食べられない子供たち
私は、一昨年(2008年)の丁度今頃から、不意に間食をしなくなり、1日2食となり、すぐに1日1食になり、それまでは食べていた肉、魚を食べなくなった。
その時まで、相当な飽食で、肉も甘いお菓子も大好きだったが、ほとんど瞬間的に、粗食、少食となったわけである。
そんなことを私にさせたのには、深層心理の中にいつもあったに違いない「マッチ売りの少女」の影響があったのだと思う。高校1年生の時、文庫本で改めて読んで、すっかりとりつかれてしまったようだった。マッチ売りの少女にはモデルになった子供がいたようだが、当時やもっと昔はもちろん、現代ですら、悲惨な状況の子供はいくらでもいる。
何かの本で読んだが、ある日本人が貧困国で教師をしていた。生徒の子供たちはロクに食べていない子ばかりだった。その教師は、ピクニックを企画し、子供たちにお弁当を用意する。見たこともない素晴らしいお弁当を見て、子供たちは狂喜する。しかし、ピクニックに行った場所で「さあ、食べよう!」と言っても、誰も食べない。困惑した教師が尋ねると、子供たちは、「こんな良いものを自分だけ食べるわけにはいかない。持って帰って家族にも食べさせたい」と言う。結局、全員がお弁当を食べずに持って帰った。
やはり貧困国のある学校では、給食が支給されるのであるが、それを持って帰る子供がよくいるのだそうだ。そうしないと、家族が餓え死んでしまうのだ。
2度ほどお会いしたことがあるが、テレビで時々お見かけする、ソフトブレーンの創業者の宋文洲さんは、小学生の頃、10キロ以上歩いて学校に通っていたが、昼食のお弁当は持っていけなかったと言う。
現代の日本でも、こんな話がある。その学校では、給食はなく、生徒は昼食にはお弁当を持ってくることになっている。ところが、教師が、昼食を食べない子がいることに気付き尋ねると、その子は、お弁当を忘れたと言う。しかし、毎日なので、嘘であることは明らかだ。その子は母子家庭の子で、母親は早朝から深夜まで働いていて、お弁当を用意することができないのだった。教師は、自腹でパンを買って与え続けたようだ。しかし、そんな子供は、昔はもちろん、いつの時代も必ず存在するはずなのだ。学校に、そんな子供への対応策が無いというのはどうしても私には疑問である。
作家の太田治子さんは、太宰治が妻とは別の女性に産ませた子で、彼女が生まれた翌年、太宰は自殺している。小学生の時、太田さんは未婚の母と2人で、バラックの2階で間借り生活をしていて、当然貧しかった。彼女は朗読が得意で、学校で、教科書の読みを当てられるのを大変に楽しみにしていた。実は私もそうだったので、その気持ちはよく分かる。しかし、彼女は当ててもらえなかった。彼女の学校には給食があったが、給食費を払えない彼女を、担任の男性教師が差別していたようだった。
経済的には豊かでも、精神的に追い詰められている子供も少なくないだろう。
この世の出来事は、表面的な心で物質的に見るなら全て偶然と言えるが、思考や知覚で計り知ることの出来ないようなレベルの世界のあり様から言えば、全て必然で、宿命や運命というものもあるのだろう。
その不可思議な層の世界では全てはつながっていると感じる。そして、世界の不幸や悲惨が我々と無関係であることはないだろう。一人の心は世界全体に影響を及ぼすのかもしれないし、世界のどこかのことが私に影響を与えることもあるのだろう。
私の心の変化もまた、世界の変化なのである。
The comments to this entry are closed.
Comments
お弁当を家族に持って帰るというのを見てとても反省しました。
私は家にあるお菓子一つ譲れないんです!!
我慢しなきゃとか思うこと自体、違うんじゃないかと思いました。
おいしいものであるれるのがわたしにはつらいです。結局食べるのですが、
その時の自分て本当いやしいんです。
食べてしまうこともですが、そういう時は感謝していないし、人前では出来ないことですし。
逆に我慢出来た時は優越感に浸ったりして、
どっちにしろ浅はかなんです。
前に見たタンタロスの話しが忘れられないのはこういうことかと、やはり反省しました。
Posted by: フワ | 2010.07.27 04:17 PM
★フワさん
食欲に打ち勝つことは難しいのは確かですが、成し遂げた時に得られる良いことは計り知れません。
コツは、食欲にまともに挑むのではなく、やり過ごす、かわすということかなとも思います。
Posted by: Kay | 2010.07.27 09:33 PM
アドバイスありがとうございます。
何が得られるのかこの身をもって感じたいなと思いました。
Posted by: フワ | 2010.07.28 05:52 AM