ホームレスにならう
浮浪者という言葉は放送禁止用語であるらしいが、単に「さすらう者」という意味のこの言葉のどこが差別的なのか私には疑問だ。
住居、職業を持たない者を劣った人間とみなすその考え方自体が問題ではないだろうか?
一方、さして意味が異ならないホームレスという言葉はいくらでも放送されるのである。
浮浪者、あるいは、ホームレスと言われる人は、定まった住居がなく、公園や路上などで生活しているのであるが、特に寒い季節は大変だということは誰でも認識できる。
そういう理由もあるが、実際に住居を持たないか、そうでなくても、旅行中、その他の理由、あるいは、特に理由なく、自分の家に居ない人が無料で自由に寝泊り出来る場所なんていくらあっても良いし、あるべきと思う。しかし、世間では、そんな場所があると浮浪者が増えたり、犯罪が発生する原因になるという思い込みがあるのだろうか。あるとしたら、その思い込みはどこから来たのだろう。そう思い込ませたい者がいるのではないだろうか。
ところで、年季の入ったホームレスというのは、着ているものや身体が汚れている場合が多いのは仕方がないとしても、案外に心身が健康で、身体もきれいなものらしい。
年配であっても髪が黒々として美しく、肌もきれいだし、禿げている人も少ないらしい。彼らがシャンプーや石鹸を使うことはあまり無いし、ましてや、経済的に豊かな人達が使う高価なシャンプーや石鹸、あるいは、美しい髪や肌を作るとされる美容品、化粧品、育毛剤に縁があるはずもない。
ホームレスの人達の中には、かつては結構豊かだった人も少なくないらしいが、そんな人達は、シャンプーや石鹸、化粧品などを使わず、水で洗うくらいの方が髪や肌に良いのではないかと感じている人も多いと聞く。
ある著名な作家は、金持ちだが風呂には入らず、石鹸も使わないらしい。野生動物は風呂に入らず石鹸も使わないが健康で美しいし、湯や石鹸などは身体に必要な油分を奪い、風邪をひいたり、(長期間の)化学的な影響でその他の病気の原因になるからだと言う。身体を濡らしたタオルで拭く程度だが、それで綺麗なものだし、相当な年配だが悪い体臭もないらしい。そういえば、今は、電車に乗っても、混んでいたら何ともいえないひどい臭いを感じるが、ほんとんどが、毎日、良いシャンプーや石鹸を使っていそうな、身なりも良い人達ばかりである。
ホームレスになりたての人はそうではない場合が多いが、肥満している者は少ない。深夜に駅の近くを歩いていたら、ホームレス達がダンボール箱の中で寝ていたり、読書しているのを見たが、なんだか皆カッコいい感じだし、電車の中などで見る特に若い人達のように、だらしない姿勢で、落ち着きなく身体をだらだら動かしているようなこともなかった。
ホームレス達が、長く、少食、粗食を続け、余計な菓子類を食べたり、飲料製品を飲まないことも、健康や美容に大いに役立っているに違いない。
また、ホームレスを調査した本を読むと、彼らの多くは、会社勤めによるストレスから解放されていると感じており、それが、心はもとより、身体の健康につながっているのではないかと思う。
冷静に考えれば、家や仕事を持たないことが、不便なことはあっても、悪いことであったり、ましてや、恥ずかしいことであるはずがないと思う。
世間の信念という妄想や偏見が、ホームレスの人達に対し、特定の概念や感情を起こさせるだけである。
良い国家というのは、家や仕事を持たない人達が平和に暮らせる国だ。無用な車が売れまくったり、飽食、美食で肥満になる人々だらけの国ではないし、仕事や生活のストレスで心が病んだ醜悪な表情の人ばかりの国ではない。仕事が好きな人や、立派な家を必要とする生活スタイルが好きな人もいるが、いろんな人がいるのである。
【聖母マリアはなぜ「出現」したのか】 世間の常識を疑うヒントになるかもしれない。 聖体(小さなパン)以外、一切の食物を摂らずに健康に生きた女性テレーゼ・ノイマンの非常に詳しい記述がある。その他のことも、基本的には奇跡を認めない正統なキリスト教会の神父の書であることは異例である。 |
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