三陸巨大震災6周年れんだいこコメント
2017.3.11日、警察庁発表による死者1万5893人、行方不明者2553人に上る「2011.3.11日三陸巨大震災」から6年が経過し7年目を迎えたこの日、政府主催追悼式が東京都千代田区の国立劇場で開かれた。秋篠宮ご夫妻、安倍晋三首相、三権の長、遺族の代表ら約950人が参列し、地震が発生した午後2時46分から1分間黙祷した。秋篠宮文仁親王、安倍首相、岩手、宮城、福島の被災3県の遺族代表がそれぞれ思いを語った。
今年の追悼式には興味深いことが二つあった。一つは、発生翌年の2012年から恒例にしてきた首相記者会見を打ち切ったことである。これは事案が解決したからではない。「(震災から6年となり)一定の節目を越えた」との理由づけで行われないことになった。しかしこれは政治姿勢として余りにもな責任放棄、不見識そのものではなかろうか。被災民が棄民化させられていることになるのではなかろうか。本当のところは、安倍政権が「既に失語症に陥っている」のかもしれない。
次に興味深いことは、秋篠宮が悲観論、安倍首相が楽観論にシフトしてコメントしたことである。秋篠宮は云う。「放射線量が高いことによって、未だ帰還の見通しが立っていない地域の人々の気持ちを思うと深く心が痛みます」。これに対して、安倍首相は、「震災から6年を経て復興は着実に進展していることを実感します」。かく両者の認識の違いが浮き彫りになったが、どちらが真なりや。私は秋篠宮の危惧の方に軍配を挙げる。安倍首相の「甘さ」が日本に更なる災禍を及ぼすことを危惧する。
「事故、被害、処理に関する相反する見解」にそろそろ決着をつけるべきではなかろうか。互いが逆方向に「誤報・デマ」と罵倒しあっているが既に食傷である。例えば風評被害論と実害論につき、どちらが真実なのかはっきりさせねばなるまい。「子どもの甲状腺がん」然りで、過剰扇動論と報道管制論の、どちらが真実なのかはっきりさせねばなるまい。
避難指示解除の是非も然り。安倍政権は、福島第一原発がある双葉町と大熊町の一部を除くほぼ全域で避難指示の指定解除を決定した。同時に約1万世帯以上にのぼる「自主避難者」に対する仮設住宅の無償提供などの支援を打ち切った。この帰還運動支援策は、安全の保障されない生体実験下の帰還奨励であり、政治的には残酷そのものではなかろうか。
私は事故当初より大胆な疎開政策を推奨している。全国の遊休地、過疎地の好適地を見つけ、村ごと町ごと移転を提案している。温泉地の利用も然りである。事態はこの方法しかないところに来ているのに、目下の行政による帰還呼びかけは逆ベクトルであり、余りにも安上がり過ぎるタワケ策のようにしか思えない。連中は何度騙し騙されたら気が済むのだろう。
もとへ。安倍首相の楽観論は何を根拠にしているのだろうか。これまで「凍土遮水壁工法」に期待を持たせてきたが、ほんの気休めでしかなかった。元々漫画的なアイデアでしかなかったので驚きはしないが、今後はこの失敗のツケが重なってきそうである。汚染水対策もお手上げ寸前であり、汚染水貯蔵タンクの増設にも限界があろうからして、今後は海洋放流か投棄か地下浸透にならざるをえまい。その被害は計算不能である。除染作業も然り。かくなったら降雨、台風による自然除染を待つしかないのに大枚を使い過ぎていよう。
原発炉内の正確な把握さえ困難なままである。先日は倒れても起き上がる機能を持つ東芝製サソリ型ロボットを2号機格納容器内に投入したが、堆積物がキャタピラに絡まって動けなくなり、溶けた燃料がどこにどれだけあるのか明らかにできなかった。調査は想定していた作業を完了できずケーブルを切って内部に放置することになった。この時の調査で、放射線量が推定毎時650シーベルトという数字が計測されている。
廃炉作業然り。廃炉作業は1・汚染水対策、2・使用済み燃料&燃料デブリ取り出し、3・解体・片付けの三本柱から成るが、初期想定の廃炉ロードマップは画餅に帰している。これらの費用も天文学的になることが予想されており、しかもそれで最終解決されることを意味しない。出口の見えないまま徒に費用だけがうなぎ上りして行く仕組みになっており、その費用は追って国民が負担することになる。
それにしても、被災民は従順過ぎると云うべきか、政治を信頼し過ぎているように見える。明らかに棄民化させられており、生体実験下にあると云うのに、「直ちに影響はない」式説法に酔わされ続けているように思える。思えば、原発誘致の際に騙され、事故後も詭弁に騙されているように思える。突然死、放射能汚染病死が顕著なのに、「直接死者ゼロ」式弁に納得させられているのも然り。かくしてウソの上塗り政治が続いている。
こういう状況下で、安倍政権は原発再稼動、原発輸出に精出してきているが何と形容すべきだろうか。後世、歴史家は「狂態日本」と記すであろう。それは何も時の政権ばかりの責任ではない、それを許した側の責任をも問うだろう。但し、弁明しておけば、仮に安倍政権が崩壊したとすると、もっと狂っている石破政治が待ち受けており、それだけは勘弁してほしいと我慢に我慢を重ねている。これが目下の汝臣民政治の状況である。
これに東京オリンピックが絡んでいる。石原元都知事の音頭で二度目の誘致合戦で、大枚の金を使って成功させたのだが、福島原発処理不能との絡みで厄介なことになりつつある。誘致には成功したが本当に開催できるのかどうかが問われている。石原都政はこういうアイデアを挙げては風船を破裂させる政治の連続で数兆円を冗費している。東京オリンピック誘致もその一つではなかろうか。石原が故意か偶然かは分からないがサイコパス的愉快犯であることは間違いない。
もし仮にできないのなら一日でも早い撤退決断せねばならない。これが真の国際的責務且つ信用である。できるのなら、できることを内外に声明せねばならない。してみれば、追悼式に於ける恒例の首相記者会見はその絶好機会であったのに、その席をわざわざ中止している。これは良からぬことの起こる前兆に思える。近い将来、東京オリンピック返上声明があるやもしれない。
目下は玉砕万歳に向けて突っ走っているだけのように思える。こんな政治に誰がしたと恨み節をこぼちたい。これを空を見つめて云うのは趣味ではないので、犯人は原発族と著作権族の連合体と断定しておく。こやつらがホンに日本や世界を悪くしている。その成敗に向かわねばなるまい。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント