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「レトリックのすすめ」でマスターしたい12の文彩

 文章うまくなりたいくせに、ロクな努力をしていない。レトリックのすすめ

 文章読本や入門本、「○○の書き方」サイトを漁っては自己満足に淫する。量は質に転化するとはいうものの、駄文はいくら書いても駄文。カラまわりする向上心のギアをローに入れ、テクニカルな部分―― すなわち、「レトリック」に注力してみよう。

 「レトリック」といえば、美辞麗句とか口先三寸とか、たしかに評判はよくない。「それはレトリックにすぎない」なんて、内容ゼロを非難する決り文句だし。

 それでも、上手くなりたい。いままでの「書き方」だけでなく、違った彩りや味付けを目指したい。技巧が鼻につくかも恐れもあるけれど、さじ加減を考えて磨きたいもの。ネタ(選書)も大事だが、そのネタを引き立たせるのは技術だ。精進にちょうどいい本を読んだので、(わたしの勉強がてら)ご紹介~

■ 文章の目的

 著者によると、文章の目的は「人を説得するために書くもの/書かれたもの」だという。文章を書くということは一種の説得行為であって、言葉の力に訴えて、読み手の心を動かし、相手から同意(共感)を得ることだという。

 これは、文学小説からビジネスレターまで一緒。情感をゆさぶるか、情報を受入れさせるかの違いはあるものの、その前提として、相手の同意(共感)があるそうな。

■ レトリックの種類と本質

 では、人を説得させるためには、「いかに」書いたらいいのか? ―― ここからがレトリックの出番。修辞というよりも、文彩(言葉の綾)が似合う。本書では12の文彩が挙げられている。

  1. 誇張する
  2. 喩える
  3. 対照する
  4. ほのめかす
  5. ぼかす
  6. くり返す
  7. 追加する
  8. 省略する
  9. 移動する
  10. 呼びかける
  11. 驚かす
  12. 引用する
 大丈夫、ガッコの勉強じゃあるまいし、「覚える」必要ぜんぜんなし。しかも、レトリックの本質を最初に詳らかにしている。

言葉の工夫(文彩)とは通常の表現に変化(偏差)を与えることであり、多かれ少なかれ規範を逸脱することである。彩られた文とは「普通とは違う」「度を過ごした」表現のことだ。「移動する」「追加する」はプラスの方向への働きかけであるが、「ほのめかす」「省略する」はマイナスの方向への働きかけである。(中略)「呼びかける」「引用する」も意外なものへ大きく逸脱する方が効果的だ。そう、レトリックとの本質とは誇張すること、驚かすことなのである。

 わたしが一番使うのは、「つかみ」やね。ちょっと意外な問いかけから書き始める。内容がブレにくいし、「質問→答え→理由」と文章を組み立てやすい。なぜ女は片づけができないのか?なんて典型だね。

■ 文彩1 : 誇張する

 現実よりも大きく、あるいは過度に小さく形容する方法。ポイントは「過度に」で、「嘘っぽい」表現にする。というのも、ホントっぽい「誇張」は嘘と取られてしまうから。「内容が表現を超えている」ことを心がけて書くべし。本書では北杜夫「どくとるマンボウ航海記」や漱石「吾輩は猫」が文例としてある。ああ、たしかに両者ともレトリックの達人やね。

 わたしの場合、誇張は意識せずに使っている。ただ「極端」を狙って書いていないので、誤解を招いているという自覚はある。「釘宮病は"誇張"でしょ?」と言われているが、ありゃマジですがな。

■ 文彩2 : 喩える

 「未知のもの」「複雑なもの」「抽象的なもの」をなじみの深い事物に振って、「それと同じようなもの」と説明するプロセス。比喩構造は「三段なぞ」と似ている(カケ、トキ、ココロからなる謎かけだ)。

  1.人生とカケてなんとトク
  2.ドラマとトク
  3.そのココロは――波乱万丈である

 ポイントは、カケとトキの距離感。離れていればいるほど意外性の驚きは上がるが、離れすぎてしまうと"こじつけ"になってしまう。連想力をはたらかせ、こじつけ上手になると吉。

 わたしの場合、メタファーとアレゴリー、擬人法は必ずといっていいほど使っている(それで間を持たせているといってもいい)。試みに「まるで」で検索かけると山ほど出てくるけど、カケとトキの距離は… ありきたりだなぁ。精進するべ。

■ 文彩3 : 対照する

 二つのものを対比関係において、両方の特徴や性質を引き立たせる方法で、ポイントは視点のとり方にあるという。両者の類似性ばかりではなく、差異をひきたたせるのもアリ(聞いて極楽見て地獄)。わたしが意識するようになったのは、漢詩からだろうか。他に、換語法(言い替え)や、訂正法(前文の否定)がある。

 この「訂正法」は、わたしの悪いクセだ。自分の文を読み返すと、「○○だがしかし、△△」が非常に目に付く。○○と△△を同じ視線で書くことで調子を整えようとしているのがあざとい。効果を狙って控え目にするか、あるいは別のレトリック手法で代替したい。

■ 文彩4 : ほのめかす

 全部言わないやり方。半分だけ言って残りは受け手の想像に委ねる上級レトリックやね。finalvent氏が「ほのめかしメソッド」などと揶揄されているが、「極東ブログ」を読む限り、かなりハッキリ書いている(書くべきでないところはそう明言しているし)。「まるで自分のコトを言われてるようで不愉快」だと感じる人は、そういう何かを抱えているからじゃぁないかと。

 この手法は、苦手というよりも意識して使っていない。暗喩や転喩、皮肉法が上手に使えるようになったら、このblogもより印象深くなるかと。

■ 文彩5 : ぼかす

 いわゆる婉曲表現で、これも使わないなぁ… 露骨な表現(糞尿・性・死)をあたりさわりのない穏やかなものに、移す(隠喩)、ずらす(換喩)、ぼかす(提喩)手立てがあるという。エロいことや残酷なことを生々しく語るのが大好きなので、縁がないテクニックだね。

 けれども、ぼかすことでもっと効果的に響くこともある。「肌をゆるす」なんてよりエロティックになるし、「ちょっと話がある」なんて落しどころを考えると面白いかも。要精進と。

■ 文彩6 : くり返す

 これはやるやる、狙ってやるネタだね。くり返すことでリズムが生まれ、独特な文体効果が出てくる。構造的なくり返しもあるし、同音になるように練ったりもする。ことば遊びに堕する恐れもあるけれど、読み手に強く訴えるチカラも持っている。

 そのチカラのバリエーションはかなりある。

  1. 畳語反復(同語句のくり返し)
  2. 首句反復(文頭の語句を次の文頭でもくり返す)
  3. 結句反復(文末の語句を次の文末でもくり返す)
  4. 前辞反復(尻とり文で、前文の最後の語句を次の頭でくり返す)
  5. 交差反復(同じ語句を、逆の語順で反復する)
  6. 平行法(A-B、A'-B'と並置して形式美を求める構文の型)
 これはモノにしたい。読んで心地よく感じる文章は、必ずこのくり返しがある。もともとは、詩歌のリズムからきている技術なので、「対照する」とからめて身に付けたい。漱石(の「草枕」)がレトリシアンとしてベタ誉めされているが、あらためて読むと、たしかにそうかも。再読時は意識してみよう。

■ 文彩7 : 追加する

 手紙の「追伸」を狙う。本文では言い忘れたこと(意図的含む)、言い出しにくかったこと、実はいちばん言いたかったことを追加で書き足す強調表現。日本語は述語が最後に来るのが特徴なので、単調になりがちな文末をバラエティー豊かにするのが、このやり方(他に、修辞疑問、体言止め、転置法も効果的)。文中の傍白(挿入法)、連結語なしでテンでつなぐ同格法のほか、くどくど並べる類語法、心理的誘導を伴う漸層法が代表的。

 漸層法の解説が面白い。オンナを口説くときに、いきなりホテルへ連れ込まない。「ちょっとお茶しようか?」→「食事でもどう?」→そして…これが漸層法のキモだという。語句や観念を段階的に強めたり(弱めたり)する文彩で、意識して使ったことは皆無だなぁ。

■ 文彩8 : 省略する

 文を切って引き締め、余情・余韻を狙うテクニック。「春はあけぼの」がメジャーやね。日本語はかなりアバウトなので、文の構成要素を多少抜き取っても致命的なダメージは生じない。「男は黙ってサッポロ」あたりが例として挙げられているが、2ちゃん風なら、「それなんて(ry」でおk。

■ 文彩9 : 移動する

 これは極端!だけど、上手くいったらかなり効果が見込める。分解すると、「省略」+「追加」のあわせ技で、カット&ペーストやね。語順を完全に入れ替えることで、破調を強く意識させる。

 ただ、やりすぎると…当然、読んですらもらえない。実験的にやっている本書の例は、真似できないなぁ… 転置法(主述のひっくりかえし)の好例として、村上春樹「海辺のカフカ」が挙げられているが、ああ、たしかに目立つわ、この書きクチ。

 いわゆる翻訳文を読みなれていると、自然にこの書き方に染まってくるようだ。通常は主語になりにくい目的格や形容詞にあたるものを名詞化して頭に持ってくる。「読みなれた翻訳文こそが、この書き方に馴染ませる」ってやつ。日本語へのスタンスをちょっと変えるだけで文体が硬質化するのは面白い。

 もちろん多用すると鼻につく。村上春樹の実験文体がキライな人の根っこには、案外、アンチ翻訳小説なところがあるのではと勘ぐっても、面白い。

 さらに、「移動する」レトリックの極意「奇先法」はヤクロウに入れたい。最初にも触れたが、要するに「つかみ」だ。結論を頭にもってきて、ずばり核心を衝く。最後まで読んでもらえなくても、結論は伝えられる。王道パターンは、奇先を制した後は、理由づけにつなげ、事例を挙げて最後は「ではないか?」と問いかけで締める。理由づけや事例を挙げれば挙げるほど結論への補強となる(逆はこうはいかない、話が拡散したり横道にそれたりするから)。

■ 文彩10 : 呼びかける

 わたしの場合、読み手や「わたし自身」への問いかけの形をとる場合が多い。心の高揚だけでなく、証人を要請することで説得力を高めることにあるという。(呼びかけを)「な、みんなも聞いたろ?」と見回す感覚かな。

 ちょっと特殊な例では、呼びかけ先を擬人化された事物や不在の人にする。「初音」や「名雪」に呼びかけると、その文は強力な印象をもつ(だろうなぁ、やっぱり)。

 そして、単に呼びかけるのではなく、問いかけると、次に続けやすい。「このままでいいのだろうか?」→「いやダメだ、なぜなら~」と、自分で問いかけて自分で答える(応える)。問答法といい、文章にメリハリと躍動感を与えるそうな。

■ 文彩11 : 驚かす

 びっくりさせるのではなく、「心地よい意外性」を目指せという。文章に意外性をもたらすといえば、これまでの技のほとんどが相当するが、本書では「驚かす」手立てはちゃんとあるという。音響に訴える言葉遊びと、思考に訴える撞着法・逆接法がそれにあたる。

 音響に訴える方法は、語音の連想から他の語をたぐりよせる。一番わたしが欲しいテクは地口。関係のない語を音だけの同一性で力ずくで出会わせる言葉のいたずら。たとえば、「恩を肌で返す」なんてイカしてるが、なかなか使う機会に恵まれないのも事実。

 いっぽう、思考に訴える撞着法は、観念の連想をつなげる。言葉の意味はけっこう伸縮自在なので、つなげるとつながる。ポイントは矛盾関係や反対関係にある言葉を"あえて"結びつけることにある。「うれしい悲鳴」とか「やさしい悪魔」なんて、ちょっと目を惹くね。

■ 文彩12 : 引用する

 「たとえば」を使って具体例から主張を補強する(挙例法)や、権威を借りてくる(引用法)はよく使っているが、声喩(オノマトペ)がこれにあたるとは知らなかった。オノマトペについては[エロ表現のポイントはオノマトペにあり]が秀逸かつエロいのでオススメ。文字通りうまく使うと文が「生きる」。

 「くちゅくちゅ」とか「ずっこんばっこん」といったオノマトペは大好きだけど、漢語のオノマトペもかなりあるそうだ。「喧喧轟轟」とか「杳(よう)として」、「断乎」「騒然」「突如」「正々堂々」がそれだという。漢語という「外国語」が日本語に化けていたのを気づかされる。

■ 音の律動

 12のテクニックは上の通りだけど、豊富な文例の音のパターンが面白い。練って書いてあるものは声に出してみるといっそうはっきりする。通常では、いわゆる五七調が俎上に上るが、著者曰く、「文字数ばかり数えてみてもことの真相には迫れない」という。むしろリズム(拍)が重要だという。

日本語のリズムについて諸説あるが、基本的には四拍子と考えて大過ない。文字二文字で一拍である。言い換えれば、仮名一文字分は八分音符に相当する(ちなみに、「ぎゃ」とか「しゅ」も一文字とみる)。しかしあまり厳密にとる必要はなく、かなりルーズで構わない。定型詩だったら要するに全体で八分音符八つ(四拍子)に収まればいい。

 これは音節ではなく、その文章が読まれる時間に着目する。文章が長くなりそうな場合、途中で切ったりテンを打ったりして「区切る」が、その切れ目を四拍子におさえる。わたしが盗むのはここだな。

■ 「ミイラ取りが…」こそ読みどころ

 最初は解説本の顔をしてかいているものの、だんだん筆が回ってくると饒舌になる。「こんなざっくばらんな書き方は、手練れだからできるのであって、ぜったいに真似ないほうがいい」とか注文をつけてくる。その一方で確信犯的に常体に敬体を混ぜてくる(ですます+だ・である調)。どっちだよ、とツッコミを入れながら読める。

 漱石、康成、鴎外といったレトリックの天才を並べて読むと、確かに目を開かされるが、太宰がないのは明らかにヘン。学術書ではないので公平性よりも「好み」を優先させたのではないかと。

 美文は美食に通じる。ウマイものを食べてなければ、その美味さが分からない。同様に、良い文を読んでいないと、その上手さは分からないだろう。もちろん直感的・本能的に判別できるものもあるだろうが、それを説明したり、ましてや自らの手で作り出すようなことは、不可能に違いない。一流シェフのソースを舐めて、腕を磨くべし。

 いい文章を読んで、よい文章を書こう。

■ 読書案内

 本書で例示・オススメされて読む気になったものを以下に挙げる。既読もあるが、レトリックに着目して再読するつもり。動機が不純って? そうかもー

  • 佐藤信夫「レトリック感覚」「レトリック認識」 : 二つ合わせて15の主要文彩が取り上げられている。軽妙な語り口で読みやすいが、内容は高度とのこと。パラ見したが、解説に力点をおいている。いっぽう、「レトリックのすすめ」は文例のバリエーションと量を追求している
  • 佐藤春夫「退屈読本」 : 日本語のレトリックを吸収するのに最適。上下巻とあるが「上」にいいものがあるそうな
  • 森鴎外「即興詩人」「澀江抽齋」「サフラン」 : 簡潔な日本語のお手本そのもので、短い文のリズムを体得する格好の素材だという
  • 谷崎潤一郎「陰影礼讃」「恋愛及び色情」「私の見た大阪及び大阪人」「東京を思う」 : 短文のお手本が鴎外なら、長文のそれは谷崎から盗める。一文が長いのに息切れしない技は、補語や換語法をタイミングよく使っているから
  • 石川淳 : 絶対に真似ることのできない文体。独特の呼吸、リズムは名前を伏せて読んでも作者を名指せるのが石川淳だと大絶賛する。激しく同意。全読していないので、レトリックを学ぶために全集に挑戦してみるか
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コメント

文章を書くのが巧くなる、つまり他人から「巧い文章だ」と思われるような文章を書くには、センスが重要なんだと思いますけどね。もともとセンスのある人が技術を身に付け、レトリック力を強化していくのなら、どんどん上達していくのでしょうけど。

ただ、大したこと書いていないのに、妙に良い文章だなぁと思えるものを書ける人が幸せかどうかは分かんないですけどね。私は「内容がなくて巧い」文章よりも、文章自体は巧いとは言えないが「内容のある」文章を書きたいと思っていますが、まあ結局はそのどちらも無理なようです……。

もしかすると、かつてレトリックが批判されたのは、大した内容もないのに読ませる文章を書いて「巧い」と評価されていた人への、そうでない人のやっかみだっただけなのかもしれませんね。

もちろん、内容があって、しかも文章としても巧いと思えるものを書ければ、それに越したことはないのでしょうが、それは夢のまた夢って感じですなぁ。

投稿: ギドロ | 2008.03.28 02:02

>> ギドロさん

ご指摘の通りですね。本書では、ギリシア時代の雄弁術や修辞学まださかのぼって同様な考察をしています。

わたしの場合、「これはスゴい本だ!」と思っても、そのスゴさを上手く伝えることができず、もどかしい思いをしているのが動機となっています(そこで言う「内容」は「スゴ本」だと置き換えていただければ)。

また、センスセンスと言いますが、わたしは具体的に説明できません。「センスがある人」と形容できても、「要するにどういうこと?」とツッコまれるとくちごもってしまうか韜晦するかのどちらかです。字義どおり「センス=sense=感覚」ととらえるならば、味覚同様、いいものを味わうことによって敏感にさせることができると信じています。

投稿: Dain | 2008.04.01 01:25

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