。
小松利光・九州大大学院教授(沿岸域環境学)は「台風接近時などは排水門を閉めればよい。水位に応じた対応で防災は可能」と指摘する。【宮下正己、阿部周一】
◇「なお干拓」矛盾--耕作放棄地、農地の1割
「中・長期の開門は困難。短期開門や実証調査、シミュレーションなどあらゆる努力をしてきた。これまでの調査で十分だ」。農水省農村振興局の斎藤晴美整備部長は27日の会見で、判決が命じた5年間の開門調査に応じない姿勢を強調した。
強気の背景に、04年に佐賀地裁が出した工事差し止めの仮処分決定を福岡高裁が取り消し、最高裁で確定した経緯がある。省内では「今回も上級審で覆る」との見方が大勢だ。
しかし、国営干拓事業は過去にも多くの問題点が指摘されてきた。環境破壊や漁業被害だけでなく、事業自体の「無駄」も行政監察や会計検査などで取りざたされた。
諫早など干拓事業の多くは1950~60年代、コメ増産のために構想された。だが70年ごろからコメは過剰に転じ、干拓で64年に誕生した秋田県大潟村では、入植者が減反政策に反発しヤミ米の出荷を強行した。
宍道湖・中海の淡水化を伴う島根県の中海干拓事業では、シジミの大量死などが問題になり、03年に中止に追い込まれた。造成された農地約331ヘクタールの約2割は農業以外に転用されたり、今も売れ残る。三重・愛知県の木曽岬干拓(74年完了)で生まれた土地は、県境争いも絡んで長年放置された。約370ヘクタールの土地は、土捨て場やスポーツ施設など、すべて農業以外の用途に充てられる計画だ。
国内では農地面積の1割近い38万ヘクタールが耕作放棄地になっている。その解消が課題になる中、国のメンツで進められた干拓事業は、農政の矛盾を象徴している。【行友弥】
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◆諫早湾干拓事業の変遷◆
1952年 国が長崎大干拓構想を立案
閉め切り面積約1万ヘクタール。米作地6718ヘクタールを造るとした
70年 長崎南部地域総合開発事業に変更
規模は変えず、陸地は畑と工業用地とし淡水湖の水は上水道にも利用
77年 着工予算がつく
82年 着工できないまま農水相(当時)が打ち切りを宣言
83年 諫早湾防災総合干拓事業に変更
86年 事業着手
89年 諫早湾干拓事業として着工
97年 潮受け堤防閉め切り
2001年 干拓規模を見直し、農地を縮小
07年 完工。総事業費は当初予定の約2倍の2533億円
(出所:毎日新聞 2008年6月28日 東京朝刊)
長崎県の国営諫早湾干拓事業を巡る27日の佐賀地裁判決が厳しく指弾したのは、中・長期の開門調査を拒む農林水産省のかたくなな姿勢だった。有明海の環境変化が何に由来するかの立証責任は、漁業被害を訴える漁民ではなく、国の側にあるという論理だ。国が開門調査を催促されたのは、これで4度目。判決は一度動き始めたら止まらない巨大公共事業に一石を投じたが、開門が実現するにはなおハードルがある。
諫早湾干拓事業の開門調査の実施を司法などが促したことは、これまでも3例ある。
最初は01年12月。農水省が設置したノリ第三者委員会が実施を提言した。その後、農水省OBらが委員を務める検討会議が否定的な見解を示し、04年5月に亀井善之農相(当時)が調査を見送った。
次は佐賀地裁が04年8月、工事差し止めの仮処分決定の際、第三者委が提言した調査をしていないと指摘。このために生じた「より高度の証明が困難になる不利益」が、原告だけの負担になるのは不公平という指摘だ。
仮処分決定を取り消した05年5月の福岡高裁も、国側に「中・長期開門調査を含めた調査、研究を今後とも実施すべき責務を負っている」と付言した。
今回の判決は、中・長期開門調査を直接命じるものでないとしつつも、「速やかな調査実施、適切な施策」を求める異例の言及をした。さらに、調査をしない農水省の姿勢を「立証妨害に等しい」と批判した。排水門の開閉権が国にある以上、現状では漁民側が一方的に立証の不利益を被るというわけだ。
原告弁護団は、「漁民らにこれ以上の立証を求めることは不可能を強いる」として「人員や費用を負担しうる」農水省に因果関係がないことの証明を求めた点で、画期的な判決と評価する。馬奈木昭雄弁護団長は「佐賀地裁の仮処分決定も同じ理論。最高裁で否定されたことをまた原点に戻した」と話す。
五十嵐敬喜・法政大教授(公共事業論)は「完成後の公共事業については、これまで損害賠償を求めるしかなかったが、今回は裁判所が開門という措置を求めた点が画期的だ」とし、全国の公共事業を巡る問題への影響力を強調する。【姜弘修、関谷俊介】
◇県「高潮の阻止難しい」/専門家「海よみがえる」--分かれる評価
開門を求めた判決に対し、県側は「現実無視だ」と猛反発するが、専門家からは「今ならまだ海はよみがえる」という声も。中・長期開門による防災、水質、農業などに対する影響について、専門家らの評価も分かれる。
干拓地周辺は大雨や高潮の被害が絶えない地域だ。長崎県は「常時開門となれば、高潮被害を食い止めることが難しくなる」と訴える。
調整池は水質調査で一度も目標値を達成していない。開門されれば「汚い水」が有明海に流出するため、漁業関係者からは逆に影響を心配する声もある。
干拓地では41の個人・法人が今春から営農を始めた。戸原義男・九州大名誉教授(干拓工学)は「地下水の塩分濃度が上がり、麦や大豆の栽培が難しくなる。営農へのマイナス面は大きい」と話す。
一方、東幹夫・長崎大名誉教授(水域生態学)は「02年に実施した27日間の短期開門調査ですら、明確に水質改善が見られた。5年あれば生物による浄化作用などが観測できるはず」と期待する。
小松利光・九州大大学院教授(沿岸域環境学)は「台風接近時などは排水門を閉めればよい。水位に応じた対応で防災は可能」と指摘する。【宮下正己、阿部周一】
◇「なお干拓」矛盾--耕作放棄地、農地の1割
「中・長期の開門は困難。短期開門や実証調査、シミュレーションなどあらゆる努力をしてきた。これまでの調査で十分だ」。農水省農村振興局の斎藤晴美整備部長は27日の会見で、判決が命じた5年間の開門調査に応じない姿勢を強調した。
強気の背景に、04年に佐賀地裁が出した工事差し止めの仮処分決定を福岡高裁が取り消し、最高裁で確定した経緯がある。省内では「今回も上級審で覆る」との見方が大勢だ。
しかし、国営干拓事業は過去にも多くの問題点が指摘されてきた。環境破壊や漁業被害だけでなく、事業自体の「無駄」も行政監察や会計検査などで取りざたされた。
諫早など干拓事業の多くは1950~60年代、コメ増産のために構想された。だが70年ごろからコメは過剰に転じ、干拓で64年に誕生した秋田県大潟村では、入植者が減反政策に反発しヤミ米の出荷を強行した。
宍道湖・中海の淡水化を伴う島根県の中海干拓事業では、シジミの大量死などが問題になり、03年に中止に追い込まれた。造成された農地約331ヘクタールの約2割は農業以外に転用されたり、今も売れ残る。三重・愛知県の木曽岬干拓(74年完了)で生まれた土地は、県境争いも絡んで長年放置された。約370ヘクタールの土地は、土捨て場やスポーツ施設など、すべて農業以外の用途に充てられる計画だ。
国内では農地面積の1割近い38万ヘクタールが耕作放棄地になっている。その解消が課題になる中、国のメンツで進められた干拓事業は、農政の矛盾を象徴している。【行友弥】
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◆諫早湾干拓事業の変遷◆
1952年 国が長崎大干拓構想を立案
閉め切り面積約1万ヘクタール。米作地6718ヘクタールを造るとした
70年 長崎南部地域総合開発事業に変更
規模は変えず、陸地は畑と工業用地とし淡水湖の水は上水道にも利用
77年 着工予算がつく
82年 着工できないまま農水相(当時)が打ち切りを宣言
83年 諫早湾防災総合干拓事業に変更
86年 事業着手
89年 諫早湾干拓事業として着工
97年 潮受け堤防閉め切り
2001年 干拓規模を見直し、農地を縮小
07年 完工。総事業費は当初予定の約2倍の2533億円
(出所:毎日新聞 2008年6月28日 東京朝刊)
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