2月大会は見逃せない☆東北大会の覇者、太田(尚)、舩山両九段が激突
2025.01.27(18:13)
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ビッグアンドグッドニュース
県下の囲碁ファンなら見逃せませんよ!
2月11日の県南囲碁リーグ戦南陽大会で県下の囲碁界をリードするトップ棋士が激突します。
言わずと知れたお二人は昨年東北6県囲碁大会の大将戦で優勝した太田尚吾九段と過去に同じ副将戦と先鋒戦で優勝している舩山悠介九段です。太田さんは大将戦は合わせて3回、副将戦で1回の優勝歴を誇ります。
東北一ということは当然山形県の代表でもあるわけで幾多の戦歴を持つ県一の棋士です。お二人は30歳台の打ち盛りでパワー、キャリアは十二分です。
リーグ戦当日は第1戦で互先で戦っていただきます。2戦からは通常のリーグ戦に入っていただきます。ポイントは共に453です。このレベルは同じ九段クラスを大きく凌いでいます。お二人は県大会では対戦歴はありますが県南囲碁リーグ戦で対戦されるのは初めてで私的な大会での対戦は無いと思われます。したがって対戦は誠に希少でかつ高価値な頂上決戦になります。こりゃ、リーグ戦の会員の方は無理してでも参加しなければ損しますよ。部外の方も視察大歓迎 😂
対戦は頂上決戦ということで山形新聞の取材をお願いしております。紙面には対戦のシーンが載ることになります。雲爺は当紙では対戦シーンを目にしたことはないように思うんですね。山新に衝撃が走る・・・・なんてね。皆さんお見逃しの無いように願います。後で切り抜いて保存版にしましょう。他にテレビ取材も今考えているところです。
尚、今後のことですが5月3日の5月南陽大会に岩手県から昨年の東北六県大会の先鋒戦の覇者、鳴海晴康九段が来られる予定です。その時に三者が揃えばさらに白熱した三者による頂上決戦となります。今場所の大相撲と同じ巴戦が繰り広げられることになるわけですね、こりゃ。万博にしようか、こちらにしようか、迷っちゃうべした 🌞
リーグ戦ではお二人には深い愛着をいだいております。
なぜならお二人とも置賜の出身だからです。太田さんは米沢市、舩山さんは高畠町の生まれです。現在は太田さんは山形市に船山さんは高畠のご実家にお住まいです。
太田さんは幼少のころから才能を高め全国大会等では素晴らしい実績を残されました。南陽の菊祭り大会では小、中学生の頃に来られると早々、南陽の大将の大石を召し取ってしまい優勝です。それにしてもあの頃は子供の優勝なんて考えられなかったです。そして昨年から県南リーグ戦に参加していただいており、現在は親子棋士としても大いに注目されています。
船山さんは幼少の頃に独学で囲碁を習得するとともに自ら棋力を高めて行ったと聞いており今はAIの研究の第一人者とか。昔太田さんに続いて今度は舩山という若手が南陽の菊まつり大会に来たぞ、つうんで俄然注目を浴びました。勿論こちらも優勝のさらい上げでした。そんでもってそれからというもの南陽の凋落が始まったりして・・・🤪 その後県南囲碁リーグ戦の会員になられると抜群の成績を残されるとともに、初期のリーグ戦を支えていただきました。
そしてお二人には共通した貴重な体験があります。若くして米沢市の安田九段からご指導を仰がれたのです。名伯楽安田師匠の薫陶は今ではお二人の共通した財産になっているのかもしれません。
県南囲碁リーグ戦南陽大会
2月11日・祝
沖郷公民館・防災センター
受付 9時~9時45分、開会式9時45分、開始10時
頂上特別対戦 10時頃より
1月28日
県南囲碁会事務局 平吹
山形県・県南囲碁リーグ戦
今日は囲碁のポイント制について雲爺の理解する範囲でお話します
2022年の国内の囲碁人口は130万人、将棋は460万人とか。昔は大げさに1000万人なんて聞いた頃もあったような・・・それなら山形県はとうに1万人は切っているものでしょうか、それならば減少の大きさは驚くばかりです。ところで県内の活動状況はどうなっているでしょうか。囲碁団体数はそんなに変わらずに人数は減少しながらも活発に活動が行なわれているようです。
ところで各団体の大会のシステムはどうなっているでしょう。ほとんどが段級位制を採ってます。それでこの段級位制が果たして各人の棋力をより正確に判定しているでしょうか。必ずしもそうではないように思います。
そこで提案です。
段位制からポイント制へ移行をお勧めします。
これが手合い割表です。
ポイント制は1段級位内に12のポイントを設けて棋力を正確に判定する精密システムです。
対戦者同士のポイントの差によって置き石とコミのハンディがきめ細やかに明示されています。コミは点数差によっては逆コミも発生します。この表を見てハンディを決めて打つのですから大変簡単で分かりやすいです。この手合い割によって常に対等な立場で対戦が行われより正確な段級位が導き出されます。ポイントは絶えず変動し段級位の中身がスケスケに見えます。言ってみればあなたの地位は名目の段級位ではなく時価で評価されます。これこそがポイント制の神髄です。「その結果どういう変化が出でくんなや」と質問があればそれなりの自信をもってお答えしましょう・・・・「番付の上の方だけでなく中の方も下の方もフラットに優勝、入賞者が出やすくなりますよ」🎵🎤🌞🦞
これは棋力持ち点表です。
各段級位ごとにポイントが付きます。例えば最初に五段で申告すればそれに該当するポイントが与えられます。ポイントは各段級位ごとに12段階のポイントが設定されています。そして対戦の勝敗によりその位置が上下し、何回か対戦するに従い皆さんの棋力に沿ったポイントがだんだん固まるようになります。
段級位制の大きな欠点は同じ段位で対戦した場合、強者と弱者がいても互先で打つから強い方が勝ちやすいということです。又手合い違いが生じているケースも往々にして見かけます。
ポイント制はこのような誤りを解消します。
ポイント制における段級位は時価でしか保証しませんから流動的なものであり過去の勲章と思った方がいいでしょう。ワシは80歳になってから強くなったと言って90歳になって四段から六段になった方がリーグ戦にいました。ポイント制はあなたを鍛えてくれる超優れものです。
もう一度おさらいをします
①レイティング対局で勝つとポイントが上がり負けると下がる
②相手との段級位差や手合い割によって増減するポイントの数が決まる
③ポイントの変動によって段級位が決まる
囲碁は麻雀と違って実力差が顕著で勝敗に表されます。このハンディを適正化しダイナミックに変化させるのがポイント制です。緑星学園の菊池康郎氏の考案です。
【解説はシンセストブログよりお借りしています】
現在ポイント制を採用している所は知る限りでは県内は県南囲碁リーグ戦、上山囲碁クラブ、米沢東部コミセンの団体、日本棋院河北支部です。県外では喜多方・会津地区と白石地区のグループなどがあります。
厳しい囲碁環境の中にあって囲碁団体は競争志向派と親睦派に分かれていると思われます。いずれにしても全員が納得できるシステムで囲碁を楽しむことが肝要かと思われます。県内により多く広まることを希望します。
1月21日
県南囲碁会事務局 平吹
山形県・県南囲碁リーグ戦
回顧したりぶらついたり時評をしたりして
2025.01.16(17:58)
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我が家のニャンさん(メス)と一緒だったのはいつ頃じゃったかのう。平成22年だから15年前だな。
退職して翌年、雲爺は前期高齢者に入る前ですからそれなりにまだ若そうですね。飼い猫初代のニャンさんはこの頃は雲爺の叔母様みたいなものでもうたっぷり12歳の御老体でした。翌年東日本大震災後にあの世に行きました。猫は犬と違って恐怖に弱いみたいでダメージ食って成仏したですね。ニャンは娘が山形から貰って懐に入れて連れてきました。彼女は運動神経が抜群でセミやネズミをよく捕ってきました。
天井スペースに籠城する兄妹猫 左がグリ、右がララ
我が家は親が猫苦手なこともあり長らくペットは飼いませんでした。でも女房と雲爺は大の猫好き。それで初代ニャンの後に飼ったのが、グリとララの兄妹でした。寒河江市から貰って来たんですが当初はなつかず、茶の間に放したら小さい隙間に逃げ込みました。その後に見つけたのが窓上にある小さなスペース。そこに隠れて3日3晩籠城です。でも持久力競争もさすがに餌付け作戦には降参してくれました。どちらも他人にはなかなかなつきにくい神経質な兄妹でしたが、5年の短命を懸命に生きてくれました。
下に降りてからはオシッコとの戦いでした。なんかねえ、くれ元ではいっぱい飼ってましたけどしつけが足りなかったのではないかなあ。グリは体が弱く5か月の命でした。
オズオズとしているところを手を伸ばして女房がぐいと抱っこします。ララは物欲しげ。
これ超貴重なカットです、雲爺、ララ揃ってご昇天
雲爺もお別れの時はこんなお面でございましょうね。でもこの際ってのは麻酔打たれた時と寝入った時と同じでスーッと意識無くなりますから楽なもんでしょう。唯心論信奉の雲爺の命が尽きれば例えミサイルが飛んで来たとしても宇宙世界はたちどころに消えて無くなります。あなたの世界も同じで認識が失せるとともに永遠に消えてしまう、おもろいでないですか。でも分らんのはあなたもあなたもそこにいるけど雲爺は雲爺が主体であるしかない目で世界を見るばかりなんですね。雲爺が主体でAさん、Bさんはどこまで行っても客体でしかないです。こうしてブログ作っているのは雲爺が認識している世界であってAさんの世界ではありません・・・なんて言ってる本人が訳わからん事言っとるわけで、こういうの哲学書読んでもさっぱり理解出来へん。誰か解説してほしい 🍚👣
今も涙するララ昇天前の最後の元気そうなカットです
猫の癌を宣告されてからは定期的な医者通いが続きました。
ララが行き来した裏のブロック階段
ブロック階段のそばには親父が残してくれた手製のバーベル
雲爺時折トレーニングで利用します。
これおもろいでしょう、ボロッてしまった庭の照明灯
親父は自ら家、庭造りを手掛けてましたから思いが深かったです。針金を巻いて色々工作してました。
裏の生垣は雪かぶってます
蔦が絡まる隣のお住まい
冬時分は葉が落ちてあらわになりカメバチの巣も姿を現しました。
狭いながらも二代目親父にはありがたい庭
蟻の棲み家の痕跡
夏前に庭先の蟻を眺めて楽しみました。なんか勉強になるみたいで穴から出ては入ったりするのを見ていると本当に退屈しません。大雨が降って穴が閉じたから木の端で開けてやったら今度は崩れたりして。それ以降ピタリと姿が見えなくなりました。おもろい動物の世界。
改めて見るとほとんどが常緑植物でこんな冬なのに青々してます
灯油タンク
最近灯油の有難みがつくづく分ります。能登半島、ウクライナの方のつらさは想像に絶しますね、ほんと。灯油切れたら低体温症の雲爺なんか真っ先に凍えるですよ、猛暑よ早く来いなんだな。それにしても灯油の使うこと使うこと、ポリタンクに汲むの雲爺の仕事だけどひっきりなしですよ。財布カラで赤信号 🚷
屋根の角にいつも春には雀がチュンチュン鳴きどおし、巣があるものやら
家の周りをぱっと見渡したら寒々としているなあ
山の木々はただいましっかりお休み中です。しかし山の中も大変ですよ、春に訪れるといたるところに倒木があります。生存するの大変なのは人間だけではありません。
ロシア、北朝鮮 なんつう悪たれ兄弟国家なんだ。ロシアは独断論のもとに他国を蹂躙し続けています。二度目です。それで結果オーライで停戦に持ち込もうとしておるんだから許せん。民意が進歩しない洗脳国家ゆえに独裁者の意のままになり、共産主義の悪弊を引きずる悪徳国家。我が家のトンカチで叩いてやれば少しは治るものかのう。
掃いてやりたい韓国野党の従北連中。伊大統領の政治指導が分らんのにはつける薬がない。裏の箒でとりあえず掃くしかないわね。ゴミは北に飛ばすべきなのにだんだん日本に飛んでくるんでないの、そのうち。嫌なこった。
隣近所と仲良く仲良く精神徐々に出始めて来たな、石破政権。日本の周りはマフィアだらけなのに両手で金平さんに恭しく握手するの見て気持ちいい方いるの?そりゃあ国内にわんさとおりますで。
1月16日
県南囲碁会事務局 平吹
山形県・県南囲碁リーグ戦
1月南陽大会の神髄と囲碁界現況
2025.01.13(16:59)
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あけましておめでとうございます
県南囲碁リーグ戦は今年も元気に活動してまいりますのでよろしくお願い申し上げます。
ここは宮城県松島湾の七ヶ浜です。真っ青な太平洋が広がりサーフィンボーダーたちが波乗りの練習をしていました。
年末から大雪情報が流れるとどこのテレビも早速定番のお天気情報ショーに姿を変えました。安上がりだから待ってましたとばかりに飛びつくわけじゃろうがのう、ムフフ。かたやこちらのリーグ戦ブログも同じマンネリズムは決していばれたもんじゃありません。でも今年は少しは変革スタイルを入れ込んでみやうと思うとります。それは皆様の勲章である段級位の表示をポイントに置き換えるのですよ。
碁も純然たる実力をぶつけ合いう勝負の世界です。そこに存在するのは情け容赦のない力の序列なのです。まあ言ってみれば相撲の番付表と同じですね。力の序列、それをより正しく評価出来るのはポイントしかないと断言します。
あともう一つ、リーグ戦のためや碁について言いたいことは言わさしていただきます。皆さんもコメントどうぞください。すべてが良くなるために。
ジャーン、それでは行ってみませう
Aリーグ
優勝 江川さん 喜多方市 中 4勝1敗 ポイントはプラス6で 次回は380
準優勝 長谷川謙一さん 南陽市 右 4勝1敗 同388
三位 小松田さん 村上市 左 3勝2敗 同プラス2で413
優勝請負人江川さんは13回目の最多優勝。
長谷川さんはお久しぶりに参加されました。もとは日本棋院南陽支部の指導会員でした。実力者が戻ってきましたから一つ二つリーグ戦の活性のためにお力をお貸しいただきとうございます。
Bリーグ
優勝 本田さん 南陽市 中 5戦全勝 ポイントはプラス10で次回は349
準優勝 金子さん 川西町 右 3勝2敗 ポイントはプラス2で次回は304
三位 島津さん 高畠町 左 3勝2敗 同で352
本田さんは遅咲きで2回目の優勝。実力者本田さんは中クラスで長年安定した成績を残されており相撲なら幕内の前頭ご常連と言えます。十両に落ちることなく地位を保つのは着実な力を保持していることを示しています。島津さんは最近は350台に乗せて安定した成績を残しています。昨年はカラオケの成績も良かったのかなあ、それが碁にも反映しているんかいな、島恵さんよう。
しかしなんですなあ、リーグ戦のシステムからすれば優勝ってやつは単なる結果であり飾りものなんですよ。リーグ戦の本髄はポイントにあるんです、お分かりですかご覧の皆さん。まあ言ってみれば成績でみんながおいしいと思うのは4勝1敗だしょうけど、これをポイントが実に見事に分析して+6点を導き出すのです。これがあなたの力の一部になります。段級位なんて架空と思ってください。それにとりつかれる方は徳川時代のお殿様でしょうかね。段位は勲章として目安として残しとけばいいんでないですか。「俺は何段だ」は心の奥に終いませう。
事務局
いやあ、今回は事務局平吹が皆様にご迷惑をおかけしました。案内のはがきに会場を間違えていつものえくぼプラザとしてしまい、後でメールで冲郷公民館・防災センターに訂正したんですがやはりえくぼに行かれた方が出ました。
1月12日 第107回の南陽大会
天気は悪くないんですが気温が上がらない日でした。インフルエンザ、コロナが結構流行っていて気を付けなくてはいけません。冬場での冲郷公民館は経験がなく湯沸かしではいろいろ迷い、結局湯沸かし室を使いませんでした。
参加者は予想をしていましたが過去2度目の最少20名。前回はコロナの年だったけど通常期では初めてですよ。20名台は今年度もう4回目です。これは厳しいですね、韓国みたいに非常事態宣言をセナいかんですかな。
A 加藤さん 対 江川さん
雲爺は江川さんにはよく電話を差し上げてリーグ戦や県内情報などいろいろお話します。事務当局としましてはいろんな悩みは尽きません。なんでもそうでしょうが良くしよう良くしょうと常に思うわけですからね。当局者だけが持つ辛さは人にはなかなかわかりませんよ。会社の社長と同じです。
A 長谷川さん 対 船山さん
長谷川さんは千葉大学の囲碁部出身とお聞きしていました。雲爺は参加者対策で何年か前にご自宅にお伺いしてリーグ戦のお話をしました。本人にはその時に初めてお会いしました。昔私どもの会の指導会員でしたので恐れ多かったですしお年も上の方と思っていました。ところが雲爺の方が上のようでした。指導者だものお強いですし雲爺の若い頃は周りはほとんどが初段か級クラスの方ばっかりで上に立つ方は雲の上の存在でした。でもあの当時長谷川さんにお会いしたことはありません。あれから幾星霜、雲爺も長谷川氏もお年をお召しになられとります。「囲碁こそ我が人生なれ」です。
A 橋本さん 対 小松田さん
橋本氏ここのところ好調でポイント410で臨みました。結果-2点で次回は408。望むべくは+6点ぐらいになれば416になってたんだがのう。こりゃ大変なレベルであるですよ。現在の九段の平均基準点は402をキープせなあかんのですから橋本さんは今のところ九段です。そしてこれをキープするのだって大変なんですが、こうなったら遠慮せずさらに上を目指してもらわんといかんなあ。対する小松田さんは411が+2点で413に。さすが実力者です。望むべくは420台ですな。420台はおりませんで、その上は狩野さんの431、そしてその上に君臨する太田尚吾氏と鳴海晴康氏の453。何つうかこの辺に来ると東北一ですしもうプロクラスです。ちなみに453は十三段に匹敵します。雲爺クラスでは恥ずかしながら100点違うんです。こうなりゃ盤上には9つの黒石を置かさせていただくことになりますのじゃから、もう米つきバッタ同然よのう 🤪
B 仲田さん 対 本田さん
決勝戦でしたが本田さんが勝って全勝を飾りました。
A 船山さん 対 工藤さん
若手工藤さんそれなりの高い壁にぶつかりこのところ思うようにポイント伸びていません。早く400に乗せろと言ってるんだが甘いもんじゃないのです。人のことは言えないわね、雲爺だって必至こいても簡単ではないです。
昼めし
B 石上さん 対 片倉さん
B 本田さん 対 佐藤さん
今回対戦中に起きたトラブルがあります
◎石を打つ腕の袖が盤上に触れて打った石が動いたトラブルがありました。これはよくあることで本当に注意しないととんでもないことになります。基本的には反則行為で即負けになりますから皆さん気を付けてください。特に冬時分は厚着になりますから要注意です。
◎もう一つ注意していただきたいこと。今回靴をはき違えた方おります。白鷹の船山さんのをはき違えたようです。お分かりの方は船山さんに電話してください。tel 070-6948-8793
来月のリーグ戦は南陽大会です
2月11日・祝 冲郷公民館・防災センター 受付9時から 開始9時45分から。
予定しておりました太田尚吾九段対鳴海晴康九段の対戦は5月3日・祝 に延期変更になりました。
3月大会は3月2日・日 白鷹大会です。
くどいようですが県南囲碁会の神髄はポイント制です。伝統的な仲良しクラブは卒業してインフレ段位は過去のものにしてほしいと切に思います。昨日、どすこい研究会という相撲の解説番組を見ました。突き押し編の内容でしたが今までで一番面白かったです。相撲の基本は突きに押しなんです。すごいぶつかりは体を張った男の勝負でまさに囲碁も同じです。ポイントはごまかしは許しません、男の勝負はポイントにありだなあ。
お知らせの通りここのところリーグ戦の参加者が減少しています。皆さんのリーグ戦に対する一番の貢献は参加していただくことです。なにとぞよろしくお願い致します。
1月13日
県南囲碁会事務局 平吹
山形県・県南囲碁リーグ戦
伊達政宗公ゆかりの地を巡る会員研修・たかはた伊達の会
2024.12.25(20:10)
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たかはた伊達の会主催のバス研修旅行、今回は「伊達政宗公ゆかりの地を巡る会員研修」です
11月30日、今回は福島県北部、宮城県南部を目指します。
たかはた伊達の会は戦国の雄、伊達氏の歴史を勉強し楽しむことを目的に毎年活動を行っており、雲爺にとっては今年最後の研修でした。それにしても今年はずいぶん研修に行きましたね。たかはた伊達の会を始め、高畠町文化財保護会、県立うきたむ風土記の丘考古資料館、高畠町郷土資料館などに入会してますのでかなりハードでした。齢80も目前となれば第4コーナーに差し掛かったと見て不思議ではありませんから、好きなことを学ぶことが我が道と心得たのです。生涯学習は雲爺の早めの終活なんじゃよ。囲碁と歴史、この心棒が出来てからは気持ちにズレが無くなった気がしています。後は南無八幡大菩薩様だしょうぞ 🈳
参加者は島津会長以下17名、高畠駅からマイクロバスで高速を走ります。冬に入り天候はベストとはいきませんが旅行はやはりいいもんですね。途中大笹生のインターで休憩しましたけど雲爺は知らなかったなあ、ここに福島市の道の駅が出来ていることが。
最初の見学地は桑折町の山城、西山城。そばにガイダンス施設・大かや園があります。
館内に展示物があり島津会長からレクチャーです。
島津会長は知らない方がいないほど有名な方とお聞きしています。又昔の街道や文化財などのエキスパートでもあられます。
たかはた伊達の会には雲爺が生まれた村の女性の先輩と従兄が同じ会員になっていて今回の旅では一緒になりました。人は人生を巡り巡って再会するものなんですね。
施設の前には日本一の大きさを誇る大カヤの木があります
根元から出土した鎌倉時代の陶器や火葬した身分の高い人骨が出てきました。当時の貴人の墓標として植えられたのかもしれません。 【記事は桑折町パンフレットより】
桑折西山城跡 【絵図は大カヤ園の展示物より】
山城、西山城は14代稙宗が前例のない陸奥国守護に任じられ、名実ともに奥羽随一の大名となりました。守護が政治を司るところとして、奥羽最大の大名の居城として交通の要衝である桑折に築きました。本丸、二の丸、中館、西舘があります。【記事は桑折町パンフレットより】
本丸に建てられた本丸御殿の復元図 【画像は大カヤ園の展示物より】
伊達氏が政治を執り儀式や接待を行った特別な御殿とみられます。ここで学校で教わった有名な分国法「塵芥集」に伊達稙宗と12人の宿老が署名し、発布したとされています。
雲爺は今回本丸には行きませんでした。2021年5月のブログで報告してますのでそちらをご覧ください。
西山城出土品
城跡からは宴会で使った「かわらけ」という素焼きの土器や陶器皿、中国の焼き物などが出土しています。
これは宴会の最初に行われた儀式の再現です。
右上の大中小のかわらけで酒をいただき、縁起物の昆布、干鮑、栗を食べました。現代の三々九度にこの儀式の名残があります。この後宴会が続けられましたがそれは非常に政治的なものでした。(大中小のかわらけ以外は現代製品)
【画像、記事は大カヤ園の展示物より】
甕 【画像は大カヤ園の展示物より】
火鉢 【画像は大カヤ園の展示物より】
中館、西舘
この2か所は西山城が廃城になってから戦国時代末期以降に戦闘用の砦として再構築されたと思われます。【画像は現地の案内物、記事は桑折町パンフレットより】
西舘の巨大な土塁と枡形虎口を望む
ここは西山城の西端にあたります。その出入り口に敵の侵入を阻む枡形虎口と土塁が築かれています。それにしても偉い高さの土塁だなあ。なんや、梯子が架けられたるやないか。こんなの今まで見たことないぞ。
戦闘用に再構築されたとあるからそういうことなんだな。戦国期も末期の頃はますます防備が強化されたんかなあ。政宗、秀吉どちらも天下取り意識に燃えておった頃でどちらが先に駆け着くかなんて。物騒、物騒、くわばら、くわばら・・・・
こんな梯子架けてからに、もう目が回るでないの・・・🙃
はは~ん、なるほど 枡形虎口と土塁がつながっとる。
こうして上から見るとえらくでかい枡形虎口じゃなあ。もうがっつりした鉤型になっているから入ったら最後、袋のネズミやぞ。上から鉄砲撃ち放題だわね。
どこから見てもかっこいいとしか言いようがない。
西舘と中館の間の大空堀
えらいこっちゃのう、この溝にはまってみい、蟻地獄でとても登れんぞ。上から弓矢と槍が来るわね。時代は450年経過したとみれば、堀はずいぶん埋まるじゃろうし、当初はもっと深い空堀だったであろうな。それにしても不思議だよなあ、こんなくぼみなんか自然の変化の中に消滅しそうなもんだがよく残るもんだよなあ。
雲爺みたいな観光客向けに地元ではこうして木を切り草を刈ってくださるから空堀の姿形がわかるんじゃ。ご苦労様でありがたいことだなあ。歴史観光行政は力を入れてるところいないところと差があります。恥ずかしながら雲爺の所の二色根楯なんてもう熊さんもあきれるほどにバシバシ荒れ放題になっているからね。西山城は奥羽最大大名の居城だったんだからその辺からしてものが違うわな。
中館から二の丸、本丸方面を望む
本丸へ続く大手道
研修で次に訪れたところは 陣場山館跡から見た白石城方面
【画像はグーグルマップより】
関ケ原合戦直前の慶長5年(1600)7月24日に家康側であった政宗は西軍側である上杉家臣の甘粕備後守清長の守る白石城を攻め落としたのですが、その時の本陣を構えた所が陣場山館でした。この地は白石城を真南にし、周囲の眺望もよく好位置にありました。手前は白石川で向こうに白石城を見渡します。
白石城を落とした政宗は旧領地奪回を図りましたが、南部での一揆扇動を家康に疑われ百万石のお墨付きを失うことになります。代わりに得た北部領地は荒れ地として活用は容易でなく仙台藩の大大名になるにはかなりな期間を経なければなりませんでした。
陣場山入口
世良修蔵墓所への石段
世良修蔵墓所
世良修蔵って知らなんだったな。世羅公則みたいな古いポップ歌手ならなんとなくわかるけどね。
世良修蔵は戊辰戦争で奥州鎮撫監督府下参謀となり、会津藩討伐を主張するも、新政府軍方への密書の内容に激怒した仙台藩士によって暗殺されました。その死によって、当初受理されていた会津藩の除名嘆願が撤回され、会津戦争で徹底抗戦される原因となったとされています。密書は世良修蔵を悪者にするために会津藩が手を加えた偽手紙であるなどの説もあります。
墓碑には為賊とされました後に大赦が降り白石町庁で削除しました。
【記事はウィキペディアより】
最後の訪問は片倉家御廟所となっていましたが、変だな、今回はここは行かなかったと思われます。代わりに片倉喜多御廟所と田村清顕公御廟所を回ったようでした。
雲爺は囲碁の大会の遠征で白石市方面にはよく出かけますが、国道113号線を通るといつもこの看板を見かけます。とても気になりますが時間の余裕がなくいつもスルーしていました。【画像はグーグルマップより】
片倉家廟所 【画像はweb白石市宮城の旅より】
ということでここはパンフレットで訪ねてみます。
片倉家初代当主片倉景綱は通称小十郎を名乗り代々の当主も同様に名乗りました。
弘治三年(1557)米沢市成島の現在の成島八幡神社とされる八幡宮の神職・片倉景重の次男として生まれました。生母は本沢直子。両親は幼い頃に相次いで亡くなり異父姉の喜多は親代わりとなりました。彼女は文武に通じ兵法を好み景綱に講じたといいます。景綱は喜多の教化を強く受け育ちました。
伊達政宗の近侍となりのち重臣として重用されるようになります。政宗の主要な戦いの大半に参加して有能な軍師として伊達氏の危難を救っています。小田原征伐に際しては豊臣秀吉に参陣を決意させました。【記事はウィキペディアより】
10体の石造阿弥陀如来坐像が並んでいます。初代景綱公から十代までの当主の墓標としました。内一体は仙台藩主の息女であり城主同様に葬られています。
【画像、記事はweb白石市宮城の旅より】
喜多の墓所
片倉喜多は天文7年(1538)伊達家家臣・鬼庭良直の一人娘として生まれました。母は本沢直子。母は離縁し片倉小十郎景綱の父片倉景重に嫁ぎました。したがって喜多と小十郎は義姉弟です。
伊達政宗が生まれると乳母を拝命します。ただし喜多は独身であったことから実際は養育係であったと見られ、政宗の人格形成に強い影響を与えたとされています。政宗に嫁いできた正室の愛姫付きとなったらしく、後に豊臣秀吉の人質となった愛姫とともに京へ上洛し伏見の伊達屋敷に奉公しました。秀吉にも拝謁し、秀吉は喜多の才を愛し「少納言」と賞揚したといわれています。【画像はweb白石市宮城の旅、記事はウィキペディアより】
喜多の墓までの途中にある観音堂
田村清顕公の墓所
喜多の墓から約70m離れた場所にひっそりとある田村清顕(きよあき)公の墓。そばには宗顕(清顕の養嗣子)・定広(宗顕の縁故者)の墓も建っています。田村清顕公は伊達政宗の正室・(愛姫)の父で、三春城主(福島県三春)です。田村清顕は坂上田村麻呂の後裔といわれ、伊達政宗に娘(愛姫)を嫁がせ強固な姻戚関係を結び戦国時代には広く名を知られた武将でしたが、豊臣秀吉の小田原攻めに宗顕が加わらなかったため領地を没収されてしまいました。
その後暫くは伊具郡金山(現丸森町)に隠れ住んでいましたが、陽徳院(愛姫)に招かれ二代城主片倉重長に召し抱えられました。定広は重長の後室の妹で真田幸村の娘、阿菖蒲を妻として片倉氏に改姓しました。この墓所の一角には「真田左衛門佐幸村御墓」と標識とともに刻銘の無い一基の自然石があります。当時、幕府をはばかりながらも、幸村の霊を慰めるために建てられたものといわれ、付近には真田家ゆかりの家と伝えられているところもあるそうです。
【記事はweb白石市宮城の旅より】
結局歴史は証拠物が有力な手掛かりとなるわけで、墓はその最たるものの一つです。でもやはり墓となればいつも空振りしているようなストレスはありますね。出土品でも当時の珍しいものや特別なものが出てくればわれら現人はもっと歴史に惹かれるでしょうが。結局歴史というものは灰色だから年寄じみてとっつきにくいものであることは致し方ありませんな。
12月26日
県南囲碁会事務局 平吹