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2008.09.22

不食のジョナサン

リチャード・バックの「かもめのジョナサン」といえば、タイトルくらいは知っている人が多いと思う。1970年代に大ブームを引き起した世界的な小説で、現在でも根強い人気を持つ。著者は、「星の王子様」のサン・テグジュペリのように飛行気乗りでもある。
かもめといえば、これも人気のある鳥の1つと思われ、アニメで美少女の近くを優雅に飛ぶ様なシーンも多い。しかし、実際は肉食性の強い、かなり気の荒い鳥であるらしい。
また、カモメは、群れて生活し、雑食で何でも食べ、ゴミ漁りもやるが、人が撒くパンやお菓子に群がることでも親しみがあり、「かもめのジョナサン」でも、ここらの性質はうまく利用している。

「かもめのジョナサン」では、若いかもめであるジョナサンのいる群れは、漁船からばら撒かれるパン屑を争って奪い合うことのみを目的として生きていた。
だが、ジョナサンはそんな生活に疑問を持つ。かもめはもっと可能性に満ちた存在のはずだと。ジョナサンは一羽、曲芸飛行の練習に明け暮れた。だが、そんな彼は、両親から困った息子としてしか扱われない。「かもめらしく生きろ」「大人になれ」「食べることが一番大事なんだ」とたしなめられる。それでジョナサンも、1度は他のかもめの真似をして、ぎゃあぎゃあ叫びながら漁船の近くを飛び、パン屑をキャッチするが、馬鹿らしくなってそれを他のかもめに投げると、曲芸飛行に戻る。そして、ついにかもめの常識を超えた素晴らしい技を習得し、達成感と自信を得る。
しかし、ジョナサンが群れの仲間から理解されることはなく、群れを追放される。

最初のあたりのお話はこんなものであるが、面白いのは、かもめ達の人生唯一の目的が食べることとされていることだ。人間も同じである。なんだかんだ言っても、食べるために生きているのである。そもそも、生活することや働くことを「食っていく」と言うだろう。
スポーツでも、プロ野球の良い投手の投球を「メシが食える球」と言うくらいだ。

しかし、ジョナサンは食べなかった。やせ細った身体で曲芸飛行に挑み続けた。
そしてかもめを超えたのである。
我々も食べることをやめることで人間を超えることができる。
我々もまた、この小説のジョナサンのように、「食べることが一番大事だ」と信じ込まされてきたのだ。だが、それがおかしいと感付き始めている。
日本もアメリカ同様、物心付いたときから「食べろ!もっと食べろ」「美味しいものを求めろ」「美味しいものを食べることが人生最大の喜びだ」「食べない人生に何の意味がある」と洗脳され続け、食品業界や外食産業を潤わせてきた。結果、アメリカでは肥満が増えると共に、無気力に人生を送る者が多くなり、今度は精神科医やカウンセラーが儲かることとなった。日本もそのようになりつつある。

ヴァーノン・ハワードの本にこんな話がある。
カラスが鷲にトウモロコシを売りつけようとする。トウモロコシは素晴らしく、これがないと寂しくて哀しくてやっていけるはずがないと鷲に信じ込ませることに成功する。鷲達は競ってトウモロコシを求め、それを食べるためにだけ生き、飛ぶこともなくなった。
その中で、ある鷲は気付いた。何かおかしいと。その鷲は翼を広げてみた。十分に飛べると思った。そして空に舞い上がり、鷲として生きるようになった。

我々も同じだ。「美味しいものを食べないなんて、なんて馬鹿げた人生なんだ」「美味しいものを食べないのは損をするということだ」「人生は美味しいものを食べるためにある。他にどんな楽しみがあるってんだい?」と言われ続け、お腹が空いてもいないのに次々食べ、さらに、食べもしないものまで買うのだ。

以前、ワーキングプアの特集番組で、仕事に恵まれない派遣社員の女性が、食パンを買って冷蔵庫で保存しながら、少しずつ食べて食いつないでいる様子を見せていた。その食パンを食べる様子も見せていたが、マーガリンもジャムも付けずに食べる惨めさを表現したかったのだろう。彼女も確かにマズそうに食べていた。しかしおかしい。本当に空腹なら、食パンのような美味しいものを、もっと楽しそうに食べているはずだ。この女性もまた、贅沢で美味しいものを食べることこそ良いことだと思っているのであろう。

何年も前のことだが、中国から妻子ある45歳の男性が日本に来て、博士号を目指して勉強しているというドキュメンタリー番組があった。中国では、大学で学ぶのに年齢制限があるからだ。この男性は、レストランの床掃除などで生計を立てているが、当然貧しく、毎日、カップラーメンと安いパンばかり食べていた。ある時、それで体調が悪くなり、「大決心」をしてサンマの缶詰を買い、汁も残さず美味しそうに飲み干していた。
しかし、痩せていなかったなあ。体調が悪くなったのは、粗食のためであるかは疑問だ。
しかし、彼の12歳の娘さんが可愛かった。クリスマスに、彼は全財産の1万円を銀行から降ろし、外でこの娘と待ち合わせをする。しかし、彼はちょっと立ち寄った書店で学術書に夢中になり、寒い中、外で娘を1時間も待たせる。しかし、娘は文句1つ言わない。そして、2人は文房具屋に立ち寄り、父親は欲しいものを選ぶよう言うが、娘は、シャープペンシルの芯と消しゴム以外を手に取らない。これが彼女のクリスマスプレゼントというわけだ。
その後、2人は食事をするが、彼はラーメンを、娘は堅焼ソバを食べただけだった。
この娘さんは、可愛いだけでなく明るかった。「神様は夢に向かって努力する人を見捨てたりしないわ」と言う。
だが、彼は博士号の試験に落ちる。そして、不屈の根性で次の年に再度挑むがダメ。しかし、ラストチャンスの次の年に見事博士号を取得し、中国の大学の助教授の職を得て、一家は中国に帰る。

たらふく食べて感動的な勝利を得た者はいない。
逆に、食べないことで我々は勝利を得る。食べても得られた勝利は長続きせず、かえって不幸な結果を招く。
望みがあるなら、空腹に耐えてがんばって欲しい。
水野南北は、3食のうち、1食を食べずに心の中で神に献じながら願えば、小さな願いで1年、高名になるなら10年で必ず叶うと「相法極意修身録」に書いてあった。
それはおそらく本当であるが、何より、食べずに願えば、欲深な願いであれば忘れるだろうし、そうでなければ気力が充実し、生きることも楽しくなるだろうと思う。

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Comments

飯を抜いたらお腹の痛みに耐えられない
ご飯に依存してた影響だろうけど本当に痛い
ちょくちょく騙しながら頑張ります

Posted by: minami | 2008.09.23 06:51 PM

★minamiさん
困ったお腹ですが、分かるような気もします。
ミルクかジュース、あるいはコーヒーをちょっと飲んでみると良いかもしれません。

Posted by: Kay | 2008.09.23 09:12 PM

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