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きまぐれな日々

当ブログの更新頻度を落としてしばらく経つが、メリットとデメリットがある。デメリットとしては、もちろんブログのアクセス数が伸びないことだ。ブログにカウンタを取り付けている人間なら誰でも、ブログのアクセス数が気になると思うが、そうそうブログばかり書いていられない時もある。私の場合は、引用記事の紹介やメモ書きが主の『kojitakenの日記』は更新できても、こちらのメインブログはそう毎日毎日は更新できないようになったというべきか、頻繁に更新する気にならなくなったというべきか、とにかく頻度を落とした方が良いと判断したわけだ。

しばらく同じエントリがブログのトップページに居座っているメリットとして、コメント欄での議論が活発になることが挙げられる。1つのエントリに数十件のコメントがつくことも珍しくなくなった。私自身は、必ずしもコメント欄での論戦に参加するとは限らないし、コメント欄で受けた質問にも答えないことが多い。これは、以前から「コメント欄を管理人と読者との議論の場とするつもりはない」と言明している通りである。しかし、この方針は読者の方同士の議論を妨げるものではないし、それどころか私自身も論戦に参加することもある。

前のエントリにも、TYさんから、

日本がリードしている科学技術は大半が政府の補助金、援助なしに開発されました。競争力がある分野のほとんどがそうです。逆に政府の関与が大きい領域が遅れています。

と書かれたコメントをいただき、それに対して私が、

もともと競争力のあった分野が、政府の愚策によって競争力を落としていったことを批判しています。特に、太陽光発電のような電力の分野は、民間だけでどうにもなるものではありません。

と反論した。これに対して、さらにTYさんから何件かのコメントをいただいたので、それに対して私が再反論したが、詳細は前のエントリのコメント欄を参照されたい。特に、リチウムイオン電池のように、日本発の誇るべき技術分野において問題になっている安全性の確保などといった、企業の利潤追求を阻害しがちな課題(安全性を重視した設計にすると、エネルギー容量が小さくなる。JR西日本で電車のスピードを重視して安全性を軽視した結果、福知山線の事故が起きたことを想起されたい)において、政府が強い指導力を発揮することを私は期待している。そうしたことや、自然エネルギーの分野で日本がイニシアチブをとれるような政策をとることが、「大きな政府」「小さな政府」という議論を超えた「賢い政府」だという議論が、かなり前からなされているのだが、どういうわけかマスコミはこの件に不熱心で、TBSの『サンデーモーニング』では以前から金子勝が熱心に論じているけれどもそれは例外中の例外で、鳩山由紀夫首相が国連で「温室効果ガスの1990年比25%削減」の目標を明言したことが国際的に高く評価されたらマスコミは驚いたかのような報道をしていた。私に言わせれば、これこそ前々から日本に求められていた役割であって、それなのに小泉内閣以来の自民党政権は、京都議定書から脱退したブッシュJr.に追随して自然エネルギーに冷淡な姿勢をとり続け、日本の地位を落とし続けてきたのである。こういうのは、「愚かな政府」とか「無能な政府」と評するべきだろう。それを、やっとまともな方向に向かわせる政権に代わったのである。

もっとも、新政権の経済政策については、鳩山首相や藤井裕久財務相が、財務省主導の路線を走りそうな懸念がある。新政権の経済政策がどうあるべきか、というのは、政権交代を求めていた人たちの間でも意見はさまざまである。『平成海援隊Discussion』の掲示板を見ていると、「保守の理念とは?」という書き込みから、興味深い議論が展開されていた。従業員の給与所得を下げ続け、役員報酬と内部留保ばかりを増やしていき、偽装請負に平然と手を染めるなどした、ここ数年の大企業が行ってきたことが「社会悪」であることは、自公政権の政治に反対してきた人間にとって自明であるとばかり私は思っていたのだが、いわゆる「リベラル」のカテゴリーに分類される人たちの間でも、それは必ずしも合意事項にはなっていなかったのだなと驚いた次第である。私自身は、『平成海援隊Discussion』の議論においては、浮船亭田中屋さんの意見にほぼ同意するのだが、さらに付け加えると、自動車産業の場合は、トヨタなどを食物連鎖の頂点とする産業の構造において、下請け、孫請け、ひ孫請けと遡るに従って、生身の人間にかかる負担が大きくなっていることを忘れたくない。これぞ階級社会。だから、大企業の経営者の努力だけで問題はすべて解決しようはずがなく、政府の所得再分配機能が十分に発揮されなければならないと考えるのである。つまり、「小さな政府」は不可である。「小さな政府」は、かつて福祉国家に「大きな政府」というレッテルを貼って悪いイメージを与えようとする新自由主義者が好んだスローガンだが、いまや一転して「小さな政府」に悪いイメージがつき始めると、「大きな政府」「小さな政府」というのはレッテル貼りだ、と今度は新自由主義者が言い始める。賢い税金の使い方という議論は確かに重要だが、いまだに「小さな政府」論をとる新自由主義を根絶しない限り、日本社会が活力を取り戻すことはないと考える次第である。


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「国民の生活が第一」というのは、実に良いキャッチフレーズだと思った。社民党や共産党がまだ生存権そっちのけで9条改憲阻止ばかり言っていた頃、2007年の参院選が行われたのはそういう時期だったと思うが(それは安倍晋三があまりにひどい改憲志向むき出し一本槍の政治をしていたから無理からぬ面もあったのだが)、生活に苦しむ人々の心をとらえたのは「国民の生活が第一」の標語であり、だから参院選は民主党の「一人勝ち」になった。

しかし、参院選に勝った民主党の小沢一郎代表(当時)がやろうとしたのは、自民党との大連立だった。これは党内の反発にあって実現しなかったが、参院選後からここまで、民主党がどこまでスローガン通りの方向性を持って行動してきたのかと考えると、決して合格点はつけられないと思う。

そして、「国民の生活が第一」というスローガンに代わって、いつしか「官僚支配の政治の打破」ばかりが叫ばれるようになった。「(豪腕の)小沢一郎でなきゃ官僚支配を打ち破れない」というのが一部の人たちの決まり文句になった(「小沢でなきゃ対米隷従から脱却できない」というのもあったが)。

長年の自民党政治によって、政官業の癒着構造は強固なものになっており、政権交代によって癒着構造を壊すというのは良い。しかし、それが単純な「官僚叩き」に還元されてしまうのはおかしいのではないか。ずっとそう思っていた。先日読み終えた松原隆一郎著『経済学の名著30』(ちくま新書、2009年)に、

新自由主義の立場からすれば、官僚は私利のため国民に無駄を強いている。

という一節があり(注1)、これだと思った。そういえば、官僚叩きは明白な新自由主義者である渡辺喜美の十八番である。同じ本で新自由主義の理論的支柱となっているミルトン・フリードマンの『資本主義と自由』を取り上げた章には、次のような記述がある。

 世評ますます高まる本書(『資本主義と自由』)を、どう評価すべきだろうか。日本で社会保険庁が年金にかんして行った杜撰な扱いを見れば、また予算を摑んで離さず無駄な道路を造り続ける道路族を思えば、官僚や政治家は税を国民の要望とは異なる使い方をするという本書の主張には、頷かざるを得ない。ただ、それはそうだとしても、だからといって市場を生かすということと「小さな政府」とが同一の立場であるとはいえない。なぜといって、たとえば証券市場を健全に運営するためには、証券法の取り締まりに人員が必要になるからだ。市場を透明にするにはルールの監督が必須であるから、必然的にある程度まで「大きな政府」にせざるを得ないのである。それを避けようとするなら、「一罰百戒」で一部の違法行為者だけを逮捕するしかない(注2)。しかしそれでは、フリードマンも強調する「法のもとの平等」ではなくなってしまう。
(松原隆一郎『経済学の名著30』(ちくま新書、2009年) 253?254頁)


つまり、単純な「官僚叩き」は「小さな政府」を志向する新自由主義の道なのである。

「国営マンガ喫茶」だか「アニメの殿堂」だかの無駄を削って社会保障の財源を確保するとか、そういう主張なら良いだろう。だが、それが単純な官僚叩きに堕しかねないところに落とし穴がある。一昨年の参院選を前にした頃、「小沢一郎は『小沢自治労』だ」と罵倒していた屋山太郎は、今では渡辺喜美一派に参加しているが、最近その屋山が民主党にすり寄っているのも、鳩山由紀夫らが強調する「官僚支配の打破」が単純な官僚叩きに堕して新自由主義の道を進む可能性があると見て取ったからではないかと私は想像している。

民主党を応援するブログの論調も最近少し変で、代表格のブログが政府の補正予算案を「バラマキ、官僚焼け太りの14兆円の補正予算」などというフレーズを用いて批判していたりする。この論法は、前記の「単純な官僚叩き」のほか、「バラマキ」という言葉を安易に用いているという問題点がある。昨年来の未曾有の経済危機にあって積極財政政策を行うのは当たり前であって、批判するなら金の使い方にある。たとえば「ETCで地方の交通道路1000円」なる麻生政権の「世紀の愚策」は、フェリー会社の経営を圧迫し、地方の高速道路の渋滞を招いて地球温暖化を加速するなどの副作用の方が効果よりはるかに大きいから批判されるべきなのであって、積極財政それ自体を「バラマキ」と批判するのは誤りである。第一その論法だと、2001年の政権発足当初、極端な緊縮財政路線をとって株価を7千円台(2003年4月)にまで下げたコイズミ・竹中の誤りを民主党政権も繰り返せと言っているようなものではないだろうか。

だが、こうしたおかしな論法を批判する声は、民主党支持のブログからは一向に上がらず、地味な保守系のブログが指摘していたりする程度だ。そして、私がこんなことを書くと、また「隠れ自公」などと誹謗されることになる。私はもう3年以上もブログをやっているから、誹謗されてもなんとも思わないけれども、異論が袋叩きにされる気風は、新規の参入者の心理的障壁を高くするだけだろう。およそ「リベラル」の人間のやることとは思われない。おかしいと思っている人は大勢いいるんじゃないか、それが「声なき声」なんじゃないかと私は思っている。「王様は裸」なのである。

(注1) 同書236頁、ガルブレイス『ゆたかな社会』を紹介した章。

(注2) 引用書に、「証券取引委員会ではなく特捜部が出動したライブドア事件および村上ファンド事件を想起されたい。アメリカではこうした事態を避けるべく、日本の何倍かの人員が証券取引委に割かれている。」との注釈がついている。


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昨夜遅く、ブログのアクセスカウンターが270万を越えた。当ブログのアクセスカウンターは、開設と同時に設置した。開設当初は数日に一度しか記事を書かないどころか、アクセスもしない日が多く、当然ながらそんな日にはカウンターの数字は1つも増えなかったが、その頃を入れて2年10か月あまりで270万件とは、われながらよく続いたものだと思う。毎日更新だともたないので、週に何回かは休むことにしている。以前は平日3?4回と土日の週5?6回の更新にしていたが、現在は土日祝を休んで平日に更新することにしている。このパターンはまた変えるかもしれないが、今後も平均して週4回程度は更新していきたい。

ついこの間まで、「新参者」とか自称していたような気がするが、ブログを3年コンスタントに続ける人間はそんなに多くなく、おかげでGoogleなどの検索エンジンにはずいぶん引っかかりやすくなった。そうなってこそのブログ運営である。たとえば最近、下関市長の江島潔について書いた昔のエントリへのアクセスが急増しているが、安倍晋三と親密な関係にあることで知られる江島潔が今年の下関市長選に出馬しないというニュースが報じられたためだった。このニュースを知った人が、検索語「江島潔」でネット検索をかけたところ、江島を批判する当ブログのエントリに行き当たったということになる。それにしても、この時期に市長選不出馬を表明するとは、まさか衆院選出馬を狙っているのではなかろうかという気もするが、実際のところはどうなのだろうか。

ところで、かくも長い間ブログを続けるのは、かなり疲れのたまる作業だ。それでも続ける動機は、私の場合ははっきりしていて、コイズミらの新自由主義と安倍晋三らの新保守主義を打倒するのが目的である。たかが日に4千件から5千件程度、ユニークアクセスならその半分程度のアクセス数でどんな力があるのかはいまだにわからないが、連鎖反応とか相乗効果というのもあるだろう。但し、最近では私はブログの巡回先が減っていて、その代わりにYahoo! のヘッドラインや「はてブニュース」などで注目を集めている記事を読むことが多い。トラックバックも、原則として記事中でリンクを張った参照先にしか送っていない(いただいたTBに対しても返信が滞りがちになっているが、ご容赦願いたい)。

そんなあがきを続けている今日この頃だが、産経FNN合同世論調査でコイズミ発言が「意外に不評」だったと報じた記事などを読むと、やっとここまできたかという感想だ。麻生太郎首相の郵政民営化をめぐる発言を批判したコイズミの発言に、「評価する」が36.4%、「評価しない」が56.3%という調査結果で、やっと「反コイズミ」が「コイズミ支持」に20ポイントの差をつけるところまできた。コイズミには政局を起こす力はやっと失われつつある。もっとも、「構造改革」については「評価していない」が53.6%で「評価している」は44.2%と、その差は9ポイント程度しかなく、最近の橋下徹フィーバーなどを見ると、国民の考え方までが変わったとは思わないが、コイズミの呪縛からは、コイズミ政権誕生から8年経って、やっと脱しつつある。

だが、自民党に代わって政権与党となるであろう民主党の政策がどのようになるかは、まことに心許ないものがある。長年の政官業癒着構造を壊す必要があるのは当然だが、その壊した分をサービスに回さなければならない。間違っても、「小さな政府」などを志向してはならない。しかし、民主党には「小さな政府」志向の人が多いように思う。かつて「普通の国」を目指すとしていた小沢一郎は、外交・防衛政策ではタカ派だったが、地元では利益誘導型の旧来自民党型の政治家だった。だから、松下政経塾出身の政治家ほど新自由主義志向ではなく、むしろ新自由主義者たちを力で抑えているように見えるのが辛うじて救いだ。あとは、政治思想では距離が大きいながら、経済左派同士で手を組んだ国民新党と社民党が、どこまで民主党を社民主義寄りに引っ張っていけるかどうかが、今年成立するであろう連立政権の成否の鍵を握っている。

しかし、「給付金」一つとっても、「バラマキ」という言葉でしか批判できないようでは、それこそコイズミと同じである。当ブログは、給付金は方向性自体は間違っていないと以前から言ってきたが、同様の主張をするブログは少ない。有名ブログでそういう主張をしているところがあるが、別に私はそこに追随したわけではなく、社民主義的あるいは修正資本主義的な考え方をすれば、そういう結論にしか行き着かないのである。「もっと効果的な再分配を行うべきだ」という批判ならわかるが、「バラマキ」という新自由主義者の愛好する言葉は、みだりに使うべきではない。

森永卓郎が先週、「定額給付金は本当に意味のない政策か」と書いたが、これは私の溜飲を思いっきり下げてくれた記事だ。

 不況時に減税をするのは、ごく普通の経済政策である。それがなぜか日本ではバラマキだと批判されてしまう。だが、財政政策というのは、基本的には減税と公共事業しかない。公共事業に対する風当たりが強い現在、減税もだめだというならば、いったいどういう政策をとればいいのか。

とか、

 自分の財布が苦しくてしかたがないのに、「減税には反対だが、増税は理解できる」と主張するとは、これほどお人好しで扱いやすい国民はほかにあるだろうか。百歩も百万歩も譲って、それで景気が上向けばいいが、そうならないから問題なのである。

あるいは、

 では、もし定額給付金反対論者のいう「バラマキ」をやめて、萎縮を続けていくとどうなるか。それは来年度予算を見るとよくわかる。来年度予算の最大の特徴は、税収見通しが7兆円も減っていることである。だめだ、だめだといって萎縮していると、どんどん税収も減って悪循環に陥ってしまうことになる。定額給付金に反対する野党や評論家は、そのことを理解しているのだろうか。

などなど、正論のオンパレードである。社民党や国民新党は、森永氏と同じ方向性を持つ経済政策を持っている。たとえば社民党は定額減税を公約に掲げていたはずである。社民党のような、社民主義の立場からの給付金批判ならよいが、単に「バラマキ」というだけの給付金批判には、私は与しない。

森永氏は、今週のコラム「衝撃的な実質GDPマイナス12.7%という数字」でも、「財務省の分身である与謝野大臣では大規模な景気対策は望めない」として与謝野馨を手厳しく批判しているが、これにも全面的に同意する。森永氏は、

 もはや、日本経済は八方塞がりに陥っているといって過言ではない。唯一、これを打破する方法があるとしたら総選挙しかない。

 わたし個人の意見では、ぜひとも早く解散・総選挙をしてほしいのだが、負けが決まっている戦いを自民党がやるとは思えない。あるとしたら、党の顔を取り替えての総選挙になるだろうが、それではまた余計な時間がかかってしまう。とはいっても、もはやそれしか解決方法が見当たらないのが実情なのだ。

とコラムを締めくくっているが、肝心の民主党が新自由主義や緊縮財政路線の経済政策をとってしまっては元も子もない。私は、きたる総選挙においては、選挙区では民主党候補に投票するが、比例区では民主党以外(もちろん自公以外)の政党に投票すると決めている。それは、民主党の経済政策に信を置けないからであると同時に、より経済左派の政策をとる政治勢力に伸びてほしいからである。どれだけ民主党の経済政策をまともな方向に向かわせるかに、日本経済や社会の再生がかかっていると思う今日この頃である。


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ここ数日、ブログに新しい記事を書く気分が重い日が続いている。本当に重大なのはこんなことではない、こんなことを書くのは、たとえアンチであっても新自由主義の片棒担ぎに過ぎないのではないかという思いが心を重くするのである。

特にコイズミのことは、下手に書きたくない。ロシアでコイズミが給付金再議決に欠席を明言した時、またぞろ自民党のカイカク派や民主党が軽薄な反応を示すのではないかとも思った。ついこの間、コイズミが麻生太郎首相を批判した時、民主党の輿石東が「私たちの意見を代弁してくれている」と言ったと聞いた時の失望といったらなかった。

しかし、流れは急激に変化している。コイズミの造反宣言に、中川秀直ら自民党のカイカク派はどうやら同調しないらしい。コイズミチルドレンを率いる武部勤も給付金再議決に賛成すると明言した。コイズミが造反した場合、麻生首相の周辺はコイズミを処分すると言っているらしく、もし麻生がコイズミを自民党から除名した場合、麻生の人気は一気に高まる可能性がある(笑)。

今朝(19日)の朝日新聞の一面には、次の総選挙を麻生の下で戦うべきか、自民党の都道府県連にアンケート調査した結果が報じられている。「地方自民 渋々「麻生氏で」」という見出しがついている(大阪本社発行統合版)。自民党の都道府県連は、コイズミカイカクの見直しというか、「カイカク」以前の路線への回帰を求めているのだが、コイズミ批判がタブーになっていた自民党中央の「空気」にひきずられて「カイカク」を総括できない麻生にしびれを切らしている形だ。

調査の詳報は4面に出ていて、ウェブでも読める(下記URL)。
http://www.asahi.com/politics/update/0218/TKY200902180312.html

紙面では、4つの質問(二択)とそれに対する都道府県連の回答及びコメントをまとめた表が掲載されている。これを見ると、次の総選挙は麻生首相で戦うべきか、次の首相で戦うべきかと言う問に対して6割が麻生を支持。次の首相で、と回答したのは山形、群馬、岐阜、静岡、大阪、山口、沖縄だった。選挙の時期を問う2番目の問には、任期満了選挙を望む声が圧倒的で、麻生を批判したコイズミの言動に共感できるかという3番目の問には、共感するとしたのは岩手、群馬、福井、長野、三重、島根のわずか6県連だった。そして、コイズミカイカク路線を継承すべきか転換すべきかときく最後の問には、継承すべきと答えたのは千葉、神奈川、静岡、京都、佐賀、長崎のやはり6県連だけだった。なぜか問3と問4でコイズミ寄りの選択肢を選んだ県連は、1県も重複していない。つまり、「コイズミによる麻生批判に共感」し、かつ「コイズミカイカク路線を継承すべき」だと答えた都道府県連は、ただの1つもないのである。東京都連はどうかというと、「次の総選挙は麻生首相の下で戦うべきで、選挙は予算及び関連法案成立後の今春が良く、麻生を批判したコイズミには共感できず、コイズミカイカク路線を転換すべき」という回答だ。ネオリベの牙城かと思っていた自民党東京都連でさえ、ここまで「コイズミカイカク」離れが起こっているのかと驚いた。橋下府政下の大阪府連は、麻生首相の下では戦えないとしているものの、コイズミの麻生批判には共感できないとし、コイズミカイカク路線の転換については、「その他・無回答」だった。

この記事などを読むと、一番コイズミカイカクの継続を強く求めているのは、実は財界およびマスメディアなのではないかと思う。選挙民の支持を急速に失っている自民党の都道府県連は、党中央にコイズミカイカク離れを強く求めているのだ。これは、彼らの立場に建ってみれば当然のことだろう。想像力を持った人間なら、誰にでもわかることだ。

「はてなサヨク」(略して「はてサ」)などと呼ばれることもある「はてな」ブックマーカーも、上記の調査結果に現れている自民党の都道府県連およびその背後にいる日本全国の保守層有権者の意識と比較すると、ずっとネオリベ(新自由主義)寄りだ。おっと、新自由主義は「リバタリアニズム」の訳語だとか思い込んでいる経済学者もいるようだが、もちろんそうではなく、「ネオリベラリズム」の訳語である。

局所的な「橋下徹フィーバー」などもあるとはいえ、今やメインストリームは「新自由主義からの脱却」である。だからこそ、民主党はいまさらコイズミ一派にすり寄る愚を犯してはならない。


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郵政民営化をめぐって麻生太郎首相とコイズミがドタバタを演じたあとは、中川昭一財務相がG7会議後の会見で、眠そうにしてろれつが回らず、トンチンカンな受け答えをしたことがテレビで話題になっている。中川は、イイワケまで筋が通らず矛盾していて、会議や会見の時に泥酔していたことは明らかだ。

いかにも「叩いてください」といわんばかりの醜態にはあきれ返るばかりなのだが、中川昭一といえば政治思想タカ派のきわめて好ましくない面と、積極財政指向の反新自由主義的政策の多少は評価できる面を持った政治家なので、大臣辞任につながるかもしれないこの失態のあと、麻生内閣の経済政策がどうなるかが懸念される。中川も消費税増税論者ではあるが、たとえば与謝野馨などは消費税増税論者にして強烈な緊縮財政派であり、今後の日本経済の建て直しのためにはもっとも好ましくない人物だ。

時あたかも、2008年10?12月度のGDPが、年率換算でマイナス12.7%になると報じられた。世界中で、財政出動や消費税減税(イギリス)などによって、現在の恐慌に対処しようとしているところに、日本でだけ消費税増税が議論されている。

麻生太郎は中川昭一を留任させようとしているし、森喜朗は自民党議員の麻生政権離れ阻止に必死だが、その森が7年前の今頃記録していた「歴史的」な低支持率のあと、国民の熱狂に迎えられてコイズミが現れる前夜を思い出させる雰囲気だ。

今回は、コイズミのようなスーパースターこそいないものの、連日書くように混乱期を経て橋下徹が登場する懸念がますます高まっている。そういえば、先般自民党を離党した渡辺喜美が真っ先に声をかけた相手が橋下だった。いつになるかはわからないが、彼らが結集して「カイカク」新党ができ、民主党を中心とした次期政権が成果をあげられずに批判を受ける中、「カイカク」新党が勢力を伸ばしていくことも考えられる。

橋下については、反新自由主義の闘士・そにっくさんから13日のエントリにいただいたコメントを紹介しておきたい。

大阪府の単年度財政黒字は政府の本来の役割を放棄しただけですので、こういうのを喜ぶ大阪府民にはそう遠くない将来にしっぺ返しが来ます。
kojitakenさんもハーヴェイの新自由主義をお読みになったようなのでお分かりだと思いますが、橋下知事の改革は「成功」するでしょう。そのとき橋下知事を応援した府民の相当数が大阪には住んでいないでしょう。大阪の将来はハーヴェイが調査した70年代から80年代と同じことになるのだろうと思います。

その後、大阪の「真の改革」が行われることになると思いますが、その主役は橋下が泣かせた高校生たちの世代ということになります。
ある生徒が言っていましたね。
「あんなやつに負けんように勉強せなあかんねん」と。
まったくそのとおりです。
そして、時間は彼女たちに味方します。
20年後、住民や企業の入れ替えが済んで様変わりした大阪に、再び人間の血の通った地域を再生させるのは彼女たちの仕事になるのでしょう。

(そにっくさんのコメント)


かつてあれほどコイズミに騙されたのに、今また橋下に騙される人たち。新自由主義者は「失われた10年」と言うが、実際にはそのあとの10年の方がもっと悪かった。さらに20年経って、ようやく焦土から日本が立ち直るとすれば、それまでどれほど多くの人が犠牲になっていくことだろうかと考えると気が滅入ってしまう今日この頃だ。


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言うことがコロコロと変わる麻生太郎首相。G7終了後の会見でろれつが回らない中川昭一財務相。もはや手の施しようのない状態で、麻生内閣の支持率は日本テレビの調査でついに9.7%と、10%を割り込んだ。朝日新聞の調査で初めて15%割れしてから、さほど日も経っていない。

もはや、麻生内閣は持たない。誰もがそう思っていると思う。中川財務相の醜態は、麻生内閣が統治能力を失った象徴だろう。二日酔いなら論外だが、健康不安の場合でも、会見であのような状態になるまで代行も立てずに放置してはいけない。

予算案成立とともに、自民党で「麻生下ろし」が始まるとする見方もあるが、私はこれ以上麻生内閣の支持率が下がっても、喜んではやし立てる気分には全くなれないでいる。それは、麻生内閣のあとに来るものに対する、悪い予感があるからだ。

果たして、私を含む自公政権反対の人たちが考えているような政治になるだろうか。あっさり、民主・社民・国民新党・新党日本の連立政権ができるだろうか。ものごとは、自分たちにとって都合の良い方にばかりいくはずもないのは当然である。与党は、なんとしても生き残りを図る。公明党だったら、民主党にすり寄るという手があるが、自民党の場合、少し前なら「大連立」があった。

だが、一昨年秋に「大連立」構想が潰れ、民主党が、小沢一郎の締めつけもあるのかもしれないが結束を保っている現状では、「大連立」は実現できない。渡辺喜美は、自らが接着剤となって大連立を実現させる、と意気込んでいたが、現在ではメディアへの露出がめっきり減った。

保守系のメディアは、もはや麻生内閣を見放したようだ。このタイミングで、コイズミが麻生首相の「郵政民営化に反対だった」という発言を捉えてこれを猛批判し、給付金は「3分の2」を使うに値しないと言うなど、脅しをかけてきたが、メディアは反応がさまざまながら、いまさらそんなことを言い出したコイズミに冷淡な姿勢が目立った。朝日新聞の「天声人語」(2月14日付)は、下記のようにコイズミを批判した。

▼与党には、ワンフレーズに世論が踊った小泉劇場を懐かしむ向きがある。だが、格差の拡大、地方の衰弱、軽くなった首相の言葉など、劇場の残響も忘れ去るわけにはいかない。同じ歌に酔うほど、有権者は甘くはなかろう▼へらへら、くねくねの麻生節も情けないが、説明不足の再来も困る。そもそも、引退して息子に譲るという人が政局の主役になるようでは、そこにある危機は乗り切れないだろう。「懐メロ」頼みの政治はごめんである。

(2008年2月14日付 朝日新聞「天声人語」より)


TBSテレビの『サンデーモーニング』に出演した浅井信雄にいたっては、マスコミはコイズミの発言を黙殺すべきだとまで言って、コイズミ応援団として鳴らした岸井成格は顔色を失っていた。

このように、コイズミの神通力は薄れてきたのだが、代わって、大阪ですさまじい神通力をつけてきた男がいる。知事の橋下徹である。昨日、橋下はテレビ朝日の『サンデープロジェクト』に出演したが、冒頭で田原総一朗に大阪府政の黒字化の目処が立ったことについて聞かれた橋下は開口一番、「サービスを削って黒字化しただけ、府民に迷惑をかけていて、ほめられた話ではない」と言った。

これを聞いて私は、なんて狡猾なやつかと思った。府政黒字化への批判として真っ先に上がるのが、「職員の首を切ってサービスを削れば、誰にだって黒字化はできるが、府民に痛みを与える施策は普通は行われない」というものであり、先手を打ってその批判を封じた形だからだ。

だが、私は裏ブログ『kojitakenの日記』を持っており、これは主にマスコミ報道や政治番組の内容を手早くメモしておくのに使っている。これに、前記サンプロ冒頭での橋下発言を書き、「こんな橋下を支持し、応援する大阪府民っていったい...」という煽り文句をつけて記事を結んだところ、橋下信者支持者の大阪府民からすさまじい反発を受け、『kojitakenの日記』の昨日(15日)のアクセス数は、トータルアクセス数にして過去最多、同ブログ初の5桁となる13,053件(ブログカウンタに表示されているユニークアクセス数では9,854件)に達し、記事についた「はてなブックマーク」のコメントは、記事への批判と橋下徹への絶賛で埋め尽くされた。1日5桁のアクセス数は、こちらの『きまぐれな日々』でも、『きっこの日記』にリンクを張って紹介された時(一昨年4月と同6月の二度、のべ3日間5桁を記録)以外には記録したことがない。

同エントリのコメントで書いたように、番組ではそのあと、橋下がやりたいことを速射砲のようにしゃべりまくっていた。その中には、再生可能エネルギーへの注力など、本来民主党などの野党が政権を取った時の政策として、もっと大々的にアピールしていかなければならないことも含まれていて(これは東京の石原慎太郎もやっている)、自民党のボンクラ国会議員たちとは違う能力を橋下に感じた。だが、橋下の本質は、高校生とガチンコの議論をして自己責任論を叫んで高校生たちを泣かせた冷酷非情な新自由主義者であり、今後も当ブログは徹底的に橋下を批判していく。

しかし、現実には世間、特に大阪では橋下支持の声が圧倒的に大きい。このところ、前記の『kojitakenの日記』に限らず、橋下を批判したり、疑問を呈したりする記事に、すさまじい反応があって、橋下擁護と反批判でブックマークコメントが埋め尽くされるとは、前のエントリで書いたばかりだが、今回は私自身のブログがその例となった。これは、大阪府の財政が11年ぶりに黒字化する目処が立ったと報じられた時から顕著になった現象だろう。実際には、黒字化にはからくりがあって、府の財産の売却によるところが大きく、それはいつまでも続くものではないし、大阪府の腐敗は今なお進んでいると冷静に指摘する人もいるが、それはあくまで例外で、大阪府民の多くは橋下徹の煽動にまんまと乗せられているように見える。

コイズミが総理大臣を辞めたあとに社会の格差拡大と経済危機が大問題となったと同じ結果に、今後大阪府民は直面すると思うが、その時には橋下はもはや大阪府知事ではないだろう。国政に進出しているに違いない。私は、昨日の「サンプロ」や橋下批判記事への反応を見て、橋下が国政に進出する時期はそう遠い先ではないと予感した。

『kojitakenの日記』の「そういえば『バンキシャ!』で麻生内閣支持率が9.7%だったようだが」と題したエントリで、私は下記のようなシナリオを想定した。

自民党は、民主党に政権を渡し、小沢一郎を首相とする選挙管理内閣ができる。

そして、自民党は「一からの再出発」を図ると称して、麻生太郎が総裁を辞任し、その後継には突如大阪府知事の地位を投げ出した橋下徹が座る。

そして、解散総選挙。「橋下劇場」が幕を開ける。

選挙結果は自民・民主伯仲となるが、民主党が分裂し、同党の新自由主義者たちが作った新党と橋下自民党が「大連立」ならぬ「中連立」政権を作る。


実際には、いくらなんでもいきなりこんなことにはならないだろうが、麻生政権または次の政権のもとで総選挙が行われ、そのあと間違いなく国政は混乱する。橋下は、その時期に救世主よろしく国政に参入するのではなかろうか。来年には参院選があるが、そこで橋下がリーダーとなったカイカク政党(それには渡辺喜美や東国原英夫も加わるだろう)が勢力を大きく伸ばすことも考えられる。

なにしろ、橋下の「痛みを伴うカイカク」を大阪府民は受け入れ、これを熱狂的に支持しているのだ。コイズミは引退しても、ポストコイズミはいる。そして、日本国民は何度だって騙される。


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郵政民営化をめぐるゴタゴタが、政界やマスコミ界で続いている。

「かんぽの宿」の売却問題では、日本郵政は譲渡契約を結んでいたオリックス不動産への売却を断念したと報じられた。この問題は鳩山邦夫総務相が売却にクレームをつけたことに端を発し、鳩山氏と竹中平蔵が論戦を演じて注目された。1月9日付の日経新聞と同18日付の朝日新聞が鳩山氏を批判する社説を掲載したが、朝日新聞出版が発行している『週刊朝日』は3週連続のキャンペーン記事で日本郵政・オリックス側を批判する記事を掲載するなど、グループ内で論調が分かれる。この件は時が下るにつれて日本郵政・オリックス側というか竹中平蔵・宮内義彦側の旗色がどんどん悪くなっており、昨日もTBSテレビの「ニュース23」を見ていたら、500億円で応札しようとしたが事前審査で門前払いされたという大阪の不動産業者が「出来レースだ」と息巻いていたことが報じられた。109億円での売却ではオリックスの宮内義彦はぼろ儲けであり、これぞ「郵政民営化利権」というほかない。

この件は、コイズミ時代の置き土産で知る人ぞ知るものだったそうだが、舞台裏を知っていた鳩山邦夫は、本音では「反カイカク」であり、国民新党と民主党がこの件を追及しようとしているとの情報を察知して、先手を打って日本郵政・オリックス側に仕掛けたバトルだったと思われる。遅れて社説を掲載した毎日新聞(1月31日付)と読売新聞(2月1日付)の社説は、いずれも施設売却の不透明さを批判する内容になっている。それだけに、1月18日付の朝日新聞社説の恥さらしぶりが際立つ(笑)。当ブログは、朝日新聞の経済記事は、日経と並んで国内メディアでも「極右」に位置するとずっと指摘してきた。日経も朝日経済部も、竹中平蔵の支配下にあるといっても過言ではない。

昨日呆れたのは、麻生太郎首相が「郵政民営化に賛成でなかった」と言ったことだ。そんなことを言うのなら麻生は、郵政民営化法案に反対し、4年前の総選挙で刺客を送られて有権者の審判を受けるべきだった。しかし、そうはしなかったどころか、そもそも麻生太郎は2003年9月にコイズミ内閣に総務大臣として入閣し、郵政民営化を担当した男である。それが、どの面下げて今頃「郵政民営化に反対だった」などと言えるのか。しかも、麻生はコイズミが「郵政総選挙」で獲得した議席を頼りに政権にしがみついている。これほど筋の通らない話はない。郵政民営化に反対なのだったら、「カイカクを直ちに止めよ」というマニフェストを作成して衆議院を解散し、国民に信を問うべきだろう。郵政民営化の見直しはもちろん必要だが、当時責任ある立場にあった人間の安易な「転向」は許されない。転向するなら自らの失政の責任をとらなければならない。

麻生のみならず、自民党は(マスコミもそうだが)コイズミの「構造カイカク」を総括できていない。町村派内もそれでガタガタしていて、森喜朗はなし崩し的に中川秀直の力を弱めた上でつなぎ止めて無力化しようとしており、安倍晋三が森側について「若手・中堅」とやら(多くは世襲議員)の反発を抑えているようだ。下手に中川を領袖として小池百合子らを含む「カイカク」派が自民党を引っ張る立場に立ったり、逆に分裂を指向して民主党に接近することは、いずれも百害あって一利なしなので、森や安倍が彼らを飼い殺しにしようとしてくれることは、新自由主義に反対する側にとっても大いにありがたい。かつて一部で噂されていた、総理大臣を麻生から小池に代えての解散総選挙の線は、もはやほとんどなくなった。よほどのことがない限り、麻生太郎首相の下での解散あるいは任期満了によって総選挙が行われることになるだろう。

一方、民主党内も実は構造カイカクの総括など全然できていない。昨年、月刊誌『Voice』でコイズミ・竹中の「カイカク」路線を基本的に正しいとする立場を明確にした前原誠司を代表格とするカイカク派は党内に多数いるが、彼らを小沢一郎が抑え込んでいる形だ。現状では、次の総選挙で民主党が大勝して政権交代が起きる可能性が高いが、そのあと民主党の分裂が起き、厳しい選挙を勝ち抜いた自民党のカイカク派が(コイズミチルドレンはほとんど残っていないだろうし、塩崎恭久あたりだって安閑とはしていられないが)、それに対応する民主党の勢力とくっつくことはあり得る話だ。

だが、コイズミ内閣のような新自由主義政権が再び日本に生まれることは、もはやないだろう。


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石の上にも3年というが、少し前に知人に教えてもらったところによると、ウェブサイトの寿命は3年といわれているのだそうだ。当ブログは4月で開設3周年を迎える。ここまでは、幸いにもコンスタントに更新できる状態が続いたが、もちろんいつどうなるかはわからない。しかし、これまで3年間の蓄積は無駄にはなっていないと感じる。

なぜそんなことを書くかというと、もうだいぶ前からなのだが、ネット検索をしていて自分の書いたブログ記事が上位で引っかかる頻度が、ブログを続けるにつれてどんどん増していっているからだ。当ブログのアクセスでもっとも多いのは、トップページへのアクセスで、最新のエントリを読んでいただいているが、その他にウェブ検索や他のブログ等からのリンクによって過去のエントリにいただくアクセスがある。それを仮に「個別エントリへのアクセス」と称するが、アクセス解析(最近は月々の解析結果は非公開にしている)を行って集計してみると、800件強の全エントリのおよそ4分の1にあたる211件のエントリについて、個別エントリへのアクセス累計(2007年4月集計開始)が1000件を超えていた。

今日のエントリを書こうとして調べた検索語「金持ち増税」によるGoogle検索では、当ブログの昨年12月17日付エントリ「自民党までもが「金持ち増税」の必要性を認めたが...」が上位で引っかかった。ちなみに、筆頭で引っかかったのは、『世界の片隅でニュースを読む』の昨年2月15日付エントリ「「金持ち増税」論は少数意見ではない?山口二郎・宮本太郎共同論文を読む」である。

私などは、不況期には金持ちにお金を出してもらって景気を刺激するのは当たり前だと思うのだが、マスコミはなぜか異様なまでに逆進性の強い消費税増税にこだわる。今ほど景気が悪くなかった1997年の消費税増税でさえ日本経済の足を思いっきり引っ張ったのだから、2011年の消費税増税など気違い沙汰の一語に尽きるのだが、なぜマスコミがそんなことを主張するかというと、単に彼らが金持ちだからである。

しかし、先週金曜日(1月30日)に自民党幹事長の細田博之が、

雇用されているみなさんが消費をいたずらに削減(節約)するのは、むしろ罪なことだ。そういうことは避けなければいけない

と言った(URL)ことは、批判しないわけにはいかない。この細田というのは、世論の袋叩きを浴びた中山成彬の日教組批判を、テレビで延々と擁護し続けたり、選挙に異様に強い渡辺喜美の離党を牽制しようとして「離党したら刺客を送る」と脅したつもりになったり(自民党は実際に刺客を送るらしいが、細田の期待に反して何の牽制にもならず、渡辺は離党した)などと、落日の自民党政治家がなに偉そうにしてるんだ、としか思えない夜郎自大の男だが、今回の消費者批判の発言もいかにも細田らしいと思う。

細田は、

実際にはお金をたくさん持っている人がいるが、『これから不況になる』ということで、使わなくなっている

と言った。これは実際その通りだが、なぜ中間層以上の「実際にはお金をたくさん持っている人」が金を使わなくなってしまったかというと、それはただでさえ社会保障の貧弱だった日本で、コイズミが「痛みを伴うカイカク」と称して社会保障をどんどん削っていったからだ。こんな社会では、多少お金に余裕があっても安心できないから、金持ちが金を貯め込んでしまうのである。コイズミ内閣の官房長官も務めた細田には、「節約」を批判する資格などなく、「お前が言うな」のタグをつける必要がある。

今は、金持ちに金を出させて、庶民に金が回るようにしなければならない時期だ。政府紙幣の発行も悪い案ではないのだろうが、1月26日付エントリでご紹介したように、かつて同様の提案を行った榊原英資は、「相当にバブリーな政策なので、金の使い方が問題だ」と言っていた(榊原氏自身は「農業支援を行え」と主張していた)。新自由主義側がこれをやると、またぞろバブルの発生に使われてしまう。「サービスの大きな政府」が強力な再分配を行うことこそが必要だ。

コイズミ政権時代の後半、私はあるイギリス人と定期的に話す機会があって、彼はイギリスの社会と日本の社会を比較してイギリスの社会保障を紹介し、日本はアメリカと同じで低福祉の国で、コイズミはその方向をさらに促進しようとしていると言っていた。当然ながら、彼はサッチャーを嫌い、アメリカを馬鹿にするイギリスのリベラルだが、サッチャーによるカイカク以前には、イギリスは「小さな福祉国家」を目指す国だった。同じ新自由主義といってもアメリカとイギリスは違い、もともと小さな政府だったアメリカは、酷薄な格差社会となってしまったが、イギリスはサッチャーがかなり過激に破壊した今でも、実質的には福祉国家と言ってよいのではないかと思う。日本はアメリカ同様、もともと小さな政府だったところに、コイズミや安倍晋三がサッチャリズムを真似てでたらめな「カイカク」を行ったものだから、ワーキングプアの問題が起きた。いや、コイズミ以前の橋本龍太郎内閣発足前夜あたりから新自由主義政策は酷薄の度を増してきていた(さらに遡ると、もちろん中曽根康弘に行き着く)。1998年に日本の自殺者が年3万人を超え、今もいっこうに減らないが、これは橋本龍太郎やコイズミ、安倍晋三らが犯した殺人であるといっても過言ではない。

なすべきことは、社会保障の充実であることは論を待たないのだが、その財源に消費税を充てる発想こそ「さもしい」としか言いようがない。アメリカのオバマは大統領選挙戦で金持ち増税を公約し、イギリスは消費税率を引き下げたというのに、日本だけ「金持ち増税」をいうと脊髄反射で「金持ちが国外に逃げていくぞ」と脅しのコメントが返ってくるようではどうしようもない。自民党でさえ、金持ち増税の必要性を認めているこのご時勢に、「金持ち増税」の検索語によるネット検索で当ブログごときが上位で引っかかるようではどうしようもないのである。具体的には、分離課税だらけで実質的にはあのアメリカよりも累進性が弱くなっている所得税制を改めたり、法人税そのものは妥協して据え置くとしても、環境税を創設して環境に優しくない企業には応分の負担をしてもらうことなどが必要だ。現在のような緊急時にはそれだけでは足りないので、無利子国債発行などが検討されて良い。

最後っ屁をかましておくと、「金持ち増税をすると金持ちが国外に逃げていくぞ」と脅し文句を口にする(あるいは書き込む)のは決まって貧乏人である。金持ちはもっとずっと狡猾であり、貧乏人にそういうことを言わせて、自らはジャーゴンを駆使して新自由主義を正当化する屁理屈を捏造して「洗練された議論」と称するのである。しかし、現実の大不況が彼らの戯言が誤りだったことを立証した。これから、大きな時代の転換が始まる。


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中谷巌も麻生太郎も新自由主義からの転向を表明した今日この頃だが、今後はコイズミや竹中平蔵をはじめとして、これまで新自由主義の旗を振って日本の社会や経済をぶっ壊した戦犯たちを、日本人自らの手で断罪し、裁くべきだと思う。

機を見るに敏というか、「空気の読める」人たちは、中谷巌が典型例だが、いち早く新自由主義批判側に身を転じ、生き残りを図っているが、彼らが犯した犯罪同然の行為は、徹底的に追及されなければならない。

特に見過ごせないのは、日本における新自由主義の開祖である中曽根康弘が、市場原理主義批判の論調をとっていることである。サッチャーとレーガンが新自由主義政策を推進していた1982年に総理大臣に就任した中曽根は、外交・安全保障政策では「ロン・ヤス関係」(ロナルド・レーガンと中曽根康弘)と称する対米隷従路線をとり、経済政策では民活(民間活力の活用)路線で民営化を推進し、小さな政府を目指した。中曽根路線を極端な形で推し進めたのがコイズミである。中曽根は、コイズミによって政界引退に追い込まれてからコイズミに批判的なスタンスをとるようになり、コイズミ政権末期頃から行き過ぎた日米関係一辺倒の外交を批判していたし、最近では市場原理主義批判もするようになった。

前のエントリを書くために中谷巌について調べていた時、『安原和雄の仏教経済塾』の記事「相次ぐ新自由主義者たちの変節」に行き当たった。著者の安原和雄氏は足利工業大学名誉教授で元毎日新聞論説委員。この記事は昨年11月12日に書かれており、その直前の昨年11月8日付朝日新聞に掲載された中曽根のインタビュー記事を引用しながら中曽根の変節を指摘、自らの責任に言及しない中曽根を批判している。

同じ記事には、昨年11月7日の経済同友会主催シンポジウム「新・日本流経営の創造」において中谷巌が「新自由主義への反省の弁」を述べたことが紹介されている。

安原さんの記事に、現在「モラルなき拝金主義」を批判している中曽根が、かつて「リンリ、リンリと鈴虫でもあるまい」と述べて、政治倫理を求める民の声に「リンリ」すなわち「倫理」を揶揄(やゆ)した、とある。これは1983年12月に行われた総選挙の際になされた発言で、その直前の同年10月に田中角栄元首相がロッキード事件裁判の一審で有罪判決を受けたこともあって、政治倫理が総選挙の争点になっており、中曽根内閣は「田中曽根内閣」として批判され、総選挙では敗北を喫した。「日刊ゲンダイ」などは「田中曽根 退陣へ」との見出しで報じて、私は期待したのだが、結局自民党は新自由クラブと連立を組んでこの危機を乗り切り、長期政権となった中曽根内閣は、政権後期にバブル経済を引き起こした。1986年の衆参同日選挙で自民党が圧勝するなど、自民党政権はそのピークに至ったが、中曽根の失政によって、その後の日本経済の混乱がもたらされた(よりにもよって中曽根の路線をさらに極端に推進したのが、やはり長期政権となったコイズミ内閣だった)といえると思う。中曽根はコイズミや竹中平蔵らと並んで、戦後日本政治最大の戦犯といっても過言ではあるまい。

現在政治家や経済学者などに求められていることは、新自由主義が誤りであったことを認め、過去に新自由主義政策を推進した人たちの責任を追及し、二度と同じ誤りを繰り返さないようにすることである。中曽根は、過去の自らの政治を棚に上げて新自由主義批判や対米隷従の外交・安全保障政策批判を行っているが、「お前が言うな」と言いたい。90歳になってもなお持ち前の「風見鶏」ぶりを発揮していることには呆れる。中曽根は、改憲の夢をまだ持ち続けており、盟友・渡邉恒雄(ナベツネ)の読売新聞を利用して、つい数年前には世論調査でも改憲賛成が反対を大きく上回るところまでこぎ着けていた。その後、安倍晋三がその短い首相時代にあまりに性急に改憲路線を突っ走ったことが警戒されて、改憲反対の世論が賛成を上回る再逆転が起きたが、党内に改憲派と護憲派を抱え、前者の方が多い民主党の動向次第では、改憲への動きが再燃する可能性もある。

この30年を現在の方向に引っ張ってきた原動力が、中曽根でありナベツネであった。一昨年の「大連立」の仕掛人も彼らで、森喜朗を入れた「老害三兄弟」と揶揄したが、中曽根やナベツネに対して、森喜朗では団子の大きさが小さすぎる。兄の2人の10分の1もないに違いない。しかし中曽根やナベツネは文句なしの戦犯である。彼らを徹底批判せずして日本の再生はない。いくら大勲位だろうが、テレビでありがたいご託宣を垂れる偉人になど祭り上げてはならない。


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リーマン・ショック以来、急激な円高が起きて日本の輸出産業は大きなダメージを受けた。しかし、よく知られているように、ドルは円以外の通貨に対してはむしろレートを上げている。ユーロはもっと下げているし、それよりさらに下げているのがポンドだ。
http://quote.yahoo.co.jp/m3?u

『株式日記と経済展望』は、1月21日のエントリで「金融立国の末路、アイスランドの次はイギリスが国家破綻か?」と書いているし、田中宇が書いた「イギリスの崩壊」はネットで注目され、400件以上の「はてなブックマーク」がついた。後者は、「9.11陰謀論」や「地球温暖化陰謀論」を信奉している田中宇の書いたものだから、読み物としては面白いけれども話半分にしておいて、信用し過ぎない方が良いと思う。

しかし、『株式日記と経済展望』からリンクを張られている伊藤洋一の「価格競争を超越した強さ」は、説得力のある記事だ。右派系雑誌の『Voice』に載った記事だし、著者の伊藤洋一は郵政解散・総選挙の時にコイズミ応援の旗を振った悪印象があまりにも強いが、この記事では「金融立国」が崩壊したとはっきり書いており、この期に及んでまだ日本は「金融立国」を目指せなどと主張する新自由主義者たちと一線を画した形だ。

詳しくは、伊藤氏の記事をご参照いただきたいが、国家破綻の状態にあるアイスランドに続いてイギリスも怪しく、アメリカもそれに続くが、これらの国々はいずれも「金融立国」であり、製造業が衰退していたと指摘している。

私は、イギリスやアメリカのとった新自由主義の政策は製造業と相性が悪く、製造業を衰退させてきたと考えている。2007年10月14日付エントリ「新自由主義の時代の「終わり」を暗示する安倍内閣の崩壊」でも紹介したように、神野直彦は、『人間回復の経済学』(岩波新書、2002年)で、サッチャーの政策によってイギリスの労働生産性は向上したものの、産出高はサッチャー政権前よりきわだって低下しており(1960?73年には年平均3.1%だったのに、サッチャー政権成立後の1979?95年には年平均0.3%にまで落ちた)、生産性向上は技術革新よりもむしろ経営側の苛烈なリストラのもたらしたものだったことを指摘している。

サッチャー政権成立前に書かれた森嶋道夫の『イギリスと日本』(岩波新書、1977年)などを読んでいると、イギリスはサッチャー以前から優秀な人材が産業界に行きたがらない社会だったらしく、イギリスにおける製造業の衰退の源は、実は産業革命期に遡るのではないかと最近では考えているが、それはともかく、イギリスが製造業の弱い国であることだけは間違いない。伊藤洋一の、

今回の金融危機が明らかにしたのは、人々が生活するうえでどうしても必要とするモノをつくる製造業をもたない国が置かれた惨状なのだ。

という指摘には、説得力がある。

ただ、日本の工業製品の品質については、伊藤洋一は楽観的に過ぎると思う。私の意見では、日本の工業製品の品質がもっとも高かったのは1990年代前半であり、以後は新自由主義の波に洗われ、品質を犠牲にした過度のコスト削減や未完成の技術の見切り発車などによって、かつてほどの品質を誇っているかきわめて疑わしいと考えている。もちろん、他国と比較するとまだまだメリットはあるので、政府も財界もこれ以上間違った方向に進まないでほしいものだ。

とはいえ、伊藤洋一の記事を締めくくる下記の主張には賛成である。

日本の進むべき道ははっきりしている。「金融だけでメシが食える」と安易に考えた国々は呻吟している。金融はあくまで実物経済の流れを補完しているだけの存在である。それが前面に出てくるような、過去に例のないような脚光を浴びる時代は間違っていたことは明らかである。

対して、人間が必要として、それを使うことに楽しみを感じる製品は最後までなくならない。それを日本がきっちりと、長期的に「あの国のものは信頼できる」というレベルでつくりつづけることが、日本が、そして日本の企業が選ぶべき道だと筆者は考える。

(伊藤洋一 「価格競争を超越した強さ」より)


郵政総選挙でコイズミ自民党への投票を煽った論者からもこういう雑誌記事が出てきた。流れはもうすっかり変わった。


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