少食と死の願望
1日1食など、超少食ができる人というのは、自殺願望といいますか、死の衝動というものがあるのかもしれません。
これは、必ずしも全面的に否定的なことではありません。
世の中に徹底的に嫌気がさしているといった状態ですが、本当は、自分や、自分の心に嫌気がさしているのだと思います。
世界は、自分の心の鏡ですからね。
それはきっと、自己変革のチャンスになります。
まずは望み通り、食を大いに慎めば良いと思います。
私も、ある時期は、1日に米を半合と豆腐一丁だけで数ヶ月過ごしました。
イェイツの「まだらの鳥」では、主人公マイケル少年(イェイツ自身の投影)は、乞食の老人に「身体と魂が離れないように、少しのパンを食べるように」と言われます。
その通りを続けたマイケル少年は、至高の美の幻覚を見ます。それはイェイツ自身が体験したことではないかと思います。
ラマナ・マハリシは、正しい食べ方を尋ねられると「清らかなものを適度に」と答え、良い食べ物としては「パン、フルーツ、野菜、ミルク」と答えました。そして、いったん、悟りを開いた後では、食べ物の影響はなくなるとも言っています。
特に、若い子が、極端な少食になった時は、自殺を疑っても良いかもしれません。
彼女達は、精神が不安定なので、極端で早急な手段を選ぶ恐れがあります。
そんな時、滅ぼすべきは自我であり、肉体ではないことを理解できればと思います。
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Comments
ケイさんは
お金も、女性も得ることが出来てそれで
飽きてこういったことを行ってるんですか?
僕もケイさんを見習って小食しようと思うのですが
まずは飽きるまでやってからやった方がいいでしょうか?
Posted by: ダイ | 2009.08.15 02:24 PM
Kayさんの少食に対する考えを読んで生きる意味を考えました。
私とは真逆なので生い立ちや経験も真逆なのかな…
産まれた事に意味を持たせるつもりはないけど子孫繁栄の本能、進化しようとする本能は大体の人間には有ると思います。大体の親は命がけで子供を育てます。これも子孫繁栄しなければと本能が働くからこそ。
私には仕事は自己表現の手段でもあります。
子供が立った、喋ったから始まり親の背丈を超え、ボランティア活動で他人の役に立った時は喜びを感じました。
一生懸命子育てすると本当に大変です。しかし、それを望むのは本能。後世に子孫を残そうとする人と拒否する人。Kayさんは自分の子供が欲しいとは思わないのか不思議です。子孫繁栄の本能は誰にも備わってると思っていたから。
自由に生きてた若い私が、家族が出来て必要最小限しか働かなかったのに、がむしゃらに働き、子供に笑顔で居てほしいから、がむしゃらに働いてみると仕事の可能性の大きさに楽しさを見つけました。
やってみないと分からない事もあるのではないでしょうか…Kayさんが少食を極めるにつれ生きたい本能、子孫繁栄本能が湧き出てきたら…面白いな…なんて思ってしまいました。
Posted by: カナリア | 2009.08.16 12:09 AM