名前を隠して楽しく日記。
セックスは女が男に提供する対価のように考えている女多いじゃん?
男が女に金銭サービス、色々提供した上で初めて女から提供されるのがセックスだと、そう考えている女がいるけど
デモで日の丸にバツ印つけたり踏みつけたり燃やしたりしてる連中を見てるとわかると思うが、ああいうのって一種の福祉なんだよ
社会から孤立している、誰からも顧みられない人たちのフラストレーションのはけ口として最も無害なのが日の丸
デモで大勢と行動を共にするというのは、彼らにとって数少ない社会との繋がりを実感できるイベントなの
治療用装具なら耐用年数超えてたら医療保険適用にできる(病院から借りてるという話だったので治療用装具の話をしているが介護の方だったらすまん知らん)
ただ、これも償還払なので一時立て替えが必要で還付まで3ヶ月ほどかかる
(また装具の償還払で一時的に金がない場合、生活福祉金貸付制度利用できるはず)
耐用年数超えてない場合、装具装着指示証明書に医者がそれなりの理由書いてくれれば通る場合がある 通る通らないの賭けにはなってしまうが
世帯分離については自治体ごとに認める認めないの判断基準が大きく異なるが、法的には「同居していて生計が同一」というのが基準になるので生計が別だと強固に主張していけばできる可能性がある
あと、世帯分離について病院のケースワーカーに相談してないか?ケースワーカーそのへんあまり詳しくないことがあるので、もしまだ聞いてないなら自治体の住民票担当へ聞いたほうがいい
また、自治体的にも生活保護にするより世帯分離にして自助でやってくれるほうが助かるはずなので、一つの手として自治体の生活保護窓口にかけこみ「このままでは生活保護を受けざるを得ないが万が一世帯分離が認められればなんとかなるかもしれない」と伝え生保ケースワーカー経由で住民票担当に世帯分離を認めさせる方法もあるかもしれない。
6歳だったら普通に物心ついてるから、一生その記憶残るね。かわいそう。
下の子に手がかかるのは分かってるのに我慢しない上の子腹立つ、って気持ち伝わってると思う。
園に預けられるのも、ひとりで外に出されて親から離されるんだから「思いっきり遊べるように」が親に都合のいい言い訳なのも理解してると思うよ。
ていうか、愛情不足で大変なことになってるって他人事すぎて本当に気の毒。
殴り倒したくなるけど我慢してるのでヨシ!ってプラスじゃないけど大丈夫?DVしてないから俺偉いって言ってるのと同じだけど。
子供がほんとーにかわいそうだなって、すごい思うわ。
ふと昔の京都大サークル仲間(京大生)のことを思い出した。旧姓で知っていた京都大の後輩が結婚後に名前を変えて研究者として活動していたことまでは辿れた!
残念ながら見つかったのは20年以上前の記録だけだった。戦略もしくはさきがけのプロジェクト報告書に名前が残っていて、2000年から2002年頃に活動していたことは
京都大OBとしての系譜を追うつもりが、時間の断絶に行き当たってしまった。
名字が比較的珍しいこともあり、記憶と断片的な資料が重なって「あの京大生だ」と確信できたのは、元京大生としてちょっとだけ嬉しかった。
けれども、そこから先はもう辿れなかった。人の人生は京都大の公開情報に残る部分と残らない部分があり、記録が途絶えることもまた一つの京都大的な選択なのだろう。
そんなこと追跡をしていると、ふと先日家族と京都大の学園祭に出かけたことを思い出した。京都大の展示や企画は新鮮だったが、特に印象に残ったのは
ヨシヨシヨシヨシヨシヨシヨシヨシ
そのまま附属上がればいいのでは?
SNS上では、サラ氏が目を細めるように指で引っ張りながら笑う姿とともに、字幕で「中華料理」と書かれた写真が拡散された。アジア人を揶揄する「つり目」のジェスチャーではないかとして批判を集めた。
フィンランドの大衆紙「Ilta-Sanomat」は12月1日のウェブ記事で、サラ氏に取材したといい、経緯としてはレストランで頭痛と目の痛みを感じ、こめかみ周辺を揉んだところ、その姿を友人が面白がって撮影・投稿したものと報じた。サラ氏は自身も多くの差別を経験しており、人種差別を容認しないとの主張だった。
8日になって、サラ氏は明言を避けながらも下記のようにインスタグラムで謝罪した。
「私の行動が多くの方に不快感を与えたことを深く理解しており、心からお詫び申し上げます。特にこの状況で個人的な影響を受けた方々には、おわび申し上げます。それは決して私の意図したものではありませんでした」
ミス・フィンランドの称号は「責任」が伴うとして、「私はこのことを教訓とし、成長することをお約束します」などと反省していた。
前にも聞いた
俺はアマゾンで購入したものはたまにレビュー書くようにしてるんだんよね。
数年前まではそういうの全部ローカルでやってたの。もっと前だとブログに書いたりもしてたな。
もはやアマゾンに至ってはノイズが多すぎてなんの参考にもならないというか、むしろ読まないほうがいいまであるんだけど。
それでも細々と詳細に購入検討してる人が知りたいかもなあって事を割と細かく書いたりしてる。
自分が購入検討する時って、やっぱレビュー見ちゃうんだよね。これは怪しいなあとか、極端なこと言ってるなあみたいなのはスルーするんだけど
まあだから話半分くらいの感覚で読んでてなんとなく自分なりのフィルターをかけながら見るからそれなりに参考にはしてる。
大真面目に読むとレビューってネガティブな意見にどうしても引っ張られるから、そこは気にしすぎないようにしたり。
他に書くのはfilmmarksで見た映画の感想書くくらいだけどこれはどっちかっていうと自分用として書いてるだけ。
レビューを書くことじたいは割といいことが多いなと思っていて、それは自分でも買ったものとかについての冷静な判断を改めてできたり、
なにが気に入ってなにが気に入らないか言語化することで分かることも多いなと感じていて。
もちろん口コミって人によって全然感想も変わるから、一部の極端な意見が目立ってしまうこともあるんだけど。
それでもないよりはあったほうがいいなと思ったりもするんだわ。
とある特定の男、「女ってイージー」と言ったり「BBAになったら落ちぶれて誰からも相手にされなくなる=女は人生の7割は誰からも相手されない難易度高い生き物」と言ったり、
どっちなのかはっきりして欲しい。
とりあえず、お疲れ。