たけくらべ 大黒屋の寮跡
○たけくらべ大黒屋の寮跡 あらき薬局 台東区竜泉3-6-4 HP
新吉原は「お歯黒どぶ」に囲まれ、揚屋町通りの入口には、かつて跳ね橋が架けられていました。新吉原は外界より一段高くなっており、その痕跡が今に残っています。
「たけくらべ」(樋口一葉)には、「むゝ美登利さんはな今の先己れの家の前を通つて揚屋町の刎橋(はねばし)から這入つて行た」の記述があります。
あらき薬局は、新吉原の揚屋町通り入口にあります。
風俗業界向けの商品を販売しており、店頭には、風俗用品自販機登場が設置されています。
ヤギの「メ―くん」が店頭の小屋にいます(撮影禁止とあったのでメーくんは撮らず)。
<たけくらべ大黒屋の寮跡>
「たけくらべ」(樋口一葉)の主人公である美登利の家のモデル、大黒屋の寮跡があった三角地帯(台東区竜泉3-7)前にある、あらき薬局の柱にプレートが設置されています。
(プレート)
「樋口一葉 たけくらべ
美登利の家 大黒屋の寮跡」
(説明板)
「明治26年から同27年にかけて、樋口一葉がこの茶屋町通り(当時下谷竜泉寺町368番地)に住んでいた頃、前方の車道の西寄り三角地帯に名作「たけくらべ」にでてくる美登利の家のモデル大黒屋の寮(当時下谷竜泉寺町150番地)があり、そこには美登利にそっくりな娘もいた。
寮主は石野平次郎で、新吉原京町2丁目26番地の妓楼松大黒屋を経営しており、当時の新吉原細見記をみると、その妓楼には、太夫大巻がいてお職を徹している。
「たけくらべ」の原作未定稿「雛鳥」の一部は、一葉がこの竜泉寺町にいた当時に書いたものと推測され、そこに登場する子供達はみなそれぞれ地元にモデルが実在した。
1989年11月23日一葉忌 荒木慶胤 記」
新吉原は「お歯黒どぶ」に囲まれ、揚屋町通りの入口には、かつて跳ね橋が架けられていました。新吉原は外界より一段高くなっており、その痕跡が今に残っています。
「たけくらべ」(樋口一葉)には、「むゝ美登利さんはな今の先己れの家の前を通つて揚屋町の刎橋(はねばし)から這入つて行た」の記述があります。
あらき薬局は、新吉原の揚屋町通り入口にあります。
風俗業界向けの商品を販売しており、店頭には、風俗用品自販機登場が設置されています。
ヤギの「メ―くん」が店頭の小屋にいます(撮影禁止とあったのでメーくんは撮らず)。
<たけくらべ大黒屋の寮跡>
「たけくらべ」(樋口一葉)の主人公である美登利の家のモデル、大黒屋の寮跡があった三角地帯(台東区竜泉3-7)前にある、あらき薬局の柱にプレートが設置されています。
(プレート)
「樋口一葉 たけくらべ
美登利の家 大黒屋の寮跡」
(説明板)
「明治26年から同27年にかけて、樋口一葉がこの茶屋町通り(当時下谷竜泉寺町368番地)に住んでいた頃、前方の車道の西寄り三角地帯に名作「たけくらべ」にでてくる美登利の家のモデル大黒屋の寮(当時下谷竜泉寺町150番地)があり、そこには美登利にそっくりな娘もいた。
寮主は石野平次郎で、新吉原京町2丁目26番地の妓楼松大黒屋を経営しており、当時の新吉原細見記をみると、その妓楼には、太夫大巻がいてお職を徹している。
「たけくらべ」の原作未定稿「雛鳥」の一部は、一葉がこの竜泉寺町にいた当時に書いたものと推測され、そこに登場する子供達はみなそれぞれ地元にモデルが実在した。
1989年11月23日一葉忌 荒木慶胤 記」
テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行
正燈寺(もみじ寺)
○正燈寺(もみじ寺) 台東区竜泉1-23-11
江戸の紅葉見は、下谷の正燈寺と品川鮫洲の海晏寺(こちらで記載)が特に有名でした。
「江戸名所図会 正燈寺丹楓」
江戸名所図会に「正燈寺丹楓」が描かれています。挿絵説明「庭中楓樹最おふくして晩秋の紅錦は海晏寺の園林にも劣る色なく実に一時の奇観たり」
加舎白雄は、正燈寺の紅葉を句に詠んでいます。
「門に入て紅葉かざゝぬ人ぞなき」
小林一茶は、紅葉を見に、正燈寺、海晏寺をそれぞれ訪れています。
「散紅葉流ぬ水は翌のためか」
現在の正燈寺は、もみじ寺の俤は残っていません。
江戸の紅葉見は、下谷の正燈寺と品川鮫洲の海晏寺(こちらで記載)が特に有名でした。
「江戸名所図会 正燈寺丹楓」
江戸名所図会に「正燈寺丹楓」が描かれています。挿絵説明「庭中楓樹最おふくして晩秋の紅錦は海晏寺の園林にも劣る色なく実に一時の奇観たり」
加舎白雄は、正燈寺の紅葉を句に詠んでいます。
「門に入て紅葉かざゝぬ人ぞなき」
小林一茶は、紅葉を見に、正燈寺、海晏寺をそれぞれ訪れています。
「散紅葉流ぬ水は翌のためか」
現在の正燈寺は、もみじ寺の俤は残っていません。
一葉祭(一葉記念館)
〇一葉祭 11月22日(金)~24(日)
11月23日は樋口一葉の命日で、11月22日(金)~24日(日)の3日間、「一葉祭」が開催され、期間中、一葉記念館は入館無料でした。
一葉祭の最終日に一葉記念館を利用しました。 酉の市の時は、開館時間を延長していました。酉の市の縁起熊手が雰囲気を盛り上げています。作品は、撮影できるものとできないものがあります。
<一葉住居>
二軒長屋で、右隣は人力車屋。
<青海学校小学高等科第四級卒業証書(複製)>
「右上の号数は成績順につけられており、「第一號」は一葉が首席で卒業したことを意味している。」 との解説あり。
<「奇蹟」の舞台を提供した博文館>
博文館は一葉を支援していました。
田山花袋の温泉ガイドは博文館から出ていましたね。
<山名常人作「一葉女史胸像」>
<仕入れ姿の一葉>
<文芸誌に掲載の一葉>
<吉原今昔図>
吉原今昔図を売っていました。2500円。吉原神社でも売っています。
11月23日は樋口一葉の命日で、11月22日(金)~24日(日)の3日間、「一葉祭」が開催され、期間中、一葉記念館は入館無料でした。
一葉祭の最終日に一葉記念館を利用しました。 酉の市の時は、開館時間を延長していました。酉の市の縁起熊手が雰囲気を盛り上げています。作品は、撮影できるものとできないものがあります。
<一葉住居>
二軒長屋で、右隣は人力車屋。
<青海学校小学高等科第四級卒業証書(複製)>
「右上の号数は成績順につけられており、「第一號」は一葉が首席で卒業したことを意味している。」 との解説あり。
<「奇蹟」の舞台を提供した博文館>
博文館は一葉を支援していました。
田山花袋の温泉ガイドは博文館から出ていましたね。
<山名常人作「一葉女史胸像」>
<仕入れ姿の一葉>
<文芸誌に掲載の一葉>
<吉原今昔図>
吉原今昔図を売っていました。2500円。吉原神社でも売っています。
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酉の市③ 大鷲神社/鷲神社
〇大鷲神社 足立区花畑7-15-1 HP
<奉納提灯>
社頭には、多くの提灯が並びます。
<「酉の市」発祥の神社>
「酉の市」発祥の神社です。
「大鷲神社(おおとりじんじゃ)
大鷲神社の創建は古く、平安時代、新羅三郎義光が奥州の役に赴く途中、社前に戦勝を祈願したと伝えられるゆかりの社である。
当社は応徳(一○八四)の頃から毎年十一月の酉の日に例祭が行われ大変なにぎわいを呈し、世にこれを「酉のまち」といわれた。また江戸中期にはじまり、酉の日(現在は七月の第三日曜日)の祭事として奉納されている「獅子舞」は歴史と伝統を持つ古式ゆかしいものである。
現在の本殿は嘉永七年(一八五四)に上棟、明治八年竣工、総欅方三間四方唐破風造りである。正面左右に浮彫りされている「昇り龍」「降り龍」は建築彫刻の名作である。また拝殿は棟札の記録からみると寛永元年の創建である。境内には、江戸時代に農家の若者衆が力くらべに使った「力石」が保存されていて農民生活の一面を物語っている。
「獅子舞」は区の指定文化財に、「本殿」「力石」は登録文化財になっている。
昭和六十三年ニ月 東京都足立区教育委員会」
<江戸名所図会>
江戸名所図会に「鷲大明神社」「鷲大明神祭」が描かれています。
「鷲大明神社」
正一位鷲大明神とかかれた幟が社頭に見えます。参道両脇に池があり、左手の弁天池が現在は存在しないぐらいで、現在も同じ景観を保っています。拝殿手前、燈籠脇に「とり」とかかれた鶏小屋が見えます。
「鷲大明神祭」
鶏小屋への鶏の奉納が描かれています。11月の酉の日には、農民から鶏が奉納され、祭が終わると浅草寺観音堂前に放つのが旧例とされると説明あり。
<蜀鶏小屋>
以前は蜀鶏(獅子舞に羽を使用)が飼われていましたが、現在は何もいません。
<かっこめ等>
大鷲神社のかっこめの初穂料は800円で、通年で授与しています。
鷲神社のほうは初穂料1000円で、酉の市の時だけの授与です。
<2019年酉の市>
令和元(2019)年は、11月8日・20日。
浅草酉の市ほどではないですが、すごい人出。
<五本骨扇に月丸>
源義光の子孫である佐竹氏が本殿を改築しています(完成は明治8年)。
佐竹氏は家紋に「五本骨扇に月丸」を使用し、大鷲神社の神紋も「五本骨扇に月丸」です。
<パンフレット抜粋>
「由緒
創建年代は不詳であるが、日本武尊の東国平定の偉業と多年夷賊に苦しんでいた人々が、日本武尊の東国平定の偉業と多年夷賊に苦しんでいた人々が、尊への報恩感謝の意を込めて、本陣のあった当時「花又」に奉斎された。開運守護の神として信仰篤く、中世、新羅三郎義光が、兄・八幡太郎義家の援軍として後三年の役に赴く折、戦勝を祈願し、凱旋の折、神恩に謝し兜を奉賽する。以後、源氏の崇敬のまととなった。」
<三山講中奉納の狛犬>
狛犬の奉納者は三山講中です。
奉納「壬文化九歳 申正月酉ノ日」奉納にあたって「酉」にこだわっています。
三山(月山・湯殿山・羽黒山)講中の奉納の石碑はよく見るところですが、狛犬の台座は初めて見ました。
<新吉原奉納の石垣>
大鷲神社の拝殿及び本殿の石垣には、浅草新吉原からの多くの寄進者名が刻まれています。「浅草新吉原 五十軒町 大芳 江戸二 二葉屋 仝 結城屋 揚屋町 鯉屋 角町~以下略」
〇鷲神社 足立区島根4-25-1 HP
鷲神社(わしじんじゃと読みます)の「かっこめ」は、お多福の面がついています。浅草や花畑の酉の市と比べて、すいています、普通に歩けます。
<奉納提灯>
社頭には、多くの提灯が並びます。
<「酉の市」発祥の神社>
「酉の市」発祥の神社です。
「大鷲神社(おおとりじんじゃ)
大鷲神社の創建は古く、平安時代、新羅三郎義光が奥州の役に赴く途中、社前に戦勝を祈願したと伝えられるゆかりの社である。
当社は応徳(一○八四)の頃から毎年十一月の酉の日に例祭が行われ大変なにぎわいを呈し、世にこれを「酉のまち」といわれた。また江戸中期にはじまり、酉の日(現在は七月の第三日曜日)の祭事として奉納されている「獅子舞」は歴史と伝統を持つ古式ゆかしいものである。
現在の本殿は嘉永七年(一八五四)に上棟、明治八年竣工、総欅方三間四方唐破風造りである。正面左右に浮彫りされている「昇り龍」「降り龍」は建築彫刻の名作である。また拝殿は棟札の記録からみると寛永元年の創建である。境内には、江戸時代に農家の若者衆が力くらべに使った「力石」が保存されていて農民生活の一面を物語っている。
「獅子舞」は区の指定文化財に、「本殿」「力石」は登録文化財になっている。
昭和六十三年ニ月 東京都足立区教育委員会」
<江戸名所図会>
江戸名所図会に「鷲大明神社」「鷲大明神祭」が描かれています。
「鷲大明神社」
正一位鷲大明神とかかれた幟が社頭に見えます。参道両脇に池があり、左手の弁天池が現在は存在しないぐらいで、現在も同じ景観を保っています。拝殿手前、燈籠脇に「とり」とかかれた鶏小屋が見えます。
「鷲大明神祭」
鶏小屋への鶏の奉納が描かれています。11月の酉の日には、農民から鶏が奉納され、祭が終わると浅草寺観音堂前に放つのが旧例とされると説明あり。
<蜀鶏小屋>
以前は蜀鶏(獅子舞に羽を使用)が飼われていましたが、現在は何もいません。
<かっこめ等>
大鷲神社のかっこめの初穂料は800円で、通年で授与しています。
鷲神社のほうは初穂料1000円で、酉の市の時だけの授与です。
<2019年酉の市>
令和元(2019)年は、11月8日・20日。
浅草酉の市ほどではないですが、すごい人出。
<五本骨扇に月丸>
源義光の子孫である佐竹氏が本殿を改築しています(完成は明治8年)。
佐竹氏は家紋に「五本骨扇に月丸」を使用し、大鷲神社の神紋も「五本骨扇に月丸」です。
<パンフレット抜粋>
「由緒
創建年代は不詳であるが、日本武尊の東国平定の偉業と多年夷賊に苦しんでいた人々が、日本武尊の東国平定の偉業と多年夷賊に苦しんでいた人々が、尊への報恩感謝の意を込めて、本陣のあった当時「花又」に奉斎された。開運守護の神として信仰篤く、中世、新羅三郎義光が、兄・八幡太郎義家の援軍として後三年の役に赴く折、戦勝を祈願し、凱旋の折、神恩に謝し兜を奉賽する。以後、源氏の崇敬のまととなった。」
<三山講中奉納の狛犬>
狛犬の奉納者は三山講中です。
奉納「壬文化九歳 申正月酉ノ日」奉納にあたって「酉」にこだわっています。
三山(月山・湯殿山・羽黒山)講中の奉納の石碑はよく見るところですが、狛犬の台座は初めて見ました。
<新吉原奉納の石垣>
大鷲神社の拝殿及び本殿の石垣には、浅草新吉原からの多くの寄進者名が刻まれています。「浅草新吉原 五十軒町 大芳 江戸二 二葉屋 仝 結城屋 揚屋町 鯉屋 角町~以下略」
〇鷲神社 足立区島根4-25-1 HP
鷲神社(わしじんじゃと読みます)の「かっこめ」は、お多福の面がついています。浅草や花畑の酉の市と比べて、すいています、普通に歩けます。
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酉の市②
○2019年酉の市
鷲神社と長國寺の2つの寺社で行われる浅草酉の市は、令和元(2019)年は、11月8日・20日。
縁起熊手のお店は、境内と露天含め、約150店舗、屋台の出店は約750店舗にのぼり、毎年70万人~80万人の人々が訪れます。
熊手御守(かっこめ)は、酉の市の時だけ授与されます。
<酉の市の売れ残り>
「江戸時代、酉の市の夜は吉原の遊郭も繁昌したが、その夜でさえ売れ残る意からとも、酉の市で売られる、お多福の面のついた熊手の売れ残りの意からともいう。」(goo辞書より)
<鷲神社>
<長國寺>
※酉の市①へ
鷲神社と長國寺の2つの寺社で行われる浅草酉の市は、令和元(2019)年は、11月8日・20日。
縁起熊手のお店は、境内と露天含め、約150店舗、屋台の出店は約750店舗にのぼり、毎年70万人~80万人の人々が訪れます。
熊手御守(かっこめ)は、酉の市の時だけ授与されます。
<酉の市の売れ残り>
「江戸時代、酉の市の夜は吉原の遊郭も繁昌したが、その夜でさえ売れ残る意からとも、酉の市で売られる、お多福の面のついた熊手の売れ残りの意からともいう。」(goo辞書より)
<鷲神社>
<長國寺>
※酉の市①へ
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