山本理顕、初期の最重要作品と私が勝手に思っている「山本邸」の解説の続きです。

一見、篠原一男さんや相田武文さんのような、「家型」による「抽象化」。
もしくは、「家型」のデザインにより「記号的な意味」に言及と思えてしまう家なのですが、
理顕さんは違う。
あくまで「社会」。
「社会」を引き込む。

こんな外観でどこが社会やねん?
閉鎖的で社会に閉じとるやろが?
と見えてしまう。

確かに、外観はクール、素っ気ない。
しかし、当時の素っ気ない外観建築ブームとはまったく違うんです。

こんな平面計画をしているんです。
外観正面派右側で、スリット状の部分は家の中に入ってL型に曲がっています。

図で緑色で示した部分が外部です。
外観でいう家型の真ん中に開けた隙間の部分が、正方形をL型と小さな正方形に分割しているような平面図です。

このL型の外部というか中庭というか吹き抜け空間。
これが家の中に入り込んでいる。
単純な矩形のデザインですが、これが立体的になるとまったく違った様相を見せてくれます。
これが、平面図で緑に塗った「外」の空間です。



外から家に入ったと見せて、実はまだ家の中には入っていない。
家型の真ん中にある吹き抜け、といっても屋根の下だから、家の中の外、という感じ。

断面図で見ると明白で、この見せ場は外です。
吹き抜けというか、がらんどうには、床のない橋、渡れない橋が掛けてある。
すごいギミックですよね。

立体的に表現すると、こうなる。





家の中に、他者のような空間がある。
その幻想性はアルド・ロッシのようでもあります。

しかし、この覆われた空間の空中に差し渡される橋、このモチーフは以降の理顕さん作品に何度も登場します。

2階の平面図で確認しても



半分は外です。

そして、建築作品としても「外」だけなんです。
この家の内部空間については、雑誌発表されていません。
この山本邸の主力のテーマは、家の中の外部を作り出すこと、に集中しています。
そして、建築表現としても図の緑の部分に作品の意味が込められている。

平面図のオレンジの部分は機能的にコンパクトに収められていますが、
集合住宅・マンションの部屋のようでもあります。
あくまで雑誌発表にはこの住居の内部写真はありません。

つまり、この家の建築的テーマは使用部位や居住部位にはないのです。

建築的テーマは家の「外にある」のです。

最小限ともいえる家の広さなのに、最大限の空間をもっている。

外のような庭のような、路地のような広場のような、
家の中のような、家の前の通路のような、

たとえば、バイクをいじったり、陶芸の窯を置いてみたり、
バーベキューしてみたり、ミニコンサート開いてみたり、そういう空間。

むしろ、この外の取り込みによる居住空間の豊かさの確保は、
戸建て住宅なのに、集合住宅の新手法に見えます。

この山本邸は、この「外」を介して、隣り合って無限に増殖可能なのです。

こんな風に。




家の中に大階段で「外部性」を取りこんだ石井邸に対し、
この山本邸は、家が外部性をもつことで、外部と応答可能になる、社会性を持つことを示しています。
なので、外観がクールで素っ気なくても、かまわない。
この家は初めから外部に接続し、社会と連続している前提だからです。

この家が、この空間構成が、後にくる。理顕ワールドの萌芽、シード・種子、基準ユニット、ともいえるでしょう。

つづく


 

初期の理顕さんの仕事を見ていくと、次は普通はコンクリートのプラットフォームの上に、
木造の立体格子を置いた藤井邸とかに言及して、




▲藤井邸
 

 

次は、屋根の時代の幕開け、GAZEBOとかにいくんでしょうけど



▲GAZEBO

 

その前に、私が凄えっこの家!と思っていた。こんなん見たことねえぞ!と思っていた、重要な案件があります。
それが、山本邸です。

建築文化1988年8月号|山本理顕的建築計画学77/88|建築書・建築雑誌の買取販売-古書山翡翠
建築文化 1988年8月号 山本理顕的建築計画学77/88 にしか出てないんじゃないか?
と思います。

山本邸です。


この外観、当時の1978年の時点で先頭を走っていますね。
誰も理顕さんを先頭とは思っていなかったと思いますが。

1978年の日本の建築作品はですね、多木浩二さんがいう「表層化」が始まった頃です。
伊東豊雄さんの「PMTビル」とか、長谷川逸子さんの「焼津の文房具店」が登場しています。
建築の中身やプランとか機能と外観は一致しなくてもいい、
都市において建築はその表面処理、表層だけで応答すればいい、記号や情報という開き直りが始まった頃です。

そういった背景の中で、理顕さんの山本邸も一見、そう見える。
なんか、山中山荘の家型を都市の中で再度つかっているだけのような、
また家型だけども、真ん中をスリットというかトンネルのようにズバッと切り取ってある。
窓やドアとか、そういったものが見えない。

家なのかどうかわからない。

ななんだろうか?というものです。

表層表現という流行に乗っかってるようで、乗っかっていません。
表層に記号的な応答がない。

なんだろうか、この家は?と思わす迫力なのですが、
理顕さんの主張する外とのつながり、「社会化」がないように見えます。

そのプランというか、中を知ると驚愕します。
前作の石井邸とは真逆でありながら、外部に開いた家なのです。

つづく

写真や図版準備してます。




 

建築家の山本理顕さんが、どんな建築を作っているのか?の続きです。

理顕さんは、一作一作ごとに大変な「問題作」を作られているのですが、

といいましても昨今のニュースを賑わす、建築の問題、
費用がバカ高いとか、短期間で腐ってしまうとか、なんであんな危険なことするのか、
とかそういう、社会的な事件、建築が起こす迷惑、そういうたぐいの問題ではなく。

そのまんま「問題」です。
つまり、「問いかけ」です。
建築とはなにか?
建築とはどうあるべきか?
住むとは何か?
住まいとは何か?

に対する、答えであり、世の中の建築に対する問いかけ、社会に対する問題提起です。

ちょうど1970年代は、日本の高度成長期で大型の公共事業がバンバン進められていた時代でした。

 

そのような巨大建築ラッシュの社会背景の中で、
建築作品を作ろうとする当時の若い建築家たちは、そういった巨大建築に関わることができなかったということもありますが、
暴力的ともいえる都市開発にはあえて背を向け、個人主義の砦、住宅に過剰な意味を込める建築活動に邁進します。
いわゆるミクロコスモスとして小住宅を表現の場にしようというものです。

社会背景に直接挑むのではなく、社会から個人を守る、そのための建築と位置づけました。
前衛的な建築雑誌「都市住宅」などもそういった特集を何度も組んでいます。
安藤忠雄さんの「都市ゲリラ住宅」なんていうのはまさにその典型でしょう。
安藤さん以前にその傾向は顕著であり、いわゆる小住宅作家、都市住宅作家、と呼ばれる多くの建築家を排出しています。

それは、田舎から都会に出てきて一定の成功を収めた若者が、(今の時代では裕福にしかみえませんが)都心から離れた場所(といっても23区内の武蔵野台地で私鉄の急行が止まるような駅近)にささやかな土地を求めて、家族と己の趣味を含めた自己表現のための家づくりです。
テーマと造形は一致させる、外の様子はうかがわない、町並みから遮断する、光だけ入れる、鏡張りにする、ガラス張りにする、真っ白に塗る、コンクリートのまんまにする、真っ黒に塗る、銀色にする、吹き抜けにする、地下を掘る、屋上に樹を植える、屋上に水を張る、様々な実験的かつショッキングな手法で、抵抗の意思を表明する。
そういった「俗世間から浮かび上がる」という強い意志で建築のデザインをおこなっていますね、今に続く日本の建築家のありようをは当時の若手建築家たちによって仕込まれたものともいえます。

それに対し、山本理顕さんは「社会に接続する住宅」、「社会とつながる住宅」むしろ、
「なぜ住宅が社会に背を向ける必要があるのか?」という非常に困難な方法を頑なに推し進めます。

建築家であるためには「堅固な意思表示」、「ミクロコスモス」、「造形とテーマの一致」、「ショッキングな造形」を携えなければならないという、
「建築家たるもの、社会から乖離すべし!」という建築家界の風潮の中で、
「社会に接続する」というのは、非常に難しい。

本当にただ単にダラダラと家の前がだらしなく国道や農道に面していたとしても、
それは「社会につながっている」ことにはなりません。

そんな難しいテーマを軽やかに実現したのが、「石井邸」です。



家じゃなく、舞台です。
ライブ会場でもありましょう。
50どころか100人は入る。


でも、観客がいないと
もしかしたら、家かもしれない。

 

棚にモノが置いてあると、家というか喫茶店というか、ギャラリーにもなりそうな気がする。

 



こんな家というか、装置を考え出した。

お施主さんがアーチストだったということらしいのですが、そんな特別な職業ではなくても、
ちょっとした趣味や仲間や家族で集まることが出来るような家は、みんなの理想でしょう。

ところが、この家について、理顕さんはこうおっしゃっています。

「住宅であると同時に誰か外側の人に対しても役に立つような施設をつくりたいと思っていた。
できるだけ外に対して開放的な大空間をつくって、
そこをアトリエのような場所にする。あるいは小さなコンサートができるような場所にする。」


この家の人ではなく、外側の誰かのために役に立つ施設、
できるだけその他者に対して解放する。

ええーっ!家を頼んだ人じゃなく、家の外の誰かのために役に立つ施設?
すごいです。
それを許した施主さんも凄いですが、はっきりそれを言える理顕さんが凄い。

こんな言説を個人住宅で言えるでしょうか?
たとえば、住宅産業最大手の積水ハウスとかダイワハウスが、こんなCMを打ったとしたならどうでしょうか?

「あなたの家で終わらせない、この街の誰かのために、積水ハウス」

「ダイワハウスは家以外のところ、家の外を大事にします」

とか、そういうテーマです。

私は、学生時代にこの理顕さんの石井邸(当時の私は芝居やライブができる家と呼んでいました)は、ものすごく印象に残っていて、なのになんで外観はこうなんだ?と、疑問に思っていました。
私の学生時代の建築業界はポストモダンの真っ盛りだったこともあって、芝居が出来るように考えてあるこの家は素晴らし過ぎる、ならば、もっと芝居小屋とかライブハウスとか、なにか特別な機能や事情が盛り込まれているような外観になんでしないの?と。

しかし、この家の凄みは外観でもあるのです。



開いている。
文字どおり、解放されている。
家が1階から2階まで全部開いている。
丸見えである。
しかも階段しかない。

いったい、どういう家なんだ?と思いますよね。
当時の資料などを基にして平面図を作成してみました。
まず、1階

半分が家ではありません。

そして2階

全部が家ではありません。


じゃあ、この家は高さ方向でどうなているんだ!というと

ほとんどが家ではない。

いわゆるプライベートな家の空間は全体の25%しかない。
3/4は、外側の人に役に立つように設計されています。

しかしですね、プライベートかパブリックかを巡って、堅苦しく線引きするからそう思えるのであって、
お芝居やライブをしていないときは、どうなのか?
巨大なリビングがあるともいえるし、屋内のプレイグラウンドとも言えるし、
施主さんがダンススクールや音楽スクールなど自宅で仕事をしているのならば、
生活がうまく仕事と社会とリンクしている家といえます。


むしろ、そうあるべき家の姿です。
なので、理顕さんは自信をもって、こう言ってます。



日常の居住部分はその大空間の下にもぐり込んで外からは見えない。
住宅という建築は必ず外部に対して開放された場所をもっている。
それは集落調査で学んだ私なりの理論でもあった。その山本理論が徹底された住宅である。


建築は必ず外部に解放される。
それが山本理論である!と。

つまり、この家で山本理顕、完成しているんです。
ホントに、この石井邸の構成はその後の理顕さんの大型建築でも繰り返し登場します。
それくらい、凄い。

そして、1970年代という時代背景において、(アトリエ特化型住宅)自己表現のミクロコスモスと見せながら、
プロトタイプ化されたものでもあるということです。

そして、この家のホントのすごみは、この立地です。



目の前に緑あふれる庭などないのです。
道路もそんなに広くない、
舞台の後ろに広がる緑は、ブロック塀越しにお向かいの緑地が窓の向こうに見えていただけなのです。
つまりは借景です。



この家は、外部に開放されていると同時に、外部を取りこんで成立している。
しかも、目の前の道路は4メートル程度。
外観も家型。

つまり、圧倒的に特殊解に見えて、日本中のどこにでも建設可能な社会と共に住むための装置。
この家はもっともっと模倣されるべきなのです。

むしろ、ホントに大手ハウスメーカーが著作権料を払ってラインナップに加えるべき家ともいえます。