ジャーナリストの青木理さんが3月下旬、テレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」(月~金、午前8時)で10年間務めたレギュラーコメンテーターを降板した。強権的な安倍政権や、強まる「嫌韓」「ヘイト」の風潮に対し、穏やかな語り口で「モノ申す」姿勢が印象に残る。だがツイッターなどではたびたびバッシングされ、「嫌いなコメンテーター」ランキングの上位にランクインしたことも。その一方で、降板が発表されると「何らかの圧力か」といった臆測が飛び交った。実のところはどうだったのか。【江畑佳明/学芸部】
ざわつくツイッター
3月23日のオンエア中、この日限りでの降板が発表された。その場で青木さんはこう述べた。
「(僕は)飽きっぽいし、へそ曲がりだし、たぶんすぐクビになるだろうしと思っていたら10年も続いちゃって。楽しかったしやりがいもあった」
するとツイッターでは、「真っ当でわかり易(やす)いコメントが好きだったのになあ…」などと、惜しむ声が相次いだ。だがその一方で「“虚誕妄説コメンテーター”は何をしましたか?」「責任も取らず、適当なことばかり口にする最悪なコメンテーターが去ってくれた」といった辛辣(しんらつ)な投稿も目についた。
さらには「テレ朝の政権への忖度(そんたく)を疑わずにはいられない」「裏で何らかの圧力が掛かった可能性は非常に大きいのではと推測!!」などのツイートも散見された。
青木さんは「僕はツイッターをやらないから」といい、ほとんど見ていないという。だが、胸中はいかばかりだろう。
「ちょっと付き合ってみようか」
青木さんは2011年4月、「モーニングショー」の前身、「情報満載ライブショー モーニングバード!」の月曜コメンテーターになる。15年9月に現在の番組に衣替えし、火曜日のレギュラーを受け持った。
共同通信で警視庁の公安担当などを務め、02~06年にはソウル特派員を経験。退社してフリーに転身後は、死刑囚たちの葛藤に迫った「絞首刑」(講談社文庫)などが高く評価されるなど、着実にキャリアを積んでいた。そんな頃、当時の番組プロデューサーから「週1回出演してくれませんか」とコメンテーターの依頼があった。本業との関係などから「相当迷った」が、「ちょっと付き合ってみようか」という気になり引き受けた。
「モーニングバード」は当初、おそらくは「硬派路線」の方針ではなかっただろうと青木さんはいう。だが11年3月に東日本大震災と原発事故が起きたこともあり、時事ニュースに時間を割くようになった。その方向性は後継の「モーニングショー」の今も続いている。青木さんいわく「(両方とも)ワイドショーとしては相当に『ちゃんとした』番組でしたよ。『こういうコメントはしないで』などと言われたことはないし、僕も基本的に忖度など一切せずコメントしていました。だから10年続けられたと思う」
「ちゃんとした」とはどういう意味だろうか。…
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