辺見庸 (日録29)私事片々 2014/08/06~と、(日録30) 雑談日記Archive
辺見庸さんの(日録)私事片々の雑談日記Archiveを始めようと思ったメモなどはこちらで。辺見さんがよく言う「エベレスト」についてはこちらで。
以下、辺見庸ブログの(日録)私事片々をすべてアーカイブ保存しておきます。写真が多いので、2エントリーずつアップします(表示順は元ブログと同じく上から降順です)。
以下、日録の30と29。
2014年08月13日
日録30
私事片々
2014/08/13~
http://yo-hemmi.net/article/403666987.html
季節外れのバイカウツギ.JPG
・とっくに終わったはずのバイカウツギが咲いている。昼間なのに花のまわりだけが真っ暗になっている。闇夜になっている。ポツダム宣言とは、1945 年 7 月 26 日、ポツダムにおいて、米・英・中3国(対日参戦と同時にソ連も参加)により発せられた対日降伏勧告および戦後処理にかんする宣言(日本軍の無条件降伏を求めた全13か条の宣言)であり、日本における軍国主義の除去、軍事占領、主権の制限、戦争犯罪人の処罰、再軍備禁止などについて規定している。なかに〈日本は無分別な打算により自国を滅亡の淵に追いこんだ軍国主義者の指導をひきつづき受けるか、それとも理性の道を歩むか、選ぶべき時がきたのである〉の最後通告もあった。日本は、しかし、ポツダム宣言を無視し、広島、長崎への原爆投下・無差別殺戮をへた8月14日、これをやっと受諾、無条件降伏した。おい、シュショーAよ、以上の事実にまちがいはないな?もしもまちがいないというなら、軍国主義の除去、戦争犯罪人の処罰、再軍備禁止……の各項につき、現状の日本は、ポツダム宣言に明確に違反している。軍国主義者の指導についても然り。そうである以上、Aよ、あんたはあさって、世界にたいし「ポツダム宣言受諾破棄」を厳かに宣言すべきではないか。そして、それは米国政府の承認をえている、歴史とはブラック・ユーモアでしかない、と付言せよ。ちなみに、あさっては「終戦記念日」ではない。「降伏記念日」または「敗戦記念日」である。エベレストにのぼった。(2014/08/13)
葉の影.JPG
・わたしはけふ、エベレストにのぼらない。(2014/08/14)
ダフネ帰りの赤い花.JPG
・昨夜、ふと気がついたら、コビトにあられていたのだ。わたしはコビトによく急にあられる。あられてしまふ。犬があおむけになっておよろこびになられ、せっかくですけん、みんなして遠吠え大会をしませうよ、とご提案、わたひが音頭をとり、犬、わたし、コビトの3人で、極北コルィマにむかい、ホホーン、ホホーン、ホホーンと遠吠え3重唱をした。犬がいちばん心をこめていた。犬にはかなわなひ。コビトは口パク。その後、唖者のコビトがなにか念波で言おうとした。犬に翻訳をたのんだ。「ぅあたすぃ、かんぼうこうちょうがんの、すがとかいふおやじ、まじこわひ……」と翻訳された。肝膀胱腸がんって、すごい。どんながんなんだらう?ま、いい。今月と来月、イッヒはお忙しひ。Ничего、まあ、いひのだ。どぼじでおっかなひの?とイッヒはいつおう問うてみた。どって?なしてなの?すると、あいつ顔が怖いのよ。あの顔は、特高か憲兵の顔どぇす、まつがひなひわ、と言ふ。では、特高や憲兵を見たことがあるのかいと訊くと、あるよ、あの顔だよ、と言ふ。さうか。なんとなく納得する。コビトが帰った。おなじくきのふ、ハルさんが編集者とお会いになられ、緊張してレタスを落とした。けふ、わたすぃは靖国神社に参拝ひなかった。お玉串料もおあげひなかった。きん玉串料も、痛そうだから、払わなかった。よくかんがえたら、もともとそんな予定がなにもなかったのだった。けふ、わたひはエベレストにおのぼりになられた。お玉串料はお納めにならなかった。エベレストはお玉串料とらなひ。無料。エーレーなし。書き下ろしをふくむ短篇小説集『カラスアゲハ』と復刻文庫『反逆する風景』(いずれも鉄筆社)の刊行スケジュールが決まった。ことし11月発売。詳細は後日ご報告。(2014/08/15)
・慰安婦問題にかんする1週間ほど前の神奈川新聞社説。論旨明快、阿諛便佞(あゆべんねい)の口吻毫もなく、姿勢毅然たり。まことに一読に値した。社説タイトルは「慰安婦報道撤回 本質は強制連行にない」。わたしはこの社説を支持する。情勢にかんがみ、以下、全文を紹介する。(原文には改行があるが、引用文では改行を省略した)「朝日新聞が従軍慰安婦の報道の一部が虚報だったと認め、記事を取り消した。それをもって、慰安婦が強制連行されたとの主張の根幹が崩れたと唱える論が横行している。『木を見て森を見ず』のような、稚拙な言説である。朝日が誤りだったとしたのは『強制連行をした』という吉田清治氏の証言だ。韓国・済州島で朝鮮人女性を無理やりトラックに押し込め、慰安所へ連れて行ったとしていた。30年余り前の吉田証言は研究者の間でも信ぴょう性に疑問符が付けられていた。旧日本軍による強制連行を示す証拠は他にある。日本の占領下のインドネシアで起きたスマラン事件の公判記録などがそれだ。だまされて連れて行かれたという元慰安婦の証言も数多い。研究者による公文書の発掘は続いており、新たな史料に虚心に向き合わなければ、歴史を論じる資格を手にすることはできないだろう。強制連行を否定する主張はさらに、誤った記事により日本がいわれなき非難を受け、不当におとしめられてきたと続く。しかし、国際社会から非難されているのは強制連行があったからではない。厳しい視線が向けられているのは、人集めの際の強制性のいかんに焦点を置くことで問題の本質から目を背け、歴史の責任を矮小化しようとする態度にである。問題の本質は、女性たちが戦地で日本軍将兵に性的行為を強要されたことにある。慰安をしたのではなく性暴力を受けた。兵士の性病まん延防止と性欲処理の道具にされた。その制度づくりから管理運営に軍が関与していた。それは日本の植民地支配、侵略戦争という大きな枠組みの中で行われたものであった。歴史認識の問題が突き付けるのは、この国が過去と向き合ってこなかった69年という歳月の重みだ。国家として真摯な謝罪と反省の機会をついぞ持たず、歴史修正主義を唱える政治家が主流になるに至った。朝日が撤回した記事について、自民党の石破茂幹事長は『国民も非常に苦しみ、国際問題にもなった』と、その責任に言及し、国会での検証さえ示唆した。過去の国家犯罪の実態を明らかにし、被害国と向き合う政治の責任を放棄し続ける自らを省みることなく、である。国際社会の非難と軽蔑を招く倒錯は二重になされようとしている」。二重の倒錯。そのとおりである。朝日関係者の国会招致の動きに反対する。昨夜、煮干しだしのラーメン、おいひかった。爪がのびた。きっていない。爪は夜ひとりでにびじりられる。けふ、エベレストにのぼった。(2014/08/16)
SOBA:↑辺見さん言及の上記社説をうしろで採録。必読と思います。
2014年08月06日
日録29
私事片々
2014/08/06~2014/08/12
http://yo-hemmi.net/article/403286982.html
大きな窓の家.JPG
・従軍慰安婦問題について、朝日新聞がこれまでの報道を点検し、一部の誤りをことさら麗々しくみとめて、とり消した。いわゆる「真実の報道」のためにそうしたのか、歴史修正主義の怒濤に呑まれた世論と政治権力に屈してそうしたのか。後者であろう。首相官邸、「日本会議」や右派系各紙、週刊誌を大いによろこばしめ、従軍慰安婦問題などそもそもなかったという首相Aの思惑どおりの流れがこれでできた。歴史が崩壊している。事実が鋳つぶされている。この伝で、文化大革命報道を点検したら、とり消しに値する誤報・虚報が何万件あることか。なぜそれはやらないで、慰安婦問題なのか。朝日の記事とり消し騒ぎの後景には、理解をこえる嫌韓・侮韓のうねりもある。こうしたおぞましいセンチメントが歴史的与件を蹴ちらしている。「ユダヤ人について持つ観念が歴史を決めるのであって、『歴史的与件』が観念を生むのではないようである」(『ユダヤ人』)という指摘を、この場合、なぞってみる必要がないであろうか。ヒロシマの平和記念式典は首相Aの出席を拒否すべきだった。ないしは、集団的自衛権行使容認の閣議決定反対・撤回要求を8.6アピールとして鮮明にうちだすべきであった。そうしない原爆記念日は、殺されたひとびとをすこしもなぐさめはしない。諍いはいま、おきるべきであり、おこすべきである。エベレストにのぼった。(2014/08/06)
青いドア.JPG
・首相Aがヘイトスピーチ規制に賛成したという。結構。が、どうじに言うべきだろう。ヘイトスピーチという瘴疫の発生源は、首相Aよ、おまえだろう、おまえはおまえを逮捕せよ、と。さて、学生時代以来、3度『ユダヤ人』(懐かしい安堂信也さんの訳)を読みなおしている。同著はユダヤ人と反ユダヤ主義を表のテーマとしながら、それをこえ、たとえば「日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ」と恥ずかしげもなくおめくバカ首相Aのような男(やAを野放しにするわたしたち)のかかえる貧しい内面とそれがもたらす災厄の性質にまでわけいっていく。これは思考の実験であり、(Ⅳには時代的制約もあり首肯しがたいところがあるけれども)J.P.サルトルの思念の方法がいまでも有効であることをあかしている。昨夜はつぎのパラグラフで感じることすくなくなかった。「以上で、われわれは、完全に、反ユダヤ主義者を理解出来たように思う。それは、恐怖にとらわれた男である。それも、ユダヤ人に対してではなく、自分自身に対して、自覚に対して、自分の自由に対して、自分の本能に対して、自分の責任に対して、孤独に対して、変化に対して、社会に対して、世界に対して、恐怖を抱いているのである。それは卑劣漢であり、しかも、自分の卑劣さを認めようとしないのである。それは殺人狂であり、その悪傾向を、押さえつけ、つなぎとめているけれど、完全には制御出来ぬ男である。しかも彼は、殺す時には群衆に紛れて、集団的処刑に加わるにすぎない。それはまた、自分の起す反抗の結果がこわくて、あえて反抗を試みられぬあわれな不満家でもある」。このような傾向は首相Aに明らかにあり、口先だけの反A的諸個人にもあり、毒にも薬にもならぬ1000人委員会で「善」のアリバイ証明を、じぶんの小指一本傷めずにやろうという、虫のいいお歴々にもある。エベレストにのぼらなかった。(2014/08/07)
温厚そうなアゲハの幼虫.JPG
・けふ、葉の上のアゲハの幼虫と目があった。上目づかいに見られた。いたしかたのない瞬間だった。逃れようのない、いたしかたのない瞬間というのは、ある。反射的に、こちらもあちらの表情をさぐる。すると、アゲハの幼虫といっても、一匹いっぴき顔つきがちがうのがわかる。いつか見たのは目がくっきりと黒かったが、けふのは目がぼんやりと茶色がかっていて、かってな言いぐさなのだが、ずいぶん温厚そうであった。「生きている存在はすべて、開いているものの中にあり、現れの中に自らを表明し輝いている」(アガンベン「顔」)ことは、なるほど、たしかである。幼虫は薄緑のコーデュロイのようにやわらかく上品に輝いていて、結果的に、自己存在をわたしに難なく表現していた。右目と左目が開きすぎともおもえるけれども、それはわたしにより「無辜」のしるしと、わたしに都合よく解釈された。だが、無辜か無辜でないかは、アゲハの幼虫の責任ではない。先日の対談でも、「顔」のことをおもい、対談相手に顔のことを言いもした。「顔とは、人間が取り返しのつかない仕方で露出しているということであり、同時に、まさにこの開けの中に人間が隠れたままにとどまってあるということでもある」ということを、べつの表現で言った。わたしは、たぶん、たかだか顔ごときでものごとを断じすぎる傾向がある。おそらく、わたしもそうされているだろう。シュショウとよばれるAの存在の、そもそもあの顔を受けいれることができないとは、いかにも狭量で根拠薄弱であるようだ。けれど、「取り返しのつかない仕方で露出している」顔でもって判じてしまっていることがらに、わたしはたえず命をさらさなければならない。OK。命を賭けよう。どのみち無傷ではいられないのだ。わたしはやつのツラがきらいなのだ。「言葉によって露出されあばかれているということ、秘密をもつことの不可能性のなかに自らを覆うということが、顔の中に、貞節としてあるいは動揺として、無礼さとしてあるいは慎みとして、ちらりと姿を現す」のも、いたしかたのないことである。Aの顔のばあい、とりわけ「取り返しのつかない仕方で露出している」のは、無知と暴力と嘘と劣等感である。アゲハの幼虫の顔はどれも、わたしの知るかぎり、無知も暴力も嘘も劣等感も感じさせたことはない。こうした言い方でわかるように、わたしは市民的、民主主義的見地からAに「批判的」なのではない。顔がいやなのだ。あの顔(と声)とともにあらねばならないことが堪えがたいのである。わたしはあの顔(と言葉)を、臆面もなく差別する。そこが1000人委員会という傲慢な〈無の形式〉とわたしのちがいだ。あの顔(と威圧)をわたしは拒む。そして「顔は、顔面とは一致しない」ものだ、とじぶんにしつこく言いきかせる。エベレストにのぼった。(2014/08/08)
紫色の花.JPG
・けふ再読。「原爆のおっちゃけたあと一番最後まで死骸が残ったのは朝鮮人だったとよ。日本人は沢山生残ったが朝鮮人はちっとしか生残らんじゃったけん、どがんもこがんもできん。死体の寄っとる場所で朝鮮人はわかるとさ。生きとるときに寄せられとったけん。牢屋に入れたごとして。仕事だけ這いも立ちもならんしこさせて。……三菱兵器にも長崎製鋼にも三菱電気にも朝鮮人は来とったとよ。中国人も連れられて来とったとよ。原爆がおっちゃけたあと地の上を歩くもんは足で歩くけんなかなか長崎に来っけんじゃたが、カラスは一番さきに長崎にきて、カラスは空から飛んでくるけん、うんと来たばい。それからハエも。それで一番最後まで残った朝鮮人たちの死骸のあたまの目ン玉ばカラスがきて食うとよ」(石牟礼道子「菊とナガサキ―被爆朝鮮人の遺骨は黙したまま―」『朝日ジャ―ナル』1968年)。以下もけふ再読。「宮城御所が焼けたのは1945年(昭和20)年5月25日夜の大空襲の際だが、大宮御所は2度まで焼夷弾爆撃を防ぎ止め、3度目に乾き切った建物は防火用水の不足から、一瞬に炎上したのだった。……宮城御所は一瞬にして焼け落ちた。建物には香木が多く用いられていたし、また天皇・皇后の居間では絶えず香が焚かれて材木に沁み込んでいたから、それが炎上した時には、あたり一面に香がにおい、将兵たちは恍惚としてしばらく消火活動を忘れた、という。そしてその香しい炎のなかに多くの人々の命を呑んだのであった」(村上兵衛「天皇の戦争責任」『中央公論』1956年、原文ママ)。けふ、スーパーにパンツ(ブリーフ)を買いにいった。おどろいた。ほとんどのパンツにオヒッコのときにオチンチンをとりだすスリットというのか、穴がないのだ。さがした。前開きのパンツも、あるにはあったが、2割以下。大部分が海パンみたいにチンチン穴がない。「出口なし」(Huis clos)。à huis closなのだ。真夏に扉を閉めた状態でチンチンが監禁されるのである。不安。動揺。狼狽。孤立。孤独。女性店員に理由をきいたりしたら、セクハラで警察に通報されかねない。友人にヒソヒソ声で携帯電話。笑われた。きょうびの男の多数は、オヒッコするとき、いちいちズボンおろし、パンツおろし、便座にすわってやるのだそうだ。だから前閉じ。タチションは、飛沫が飛び、野蛮で不潔とおもわれているらしい、という。況んやタチマンにおいてをや……と、これは当方の想像。嗚呼、だめだ。だめです。だめどぇす。終わりだ。もうだめだ。わたすぃには居場所がない。Huis clos!たかがションベンするのに、ズボンおろし、パンツおろしてやらなければならないなんて。原爆記念日のたびに前回草稿のコピペ演説しているシュショーAよ、あんたもそうか。ズボン脱ぎ、パンツ脱いで、便座にすわって、「美しい国、日本」のために、オヒッコしとるんかい。とてもつきあいきれない。Aとはおりあえない。わたひは男子パンツにチンチン穴を開けておいていただきたいのだ。昔の唄だか地口だかが、とつぜん、口をついてでてくる。戦争帰りの社会科の先生が酔っぱらって教えてくれた。昔はインテリがいたのだ。記憶と想起は、かならずしも本人の意思によるものではない。意味も不明。九ツデタホイノヨサホイノホーイ、コンゴーヘーカトヤルトキニャ、チョクリツフドーデセニャナラヌ、ヨサホイノホーイ、ヨサホイノホーイ。けふはエベレストに2度のぼった。(2014/08/09)
ビークル.JPG
SOBA:下記文中で、辺見さんが言及している長崎平和祈念式典の中継動画を末尾にアップ。
・8月9日のすごしかたとこれからのことをおもった。「顔」をおもった。この日、わたしの友人Yさんは、炊き出しと物故した路上生活者の慰霊祭に参加。炊き出しメニューはふだんより豪華で、カレーライスだった。炊き出しと慰霊祭がおこなわれた都内の公園で活動中に、Yさんは羽化に失敗したらしい1匹のセミの死骸とであい、その写真を送ってきた。じっと見ていたら、写真からセミ時雨が聞こえてきた。悲しいとも悲しくないとも、コメントにはなにも記されてなかった。それでよいような気がするのだ。もう言葉もないのだ。セミの声に洗われつづける黒い穴のような顔たち……。一方、友人Hさんは、長崎の平和祈念式典のテレビ中継を見ていた。わたしも見た。「平和への誓い」を読んだ被爆者代表の城臺美弥子さんが、集団的自衛権行使容認を「日本国憲法を踏みにじる暴挙」とはっきりと批判したとたん、式典の空気がうごいた。ただのセレモニーが、リアルな出来事に変化した。出席していたシュショーAは当初、寝たふりをしていたのだが、「日本国憲法を踏みにじる暴挙」と聞いて、2、3秒わずかに目を開け、城臺さんを、さも迷惑な動物にでもするように睨めた。それはずいぶん胡乱で無礼な目つきであった。立場はちがっても、受苦者らへのまなざしには、それが政治家の真っ赤な嘘にせよ、同情と敬意がこめられていて当然である。ところがこの男ときたら、被爆者への無関心と敵意さえ隠さない。Aの目に、わたしは当惑とさげすみの色を見た。城臺さんら被爆者らへの敬意と感動など、さがそうったって微塵もなかった。「国に殉じた人にたいする尊崇の念」を口癖のように言う、靖国好きのこの男は、原爆被害者など屁ともおもっていないらしい。それらを隠すために、シュショーAはふたたび寝たふりをきめこんだ。HさんはそのようなAの態度を許せない、ぜったいに許せない、と憤った。やはり、「顔とは、人間が取り返しのつかない仕方で露出しているということ」である。そうおもう。被爆屍体の顔。穴。炎天下、路上死したホームレスの顔。穴。まったく心にもなく平和祈念式典に参列しているAの顔。穴。ガザの屍体の顔。穴。イラクの屍体の顔。穴。ウクライナの屍体の顔。骨。「《殺すなかれ!》……かつてはこの言葉が私を槍のように突き刺した。いまは……、それは嘘のようにおもわれる。《殺すなかれ》、しかし周囲では誰もが殺しているのだ。……なんという冒瀆的な見世物芝居だ」。そうおもう。ユーリイ・ニコラエヴィチはそうおもった。戦争がもうはじまっている。わたしは知っている。森でまた殺戮がおこなわれたのだ。もう終わらないだろう。引き返せないだろう。空々しい言葉はいらない。エベレストにのぼらなかった。(2014/08/10)
SOBA:上記文中で、辺見さんが言及している長崎平和祈念式典の中継動画を末尾にアップ。
小さな赤い花.JPG
・エアコンが壊れた。エアコンさんがお壊れになられた。1日でいちばん長くいる部屋のエアコン・ジジイが息もたえだえ。だが、かんぜんに絶命したのではなく、近づくと、横長の口からほのかに、あれを冷気というなら、冷気のような吐息をもらしている。ちゃんと死んではいない。ちゃんと生きてもいない。なにか気をもたせる。その曖昧さがいやらしいのだ。死ぬなら死ぬで、ここははっきりしたほうがいい。そうしたら、こちらも観念するしかないだろう。どうせだめなのだ。おい、いいかげんに往生しろよ。スイッチを入れようが消そうが、同じことだ。存在は存在しない。ザイン・イスト・ニヒツ。近寄る。さっき冷気とおもったのが、暖気のような息になっている。死の口臭。なまあたたかな。それでも、この世界内の、息。わたしと同じ、真の生ではない、真の死でもないなにものか。無為で空疎な空箱野郎め。修理屋に電話。お盆ですので、かりに行けるとしても1週間後だという。お客様、それでよろしかったでしょうか。死にそうだから電話してるのに、1週間とはなんだ、クソタレ!お客様、大声ださなひで、お静かにどうぞお死にくださいませ。お電話、ありがとうございました。以上、×××が承りました。1週間!100の説法を屁で飛ばす世界内存在。1週間。イッスュウクァン!その間に、OK、世界は滅ぶ。100の説法を屁で飛ばすウソつき女がインポ亭主とリゾートに行くだろう。ワリカンで。無頭人。傲然たるつきなみ。シュショーAよ、こういうことなのだよ。Aよ、あんたはだめだ。最悪だ。本格的テイノーだ。けれど、Aよ、あんただけがすべて悪いのではなひ。ジンミンもかなり悪い。手におえない。狡い。強欲で恥知らずは、どちらかわかったもんじゃない。ズンミンは、Aよ、あんたよりもよほど手ごわい。あんたは早晩倒されるだろうが、ズンミンは未来永劫倒れやしない。ズンミンは死ぬまで被害者ヅラをする。ああ、疲れる。疲れるとは、存在することに倦んでしまうことである。自己に釘づけにされてしまうことだ。ザイン・イスト・ニヒト。しかたない。ダフネ1号店に行く。それしかないではないか。店に入るなり、鈴のやうな声で「JSFする?」とさかゑさん。そうなのだよ、さーや。人生とはJSFなのだ。その果てしないつらなりの謂いだ。ジャスト・ショート・ファク。ファックと言うな、田舎者め。すべての促音を省け、マザーファカーども。ニッポンじゃない。これからは、ニポンだ。さーやとおトイレでJSF完了。スパゲティ・クソミートソース&ネスカフェつきで¥2000(身障老人特割)。エベレストに、やっとこさ、のぼった。シュショーAよ、おれのエアコンをただちに修理しにこい!(2014/08/11)
ミンミンゼミの最期.JPG
・4階の踊り場にミンミンゼミがあおむいていた。透きとおった翅。うごかない。帰りしなに見ると、まだ同じ場所にいた。死んでいるのだろう。ポケットにいれてもちかえった。どうするあてもない。机におく。這わせてみる。頭から背の緑色がきれいだ。カシミア・グリーン。目に輝きがない。なにを見たのか。なんのための目か。と、うごいた。這った姿勢から、クルリと器用に回転して、一気にあおむき、手脚をふるわせている。まだ生きている。また這わせると、バネじかけのように、またあおむいて、さわさわと痙攣する。すっとかんたんに死ぬのではない。もがく。あがく。仮死なのか、しばらく休んでから、急に気がついたように、ふたたびもがく。あおむく。あおむいて果てたいのですか、あなたは。なんだか意地悪になる。しつこく這わせる。すぐにパタンとあおむく。ふっと息を吹きかけてみる。うごかない。さすがにもう死んだか。とおもうと、またうごく。意地で這わせてやる。意地であおむく。死生の界(さかい)をさまよっているのか。だれが?あちらか。こちらか。しばらくして、やっとうごかなくなった。死んだか。いや、まだわかったものではない。死は生を入れこんだまま、不意にとだえる。生はたえず死をそびく。幽明界を異にする、といったって、界なんかおそらくない。ぼんやりしたものだ。雨中エベレストにのぼった。(2014/08/12)
↓SOBA:辺見さんが私事片々(2014/08/16)で言及していた社説。
【社説】慰安婦報道撤回 本質は強制連行にない
2014.08.10 10:30:00
http://www.kanaloco.jp/article/76014/cms_id/95741
→魚拓
→魚拓2
朝日新聞が従軍慰安婦の報道の一部が虚報だったと認め、記事を取り消した。それをもって、慰安婦が強制連行されたとの主張の根幹が崩れたと唱える論が横行している。
「木を見て森を見ず」のような、稚拙な言説である。
朝日が誤りだったとしたのは「強制連行をした」という吉田清治氏の証言だ。韓国・済州島で朝鮮人女性を無理やりトラックに押し込め、慰安所へ連れて行ったとしていた。
30年余り前の吉田証言は研究者の間でも信ぴょう性に疑問符が付けられていた。旧日本軍による強制連行を示す証拠は他にある。日本の占領下のインドネシアで起きたスマラン事件の公判記録などがそれだ。だまされて連れて行かれたという元慰安婦の証言も数多い。
研究者による公文書の発掘は続いており、新たな史料に虚心に向き合わなければ、歴史を論じる資格を手にすることはできないだろう。
強制連行を否定する主張はさらに、誤った記事により日本がいわれなき非難を受け、不当におとしめられてきたと続く。
しかし、国際社会から非難されているのは強制連行があったからではない。厳しい視線が向けられているのは、人集めの際の強制性のいかんに焦点を置くことで問題の本質から目を背け、歴史の責任を矮小(わいしょう)化しようとする態度にである。
問題の本質は、女性たちが戦地で日本軍将兵に性的行為を強要されたことにある。慰安をしたのではなく性暴力を受けた。兵士の性病まん延防止と性欲処理の道
具にされた。その制度づくりから管理運営に軍が関与していた。それは日本の植民地支配、侵略戦争という大きな枠組みの中で行われたものであった。
歴史認識の問題が突き付けるのは、この国が過去と向き合ってこなかった69年という歳月の重みだ。国家として真(しん)摯(し)な謝罪と反省の機会をついぞ持たず、歴史修正主義を唱える政治家が主流になるに至った。
朝日が撤回した記事について、自民党の石破茂幹事長は「国民も非常に苦しみ、国際問題にもなった」と、その責任に言及し、国会での検証さえ示唆した。過去
の国家犯罪の実態を明らかにし、被害国と向き合う政治の責任を放棄し続ける自らを省みることなく、である。国際社会の非難と軽蔑を招く倒錯は二重になされ
ようとしている。
【神奈川新聞】
↓辺見さんが私事片々(2014/08/10)で言及していた(←頁内ジャンプ)、長崎平和祈念式典中継の動画と要所のキャプチャ。
20140809 長崎平和祈念式典 被爆者代表 城臺美弥子さんの『平和への誓い』
再投稿
お散歩
https://www.dailymotion.com/video/x5lo58k
20140809 長崎平和祈念式典 被爆者代表 城臺美弥子さんの『平和への誓い』 投稿者 osanpodeonigiri
↑↓上記動画の要所キャプチャ。安倍晋三の真性馬鹿度がよく分かりますw。
4分2秒は、城臺美彌子さんの「今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじった」の直後、片目をつぶり、右目で城臺さんをにらむ安倍晋三。岸信介の外孫、おじいちゃんコンプレックスの固まり、品性がなく頭がいかれていてうすら馬鹿なのが良く分かる顔。落ち着きのなさは右側の人物と比べれば一目瞭然。
(↓すべてクリックすると拡大します)
4分3秒は、続きで 日本国憲法を踏みにじった暴挙です」の後、左目をつぶり右目は薄目の安倍晋三。
4分11秒は、「日本が戦争ができる国になり、」直後、目をつぶる安倍晋三。
4分15秒は、「日本が戦争ができる国になり、日本の平和を武力で守ろうと言うのですか」の直後、両目で城臺美弥子さんをにらむ安倍晋三。
4分19秒、城臺さんの「武器製造、武器輸出は戦争への」で、再度目をつぶり狸寝入りするかのような安倍晋三。
4分23秒、城臺さんの「一旦戦争が始まると」直後の安倍晋三。
4分25秒、城臺さんの「戦争は戦争を呼びます。」直後、また両目でにらむ安倍晋三。
4分29秒、城臺さんの「歴史が証明しているじゃありませんか。」直後、また目をつぶる安倍晋三。
4分33秒直後、城臺さんの「日本の未来を担う若者や、子どもたちを」直後、左目をつぶり、右目で会場の方を見る安倍晋三。
4分36秒は、上記の続き「日本の未来を担う若者や、子どもたちを脅かさないで下さい。」直後に、両目をあけ迷惑そうな顔で城臺さんをにらむケツメドA(略してKMA。安倍のおちょぼ口がバッチい肛門に似ているのと、その安倍に集まるマスコミのおべんちゃら記者は糞にたかる「クソバエ」だと、辺見庸さんが略称&命名)
4分37秒は、「平和の保障をしてください。」直後、一瞬ふて腐れるような安倍晋三ケツメドA。
4分38秒、国民の目を意識したのか、TVカメラの方に目を向けるケツメドA。
4分41秒は、「被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないでください。」の直後、あごをあげ馬鹿にしたような表情のケツメドA。
↑以上、長崎平和祈念式典中継の動画と要所のキャプチャ終わり。
辺見さんの言及部分(2014/08/10)に戻る(←頁内ジャンプ)。
関連:
長崎市主催原爆犠牲者慰霊平和祈念式典での被爆者代表「平和への誓い」動画と忠実テキスト起こし。
完全版 1★9★3★7 イクミナ (上) (角川文庫)と
完全版 1★9★3★7 イクミナ (下) (角川文庫)です。
辺見庸さんの『増補版1★9★3★7』と、
堀田善衛さんの『時間』(岩波現代文庫)です。
辺見さんの『1★9★3★7』(イクミナ)です。
(始めに戻る)
安倍首相の根深い学歴コンプレックスを父親の番記者と大学の恩師が暴露! 何の勉強もせず保守主義を叫んで…
【この記事のキーワード】学歴, 安倍晋三, 家族, 野尻民夫
2015.12.02
http://lite-ra.com/2015/12/post-1742.html
『安倍晋三 沈黙の仮面』(小学館)
これまで本サイトでは、安倍首相の政治姿勢やその背景にある母方の祖父・岸信介への妄信、逆に反骨の政治家だった父方の祖父・安倍寛への無関心ぶり、幼少期からの嘘つきなど、様々な角度から批判、検証を行ってきた。
そんな中、安倍首相に関する興味深い本が出版され話題となっている。それは、元共同通信記者で政治ジャーナリストの野上忠興による『安倍晋三 沈黙の仮面』(小学館)だ。安倍首相の父親・晋太郎時代から40年以上安倍家を取材し続けたジャーナリスト・野上による安倍首相の評伝だが、そこに描かれる幼少期からの性格、数々のコンプレックスは現在の安倍首相の政治姿勢を考える上でも示唆に富んでいる。
安倍首相は祖父・岸信介に強固な憧憬、そしてコンプレックスを抱いていることはよく知られた話だが、しかしそれ以外にも安倍首相は、様々なコンプレックスを抱えてきたという。
そのひとつが「学歴コンプレックス」だ。安倍首相の家系である岸家、安倍家には東大出身者が多数存在した。
〈安倍・岸家はいわば『東大法学部』を宿命づけられた家系といえる。祖父の岸は東大法学部時代に、後に東大名誉教授となる法学者の大家・我妻栄と首席を争った秀才で、大叔父の佐藤栄作、父方の祖父寛、父の晋太郎も東大法学部出身だ〉
安倍首相と同じく成蹊小からエスカレートで大学までいた兄の寛信も、成蹊大学卒業後、東大大学院に進んでいる。
だが、幼少期から勉強が好きでも得意でもなかった安倍首相は、父・晋太郎に「東大へ行け」と尻を叩かれ、時には分厚い漢和辞典で頭を叩かれても、反発するだけで一向に勉強をするわけではなかったという。
それどころか、「政治家への思いと名門家系の誇りに胸をふくらませ、一方では思うようにならぬ勉学に羞恥心とルサンチマン(自分より強い者に仕返ししたいという鬱屈した心情)を募らせていた」のだ。
http://lite-ra.com/2015/12/post-1742_2.html
それは大学に入っても変わらなかった。大学時代の恩師の興味深い証言が本書には紹介されている。
「安倍君は保守主義を主張している。それはそれでいい。ただ、思想史でも勉強してから言うならまだいいが、大学時代、そんな勉強はしていなかった」
安倍首相に政治家としての思想などないことはわかっていたが、本書では、ただ幼い頃刷り込まれた祖父・岸の「教え」を盲信したまま、なんの成長さえしていないと批判されているのだ。
さらに、である。この恩師は「ましてや経済、財政、金融などは最初から受け付けなかった」とまで語っている。また、学友も安倍首相の大学時代を「政治家になる気はなかったのではないか」と証言している。
「本当に後を継ぐ気であれば、もっといろいろな知識を吸収して、“将来、日本はこうあるべきだ”といったモチベーションがあってもよかった。でも当時の安倍君には、そういうビジョンは感じなかったし、その片鱗を語ることもなかった」
憲法改正やアベノミクスを高らかに謳う安倍首相のビジョンなき“底の浅さ”が証明された形だが、しかし問題は勉強が苦手で、努力もしなかった安倍首相が、現在でもそのコンプレックスを引きずり、その歪んだ思いを首相として現実に政治へ投影していることだ。
本書では安倍内閣に東大出身者が歴代内閣の中でも極端に少ないことを指摘した上で、安倍首相と付き合いの長い議員の証言を紹介している。
「晋ちゃんは東大出身者とエリート官僚が嫌い。議員でも東大出身者とは肌が合わないのか敬遠する傾向がある」
自らの学歴コンプレックスに加え、好き嫌い、敵か味方かで政治を執り行う安倍首相だが、最終学歴を経歴から“カットする”という驚くべきこともやってのけている。それは2006年に上梓した『美しい国へ』(文藝春秋)には存在した「成蹊大学法学部卒業、神戸製鉄所勤務を経て、82年に父・晋太郎外務大臣の秘書官に」という略歴が、13年にリニューアル刊行された『新しい国へ』(美しい国へ 完全版)ではそっくり削られてしまっているという。
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安倍首相のコンプレックスはそれだけではない。意外なことに岸家の養子となった5歳年下の実弟・岸信夫議員(元外務副大臣)に対しても複雑な感情、コンプレックスを抱いており、それが政治家となるひとつの動機として存在することだ。
安倍家の3男として生まれた信夫だったが、生後すぐ子どものいなかった岸信介の長男夫妻の養子に出されている。
「長男の寛ちゃんは安倍家の跡取りとして見られていたし、総理大臣の岸家は弟の信夫君が継ぐことになった。子供心にもやっかみがあったのではないでしょうか」(安倍・岸家を長く支えた関係者)
同書はこんな証言を掲載した上で、このような風景を描き出す。
〈岸の愛情が“内孫”である信夫により多く注がれるようになったという身辺の変化を感じ取っていたのかも知れない。実際、信夫が生まれたあと、南平台の岸邸には、安倍が“おじいちゃんを弟に奪われた”と感じる光景があった〉
安倍首相が政治家になると言い出したのは、その頃からだったという。
大好きなおじいちゃんを取られた。自分は安倍家と岸家の跡取りではない。ならば自分が父や祖父の後を継いで政治家になる。幼少期の思いとはいえ、その動機はコンプレックスに満ちあふれている。
また本書では、安倍首相が大学を卒業した後アメリカに留学したのは「単なる遊学」であり、極度のホームシックから月10万円ものコレクトコールがあったこと、神戸製鉄での工場勤務や相部屋の寮生活に耐えられず、こつ然と姿を消したことなど、数々の興味深いエピソードが綴られる。
さらに自分の意見と違うことを言われると“キレる”ことや、“反対意見に耳を塞ぐ”ルーツ、またかつては「弱い人たちに光を当てるような政治家になりたい」「(岸時代の安保への反発に対して)政治家がうまく国民に説明していないからじゃないか。自分ならもっとうまく説明できるのに、とも思っていた」という現実とは正反対な発言など、突っ込みどころ満載の評伝でもある。
努力もしないのにネガティブな学歴コンプレックスやルサンチマンを持ち、辛いことがあるとすぐ逃げ出すお坊っちゃま。これが現在の日本の総理大臣・安倍晋三の本質だ。そんな幼稚なメンタリティを持ち続けた挙げ句、祖父の「悲願」「教え」をただただ追随し、平和憲法を改正しようと躍起になっているのだ。この事実には改めて、恐怖を感じずにはいられない。
(野尻民夫)
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