花畑浅間神社
〇花畑浅間神社花又富士(富士塚) 足立区花畑5-10
毛長川流域には、多くの古墳や遺跡の存在が確認されており、この神社もその形態から古墳を利用したものと考えられています。
参道の入り口に第六天社の石碑と庚申塔があります。

鳥居と扁額「浅間神社」



浅間社


<説明板>
「花畑浅間神社富士塚
富士塚とは、富士山を信仰する人々の集団である富士講によって築造された塚である。
富士山の溶岩石を使用して小山を築き、頂上には浅間神社の祠を祀り、烏帽子岩、小御岳社をはじめ、実物の富士山と同様に各名所を配すのが一般的であり、登山して参拝できるようになっている。
富士信仰は、文化・文政年間(1804~1829)に江戸を中心として爆発的に広まり多くの講中が結ばれ、講の発達に伴い富士塚の築造も盛んに行われるようになった。
この富士塚は、千住神社、保木間氷川神社の富士塚と同じく伊藤参行を講祖とする丸参講による築造である。築造年代は明らかではないが、石鳥居の年代や伝承より明治初年と考えられている。また、花畑大鷲神社には、この講中により明治五年の記年のある富士登山絵馬が奉納されている。
花畑浅間神社は社殿を持たず、富士塚の頂上に祀る浅間社をそのまま社名とし「野浅間」といわれている。神社の北側を流れる毛長川流域には、多くの古墳や遺跡の存在が確認されており、この神社もその形態から古墳を利用したものと考えられており興味深い。
昭和五十九年十一月、足立区有形民俗文化財に登録されている。
平成七年三月 東京都足立区教育委員会」
毛長川流域には、多くの古墳や遺跡の存在が確認されており、この神社もその形態から古墳を利用したものと考えられています。
参道の入り口に第六天社の石碑と庚申塔があります。

鳥居と扁額「浅間神社」



浅間社


<説明板>
「花畑浅間神社富士塚
富士塚とは、富士山を信仰する人々の集団である富士講によって築造された塚である。
富士山の溶岩石を使用して小山を築き、頂上には浅間神社の祠を祀り、烏帽子岩、小御岳社をはじめ、実物の富士山と同様に各名所を配すのが一般的であり、登山して参拝できるようになっている。
富士信仰は、文化・文政年間(1804~1829)に江戸を中心として爆発的に広まり多くの講中が結ばれ、講の発達に伴い富士塚の築造も盛んに行われるようになった。
この富士塚は、千住神社、保木間氷川神社の富士塚と同じく伊藤参行を講祖とする丸参講による築造である。築造年代は明らかではないが、石鳥居の年代や伝承より明治初年と考えられている。また、花畑大鷲神社には、この講中により明治五年の記年のある富士登山絵馬が奉納されている。
花畑浅間神社は社殿を持たず、富士塚の頂上に祀る浅間社をそのまま社名とし「野浅間」といわれている。神社の北側を流れる毛長川流域には、多くの古墳や遺跡の存在が確認されており、この神社もその形態から古墳を利用したものと考えられており興味深い。
昭和五十九年十一月、足立区有形民俗文化財に登録されている。
平成七年三月 東京都足立区教育委員会」

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流山道 西光寺(保木間)
○西光寺 足立区保木間4-38-2
門前には成田山への道標があり、江戸時代には成田山参詣者の休憩所としても賑わいました。荒綾八十八ヶ所霊場掛番所です。




(説明板)
「西光寺
当寺は浄土宗を宗旨とし、郭鴻山彩雲院西光寺と号す。永享六年(一四三四)、長誉宗善上人の開山と伝えられる。
境内の不動堂には、平安時代の高僧智證大師作と伝えられる不動尊像が、本堂には運慶作と伝えられる阿弥陀如来像が安置されている。門前左側には、万延元年(一八六〇)造立の「成田山これより十六里」の道標がある。これは成田山参詣の道しるべであり、当時は休憩所としても賑わったという。
また、当寺には足立区有形文化財に登録されている「紙本着色当麻曼荼羅図」が所蔵されている。当図は文政五年(一八二二)、保木間村の石井市左衛門が次男深川霊厳寺二十六世住職桂誉上人を通じて、父親の四十三回忌に際し、西光寺に寄進したものである。精緻な描写と表現様式に江戸中期の当麻曼荼羅図の特色が表れている。
平成九年三月 足立区教育委員会」

<道標>
門前の左にある道標は、正面に不動明王座像を彫り、
・正面「成田山江是ヨリ十六里 榎戸迄二十丁」
・左面「大鳥江二十丁」
・右面「天下泰平国土安寧 是ヨリ西新井大師二十丁」
と刻まれています。万延元(1860)年11月造立。








境内には元禄9(1696)年11月銘の青面金剛庚申塔があります。
門前には成田山への道標があり、江戸時代には成田山参詣者の休憩所としても賑わいました。荒綾八十八ヶ所霊場掛番所です。




(説明板)
「西光寺
当寺は浄土宗を宗旨とし、郭鴻山彩雲院西光寺と号す。永享六年(一四三四)、長誉宗善上人の開山と伝えられる。
境内の不動堂には、平安時代の高僧智證大師作と伝えられる不動尊像が、本堂には運慶作と伝えられる阿弥陀如来像が安置されている。門前左側には、万延元年(一八六〇)造立の「成田山これより十六里」の道標がある。これは成田山参詣の道しるべであり、当時は休憩所としても賑わったという。
また、当寺には足立区有形文化財に登録されている「紙本着色当麻曼荼羅図」が所蔵されている。当図は文政五年(一八二二)、保木間村の石井市左衛門が次男深川霊厳寺二十六世住職桂誉上人を通じて、父親の四十三回忌に際し、西光寺に寄進したものである。精緻な描写と表現様式に江戸中期の当麻曼荼羅図の特色が表れている。
平成九年三月 足立区教育委員会」

<道標>
門前の左にある道標は、正面に不動明王座像を彫り、
・正面「成田山江是ヨリ十六里 榎戸迄二十丁」
・左面「大鳥江二十丁」
・右面「天下泰平国土安寧 是ヨリ西新井大師二十丁」
と刻まれています。万延元(1860)年11月造立。








境内には元禄9(1696)年11月銘の青面金剛庚申塔があります。

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