昭和18年 (みずのとひつじ 癸未)
年(年号) | |
●1923年 (大正12年) | ■関東大震災 |
●1928年 (昭和3年) | ■初の普通選挙実施 |
●1932年 (昭和7年) | ■五・一五事件 |
●1936年 (昭和11年) | ■二・二六事件 |
●1941年 (昭和16年) | ■対英米宣戦布告 |
●1945年 (昭和20年) | ■ポツダム宣言受諾 |
●1946年 (昭和21年) | ■日本国憲法公布 |
●1951年 (昭和26年) | ■サンフランシスコ講和条約 |
●1953年 (昭和28年) | ■テレビ放送開始 |
●1956年 (昭和31年) | ■国際連合加盟 |
●1960年 (昭和35年) | ■東京タワー完成 |
●1960年 (昭和35年) | ■日米新安保条約調印 |
1943年
(昭和18年 から転送)
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1943年(1943 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。昭和18年。
- 1 1943年とは
- 2 1943年の概要
昭和18年(1943年)
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「第五航空隊」の記事における「昭和18年(1943年)」の解説
1月24日、水戦でアムチトカ島コンスタンティン湾を偵察。翌日より3日連続、水戦2機でコンスタンティン湾爆撃。 2月1日、君川丸で水戦6・水偵2搬入。翌日全力でコンスタンティン湾爆撃。 2月14日、君川丸で搬入を図るが、キスカ島空襲のため沖合で射出。水偵5機のうち1機落伍。零式水上観測機2機ともキスカ島到達に失敗。 2月19日、コンスタンティン湾偵察に向かった水戦2機喪失。 3月10日、君川丸で水戦6・水偵3がアッツ島に到着。 4月、相次ぐ空襲により、アッツ島の稼動機は1機、キスカ島の稼動機は0となる。 5月12日、アッツ島地上戦開始、29日玉砕(四五二空の38名も玉砕)。 5月18日、第十二航空艦隊新編、隷下第二十七航空戦隊に転籍。 5月27日、キスカ島撤収開始。搭乗員を伊号第七潜水艦・伊号第二十一潜水艦で幌筵島に後送。 6月、幌筵島撤収完了。別飛沼に基地設営(水戦12・水偵8・水観8) 7月19日、占守島に敵機来襲。水戦で追撃したが会敵せず。 10月1日、水戦隊解散。上旬のうちに内地帰還。 11月、館山飛行場に帰還。再編・練成開始。 以後、内地近海の対潜哨戒・船団護衛に従事。 1945年1月1日、解隊。 館山撤退後は、日本近海の偵察部隊として平常の任務をこなした。要員は南方戦線に引き抜かれ、部隊の錬度は下がる一方であった。フィリピン陥落後に海軍航空隊の大規模な編成変更が実施され、戦力外となった四五二空は解散して実施部隊の補充に充てられた。
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