幹部たちの“知的水準の衰弱”

 休みで、いろんな本を読んでいるが、読み返すものもある。

 不破哲三『スターリン秘史』もその一つである。

 不破はこの著作の中で、スターリンの問題点の根源を暴いているのだが、同時に、それを描くプロセスで、スターリンという指導者が持っていた「長所」というか、ある種の明晰さにも遠慮なく触れている。

 スターリンがトリアッチ〔イタリア共産党指導者〕やトレーズ〔フランス共産党指導者〕にあたえた路線転換は、それぞれ成功をおさめて、イタリアでも、フランスでも、共産党が戦後政治で有力な地位を得ることに貢献しました。スターリンが求めた路線転換に共通しているのは、反ファシズム闘争の成果を強引に社会変革に結びつけることに固執せず、資本主義的政治体制のもとで共産党がしかるべき政治的地位を獲得するという限定的な目標を、わりきって追求した点にありました。イタリア問題で、トリアッチに、国王の即時退位要求の撤回、バドリオ政権への参加を指示したのも、フランス問題で、トレーズに、ドゴール政権の成立という新事態に適応してレジスタンス部隊の解散要求に応じるよう指示したのも、そこから引き出された指示であって、それがそれぞれの国の政治の現実的要請にあっていたことは、その後の経過が証明したところでした。(不破『スターリン秘史 5』新日本出版社、p.171-172)

 スターリンがひたすら“巨悪をたくらんだ反人民的な存在だった”という「無能な独裁者」であったとすれば、逆にあれほどの害悪をなすことは不可能であっただろうし、戦後の世界の共産主義運動に否定的影響も与えなかったであろう。

(余談だが、もしも、この記述を以って、“不破はスターリンを美化しているではないか!”というようなことをのたまうお方が万が一でもいたら大変であるが、まさかそんなことはなかろう。ただ、昨今は、誰彼の主張の特定のある部分を切り出して、「ルール違反」だの「謬論を広げている」だの、そういうことを本気で言い募る御仁がぼくのまわりにウヨウヨしているので、ついつい余計な心配をしたくなる。)

 問題は、この路線転換が、どちらの場合にも、すべてスターリンの直接の指示で、いわば“一夜漬け”でおこなわれたことです。スターリンが指示するまでは、トリアッチもトレーズも、その相談にあずかっていたディミトロフも、その国の現地の党組織と緊密な連絡をとりながら、まったく反対の、現実性を欠いた政策を立案していたのです。(同前p.172)

 現場に近いところにいても、現実に即応・適応した方針が出せるわけではない。これは事態がまったく新たな局面、これまで出会ったことがない局面を迎えているのに、これまでの延長線上で対応しようとするからである。

 これまでの延長線上で対応しようとするのは、現場に近い人間ほど起こりやすい。現場に近いことが、実情に適合しやすい条件とならずに、現実主義に拝跪し、過去の経験にとらわれる・しがみつく要因になってしまうのである。いわゆる「経験主義」というやつである。

 経験主義に照応した組織スタイルは官僚主義である。「官僚主義」というと「四角四面な対応」という意味のように思われるが、それは官僚主義の一面である。十年一日で以前に決められたルールや所作を決められた通りにやる態度だ。平時には優れたシステムであるが、有事や新しい情勢のもとでは、むしろ硬直する。社会運動においては、運動の生き生きした側面や新しい事態を取り入れられなくなり、大小のエラーを起こし続ける。あるいはヴィヴィッドさがなくなってメンバーが離れていくことになる。緩やかに組織が死んでいくような場合には、大きな矛盾が表面化しないので、こうした官僚主義が繁茂していても、刈り取れずに、むしろみずみずしく新しい若芽はそれに埋もれていってしまう。

 現場に近いことが現場の旧来の経験にとらわれる枷になるのは「常識」という名の対応に堕すからである。常識は従来の延長線である。そこには新事態に即した、豊かな飛躍がない。すなわち弁証法がないのである。哲学的には一面に骨化した形而上学となる。

この常識というやつは、わが家のうちの日常茶飯事にかんしては相当のしろものであるが、研究という広い世間にのりだすと、まったく驚くべき冒険に出会うのである。そして形而上学的な考え方は、対象の性質におうじて広狭の差のある、かなり広い領域で正当でもあれば必要でもあるのだが、つねにおそかれはやかれ限界につきあたるのであって、この限界からさきでは一面的な、偏狭な、抽象的なものとなり、解決できない矛盾に迷いこんでしまう。(エンゲルス「空想から科学への社会主義の発展」/『マルクス・エンゲルス8巻選集7』大月書店p.53-54)

 スターリンにはその「豊かな飛躍」があった。現場に近いトレーズ、トリアッティ、ディミトロフには「常識」「経験主義」しかなかった。

 もちろん、そうした飛躍の視点を持ちつつ現場に入れば、現場で起きている新しい事態が、新しい法則性でとらえられることになる。現場に入ること・近いことは、それ自体はマイナスでもプラスでもないが、視点がなければいくら現場に近くても、いや、むしろ現場に近いからこそ経験や常識にとらわれていってしまう。

 

 しかし、ではディミトロフ、トリアッティ、トレーズは昔から「知的水準」が「衰弱」していたのかといえばそんなことはない、と不破はいう。

 ディミトロフはもちろん、トリアッチもトレーズも、一九三五年のコミンテルン第七回大会には、人民戦線政策の確立とその実践で、それぞれなりに指導的役割を果たした幹部たちでした。その人々が、なぜ情勢の要求にこたえる政策的立場を生みだす力をここまで失ってしまったのか?(不破前掲p.172)

 ファシズムの危機に直面した1935年にコミンテルンは、反動的右派としてファシスト、保守派、そして社会民主主義者たちを一括りにして敵扱いしていた従来の方針を転換させ、ファシズムを打倒するために立場の違いを超えて共同する「人民戦線」政策を確立したのである。そういう柔軟性をコミンテルン幹部であったディミトロフ、トリアッティ、トレーズらは持っていたはずだった。それが10年経って全く発揮されなくなったのは何故なのか? と不破は問う。

私は、そこに、モスクワでの長い亡命生活、とくに「大テロル」以後の、方針の最終的決定者はスターリンだけという専制体制下での生活と活動の中で、これらの幹部たちの“知的水準の衰弱”が現れていること、そしてそのことが、スターリン専決の体制の一つの基盤となってきたことを、強く感じるのです。(同前)

 飛躍的で豊かな方針転換を提起したスターリンがすごいということもあるが、他方で、全くそういう方針を打ち出せなかった旧コミンテルン幹部たちの「知的水準の衰弱」がはっきりしたということの重大さを不破は指摘するのである。

 知的な決定をどこかに委託してしまう。

 大事な方針の大もとはどこかの誰かが決めてくれる。

 知の源泉はいつもどこかのエラい人。

 “戦略的転換”はエラい人の仕事。私たちヒラができるのはマイナーチェンジだけ。

 新しい事態、新しい情勢が起きているのに、従来の成功体験にしがみついて、思想の飛躍、ブレイクスルーを起こさない。——

 マルクスは、『資本論』の中で、生産的労働においてかつては頭脳と手足は一体のものであったが、階級社会、そして資本主義(とりわけ「独自の資本主義的生産様式」たる機械制大工業)において「頭脳」と「手足(言いなりで黙々と作業するだけの人たち)」の分離が起きると指摘したが、そのような乖離は左翼運動の中でも起きうることを、不破の著作は警告として示している。

 そしてそれが専制の基盤となるとまで解明しているのである。

 いやー、関連するけどちょいとだけ脇道。沙村広明『波よ聞いてくれ』10巻でカルト的な宗教団体の残党が、自分で立てた人質計画が完全に手詰まりになったとき、そのメンバーが急に取り始めたこの行動を描いたコマ、見て!

沙村『波よ聞いてくれ』10、講談社、p.148

 笑っちゃった。そして戦慄した。

人間は行き詰まると「とりあえず前に進んでる感のある作業」に逃避する

 戦略的な行き詰まり・戦略的な見通せなさ、という現実を直視できず、手近な戦術的前進を勝ち取ろうとするこの思考、この態度! なんか「進んでるわ〜」という小さな満足感だけを脳内報酬で受け取りながら、その実は、一歩も前に進んでおらず、状況はただただ悪化していくだけなのに。

 これぞ「知的水準の衰弱」の見事な形象化ですわ。

 さて、元に戻ろう。

 不破は、その知的な「衰弱ぶり」を示す例として、戦後にドイツが降伏した直後の1945年6月に、ドイツ共産党が出すべきアピールを、ピークやウルブリヒトらドイツ共産党幹部とディミトロフが相談して起草し、スターリンに見せるエピソードが、『ディミトロフ日記』を使って紹介されている。

 『日記』ではスターリンが「本質的な修正」を加えてきたことを記している。

 

 『日記』が「本質的な修正がくわえられた」というのは、なんと、「ソビエト制度」の要求が否定された、ということでした。ここから推定すると、ピークらが準備し、ディミトロフが編集に参加したアピールの草案には、敗戦後のドイツ人民に「ソビエト制度」の樹立を訴えることが含まれていたようです。

 たしかに一九三五年のコミンテルン第七回大会では、反ファシズム人民戦線の政府の樹立は、重大ではあるが、中間的な目標で、革命運動の最終目標はソビエト政権の樹立だ、とされていました。しかし、それから一〇年、ディミトロフもピークも、世界のさまざまな運動を経験してきたはずです。その彼らが、ヒトラー・ファシズムを打倒した後のドイツの政治体制について、一〇年前の頭のまま、「ソビエト制度」の樹立を訴えるアピールを平気で起草したのでした。〔…〕

 これは、すべての政治的判断をスターリンに任せきってきた旧コミンテルン幹部たちが、どんな政治的、知的実態におちいっていたかを、もっともあからさまな形で示したものではないでしょうか。(不破前掲p.174-175)

 ここで、マルクスの『資本論』*1で引用されている、ホラティウスの『諷刺詩』の一節をご紹介。

名前を変えれば、これはみなおまえのことを言っているのだぞ!

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