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小説家のバイブル「小説の技巧」

小説の技巧 小説は自由だ。何をどう読もうと勝手だ。

 けれども、小説から快楽を得ようとするなら、その技巧を知ることは有意義だ。前立腺やGスポットの場所を知らなくてもセックスは可能だが、より快楽に貪欲になるのなら、知っておいて損はないのと一緒(訳者の柴田元幸はもっと上品に、「ショートカットキー」に喩えてた)。「ヤってるうち自然と身につく」という奴には、「愚者は経験に学ぶ」という箴言を渡す。快は無限だが、生は有限。読める数は限られている。

 同時に、小説書きにとってはバイブル級。読者を快楽の絶頂へ導く手引きが解説されているのだから。プロットやキャラといったハウツーを超え、マジック・リアリズムや異化、多声性、メタフィクションといった本質的なレベルで語られる。しかもサリンジャーやナボコフ、ジョイスといった練達者のテクストが俎上乗っている。心してかかれ。

 ただし、いそいで付け加えなければならないのは、「知る」ことと「できる」ことは違うこと。おっぱいの場所は知っているけれど、そこから快楽を引き出すのにコツがいるように、本書を把握しさえすればすぐ書ける(読める)ワケではない。

 あるいは、本書をカタログとして読んでもいい。事例とともにスタックされているので、惹かれるテクニックを探し、そのワザの達人に出会うことも可能だ。たとえば寓話。表面的な写実を凝ることで、現実との対応関係を焙り出す手法は「ガリヴァ旅行記」のヤフー(Yahoo)や「動物農場」の立派なガチョウ(proper gander)で有名だ。しかし本書でサミュエル・バトラー「エレホン」を知った。nowhere(どこにもない)の逆つづりがErewhonなんだという。

 さらに、既読の小説にあたるのも一興/一驚かと。自分の「読み」よりもはるかに多層的な角度からの批評が得られ、知的興奮が湧き起こる(そうだったのか!というやつ)。

1984年 例えば、オーウェルの「1984年」。全体主義国家による監視社会を描いたディストピア小説だが、主人公とヒロインをアダムとイヴに置き換えて解説している。すると、偉大なる指導者(ビッグ・ブラザー)の密やかな監視と処罰は、たちまち別の光沢を帯びてくる。ラヴ・ロマンスと二人がたどった運命が、違った色合いで見えてくる。陳腐な言い回しだが、宿命付けられた悲劇を、「近未来小説」で読むという皮肉に、自嘲したくなる。

 既に読んだ小説が、まるで違った話になってくるので不思議だ。読者の意識にかかわらず、既知のモチーフを未来の舞台で創造するのだ。読み手は、自分が知っている(はずの)過去を通じて、未来を理解するのだ。これは、SF小説の肝でもあるよね。

日の名残り まだある。カズオ・イシグロ「日の名残り」の説明にはびっくりした。原書・翻訳と読んだのだが、本書の解説を通じて、わたしはまるで読んでいなかったことに気づいた。これはネタバレ的な仕掛けではなく、むしろ「どのように読めるか?」の論評なので、ここに引用する。

カズオ・イシグロの作品の語り手にしても、決して悪人ではない。だが彼の人生は、自分と他人をめぐる真実を抑圧し回避することに基づいて進められてきたのだ。その語りは一種の告白だが、そこには、欺瞞に彩られた自己正当化や言い逃れがあふれている。最後の最後になって、自分についてのある種の理解に到達するものの、その時にはもう、そこから何かを得るには手遅れだ。
 つまり、「日の名残り」は、信用できない語り手の事例として挙げられている。人間がいかに現実を歪めたり隠したりする存在であるかを、ここで徹底的にあばく。語り手が物語る時間的・論理的矛盾を突き、そこに隠されていた嘘を明らかにする。格調高い美文に酔って読み流していたのが恥ずかしい。再読するべ、そしてこの「読み」を試してみよう。

 小説を創作するにあたって、強力なヒントも分析されている。小説家を目指す方なら頼れる道具箱になるだろう。

 ひとつの例として、「持続感」が挙げられる。小説のなかの時間の流れと、それについて読むに要する時間との比率を考慮せよという。小説の展開を遅いと感じるか、早いと感じるか、いわゆる物語のテンポはここで決まる。イベントが次から次へと続くことで、気持ちよく読み進められる一方、ここぞというタイミングで、わざと描写や独白を念入りに書き込んで、ひきのばしも可能だ(映画ならクローズアップやストップ・モーション)。

 この基本を底にして、人生のリズムそのものを模倣しようとした意欲作も紹介される。ドナルド・バーセルミ「教えてくれないか」で、普通の小説ならじっくり語るはずの感情的・性的関係の表面が、目まぐるしい速さで滑っていく感覚は、高揚感と酩酊感を伴う。ぜひ、ヤクロウにしたいものだ。

 もうひとつ。「手紙」の効用に気づかされる。小説で使われる文章は、全て再現に過ぎない。会話や描写、ナレーションは、もともとの現象や出来事を言葉を用いて再生させるという人工的な営みに過ぎない。会話文であっても、一緒で、小説で喋り言葉を使ったとしても、実際そのとおりにしゃべっているわけではない。つまり虚構なんだ。

 しかし、「手紙」は違う。虚構の手紙と本物の手紙は区別不可能で、それこそが小説にリアリティを持たせる強みとなるという。小説が書かれている状況について、テクストのなかで言及するとき、読み手は「どうしてそんなことをわざわざ言うのだろう」という作者の存在に目を向けてしまう。いっぽう、手紙なら別だ。手紙を書いた人の意図に視線が向けられることになるから。ここでは「手紙」という小道具だったが、電子メールで代用してもいいかも。

 小説作りの舞台裏を覗き見るのに、最適な一冊。

レトリックのすすめ 「何を書くか」よりもむしろ、「どう書くか」といった技巧に焦点が当たっている。さらに、語彙レベルのレトリックではなく、フォームやテーマといった一定の広がりをもった技術が紹介されている。レトリックの種類と本質が示される「レトリックのすすめ」と、読者は小説のどこに快楽を感じるかについての一つの回答「小説のストラテジー」、さらには小説の本質そのものを簡潔にまとめた「詩学」を読んできた。それに本書を加えると、蒙が開けてくる。「どう書くか」について、硬いものを掴み取れる。

 小説を書く人にとってはバイブル、読む人にとっては快楽の手引書となる一冊。


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コメント

最近、小説の技法についての本などを少しあたっている所なので参考になります!

nowhereの逆さの綴りのくだりで梶尾真治のエマノンを思い出しました(笑)

投稿: ペチ | 2009.03.23 11:45

このサイトの何が良いか。やはりDainさんの紹介文がめちゃわかりやすくて面白い。ただの文章ではなく、なんっーんでしようか?ん~コラムというか、、、あえて言うなら紹介文が、「表現」にまで高められているところかも。

投稿: 地獄シュークリーム | 2009.03.23 17:34

『小説の技巧』と似た内容の本で、廣野由美子『批評理論入門—「フランケンシュタイン」解剖講義』中央公論新社、2005があります。内容は著者がH15に京大で行った英米文芸表象論講義をまとめたもので、あとがきにおいて『小説の技巧』を参考にしたと紹介されています。こちらもなかなか興味深かったですね。

投稿: 通りすがり | 2009.03.23 18:00

>>ペチさん

ずばり「小説の技法」というタイトルの指南書もあります(レオン・サーメリアン著、1989、旺史社)。両方を見比べました。切り口や俎上となる小説、翻訳のこなれ具合などから、「技巧」のに軍配をあげます。本格的に研究したいのなら、両方を読むことをオススメします。


>>地獄シュークリームさん

ありがとうございます、できるだけ、「単なる紹介」「ただの読書感想」にならないように、心がけています。読んで自分が「どう動くのか」がポイントだと思っています。


>>通りすがりさん

おっ

貴重な情報、ありがとうございます。読みます。

投稿: Dain | 2009.03.23 23:59

Dainさんの紹介文はもはや感想文にあらず。本物の書籍を時間を費やして読む以上に、紹介された本以上におもしろい。その要約力、着眼点の鋭さ、かつ、ユニークな文章表現を無償でいただける私は幸せ者でーす。他人さんにこのサイトを教えたい気持ちは多分にありますが、、、正直、嫌です(笑)、だって私の「宝の山」だもんねー。しばらく静観します。いつもサンクスです。

投稿: 地獄シュークリーム | 2009.03.24 08:20

いつもたいへんためになる内容で楽しみに読まさせていただいております。「小説の技巧」もこれから読んでみます。ところで、小説作りというかお話を作る、という観点で松岡正剛さんの「物語編集力:ダイヤモンド社 (2008/2/29)」は読まれましたか。これは小説に限った観点ではないので、私は映画の観点で理解してます。もしDainさんがお読みでしたら申し訳ありません。

投稿: ぺーすケ | 2009.03.25 12:26

>>地獄シュークリームさん

ありがとうございます、でも、どんどん紹介しちゃってくださると嬉しいです。


>>ぺーすケさん

氏の著作はいくつか読みましたが、「物語編集力」は未読です。ご紹介ありがとうございます、チェックしてみますね。

投稿: Dain | 2009.03.29 10:02

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