「知らない幸せ」と「知っている不幸」
「知らない幸せ」と「知っている不幸」
人は「知らない」方が幸せに人生に送ることができるという一側面がある。
例えば…
- 裏で言われている自分の陰口
- 良かれと思って行っていたことが人を不快にさせていた
- 自分の大好きな趣味や習慣への反対意見
このようなことをすべて気にしていたら、正直やっていられない。
ほんの少しだけ前の時代は、ナチュラルに「知らない」まま過ごすことができていた人が割と多くいたように思う。
しかし、SNSなどのコミュニケーション技術の発達によって、否が応でも「知らされてしまう」社会になってきたように感じる。
世界中の様々なことを知ることができるのは、当然大きなメリットだ。
でも、その一方で知らなくてもいい、主観的でミクロなことまで、情報として入ってきてしまっていることが、僕らに大きなストレスを与えていると思う。
僕自身も色々悩み考えた部分があったが、大切なのは割り切りだと思う。
知ってしまったとしても、関心を持つべきものと、そうでないものを切り分けるということだ。
それは、事実(ファクト)と感情(エモーション)だ。
事実に関しては、しっかりと関心をもち、受け入れるべきだと思う。
だが、主観的な感情や感想といったものは、人やタイミングによって大きなブレが生じる。
これに関しては、知ったとしても「その人はいまそのような考え方なのだな」と思う他ないだろう。
自分を成長させる意味でも、守る意味でも、割り切りの一線を決めることは、重要なことだと思う。