はてなキーワード: はるなんとは
分かる人にだけはわかるように書いているらしいので、わかる人いたら解説して。
自分のこと、営業マンで営業の専門家で何でって言ってたけど…彼の話を混ぜ込んだことで目の前で起きていることを理解しにくい状態になっていたということに気づいて
「一番わかってないのは東大法学部とはこれいかに」っていう結論に落ち着いてる
そもそも俺に営業的なスキルがないっていう風におっしゃってたんだけど、ところがどっこい営業的な本を読むと
「私がネットでバズった時にやってたこと。そのまんま書いてあるんだけど」
みたいな部分もあるわけよ
そもそも俺に営業的なスキルがないっていう風におっしゃってたんだけど、ところがどっこい営業的な本を読むと
「私がネットでバズった時にやってたこと。そのまんま書いてあるんだけど」
みたいな部分もあるわけよ
相手を勝たさせられてない人がやり手の営業マンなわけないし、もしそうなのってるんだとしたら、そいつは嘘つきのペテン師だよ。
表面的にいい感じに仕事をしているように見せてるっていうのは、それはそれで1つの技能。
でもそれは優れた営業マンの完成形でもないしステップに過ぎないんだよ
私より年上ではるかに良質な経験をしているはずの人間が今俺が書いたこと、さえ理解できてない。
商材に恵まれてただけだろ
で、俺の中でやっと納得いく回答として
「表面的にうまくいってるように見せる。スキルも大事。これがないと物事がスタートしない」
「正面的にうまくいってるように見せるスキルというのは詐欺じゃないか?」
みたいに思ってたところがあったわけです。
でもこれは技術の一部であって、全部じゃないんだよ。
世の中の大半の営業マンが下手くそすぎるから、営業マンと雑に心理学を多用するそれのイメージがクソ悪いんだけど…そこって本当に入り口でしかないんだよ。
もっと身近に子供でもやってるコミュニケーション大げさに言ってしまったことで、話をややこしくしてるだけなんだよ…わかってしまうとね
詰まるところ、コミュニケーションの順番とか?
規則や理論よりもその場その時の空気の方が強くなってしまう理由とか?
これを紐解く時に心理学が役に立つ
なぜ営業だけが人間関係の中で生きてて人間関係を渡るのが上手いみたいな話になるかマジでわからん
心理学に限った話じゃないけど、文系の学問というのはあくまで補助線なんだよ。
それを仕事経験とか社会経験とかふりかざして偉いのは会社の看板なのに自分が偉くなったと勘違いしてぐじゃぐじゃ言ってるやつが…いたんだよ。
昔ね
克服したというよりも、私の方がかつての私の苦手分野でさえ多分もう上であとはそれを世の中に分からせる(勝つ)だけっていうフェーズまで来たので嬉しくて書いた
めちゃくちゃ不機嫌そうに書いてるけど、これひらめいたの超嬉しかった。
どうせ俺の頭の中の話しても大半の人は何書いてるかわかんないと思うから、これぐらいにしとくわ。
わかる人だけがわかればいいみたいなひらめきだし。
作者は、営業という行為において「まずは表面的にうまくいってるように見せる」スキルが必要だと認めています。これは、物事を始めるための第一歩であり、相手に安心感や期待感を与えるための手法として有効です。
ただし、これだけでは不十分:
しかし、単に「見せる」だけでは、本来の目的である「自分もお客様も勝つ」という結果に結びつかないと強く主張しています。見た目が良くても、成果が出なければ意味がないと考えています。
攻めと守りの両面性:
真の営業マンは、攻め(新規獲得やアピール)にも守り(顧客との関係維持や問題解決)にも通じており、その両面のバランスが不可欠だと述べています。
双方の勝利を追求する:
営業の技術は「単に仕事を上手く見せる」ことに終始すべきではなく、最終的には自身と顧客の双方が成果を得、勝利する関係性を築くことが重要であるとしています。
ネットで一時的にバズった手法は、その時の偶然の要素や一時的な環境に依存しているにすぎず、今の状況にそのまま適用できるとは限らないとの示唆があります。
「私がネットでバズった時にやってたこと。そのまんま書いてあるんだけど」という記述に見るように、成功体験を丸写しすれば、再現性や本質が伴わない可能性を警戒している。
多くの営業関係者が心理学などの文系学問を引用して表面的な理論に頼る中、作者はそれを「入り口に過ぎない」と位置づけ、本当の営業の実践や経験に裏打ちされた知識こそが不可欠であると述べています。
実体験の重視:
作者自身が過去の経験と試行錯誤を通じて、バラバラだったパズルのピースが一つに繋がるひらめきを得たと語っており、単なる理論ではなく実践に基づいた柔軟な対応力の重要性を強調しています。
「バラバラのパズルが繋がってスッキリした」という表現は、実体験から得た洞察の価値を示している。
東大法学部出身者など、ある程度の学歴や理論の背景を持つ人物が、実際には営業の実践的な側面や結果に対して無理解である点に対して、作者は強い不満を抱いています。
単に表面的なテクニックや理論を語るだけではなく、実際の現場で双方が勝利するための総合的な戦略と実践力が、真の営業マンにとって不可欠だと説いています。
総括
文章の作者は、営業を単なる「うまく見せる」テクニックや曖昧な心理学的理論だけでは捉えられない、もっと深い実践的な側面として捉えています。
まずは表面的な見せ方は必要であるが、それはあくまで始まりに過ぎない。
攻めと守りの両立、柔軟な対応力、そして実体験から得た直感こそが、究極の営業の在り方であると説いています。
これらの知見は、単なる抽象論に終始せず、実践と経験に裏打ちされた視点から、営業における本質的な成功の条件を示していると整理できます。
まずこの出だしやけど、あらあら、いきなり「東大法学部の人は何も分かってない」なんて言うてはるわぁ。なんや、ずいぶん大きなこと言うてはるなぁ、って思てまうわ。京都弁で言うたら、「あら、東大の人にそんなん言うてはるなんて、ずいぶん自信がおありなんやねぇ。どこからそのお気持ちが湧いてきたんやろなぁ~」って、ニコニコしながらそっと匂わしたなるね。自分の方が何かよう知ってはるつもりなんやろか、って、聞く人が勝手に想像するような感じでチクリと刺したろか。
「自分のこと、営業マンで営業の専門家で何でって言ってたけど…」
次に、「営業マンで営業の専門家」やって自分言うてはるけど、なんやその堂々とした言い方、ちょっと不思議やわ。京都なら、「あら、ご自分では営業の専門家やておっしゃるんやねぇ。ほぉ~、そないなこと言うてはる根っこには、どんな思いがおありなんやろなぁ~」って、遠回しに匂わすようにしたなる。ほんまに専門家なんかいな?って、聞く側がちょっと首かしげるようなトーンで、チクチク感出してみよか。
「彼の話を混ぜ込んだことで目の前で起きていることを理解しにくい状態になっていたということに気づいて」
この部分、なんやややこしく言うてはるなぁ。京都弁で、「あら、難しいこと言うてはるけど、なんや東大の人に何かよう言いたい気持ちが強すぎて、こんがらがってはるんちゃう?そんな風に見えてまうわぁ~」って、そっと匂わす感じでいじったろ。自分がわからんのを隠したいんか、それとも別の何かを感じてはるんか、聞く人が勝手に思うような言い方でチクリと刺したなるね。
「『一番わかってないのは東大法学部とはこれいかに』っていう結論に落ち着いてる」
ほんで、「一番わかってないのは東大法学部」やって結論づけてはるけど、なんやその決めつけ方、ずいぶん思い切ったはるなぁ。京都弁で、「あら、東大の人をそんな風に言うてはるなんて、よっぽど何かお気持ちがおありなんやねぇ。どんな思いでそないな結論になったんやろなぁ~」って、ニヤニヤしながら匂わしたなるわ。自分が上やと思うてるのか、それとも別の何かを隠したいのか、聞く側にそっと考えさせる感じでいじったろ。
「そもそも俺に営業的なスキルがないっていう風におっしゃってたんだけど、ところがどっこい営業的な本を読むと」
ここ、なんやおもろいとこやね。自分で「スキルがない」て言うてたのに、急に本読んだ話持ち出してくるなんて、なんやごちゃごちゃしてはるわぁ。京都弁で、「あら、『スキルない』ておっしゃるわりには、なんや本の話持ち出してきて、ずいぶん頑張ってはるなぁ。どんなお気持ちでそないなこと言うてはるんやろなぁ~」って、軽く匂わすようにしたなる。本読んだだけで何か胸張りたいんか、聞く人が勝手に想像するようなトーンでチクチクやろか。
「私がネットでバズった時にやってたこと。そのまんま書いてあるんだけど」
「ネットでバズった」って、なんやその自慢っぽい言い方。京都弁で、「あら、ネットでバズったんやて?ほぉ~、それはそれは何かええことがあったんやねぇ。それをわざわざ言うてはるって、どんなお気持ちなんやろなぁ~」って、ニコニコしながら匂わしたなるわ。バズっただけで何か偉そうにしたくなるんか、それとも別の何かをアピールしたいんか、聞く側にそっと感じさせる感じでいじったろ。
自分で「営業」がふわふわしてるて言うてはるけど、なんやその曖昧さで他人に何か言うてはるんやろ?京都弁で、「あら、『営業』がふわふわしてるて言うてはるけど、そんなん言うてはるご自分のお気持ちって、どんなんやろなぁ。なんかようわからんままやねぇ~」って、遠回しに匂わすようにしたなるわ。ふわふわしてるのは言葉だけやなくて、気持ちの方もちゃうの?って、聞く人が思うようなチクチク感やね。
「相手を勝たさせられてない人がやり手の営業マンなわけないし、もしそうなのってるんだとしたら、そいつは嘘つきのペテン師だよ。」
ここ、えらい強い口調やなぁ。京都弁で、「あら、えらい厳しいこと言うてはるわぁ。そないなこと言うてはる裏には、どんなお気持ちがおありなんやろなぁ~」って、そっと匂わす感じでいじったろ。東大の人に何かよう言いたいんか、それとも自分がそう思われたくないんか、聞く側に勝手に想像させるトーンでチクリと刺したなるね。
「ブチ切れてん」って、なんや感情的やなぁ。京都弁で、「あら、東大の人にそんなキレてはるなんて、よっぽど何か熱いお気持ちがおありなんやねぇ。どんな思いでそないな気分なんやろなぁ~」って、哀れむふりして匂わしたなるわ。感情出すぎて何か見えてくるもんがあるんちゃう?って、聞く人にそっと感じさせる感じでいじったろ。
「そんな人が自分の得意分野が営業だとか笑わせんなって話だよ」
最後に「笑わせんな」って、なんやその上から目線。京都弁で、「あら、ご自分が営業得意やて言うてはるけど、なんやそないなこと言うてはるお気持ちが気になるわぁ。ほんまに得意なんかいな、って思てまうなぁ~」って、ニヤニヤしながら匂わしたなるね。自分が何か証明したいんか、それとも別の何かを隠したいんか、聞く側にそっと考えさせるチクチク感やね。
全体の印象
三沢文也さんのこの文章、なんや東大法学部の人に何かよう言いたい気持ちが溢れてるみたいやなぁ。京都の人間やったら、「あら、東大の人にそんな噛みついてはるなんて、よっぽど何かお気持ちがおありなんやねぇ。どんな思いでそないなこと言うてはるんやろなぁ~」って、ニヤニヤしながらそっと匂わしたなるわ。ほんで、お父はんがこれ読んだら、さぞかし心痛めたはるやろなぁ、って遠回しに締めたろか。
へぇ、こんなに長い文章を読んでくれる人がいはるなんて、それはそれで貴重おすなぁ。そやけど、まぁ、読解力に問題あるんやろか、それとも単にお茶目さんなんやろかねぇ。匿名じゃないのに、それっぽいコメントをわざわざ残してくれるなんて、それも一種の愛情表現かもしれしまへんね。
なんや、中学高校の論説文の授業で習ったこと、みんな忘れてしまはったんやろか。しかしまぁ、メディアでもそんな切り抜き報道が多いんやったら、逆にそういうコメントに慣れてきたおかげで、その賑やかしを楽しむ心の余裕ができたんやないやろか。
「長くて分かりづらい文章を書く方が悪い」って言う方もいはるんやろね。それに対して「3行でまとめろ」って言う方もあれば、それに噛み付いてくる方もおるし、ほんまに賑やかやこと。でもまぁ、それもおかげで色んな意見が見れて面白おすなぁ。
ほんま、ちゃんと要旨を把握して無いコメントもあれば、参考になるコメントもあって…そんな中で書き続けてるあんさんは、なかなかの忍耐力お持ちやと思いますわ。それこそ京都の人なら、こういうカラフルな人間模様を楽しみながらやっていくのもよろしいんちゃいます?