リーダーシップの本質は桃太郎?
上長との面談しかり、管理職試験しかり、ことあるごとに「リーダーシップ」について言及される場面が非常に多い。
前回の記事でも記述した「叱ることを恐れない」といったことも、リーダーシップに必要な要素の一つであることは理解している。
しかし、本質的にリーダーシップとは何なのか。ということを一言で説明を求められると正直難しい。
そこで、もう一度立ち止まって、『リーダーシップの旅』を参考に、自分なりのリーダーシップ論を深めることをしてみようと思い、記事を書く。
そもそもリーダーと呼ばれるってどんな人?
リーダーと呼ばれる人には大きく2種類がある。
1つは、社会的にリーダーと呼ばれている・認められている人。
1つは、組織で任命されてリーダーになった人。
いうまでもなく、本質的なリーダーとは前者だろう。
例えば、黒人奴隷を解放したリンカーンや、インド独立を導いたガンジーらがあげられると思う。
では、そのように「本質的なリーダー」と呼ばれるような人は、そもそもどのようなプロセスでリーダーとなり、また組織に任命されたリーダーと何が違うのかを言及したい。
本質的リーダーがたどるプロセスとは?
本書で語られるざっくりとした大きな道筋とは、
- 一人称の一人語り
- フォロワーによるリーダーへの帰属
- 社会による公認
つまり、はじめは一人で描いていた先の見えない壮大な夢・目標に向かって努力を続けることで、そのビジョンに共感する仲間が増え始め、結果として社会に認められる功績を残すことでリーダーシップが生まれる。ということである。
・『桃太郎』におけるリーダーシップ
より簡単な例を挙げると、昔話の桃太郎が近いストーリーではないかと思う。
悪者の鬼によって苦しむおじいさん、おばあさんを救いたい。
その目標を掲げ旅する中で、出会ったイヌ・サル・キジを仲間にしていき、
鬼を退治する結果を残し、社会的に英雄として扱われるようになる。
・『フォレスト・ガンプ』におけるリーダーシップ
また、映画『フォレスト・ガンプ』におけるワンシーンもリーダーシップを象徴している。
トムハンクス演じる主人公ガンプは、恋人ジェニファーに失恋し、走り始める。たった一人で延々、黙々と走っていると、そのうち「一緒に走っていいかい。何か走る理由があるんだろう。」と言って、後ろからついてくる男性が現れる。ガンプが何年もかかってアメリカ大陸を横断するうちに、ふと後ろを振り向くと、大勢の人たちがついてきていた。
「本質的リーダー」と「任命されたリーダー」の違いとは?
まず、前提として「本質的リーダー」=「桃太郎型リーダー」には、はじめからフォロワーはおらず、夢に向かう試行錯誤の中で徐々についてくる。一方、「任命型リーダー」には任命された時点で、部下というフォロワーが存在する。その上で、
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掲げるビジョンについて
<前者は「見えない」が、後者は「見える」>
それは、夢や幻に近い壮大に思える夢を追うのか、具体的に数値化されしっかりスケジューリングされた目標を追うのか。ということ。
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フォロワーへの働きかけについて
<前者は「人として」、後者は「地位に基づいて」>
それは、自分自身の夢を叶えるために個人としてフォロワーにお願いするのか、自分の地位と権力を利用して行動を働きかけるのか。ということ。
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リーダーとフォロワーの関係性について
<前者は「シンクロする」、後者は「モチベートする」>
それは、リーダーとフォロワーの両者が自発的に夢に向かった行動をとるのか、リーダーが一方的にフォロワーに働きかけるのか。ということ。
企業に属する組織人として「桃太郎型リーダー」をどう捉えるか?
1つの答えとしては、自分の中で2つのリーダー像を共存させることだ。
経営者や起業家であれば、「桃太郎型リーダー」として大風呂敷を広げ、部下・フォロワーに対して、具体的計画や実務を任せることが可能だ。
一方で、僕のような組織人としては、経営者が広げられた大風呂敷をたたむ為、部下をマネジメントしながら実務を担うことが、第一優先の役割として雇用されている。
なので、その役割を果たしつつも、自分が仕事の中で果たすべき壮大なビジョンを持つということが大切なのだと思う。