渡辺恒雄の後継者、宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

[訃報]政治ジャーナリストの先導役「ワタツネ」こと渡辺恒雄・読売新聞社代表取締役逝去、その毅然とした後ろ姿は宮崎信行が継承します

2024年12月19日 10時06分13秒 | マスコミ批評
 私たち政治ジャーナリストのリーダー格だった「ワタツネ」こと渡辺恒雄・読売新聞社=写真は東京・大手町の本社、宮崎信行撮影=代表取締役が亡くなりました。享年98。

 ワタツネさんが残した政治報道の高潔な姿勢は、これからは48歳年少の私・宮崎信行が次の四半世紀に継承します。

 ワタツネさんの政治報道における貢献は枚挙にいとまがなく、「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」と表記しないと朝鮮総連から抗議が来る中、今の「北朝鮮」の表記を押し通しました。藤原弘達さんが死後もいたずら電話に悩んだ「公明党の支持母体である創価学会」の表現も可能にしました。

 韓国の親日政治家に「諜報機関長官」の経歴があることを訝しむ大平外相に、毎日新聞の小池記者とともに「この人は大丈夫な人だから、アメリカのCIA長官とは違うから、右の読売と左の毎日が保証するから」と事前に伝え、日韓基本関係条約が実現しました。沖縄返還で米軍の原状回復工事の費用を大蔵省が肩代わりして国民に秘密にしたことを小池記者の部下・西山記者がスクープしながらも蓮見電信官と「密かに情を通じた」として有罪となった後、家業「西山青果」の土地を読売小倉支社の駐車場にして、その現金収入が元毎日・西山さんの生活を長く支え、国家賠償請求を結審(最高裁敗訴)までつなげました。

 橋本行革では、猪口邦子さんら15名の審議会委員となりましたが、官邸からパスが発給されているはずなのに、国会記者証とバッジで出入りする美学を見せました。

 杉並の富裕な銀行経営家の家庭に生まれ、複数の賃貸住宅を所有していました。こどもの頃、「きょうからここが私の家なんです」と主張する女性に対して、実母がお金を渡して帰らせる表情を目の当たりにしました。就職活動で、第一志望の中央公論社に落ちたため、その後、読売新聞社が買収して傘下におさめました。

 読売の記事を、地方のテレビ局に配信するしくみをつくり一般社団法人共同通信社に対して、加盟費などの料金の値下げにつながるような圧力をかけたとの見方が大勢です。株式会社日本経済新聞社が知的財産権を盾に「日経平均株価」の呼称を使うよう圧力をかけて、NHK、朝日新聞社が従うなか、最後まで「東証平均株価」の表記を曲げませんでした。

 NHKでは、大越健介記者の取材に答えました。

 当ニュースサイトは17年前、立ち上げ直後、ある人物の情報提供をもとに、「福田康夫内閣はナベツネ政権?」とし、大連立は渡辺恒雄さんが手引きしたとという大スクープを連発しました。当ニュースサイトの帰趨を決めた情報提供者の名前は明かせません。大手メディアから私への「黒幕はナベツネか」との取材に私は一貫して「違う、ワタツネさんは電話交換手だ、持ち掛けたのは福田首相だ」と答え続けました。

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