親のアドバイスはなぜ役に立たなくなったか
親のアドバイスが有効なのは、子供がせいぜい中学生か高校生までだろうし、また、そうでないといけない。
信じがたい話であるが、就職の面接で、いい年をした大人(40歳以上もあるとか)が、「親と相談します」と言うことが、よくある話だと聞いたことがある。
先ごろ、保釈補償金を支払って釈放された小室哲哉さんが、母親の手紙を読んで涙を流し、大いに反省して、再起を誓ったといったニュースがあったが、これに関してはどうであろうか?
その母親の手紙というのは、「全てを明らかにして謝罪し、一からやり直せ」といった、言われてみれば「当たり前」のことが書かれていただけである。
このような、当たり前のこと、つまり、一般論については、それを母親が言ったということに意味がある。逆に言えば、母親以外の者が言っても、悪いことではないかもしれないが、小室さん本人にとっても、はた目から見ても「大きなお世話」であろう。
もし、母親でないなら、小室さんにとって恩師に当たる人や、大先輩といった人なら、まあ、悪くはないと思うが、他人や、関係者であってもさしたる人物でなければ、やはりそのようなことを言うのは不遜と言うものであろう。
つまり、ある時期を過ぎれば、親に出来る助言とは、一般論、言い方を買えれば、抽象論に過ぎない。もちろん、親が家業の上での上司であったり、芸事の師匠でもあれば別であるし、親が大変に知識や技術があって、具体的な細かい問題においても子供をはるかに上回る判断力があるという場合も例外にはなるが、これらは特殊なケースであろう。
ところが、近年の日本の親というのは、上にあげたような子供の就職問題といった、具体的なことに口出しをすることが多いと思う。
どの大学のどの学部に行けとか、その人とは結婚するな、この人と結婚しろとか。
また、子供の方も、それを聞くような、はっきり言っておかしな関係が増えてしまっているのだ。
なぜ、このような状況になったのか?
いろいろな理由はあるだろうが、親に大きな問題があると思う。
目の前の問題を、適切な一般論、抽象論で表現するというのは、若い人には難しい。
しかし、本来は、人間は年を重ね、経験を積みながらものをよく考えると、細かい知識や技術の点では衰えるかもしれないが、「知恵」と言うに相応しい抽象的な思考能力は発達するはずなのである。それができない年配者が多くなってきたということである。
抽象思考の得意なイエスや釈迦は、たとえ話が非常に上手かったことで知られている。
アンチ・キリストであるW.B.イェイツすら、イエスのこの能力は賞賛している。
キリスト級、釈迦級というのは無理として、本来の年配者に相応しい知恵があれば、知識や技術に優る若年者にも良いアドバイスが出来るのである。
優れた経営者が、自分より技術や知識に圧倒的に優る部下に優れた指示ができるのも抽象思考能力のためである。
野球の名選手が、なかなか名監督にならないのは、選手としての発想しかできないからである。選手とは違う経験をして、抽象思考能力を獲得すれば良い監督になれる可能性が出てくる。
子供と同じ視点で、役にも立たない口出しをする親。
レベルは子供と同じだが、知識や感覚では子供の方がまだマシであろう。
ある程度の年齢になれば、抽象思考ができるようにならなければならない。
そのためには、できるだけ煩悩を捨て、無私の思考をしないといけない。
どうすれば良いかであるが、やはり少食の習慣をつけることが最も良く、普通はこれ以外に方法はない。できるだけ若いうちから少食にしておくと、知恵の発達も早くなり、自分も他人も幸福にすると思う。
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Comments
そうそう。とつい口に出して読んだ。
もう過ぎた事なので、過去は掘り返さないけど、
今でもこのままでいいと思ってるのか?と言ってくる時がある。
俺が選んだんだからいいでしょ。って言ってるんだけどね。選択権が与えられないとやる気が無くなる。
まじめにやっても頑張らなくても評価が同じならしない方がいい。
Posted by: minami | 2008.11.27 12:44 PM
★minamiさん
親とはやっかいなものであるというのが宿命です。
親の言うこと、やることを黙認できるようになれば一人前です。私はそう思います。
Posted by: Kay | 2008.11.27 09:51 PM