« 来るべき世界 | Main | 陽気なアウトサイダー »

2010.05.02

天使のささやき

サッカー選手や女優になりたいと思っている人も多いだろうが、その大半は、幼い自我が生じさせた願望だろう。
そのようなものになる運命にあれば、極端に言えば、嫌でもなってしまう。
表面的に見ると、偶然の成り行きで、世界最高の医師や大統領になったような人も実際にいる。

だが、幼い自我の願いの中にも美しいものはある。
年少者に大きな夢を持つことを薦めることにも意味はある。世間常識を超えた夢を持つことで、妄信や偏見の渦巻く大衆心理から外れることができるからだ。
本来は、人間はどんな荒唐無稽な夢も実現する力がある。それには、自己の内にある無限の力を発見しなければならないが、それは、幼い自我による行為と一見似てはいるが、実は高度に洗練された自我の行為である。
そのためには、まず、世間の教義や信念と戦わなければならない。それは、非凡な人間が必ず出逢う試練である。

では、幼い夢を使って自己の内にある広大無辺な力を汲み出したお話を取り上げよう。
お釈迦様は、従弟のアーナンダに天女を見せ、仏道の修行をすればこの天女はお前のものになると言った。天女の美しさは想像を絶するものであり、アーナンダは修行に励むが、やがて、仏道が目的となり、天女のことを忘れる。
このお話は、分かりやすいものであるが、それこそ、自我の幼い人には納得し難い部分もある。
むしろ、次のお話の方が分かりやすい。
1960年代の終りに「妖怪人間ベム」という人気アニメがあった。
妖怪人間とは、妖怪の身体の中に人間の心を持った生き物である。妖怪の身体は、人間の能力をはるかに超え、この世の陰に潜んで人間を苦しめる妖怪と戦うことが出来るが、その姿は人間にとっておぞましいもので、妖怪人間達は、普段は人間の姿に擬態(なりすますこと)し、本当の姿を隠していた。彼らは、人々に嫌悪や恐怖の感情を起こさせるその身体を持つことに苦しみ、人間になりたいと願う。
そして、彼らは、なぜかこう思う。
「人間のために良いことをしていれば、いつかきっと人間になれる」
そして、彼らは、悪い妖怪達を相手に、何度も死にそうな目にあい、傷付きながらも戦い続ける。しかし、考えてみれば、そんなことをして人間になれるという根拠は実はどこにもない。
だが、彼らは、ついに人間になる方法を発見する。
ところが、その時、彼らは激しく望み続けたその夢を放棄する。
この世に、悪い妖怪は沢山いる。自分達が人間になったら、そいつらと戦って人間を守ることが出来なくなる。人間になるために人間を守ってきたのが、人間を守ること自体が本当の願いであることが分かったのだ。自分達を迫害さえした人間をである。
この場合、幼い自我の願望が人間になることで、洗練された自我の目的が人間を守ることだったのである。

先のアーナンダの場合、アーナンダを導いたのはお釈迦様だった。だが、妖怪人間達に「良いことをすれば人間になれる」という導きを与えたのは、おそらく高次の霊的存在であろう。そして、そういった天使のような存在は、我々にもささやいているのである。
あなたの知っている物語にも、上記の解釈を作用させると、その真の意味が見えてくるはずだ。
そして・・・静かなひらめき、あるいは、天使のささやきを大切に。


【人生に奇跡をおこす】
幼い自我を成長させて幸福を得たり、世間の妄信を打ち破ることで広大無辺な力を味方にする潜在意識の法則を、世界的な潜在意識の活用法の教師ジョセフ・マーフィーが易しく教えます。
実例について、本人の許可を得たものは実名と住所入りで掲載されますが、これらには我々にも身近な問題が多く、特にあなたの役に立つかもしれません。

↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

|

« 来るべき世界 | Main | 陽気なアウトサイダー »

Comments

自分の場合は・・・
ゲームが好きだったので、
『ゲームを作って立派になりたい』
という思いがありました。

しかし、時が経ち、これといって思うように上手くいかず・・・
そんな時、なんとなく、好きな本を片っ端から読んでみることにしてみました。
『自分探し』というか、『自己探し』に近い行為です。


そうしていて、見えてきたことがある気がします。

多分、初めの『ゲームを作りたい』が幼い自我の目的で、
本当の自我の目的は・・・、まぁこれだという確たるものは分かりませんけど・・・
何か漠然と掴んでるような気がするものが、そうかもしれません。

最近は、別にゲームじゃなくても良いと思ってます。

Posted by: Raimu | 2010.05.03 05:25 PM

少し、書いてて気付いたことがあるので追記です。

幼い自我の目的は、地位や職業など、明確なものが多くて、
本当の自我の目的は、どちらかというと『想い』のような、
もっと漠然とした説明のし難いもののような気がします。

Posted by: Raimu | 2010.05.03 05:36 PM

★Raimuさん
洗練された自我の目的とは、自分のためのものではないと私は思っています。

Posted by: Kay | 2010.05.03 07:42 PM

The comments to this entry are closed.

TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 天使のささやき:

« 来るべき世界 | Main | 陽気なアウトサイダー »