窮屈な味
「ちっちゃな雪使いシュガー」というアニメで、主人公の11歳の少女サガが、アルバイトをしていた喫茶店に来店した、劇団員でピアニストのヴィンセントという青年にコーヒーを入れる場面がある。
一口飲んだヴィンセントに、「どうですか?」と尋ねるサガ。サガは全力を尽くして入れた(煎れた)のだった。
サガは、どうもヴィンセントが気にかかる様子だが、好意的というよりは抵抗がある感じである。
幼くして両親を亡くし、祖母と暮らすサガは非常にしっかり者で、年齢に似合わないほど何事もきっちりとしている。一方、ヴィンセントは、肩の力が抜けた気楽な人間で、有名なオーケストラのピアニストを辞め、旅回りの劇団にいた。サガの母親は優れたピアニストだった。その母親を早くに亡くしたサガはピアノを神聖なものと考える傾向があるが、ヴィンセントは音楽とは楽しいものだと考えているようだった。このあたりにも、サガがヴィンセントに違和感を感じる理由もあるようだった。
サガにコーヒーの感想を聞かれたヴィンセントは、「なんだか、窮屈な味だね」と言う。
サガは、それがいつまでもとても気になり、ある時、ヴィンセントにその意味を尋ねるが、ヴィンセントに「そんなこと言ったっけ?」と言われてしまう。
お気楽を通り越し、いい加減な男と見なされたヴィンセントはサガに嫌われてしまう。ヴィンセントはそれに気付いているかどうかは分からないが、気にした様子もない。
だが、ヴィンセントの力が抜けた雰囲気は心の広さから来るもので、それは心の強さをも意味していた。そして、彼は本当は純粋な心を持ち、優しく温かい人間だということをサガも理解し、最後はヴィンセントを好きになる。それは、恋心にも近い雰囲気もあったが、まだサガは幼かった。実際、サガがもう少し大きかったらお似合いのような気はした。
これらのことが、私には印象的でよく憶えている。
ヴィンセントの「窮屈な味だね」は、その時のサガの様子をそのまま口にしたのではないかと思う。
ヴィンセントは、頑張り過ぎるサガに、「もっと力を抜けよ」とでも言いたかったのだろう。
お釈迦様は若い頃、悟りを求めて、激しい苦行を行っていた。しかし、その最中、1人の村人が「琵琶の弦は締め過ぎると切れるし、緩め過ぎると音が悪くなる」という意味の歌を歌うのを聴き、快楽はもちろんだが、度の過ぎた苦行も正しくないと悟って苦行をやめる決意をする。仏教の、極端を戒める思想は中道として知られる。これはバランスを意味する。中庸と同意としても良いが、仏教学者のひろさちや氏は、昔の本であるが、中庸はぬるま湯であるとして区別していた。
徳川家康の「過ぎたるはなお、およばざるがごとし」も同じ意味と考えて良いと思う。
で、このブログでもよく取り上げる食の慎みの話であるが、少食の実践に取り組む人の中には、あまりに厳格な少食にこだわる人もいれば、少し食を慎んだかと思ったら、大食いしたり、かなりチョコレートを食べたりとバランスの悪い人が多いのではないかと思う。
まあ、私も最初の頃はやり過ぎたクチで、やはり「窮屈」だったかもしれない。
私は、食の慎みについては、いくつかの、あまり極端でない決まりごとを作り、それだけをしっかり守れば良いと思う。
私の場合は、食事の時以外は食べないこと。つまり、間食をしないこと。肉やお菓子を食べないことが決まりごとである。
ただし、飲み物は適度であれば甘いものでも良いし、朝やお昼に、ハチミツや黒砂糖、あるいは、キャンディ程度のものであれば、少しなら良いとしている。少しとは、ハチミツなら小さじ一杯。黒砂糖なら1かけら、キャンディは1個とかであるが、それも厳格でなく適当で良い。
ただ、今のところ、1日1食にだけはこだわっている。しかしそれも、お正月や来客時だけは守らなくて良いとしている。
「ちっちゃな雪使いシュガー」のテレビ放送終了から1年数ヶ月後、特別編が2話制作された。その最後の方で、16歳になったサガが、11歳の時と同じように塔を駆け上がる場面があった。以前と同じように、管理人のヘンリーに、ポットに入れたコーヒーを届けるためだった。
あまり変わらない雰囲気ではあるが、少し柔らかく落ち着いた声になったサガ。窮屈さはもうなく、もしヴィンセントと逢えばロマンスが生まれるかもしれないと一瞬思ったが、やつには勿体無いという親心を抱く私であった(笑)。
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Comments
記事の内容とは重なりませんが・・
宗忠公についての本を読んで居ります。
率直に言って凄いです。
私は南伝仏教の瞑想法を約2年程行っておりました。
しかし、時間が足りない事に気づき
貴殿が言う全託の道を選ぼうと
思いました。
いろいろサイトも調べ、貴方がどのような
経緯で今の心境に到ったのか、少しわかって
参りました。
有り難し、有り難し・・・
(クリシュナムルティは真理を知る事は
今吸っているタバコをポトンと捨てるような
ものだ、と言っていました。
また、肉体があるかどうかは
実はあまり重要ではない、とも)
Posted by: taku | 2010.01.07 11:52 PM
連投失礼致します。
山田氏の「神道ヒーリング」でしたか
昔読みまして、日拝と拍手の清めを行って
居りました。
当時自分でもわかるくらい清まりまして
大げさでなく会う人ことごとく
「そんなに爽やかになってどうしたの?」
と言われていました。
某有名神社に毎週車で往復
1時間半かけて通っておりました。
今は貴方からご紹介された
大祓を太祝詞のところに
ひふみ祝詞を入れてあげています。
拍手祓いは効きますよ。お試しあれ。
ぱん!ぱん!合掌。
Posted by: taku | 2010.01.08 12:14 AM
こんにちは。でるおです。
窮屈な味とは面白い表現ですね。
琵琶の弦の話も納得しました。
私がたまにするゴルフも軽く打っても
力一杯打っても飛距離は一緒という
面白い現象があるんですよね。
ちょっと皮肉ですが、これには
自分でも驚きました。
何事も力を抜いて、冷めた感じでいくほうが、
うまくいくのかもしれませんね。
Posted by: でるお | 2010.01.08 02:10 AM
★takuさん
私も、いろいろな精神世界を遍歴しました。
それはそれで楽しかったですね。
そろそろ、全部捨て去ろうかと思っております。
★でるおさん
達人の極意とは、究極のところ、「力を抜く」となるように思います。
力をうまく抜くコツが分かれば、可ならざるはなしということと思います。
Posted by: Kay | 2010.01.08 06:33 AM