「神社のお祭りはいつまで町内会に運営を押し付けられるか」

 「季刊 宗教問題」の2023年秋季号に、拙文「神社のお祭りはいつまで町内会に運営を押し付けられるか」を掲載していただいた。

 同号には山下祐介、木下斉、古川琢也、平沢勝栄などがインタビューもしくは執筆をしている。

 ぼくは以前以下のような記事をブログで書いた。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

その質問・意見は、町内にある神社の行事を、季節の折々に、町内会として子どもたちなどを集めてやっているのだが、それはもう負担が限界に来ている、地域の大事な行事であり地域文化だが、それもリストラすべきだと思うのか、というものでした。

 上記のブログ記事の場合は、“宗教団体=神社側が担い手である信者(氏子)を増やす努力をするのが本道”との主張を展開した。

 今回「季刊 宗教問題」の原稿ではこのアプローチを取らずに、あくまで町内会としてこの問題にどう向き合うべきかを考えた。

 その際、「お祭り」といっても、いろんなものがごっちゃになって語られているので、まずそれを分別することが大事だと思った。

 なので、最初に

  1. 日本三大祭りのような非常に有名なお祭り
  2. そこそこ有名だが地域以外ではあまり知られていないお祭り
  3. 地域の人しか知らない小さな祭り

という3つの区分けをして、1.は除外し、2.と3.について論じるという整理を行った。町内会問題として論じる場合は、この整理は非常に有効だったと感じている。

 というのは、他の論者が、「祭の維持」について、例えば祭における動物愛護/虐待問題として論じていたり、全国的に有名なお祭りの高額観覧席問題として論じていたり、あるいは地域衰退/「地域再生」問題として論じていたりしていたので、2.や3.の問題として切り分けて町内会問題としてフォーカスしたことは、ぼく自身の独自論点を押し出す形になったからである。

 

 また、この問題を論じる上で、最近復刊が話題になっている中川剛『町内会』(中公新書)の分析がかなり役立った。

 どの部分かといえば「現代の祭祀」として、神社行事がコミュニティの精神紐帯のとしての本来的意義が極めて衰微している現在、何がその代替になるかを考察している部分である。これはぼくの町内会長経験の実感とも合っていたし、新書を執筆する際に取材した体験からも合致していた。

togetter.com

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 新しい祭祀を定義し、そのイメージが共有できるようになれば、自ずと解法は見えてくる。そこを明らかにした一文になったという自負がある。

 「お祭りの継承・担い手不足」でお悩みのかたは、ぜひご一読を。

 

 雑誌の中の論文間の突き合わせとしては、山下祐介「『地方消滅』は本当に存在する危機なのか」と、木下斉「寺社だからできる地域再生の取り組み」などを比較して読むと面白いのではないかと思った。両者とも「寺でカフェ」のようなアプローチを批判しながらも、「稼ぐ寺社」というモデルを批判するか、発展させるかで対立しているからである。ぼくの一文と、山本哲也「どんどん消えているお祭りを令和以後にどう残すか」も比較して読んでもらうと楽しいだろう。

 

てんてこ祭と乱婚オルギー祭

 この文を書く中で、自分の郷里の「奇祭」である「てんてこ祭」を紹介できたのも、個人的にはよかったなと思っている。男根を模した大根をつけて町内を練り歩くのだから「奇祭」という名にふさわしい。

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 学生時代に、エンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』を「現代的に補強する」ものとして読んだことのある、セミョーノフ『人類社会の形成』に「乱婚オルギー祭」*1という規定が出てきて、次のような一節があり「これ、てんてこ祭のことじゃん!」と心踊った記憶が蘇った。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

民族学データが示しているように、大半の諸族のもとでオルギー祭の最中に行なわれた無規律な性交渉は、動物の繁殖と植物の繁殖の繁茂を呪術的に促し、隠して獲物もしくは収穫の豊かさを保障すると言うのがその本質とされていた。〔…中略…〕そこで祭の最中の無規律な性交渉の制限、さらについではその完全な禁止はこれら性交渉を代行し、自然に対して同じく呪術的影響を及ぼすことをめざす各種の儀礼行為の出現を招来せざるを得なかった。無規律な性関係は一定の時期に、〔…中略…〕性交渉に取って代わりうるものとしては、ときには露骨かつ乱暴に、また時には穏やかな形で模倣される性行為、あるいは同行為を暗示する行動(半裸もしくは全裸、体の一部を露出することなど)、エロチックな色彩を帯びた各種のみだらな所作や身振り、遊戯や踊り、祭りの行列に際して性器をかたどったものを持ち運ぶ風習、猥談などがあげられる〔…中略…〕。これらの行動はその大半が、かつて乱婚的性格を帯びていた祭の最中にも、または個々の呪術儀礼として、とりわけ農耕呪術儀礼として、祭以外のときにも行なわれていた。

〔…中略…〕

 この種の行動や儀礼の存在は、オルギー乱婚祭がかつて存在していたことを示している。またこの種の行動や儀礼は、膨大な数の諸族のもとで祭にさいしても、また祭以外のときにも行われており、それは殊に古代エジプト、古代ギリシア、古代ローマ、エトルリア、ドイツ、ロシア、ウクライナ、セルビア、チェック、グルジヤ、スヴァン、アディゲイ、カバルト、モルドヴァ、エヴィンク、チット、ナナイ、満州、日本、カリマンタンのカイヤノ、ジャワとモルッカ諸島、マオリ、エヴァ・ブッシュマン、バフアナ、エスキモー、ピピリ、マンダン、アラパホ、ズニ、その他多数で顕著である(セミョーノフ前掲書、下巻p.67-68)

 「てんてこ祭」は五穀豊穣を祈念すると言われているけど、さらにさかのぼって、「国家発生以前における、乱婚オルギー祭の一種」だということになれば、乱婚オルギー祭を「地域の伝統」として再現するってことになっちゃうわけだ…。

 

 

*1:乱婚オルギー祭:生産に支障をきたさない時期に、性的な関係が完全に解放され、ヒャッハーなセックス、すなわち誰とでも自由な性交が許された、徹底した無制限で濃密・凶暴なセックス祭。